染まらない花

 六月に突入したものの、外ではさわやかな風がそよぐこの時期に、そんなことを感じる情緒などどこかへ置き忘れてしまったのか、高瀬啓太二十四歳、男、は若さを無駄にするべく、日曜日の昼間から惰眠を貪っていた。

「啓太、起きなさい」

平凡な建売住宅の二階で、いつ干したのかもわからないようなベッドの上に眠りこけていた彼は、聞きなれた母親の声にその眠りを中断された。正確には、母親に揺り動かされ、毛布を奪われたところで渋々、といった風情で半身を起こし始めたのだが。

「環ちゃんが来てるわよ」

(タマキ??たまきって誰だ?)

働かない頭で考えるものの、一向に思い当たらない。

「誰?それ」

ぼんやりと、頭を掻きながら問う。テレビで見かけるお笑いタレントのような素早さで、母親の平手が頭に飛び込んでくる。

「二十四の男になにやってんだよ」
「二十四の男がなにだらしないことしてんのよ。環ちゃんよ、環ちゃん、はとこの」

そこにきて、ようやく啓太はその名前の人物を思い起こすことが出来た。
寝起きだから、という言い訳などしなくとも、彼が彼女のことをなかなか思い出せないのも無理はない。二人は年が離れている上に、性別の違う彼女は、年が二桁になるころには全くこちらへ足を運ばなかったのだから。

「あの山猿か」

 小気味の良い音がなり、母親が「やっぱり中身がないといい音がするわね」という身も蓋もない言葉を振り下ろす。
本日二度目の突込みをまとに頭頂部に受け、着替えのためパジャマのボタンに手をかける。

「だらしがない格好はやめて、早く降りてらっしゃい」

後姿でそう、息子に声をかけ、勢い良く母親は階段を降りていった。

素直に、懐かしい、という感想を口にのせ、のろのろと着替える。とはいっても、たかが年下の親戚に、しかも家の中で会うために、そう気合の入った格好をするはずもなく、適当にそのあたりにあったシャツを羽織り、少しくたびれたジーンズをはくのみだ。鏡を見ることもなく、適当に手櫛で髪を整えながら、部屋を後にする。
山猿、というのは、啓太がつけたあだなで、日に焼けた黒い顔、に、ちっぽけでやせぎすな体は、まだ性差など感じるはずもなく、ただただ、小さい猿のようだと感じたところからつけたものだ。もちろん、現在の彼女を知る良しもないが、彼の脳裏には、その山猿が少々伸びて大人びた猿になった、といった想像しか思い浮かばない。

(確か歳が離れていたから今年高校生ぐらいか?)

正確な年すら思い出せず、右手で首の後ろをかく。
のんびりと、ダイニングの扉を開き、とりあえず客の姿を探す。
しかしながら、いつまでたってもその「大きくなった猿」は捕捉されずに、ただただ、見飽きるほど見飽きた母の姿しか捉えることができない。
目をこすり、再びダイニングテーブルを確認する。
確かに、母のほかに何かイキモノが存在する。そこまで理解して、その先へちっとも情報が伝達されてくれない。
もう一度念のために、そのイキモノを凝視し、天を仰ぐ。
六人掛けのテーブルには美少女、と呼んでも差支えがない、いや、積極的にそう呼んでしまいたい少女が座っていた。間抜けなことに、目を瞑り、なぜだか数字を数える。ゆっくりとまぶたを開け、やはりそこに美少女の存在を認知する。
緩やかに波打った薄茶の髪は、柔らかく彼女の背中へと流され、最低限の化粧すらしていない肌は、それでも陶器のように滑らかでつやつやしている。思わず触れたくなる質感に、その邪まな心をたしなめるかのような、純真そうで大きな瞳がこちらをまっすぐと見つめている。思わず、その長くまつげに何本の爪楊枝がのるだろうか、などという間抜けなことまで考え、啓太の思考は混乱に混乱を重ねていく。
入り口で惚けたままの息子に、母の鋭い叱責の声が飛び、言われるまま、美少女の真向かいの席に座る。少しおびえたような彼女と目が合う。

