91.自由

ドアを開けて、誰もいないのに「ただいま」を言って、荷物を置く。
一人分の食事を作って、一人で食べる。
勝手気ままな生活というのが、これほど味気ないものだとは思わなかった。
口うるさいおかんに、いつも黙りこくって新聞を読んでいるだけの親父。きゃんきゃんよく吠える姉や妹に挟まれた俺は、どちらかというとかなり影の薄い子供だったかもしれない。
だからといって、親から干渉されない、ということはもちろんなく、唯一の男の子ということで理不尽にも厳しく育てられた。
なんでねーちゃんが遊び呆けているのに、俺だけ勉強しなくちゃいけないんだ、とか。
なんで妹がパンツまるだしのスカート穿いているのを許しているのに、おれだけ地味で暗くて機能性にだけ優れた服を着せられているのか、だとか。
言い出せば子供じみた妬みのような愚痴しかでてこない。
いつかこんな家出ていってやる、という思いで自分を勇気付けながらようやく、今の大学へと進学することができた。
しかも、家からは通えないほど遠く離れたこの土地で、初めての一人暮らし。
自分のためだけのスペースをもらえた俺は、興奮して最初のうちは眠れなかったほどだ。
だけど、楽しかったのは最初の3ヶ月ぐらいだった。
授業や家事を適当にこなせるようになったころには、隙間風なんかあるはずもないのに、どこからか風が入り込んできたようなもの寒さを感じてしまっていた。
思えば、こうやって一人きりで食事をするなんてことはなかったな、と、ふとインスタントの味噌汁に浮かぶ干からびたねぎを見つめながら思い出す。
かーちゃんが作ってくれたのは、もっとこう具がたくさんあって、なんて、うるさくっておかずの取り合いで、それでも毎日が楽しかったあの時の食卓ばかりが懐かしくなる。
これがホームシックというやつなのか、と、ずずっと味噌汁を飲み干す。
うまいとも不味いともいえないその物体が喉を通り過ぎていく。

「ぼちぼち、電話でもすっかな」

緊急支援物資的なダンボールが送られてくるほかは、思った以上に実家からの連絡がこない。最初のうちはそれでも週に何回は掛かってきたらしいのだけど、ケイタイなのに、いつかけても繋がらない俺の電話にかけてくるのを諦めたのか、ここ最近はずっとご無沙汰だ。
箸を茶碗の上へのせ、癖のようにごちそうさまでした、と手を合わせる。
片付けもしないまま、後ろに倒れ、仰向けになる。
一人暮らしの部屋にしてはやけに高い天井を見上げる。
実家でこんなことをしようものなら、おかんから蹴飛ばされたな、なんて、やっぱり思い出すのは家族のことばかり。

「やっぱ、電話しよう」

ゴロゴロと転がりながらケイタイを探す。
登録するまでもなく指が覚えている番号を丁寧に押していく。
こんなにも待ち望んでいた自由な生活が、思ったよりも不自由だったよ、だなんて負け惜しみでも言わないけれど。

93.煉瓦

三匹の子豚でレンガで家を造った子豚は助かるんだっけ?
好きでもないガーデニングのため購入してきた煉瓦を持ち上げながら思う。
待望の一戸建てを購入した我が家には、ささやかだけれども一応庭がある。
洗濯を干すスペースを取れば、それ程の面積が取れるわけではないけれど、それでも何もしないで荒れるに任せるには場所がありすぎる。
いっそのことコンクリートでも流し込んでやろうと、思わなかったわけじゃないけれど、それはそれで荒涼とした風景が窓から広がりそうで、思うに留めた。

「なんでこんなことやってるのかね、私は」

学生の頃は日焼けするのが嫌で、体育祭すらまともに参加することがなかったのに、帽子をかぶって軍手をはめて、本当に私は何をやっているのだろう。
無造作に積み上げられた煉瓦は、とても不安定で、なにかちょっとした衝撃が加わればガラガラと崩れ落ちていきそうだ。
なんとなく、見ているのが辛くて、軽く足の裏で蹴ってみる。
案の定煉瓦は、鈍い音を響かせながら土の上へと落ちていく。
一部の煉瓦の角が欠ける。

「なんだ、やっぱり煉瓦でもだめじゃない」

そんな当たり前のことを口に出し、これ以上の作業を放棄してリビングへと引き上げる。
ソファーに横になると、窓の外のバラバラになった煉瓦と、口が開けっ放しの土入りの袋が目に飛び込んでくる。
日の光から推測するともう午後3時を回っているだろう。
たぶん私はこのまま放りっぱなしにして、今日の作業を終了してしまうだろう。
夜の闇が落ちる。
散らかったままの庭も全て、こちらからは見えにくくなるだろう。
そんなことをしなくても、私の夫は庭を見もしないだろうけれど。
再び、何かを壊したい衝動に駆られる。
何時に帰ってくるのかわからない。
いや、今日帰ってくるのかすらわからない。
順調に交際して、順調に結婚して、家をもった二人は、現在こんなにもすれ違ってしまっている。
きっかけはささいなことだったのかもしれない。
例えば、夫が朝起きないことを非難した、だとか、私が片付けベタなのを夫が詰った、だとか。
だけど、積もり積もったお互いの不満は、いつのまにか二人が身動きできないほどに堆く積もっており、そのままでは息も出来なくなりそうだった。
最初に動いたのは夫。
解決に向う方向ではなく、それから背を向ける事でなんとか自分を保てるように、全てから目を逸らしてしまった。
取り残された私は、鬱屈とした空気の中、それでもなんとか二人で暮らしていきたくて、あがいてもがいていた。
全てが、逆効果だったのかもしれないけれど。
話し合いをしない夫との会話は疲れるばかりで、いつでも怒りっぱなしの私との生活に夫も疲れていく。
彼が仕事を追えた後、何をしてどこにいるのかは知らない。
最低限、私に知られないようにしているうちは、彼にも私に対する情が残っているのだと、そんな事を思っているから。
二人の家は、無造作に積み上げられた煉瓦の家。
だから、些細なことでも崩れ落ちてしまう。
その家の補強をすることもできずに、目を瞑ったまま。
いつかはきっと、全てが壊れてしまうのに。

お題配布元→小説書きさんに100のお題
3.13.2007(再録)
>>100のお題>>Text>>Home