46.視線

 なんとなーく視線を感じるかも?と、思ったのはダイブ前。不審な視線だと断定できたのはつい最近。本日ももれなく不審な視線を浴びつづける。
容姿も頭脳も運動神経ですら平凡でその他大勢にカウントされるはずの私を熱心に見つづけている酔狂な人がいる。ただその1点のみで、平凡とは一味違った人生になりそうなほどに。

「秋山君、いいかげん飽きてくれないか?」
「残念ながら俺しつこいからさ」

それには理由を知る同級生皆が無言で頷く。
酔狂な視線の持ち主は平凡な容姿に平凡な運動神経を持ち、ただ一つ並外れた頭脳を持つ、ただの変態男・・・、いや、同級生である。
成績順でクラスごとに偏りがないよう振り分けられるはずのクラス編成にて、なぜだか3年間同じクラスになったという腐れ縁。それ以上でもそれ以下でもないはずなのに、なぜだか彼は私のことを気に入っているらしい。
しかもアプローチの方法が迂遠かつ偏執的である。
つまるところ彼は私を見つめつづけているだけなのである。
そこには何の言葉もなく何の行動もありはしない。ただただじっとこちらを凝視するのみ。
はじめは気のせいかとも思った。次にはなにかとてつもない勘違いで恨まれているのかと思った。何の事はないただ単に(?)気に入られているのだと気がつくまでに2年の月日を要してしまった。

「秋山君って見てるだけでいいわけ?」

クラスメートが余計な茶々を入れる。そういわれればなぜだかこの手の質問をした人間がいなかったのに気がつく。あまりにも視線が異常すぎてそれ以上何も聞けなかったのかもしれないが。

「見ているだけって・・・」

意味するところがわからないのか途方にくれた顔をしている。

「だって、このままじゃあんなことやこんなこともできないし」

あんなことやこんなこととはどんなことだ?言い出した彼女を軽く睨みつける。彼女はぺロリと舌を出し次に笑顔で誤魔化した。

「アンナコトヤコンナコト」
「いや、秋山君本気にしなくていいから」

いいかげんこの視線にも慣れきった私は卒業まで後少しというこの段階で油断していたのかもしれない、ゴールは後少しだと。卒業してしまえば進学先もことなるし(私は念のため女子大を選んだのだ、絶対に重ならないように)、この並々ならぬ執着も他へと向くだろうと。

「卒業しちゃうよーー、もうすぐ」

留めのような一言が彼の何かを後押ししている。
見ていただけの彼がユラリと立ち上がる姿が視界に入り込む。
2歩3歩と彼が近づくのがわかる。
大絶叫の告白とクラスメートの感嘆と笑い声。
ひょっとして逃げられないかもしれないと、嫌な予感が頭をよぎる。

47.スイッチ

 俺にはずっと思いつづけている人がいる。
だけど勉強以外のことを何も知らない俺は、ただ不器用に見つめる事しかできなかった。
ホれている自分がこういうのもなんだけど、彼女に特に何かあるというわけじゃない。目を引く美人でもスタイルがいいわけでもない。ついでにいうと成績も平均らしい。だけどいつだって彼女の事は自分の視界にストレートに飛び込んできた。

幸いなことに彼女とは3年間同じクラスだったから、言わば見放題だった。ただ見ていられればそれでいい、それ以上何かしようなどという大胆な事は思いつきもしなかった。
きっかけはクラスメートのたぶん軽い冗談だったのだと思う。

「秋山君って見てるだけでいいわけ?」

虚を突かれたような言葉に軽く言語中枢が混乱する。
見ているだけでいい?それは散々自分の脳内で繰り返してきたことば。どうせ自分のように面白みのない人間などに彼女が手に入るわけはないと、言い訳を繰り返しながら。
次の言葉で自分の中の何かのスイッチが押されたような気がする。

「だって、このままじゃあんなことやこんなこともできないし」
「アンナコトヤコンナコト」

いや、俺も男だからあんな事やこんなことって・・・。考えるだけで脳みそが沸騰しそうだが、それ以上に体が反応してしまいそうだ。俺が考えるあんな事とクラスメートが考えるあんな事が同じものだとは限らないのに。