「環ちゃんよ、あいさつは?」
「え?」

いや、目の前にいるのは美しい人形で山猿ではない。
混乱する彼を尻目にその人形は自ら口を開く。

「環です。ご無沙汰しております、啓太さん」

姿に違わず、その声すらかわいらしく、鈴を転がすような、という表現とはこういうことをさすのだと、日本語の表現方法について感嘆する始末だ。

「え?たまきって、あのちっちゃくって男の子みたいで」

しどろもどろに言い募る俺に、母親の冷たい視線が突き刺さる。どれほど混乱していようが、子供の頃からの刷り込みはばかにならない。咄嗟にそれ以上余計なことを言わないよう口をつぐむ。

「何バカなこといってんの?何年前の話。環ちゃんはもう高校一年生なんだから、昔と違って当然でしょ」

容赦ない言葉を浴びせられ、ようやく、猿から成長した姿がこれなのだ、という結果を認識した。

(女って、怖い)

驚きのあまり惚けから突き抜けてしまった啓太は、不躾にもかすかに怯えを含んだ美少女の姿を観察する。常ならば、そのような行動には出ないのだが、今の彼はやはり普通の精神状態とは言えない。

「最近、またこっちに引っ越してきたみたいだから、ご挨拶に見えたのよ」
「へー。こっち来たんだ。じゃ、高校どこ?」
「……青葉女学院です」

消え入りそうな声で答えた高校名は、啓太ですら聞き覚えのあるお嬢様学校だ。その制服に憧れ受験を望むものは多いものの、甘くない偏差値と、自然と求められる家庭環境の高さに、諦めるものも多い高校である。

「すみません、そろそろ」

挨拶を交わしたばかりだと言うのに、その美少女は、退出の言葉を紡ぎだす。
思わず引きとめようとした啓太よりも早く、母親が了解の返事を口にする。

「じゃあ、啓太に送らせるから」

あからさまに残念がった彼へ、敗者復活の声がかかる。自分の母親の考えにしては気が利いた提案に、啓太は瞬時にして上機嫌となる。その反対に、彼女の方は、びくり、と振るえ、小首をかしげながら憂い顔で彼らを見上げる。

「あの、一人で帰れますから」
「遠慮すんなって、大丈夫。俺運転うまいから」

そんな反応に気がつかないふりをして、啓太は努めて笑顔で、彼女を助手席へと放り込む。実際問題、強面で大柄な彼の笑い顔は、恐怖を与えるものでしかなく、恐らく彼女でなくとも、いや、子供であるならば泣き出す子もいるだろう。そのせいなのか、シートベルトをした彼女は、不自然なまで扉側へその身を寄せ、鈍感な彼にして、何がしかの罪悪感を感じてしまう雰囲気だ。

「なあ、俺って怖い?」

彼女にとっては、親戚の端くれなのだから、いくら世間ではいかつい男だといわれていても、そんなはずはない、という思いを込めて質問をする。

「……いえ」

その間は、彼に恐怖を感じている、ということを語るには十分であり、さすがの啓太も落ち込まざるを得ない。昔の元気であったころの彼女を思い出し、再び今の姿を確認し、ゆっくりとそのずれを埋めていく。
これほど姿が変わったのならば、その性格も変化していてもおかしくはないだろう、と、無理矢理納得をさせ、さらには、今の彼女が微妙な年頃である、という補強材料を見つけ出し、心の安寧を保つ。
どうせ、啓太にとっては彼女は遠い親戚の一人でしかない。恐らくこれから顔をあわせるのは、冠婚葬祭、おそらくどこぞの年寄りの葬式の場でしかないだろう、と、思い直す。さすがに、会うたびにこう怖がられたのでは、図太い彼の神経でさえ傷つくだろう。
そう思いながら、心のどこかで、何かがちりり、と音をたてていたことに気がつかない振りをした。


 仕事を予定よりも早く終えることができた啓太は、上機嫌で帰路についていた。新規開発装置の取り付け作業が思いのほか順調に進んだためだ。営業のように自ら売り込みをする必要もなく、開発のように閉じこもりがちな職種と違い、 現在の技術サービスの仕事は自分に向いている、と認識している。二年目の駆け出しながら、このように単身で顧客の下へ赴く機会も与えられつつある。
ぼんやりと、通行人をみながら、やたらと制服姿の少年少女の姿を目にすることに気がつく。ちょうど下校時間なのだろう、今の日常ではあまり目にすることがない彼らの姿に、昔を思い出し、やたらと老け込んだ感想しか浮かんでこない己に少し落胆する。
学生の群れをよけながら歩き、少々うんざりしながら、やや顔を上げると、カラオケ店の前で見知った顔を見つけた。その人物は、数人の少年に囲まれており、乱暴にもその右手はそのうちの一人につかまれていた。

「たまき」

安穏な雰囲気ではないだろう、と、読み取った彼は、その人物の名を呼ぶ。青ざめた顔は、素早く声の主を認識し、安堵の表情を浮かべた。

「俺の身内に何してんの?」

環の手首を掴んでいる男に睨みをきかせる。多人数相手の場合、こういうはったりが重要だと、今までの少々やんちゃな経験から啓太は会得している。怯まず、だが、相手を切れさせず、のさじ加減が難しい。なにより彼らは環、という人間を人質にとっているようなものなのだから。

「んだよ、てめー何者だよ」
「いやー、何者って、まあこの子の保護者かな」

余裕綽々に見せかけた笑顔で、単独ではひ弱な少年の手をねじり上げる。

「いってー、放せよ」
「この子の手を放したらね」

わざとらしい笑顔を保ち、威圧する。どれほど脆弱であろうが、数でこられればこちらは弱い。まして、彼らは切れたら手加減が出来なさそうなほど、荒事から遠い連中だ。彼女を守る、という観点からは、この程度のやりとりで終結してくれる方がありがたい。
啓太の考えが伝わったのか、少年たちは、彼のその視線だけですっかり萎縮し、さらには、通行人たちの視線が自分たちに注がれ始めたことを知ると、過剰なほど反応し、脱兎のごとく逃げ出していった。
心の中で、彼らの軟弱さをあざ笑い、もう一つで安堵した啓太は、ようやく環に向き直る。

「ありがとう、ございます」

掴まれた手首をそっと摩りながら涙目でお礼を言う。
あまりのかわいらしさに、啓太が別の意味であやしい笑顔になりそうなのを押さえる。
目じりが下がりそうになるのを必死に堪え、真面目な顔で受け答えをする。

「いや、たまたま通りかかっただけだから、知らない仲じゃないし」

まだ恐怖心が抜けていないのか、振るえた声で続ける。

「ほんとに、啓太さんがいなかったら」

堪えてきたものからようやく解放され、涙が零れ落ちる。
その大粒の涙を一つ一つ、目が追いかける。彼はいつのまにか、環の泣き顔に夢中になっていたことに気がつき、振り払うようにして彼女に声をかける。
照れたような笑顔を浮かべ、彼女は目尻の涙をぬぐう。
その笑顔をまともに見られなくて、だけれども目が離せなくて、不審者のようにちらちらと、彼女の顔を盗み見るような形で、視線を交わす。そんな彼をあやしいと思いもせず、再会したときとは違った、少し安心した表情を乗せ、啓太と会話を交わす。
会話の内容すら不確かで、だけれども最後の別れの挨拶だけははっきりと耳に残り、彼は後姿の彼女を見送った。
心ここにあらず、といった具合で帰社した彼は、不審がる周囲の人間をよそに、うつろに残された仕事をこなし、帰宅していった。

その夜布団の上で自問自答する。

環はハトコである。
少し前まで中学生である。
その三年前はランドセルを背負っていたはずだ。
どれだけ考えても、犯罪者に陥った気分となるには十分で、妙な高揚感とは別に、テンションが落ち込んでいく。
しかし、やはり彼女がランドセルを背負っていた年に、あれやこれや散々口には出せないことをしていた自分を思い出し、さらに下降していく。
いくら女性と縁がない生活をしばらく続けていたとはいえ、よりにもよって、遥か年下の、遠い親戚にほれてしまうとは。
そこまで到達して、啓太はようやく己の気持ちを自覚した。
自分は、ずっと年下の、環に恋愛感情を抱いている、と。
僅か二度ほどしかなかった邂逅に、どうして自分がそのような気持ちになってしまったのかがわからず、身悶える。どれほど考え抜いたところで、そのようなことに答えが見つかるはずもなく、また、もっと現実的な事実が浮かぶ。
彼女と自分は、ただの遠い親戚、という関係であり、それ以上でも以下でもない、という身も蓋もない現実を、だ。
年齢も異なり、同じコミュニティーに存在し得ない彼女とは、全く接点というものが存在しないのだ。
今日のような偶然が、それほど今後の人生に転がっているはずもなく、声をかけようにも彼と彼女ではそのきっかけすらつかめない。
ここにきてようやく、彼はむやみに速くなりつづける心臓を押さえ、枕に顔を押し付ける。
そのうち、忘れるだろう。
言い聞かせるかのようにその言葉を繰り返し、彼はようやく眠りについた。
そのようなことが現実的に可能かどうか、という検討などすることはなしに。