「いや、秋山君本気にしなくていいから」

軽くいなす彼女に、クラスメートはさらに煽る。

「卒業しちゃうよーー、もうすぐ」

はたと、今時分が置かれている立場に気がつかされる。
俺は彼女のなんだ?
答えはただのクラスメートだ。当たり前の回答に愕然とする。
彼女と進学先が異なってくるのは成績からもわかってはいたけれど、よりにもよって女子大などという進学先を選んだ彼女は、たぶん、きっと俺のことを良くは思っていないはず。
俺と一緒になることを完璧に忌避したというのであれば、少なからずも彼女の人生に影響を与えたという事に喜んでもいたが、嫌われて喜ぶのは小学生のガキまでにしておきたい。

まず告白だ。
手に入るかどうかなんてわからないけれど、やらなければ後悔する。
スイッチが入った俺はそのままの勢いで突っ走る。
大丈夫3年間も見ていたのだから。

48.メモ

 何の変哲もないただの白い紙切れに残された言葉。
ただ、海とだけ書かれたそのメモは冷静に考えたらとてもわかりやすい場所においてあることに後で気がついた。





 気軽に同棲をはじめた私たちは、一緒に暮らすことがどれだけ大変なのかを理解していなかったのかもしれない。日日小さい出来事で衝突を繰り返し、瑣末なことだと思い込もうとすればするほど、不満は溜まっていく。
もともと他人同士だった二人が同じ部屋に暮らすということが、どういうことなのかわずかに掴みかけたころには、二人の関係の方が怪しくなっていた。
お互い居心地のよくない場所には帰りたくないものだ。繰り返される残業、極力顔を合わせる時間を少なくしていった二人。これでは本末転倒だと心のどこかで思ってはいた。
それでもただ同じ部屋をシェアしているというだけの関係になっても、その糸すら切りたくなかったのは情なのか未練なのか。



「少し、考え直さないか?」

たまたま休みが重なった日に切り出された言葉。

「わかれるってこと?」

短絡的に切り返してしまう、学習能力のない私。

「そういうことを言ってるんじゃない・・・。ただ、このままじゃ、一緒にいる意味がない」

そんなこと、言われる前からわかっていた。それでもこれほどはっきりと声という形にしてしまえば、胸に突き刺さる。

「まだ、早すぎたんだよ」

静かに呟いた彼はそのままフラリとどこかへ行ってしまった。

「なんなわけ??」

投げられたボールは胸の中で行き場も無く転がっている。



 やり場の無い思いを抱えたまま部屋の隅に蹲る。
答えはわかっている。
このままじゃいけないこともわかってはいる。
けれども、そこから先へ進めない。
すっきりしない頭を抱え、冷蔵庫へミネラルウォーターを取りに行く。
家で食事をとることもなくなったせいで、からっぽになった冷蔵庫には白い紙切れがポツンと取り残されていた。レシートかなにかだと思い無造作に拾い上げたそれには、ただ一言「海」と書かれていた。
書き癖からそれが彼が書いたものだとわかった瞬間、私はそのまま家を飛び出していた。

お財布一つで、足元なんてただのサンダルでそれでも必死になって電車へ飛び乗る。
窓から見える景色が徐々に変化していく。ビルの谷間から木々の多い景色へ、そして匂い。
窓が開けられていない車内でも感じる潮の香りは、昔の思い出を鮮やかに蘇らせていく。

後少しで完全に闇に包まれてしまう夕暮れ。
やっとたどり着いた砂浜には、ほとんど人の姿がみあたらない。
季節ももう秋、通り過ぎていく風は少し肌寒く感じ、賑やかだったであろう夏の気配はすでに跡形も無く消え去っている。



「やっぱりここだった」
「よく・・・わかったね」

意外そうな安心したような複雑な表情をした彼は、砂浜に座り込んだまま顔だけをこちらへと向ける。

「あんな意味深なメモ残しといて、何言ってんだか」

ここは思いでの場所。初めてまともなデートをした海岸。そんな少女じみた思い出を彼も共有していたなんて。
静かに夕日が落ちていき、段々と視界が奪われていく。海の向こうに光るのは船から漏れる灯りだろうか。

「やりなおそう」

呟いたのはどちらが先だったのか。

「もう一度最初から」

自然とつながれた指先。もう一度はじめよう。

49.思い出せない

 最初はイタズラ心から、本当にちょっとした遊びのつもりだった。
だけど、今ではどっぷり首どころか頭までつかっている。どうしてこうなったかわからないけれど。

「せんせい?」

元凶が甘やかな声音で話し掛けてくる。なかば八つ当たり気味に彼女の方へと振り返る。
理性の鐘がガンガン警鐘をならしているにもかかわらず、俺は彼女から目を離すことができない。