「高瀬、何ため息ついてんの?」

職場にある喫煙スペースでぼんやりしていた啓太に、同僚の上山が突っ込みを入れる。

「いやー、べつに」

女子高校生に恋してる、などという陳腐極まりない台詞を履けるはずもなく、まして、散々笑い飛ばした後、酒のつまみに、とでも話しまくりそうな相手に言えるわけがない、と、タバコに火をつけながら誤魔化す。

(参ったな)

忘れようとすればするほど、彼女の笑顔が思い浮かび、気分が高揚していく。
繰り返し唱える、「アレは子供」の呪文も、すでに効力は失い、ただただ、彼女を異性として求めてしまう自分を認めざるを得ない。

「あやしぃなーーー、高瀬」
「なんでもねーよ」

同じ大学出身、という立場から、啓太のあれこれを知る上山は、おもしろいおもちゃを見つけたかのように彼をからかう。
常ならば、それに悪態で返す彼も、鬱屈した気持ちを抱える今は、すでにその気力すら失ってしまっている。
あまり反応のない彼の態度に飽きたのか、やがて上山は仕事へと戻り、喫煙所には啓太が取り残される。すでに、就業時間は超えており、啓太にしても、わずかな仕事を残すばかりである。
ほとんど吸わずに灰と化したタバコを灰皿へと押し付け、数度頬を叩いたのち、仕事場へと戻る。
やはり、会わなければそのうち忘れるだろう、と、自覚したその日から幾度も己に言い聞かせた言葉を、もう一度強く思い起こしながら。

 だが、ある意味うまい具合にはいかないもので、どういうわけか、葬式でしかあわないだろう、と思った環に、啓太は会ってしまったのだ。
恐らくそういう場では出会うだろう、と覚悟していた、冠婚葬祭の婚である、ハトコである彼女の姉、の結婚式の二次会の席において。最も、お相手の人数構成によるただの人数あわせの一員として参加したにすぎないのだが。
数ヶ月ぶりに見かけた彼女は、やはりかわいらしく、忘れるだろう、と高をくくっていた己を恨む。思いは変わらず、いや、増すばかりなのを認識する。
周囲は、参加者の年齢が若いこともあり、華やかな衣装を身に纏っている。披露宴からの参加者には、振袖を着ている女性もいて、場に華やかな色を添えている。
だが、環は、その容姿や年齢とは裏腹に、どちらかというと地味な衣装で飲み物を片手に、壁の華となっていた。
花嫁が身内である、ということから慎ましやかな立場にいようと心がけたのか、濃紺の少々クラシカルな形のワンピースを着ていた。 それがまた彼女の人形風の風貌にシックリくりときて、違った意味でその場から浮き上がって見えてしまっている。
着席形式ながら、固定された席があるわけもなく、図々しくも啓太は環の隣の席を死守する。あまりに彼女が年若なため、その美貌をもってしても、近くへ寄ることをためらっていた男たちの歯軋りが聞こえてきそうだ。

「環ちゃん久しぶり」

軽く挨拶を交わし、あまり怯えられなくなったことを確認する。知らない人間に囲まれ、どちらかというと数度とはいえ見知った人間に声をかけられ、ほっとした表情すら伺える。

「お久しぶりです。あの」

小首を傾げて訊ねてくる彼女は愛らしい、とすでに感情が制御できなくなりそうだ。

「この間はありがとうございました。改めてお礼を言わなくちゃいけないのに」

徐々に小さくなっていく声に引きずられて顔まで俯いていく、そこがかわいいのだが、これではまるで自分がいじめているみたいではないかと、啓太は思わず周囲を振り返る。

「いや、ほんとに気にしないで、たまたまだから」
「いえ、あの」

なぜだか照れてしまい、お互い黙ったまま俯きあう。
前方では、司会者がなにやら進行しており、恐らくビンゴゲームか何かを行うのだろう。やたらと盛り上がった若者が、こぞって参加している。新郎新婦が若く、当然参加者の年齢も若い二次会にあっては、雰囲気はまるで合コンのそれである。その対象年齢に当てはまっているものの、啓太はこういうのりはやや苦手であり、幸いなことに、彼のその強面な容姿が、彼にそのノリを持ち込まないような見えない壁となってくれている。同じく、こういうことは縁遠そうな環は、困ったように綺麗な眉根を多少寄せ、飲み物を少し口に含んでは、ため息をついている。

「こういう雰囲気苦手?」

身の置き場がないといった感じで俯いたままの彼女に問う。

「はい。そうですね、でも、それよりも私、男の人が」

消え入るような風情で訴えてきた彼女に、ようやく、啓太は、今までの彼女の態度に合点がいった。彼女は啓太が怖いのではなく、男という生き物そのものが怖いのだ、と。
嬉しいような嬉しくないような結論は、環のその儚げな容姿と加わり、恐ろしいほど腑に落ちた。女子高育ちで、姉妹しかおらず、あまり活発ではない彼女が、同年代の男性と知り合う機会は非常に少ない。増してこの引っ込み思案の性格だ。周囲が彼女のその性質を助長させている節もあり、それほど困ることなく今まで生活おくれてしまったのだろう。
その彼女の性質を知っているはずであり、唯一の助け手となるはずの姉、晶は、司会者と一緒に盛り上がっている最中であり、アルコールが入っているのか、やたらとハイテンションだ。恐らく、その調子で新郎を軽く尻にしきそうな彼女と、隣で途方にくれているガラス細工のように繊細な妹を見比べる。
あの山猿が晶になったのなら納得はするが、どうやったら成長してこの環に成り得たのかと、自然の神秘に感嘆する。
さすがに盛り上がっている中においても、壁の華と染みになっている不釣合いな二人に、不躾な視線が注がれる。環には、男性の好奇な視線が、啓太には、野性味溢れる男が好きだ、というどちらかというとマイナーな趣味の女性の視線が。その好奇心にさらされ、さらに居心地を悪くしている環に話しかける。

「外出る?」

一瞬の驚きののち、すぐに縋りついたような声を絞り出す。

「お願いします」

返事を待って、落ち着かせるようにゆっくりと頷く。

同じ数合わせに呼ばれた親戚に耳打ちをし、気分が悪いと訴える環を連れ出す、と伝言を頼む。
一歩外へ出れば、そこは所謂繁華街であり、環のような少女が気軽に歩いていられる場所ではない。そういうわけではないが、必要に駆られて、と無駄に己に言い訳をしながら、彼女のほっそりとした手をとり歩き出す。

「あの、啓太さん。あの…、手…」

弱弱しく言い募る環に、いけないことをしている気分に陥りそうになる。

「まあいいから」

あくまでさわやかに、年上のお兄さんの貫禄を見せ付けるかのように胡散臭い笑顔を浮かべ、彼女を駐車場へと連れて行く。元々親戚の二次会、などという場で飲むつもりはなかった彼だが、こういうチャンスを得た今となっては、心底車で来て良かったと、己の行動を褒めたおす。
以前ほど怯えている様子はないものの、さすがに二人の間にもたらされた微妙な距離感に、完全に心を許してはいないことを知る。確かにある意味下心はあるのだから、環のその態度は至極まっとうなものだといえるのだが、寂しさを覚えることも事実だ。
無事彼女の家へ到達し、彼女の社交辞令から来る「お茶でも」と言う一言に全力でのりかかり、あっさりと彼女の家へ乗り込む。
さすがにそう長居をしていい時間ではないものの、家の様子に、彼女と二人きりである、という事実に気がつき、なぜだか無性に落ち着きをなくしそうになる。
落ち着け、落ち着け、と口の中で呟きながら、ぎこちない笑顔を浮かべる。

「あの紅茶でいいですか?」

あまり勧められることがない飲み物を勧められ、わけもわからず頷き倒す。飲めればいい、というよりもは、恐らく味すらわからないであろう状態に驚きつつ、彼女を眺める。
茶葉をポットへ入れる仕草も、お湯を注ぐ仕草も、その何もかもが啓太の中の何か、を刺激し、そのたび頭を振り払う。
現役の女子高生に何を、と考えた瞬間、その字面の持つどこか怪しい響に、さらにうろたえる結果となる。