「またタカリにきたのか」

自分の中の密やかな願望をおくびにもださないように慎重に答える。

「あら失礼な、素っ気無い部屋に彩りをもってきてあげたんじゃない」

そうやって自分自身を指差す。その指先にすら視線が釘付けにされる。

「・・・その割には華が足りないな」

内面を押さえるためにできるだけ、憎まれ口をたたく。頬を膨らませて、あまつさえ舌までだして応戦する彼女が愛しくて狂いそうになる。

「せーんせ、コーヒー」

秋の天気のようにコロコロ変化する彼女の機嫌は、もうすっかり良くなっている。こんなところはまだまだ子どもじみているのに。

「あんまり外に漏らすなよ、他の連中がたかりにきたらキリがない」
「わかってますよーだ」

ちょこんと二人がけの椅子に身体を沈めていく。
彼女の目の前に、少しだけいい豆でいれたコーヒーを差し出す。すでに何も言われなくても角砂糖が一つ投入されているあたり、彼女のいるこの光景がわが身に馴染んでいる証拠なのかもしれない。
猫舌の彼女はカップを持ったまま、ぼんやりとその中身を見つめている。
やっとの思いで一口飲んだ彼女が、ゆっくりとカップをテーブルの上に置く、そんな些細な動作にすら目が離せない。

「せんせ?」

何も言わずただ見つめている自分を不審がって彼女が覗き込んでくる。
いきなり近くなる距離に心臓が飛び跳ねる。
その白い首筋に口付けたならどうなるのだろう。そんな不埒な考えまで浮かんできてしまう。

「あまり近づくな」

言葉とは裏腹に自然な動作で彼女の唇を掠める。
今までにも数度こういう状況になったことがある。その度に何事も無かったかのように振舞う彼女に安堵しつつ、心は粟立ったまま。
冷静を装ってこちらを見上げるその瞳がどれだけ煽るものなのか、わからないのか。

悪いのはその唇。

今までにも幾度か交わされた行為なのに、理性が砕け散る音が聞こえる。

「センセ?」

いつもの冗談で誤魔化したキスじゃない。
もう、思いを止められない。

50.日常(雨夜の月)

「卵焼きには醤油でしょう」
「ソースがいいと思います」
「出汁巻卵にさらに味を足す気ですか、お二方は・・・」

賑やかな朝の食卓で、馬鹿馬鹿しい議論が繰り広げられている。たかが卵焼きされど卵焼きということだろうか。

「佐伯家の味はもっと濃いの!琥珀のごはんはおいしいけど、味が足らない、全然」

破滅的味覚音痴が何を言うか、やれやれといった顔をした琥珀と顔を見合わせる。

「何、二人で無言で語り合っちゃって!!」
「いや、別に」

出来たての朝食が冷めないうちにと、姉の雑言を無視してそちらに集中する。

「かわいくないわねー、もう。いつからそんなになっちゃったのかしら」

それはあなたが出て行ってから、元々かわいくない性格にさらに捻りが加わったのかもしれないが。この年であほな兄弟げんかはごめんだとばかりに味噌汁に口をつける。

「何をおっしゃるんですか、翠さんはずっとかわいいじゃないですか」

最初の頃よりは遥かに姉に慣れたらしい琥珀が反論する。珍しい事があるものだと琥珀の顔に見入る。

「姉の私の方がずっとずっとずっとずっと長い事見てるっちゅーに」

ぶつぶつとそれでもごはんをかきこみながら文句を垂れる。

「紫さんのは密度が足りませんから」

その一言にエリックさんがなぜだか顔を赤くする。
姉も箸を持った手を止め、呆然と琥珀を見返している。
二人とも無言のまま今度はこちらへと視線を寄越し、最後には夫婦で見つめあい何かを納得したように再び食べ始めた。わけがわからないが、喋りつづけていた二人がやっと静かになったことから、私も快適に琥珀の朝食を味わう事ができた。

なにやら二人の曰くありげな視線が気にならないこともないが。
毎日がこんな日常。

お題配布元→小説書きさんに100のお題
1.27.2006(再録)
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