「啓太さん?」

不審な目で見つめられたのは気のせいではない、と、どうにか平静を保とうと努力をする。

「あ、いや。なんでもない」

だが、そんな努力など空しく、押し黙ったままの啓太のせいなのか、不自然な緊張が走る。
ただの親戚で、年齢が違う二人に共通の話題などあるはずもなく、口をつけば全てがセクハラになりそうな啓太は、どうにかこうにか糸口を見つけ出そうと、思考をあちこちめぐらせていく。

「ねえ、ちょっと聞いていい?」
「え?」

彼女の癖なのか、小首を傾げて頷く。

「男嫌いって、前から?」

あまりにもストレートな質問に、環の表情が一瞬曇る。
啓太はここにきてようやく、本当に男嫌いだとすれば、彼女は今非常に苦痛な状態を強いられているのだ、ということに気がつく。
彼女といられる嬉しさに思い上がり、そんな簡単なことに気がつかなかった己に恥じ入り、舞い上がっていた心がどこまでも沈んでいく。

「その、あまり慣れてなくて」

確かに彼女の環境では、男慣れしろ、という方が土台無理だろう。同じような育成過程を経たにもかかわらず、ああなってしまった姉の方がイレギュラーなのだ、本来ならば。しかし、彼女のこの不慣れぶりは反対に、それはそれで同じ女子高内においても、稀な方に分類されるだろう。興味があれば、何にでも触れられるのが今の社会であり、若い人間の特権だ。恐らく、彼女は本来の性質が内向的であり、それを許される環境において、ゆっくりと今の環を生成していったのだろう。

「怖い?俺のこと」

ためしに尋ねれば、彼女は小さく首を横に振る。

「じゃ、俺のこと嫌い?」

どさくさ紛れの質問に、少し考えたものの、その真意を探ることなく、環が否定する。
確かに親戚のおじさん、なのだから、嫌いではないだろう、恐らく何も知らないのだから。

「じゃあさ、俺のこと好き?」

畳み掛けるように、さらに意味不明な質問をぶつける。普通は男女のそれだろうが、今の環にとってはただの人同士の好悪の情でしかないだろう。
小首をかしげながら、彼女がよくわからない、と言う答えを返す。
嫌いではないが、好きかと言われればよくわからない、という真正直な答えに、啓太はやや落胆し、だが、嫌われていないだけでももうけものだと思い直す。

「でもさ、そんなに男嫌いだと困るでしょ、将来」

深く考え込んでしまった彼女が、「たぶん」と呟く。その返事を捕まえ、啓太は強引にあさっての方向へと会話を進めていく。

「あのね、それさ、治療するの手伝おうか?」
「え?」
「いやさ、まあ、害のない親戚の男あたりとこう意思疎通が出来るようになればさ、ほら、他の男ともスムーズに会話できるようになるかもしれないだろ?」
「そう、かな?」
「そうそう、何事も練習練習。それに俺なんてこの外見だろ?これが大丈夫ならたいていのものが大丈夫だって」
「そんな」

自虐的に笑った啓太を、困ったような顔をして環が見上げる。思わず手を出しそうになる気持ちを押さえつけ、あくまで紳士的な態度で対話を続けていく。

「でさ、今度どっか遊びにでも行かない?車が苦手じゃなきゃドライブとかさ」
「でも」

ためらう環に、さらにいつに無く饒舌な啓太が話し続ける。女性に対してこれほど情熱的にくどき倒した経験を持たない彼は、己の新たな一面に驚く。情けないことには、それがそうだとは全く相手に認識されていないのだが。

「気分転換にもなるし、ね、この前の御礼だと思って」

卑怯にも、偶然助けた一件を今更持ち出し、彼女との交渉を有利に持ち込もうとたくらむ。
案の定純真な彼女は、そんな安易な手に易々とひっかかり、思わず頷いてしまう。
その好機を逃すものかと、啓太は精一杯邪心のない笑顔で、右手を差し出す。

「ほら、契約成立。遊びに行こうな」
「……はい」

恐らくわけがわからないのだろう、反射的に返事をした彼女に笑みを返す。
だがしかし、年若い環を言葉巧みに嵌めた報いはくるもので、彼は近い将来、男嫌いを直す手伝い、という己がはいた名目に振り回される羽目となる。
そんなことになるとは想像もしない啓太は、上機嫌で環の家を後にした。
これでようやく、進むことができる、と、満足しながら。
その歩みが、恐らくカタツムリの歩よりも遥かに遅いと、知りもしないまま。

再改訂:12.18.2009
改訂:2.24.2006
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