僕と彼女の攻防戦

「結婚して欲しい」
「あらあら、しょうちゃんったら、ふふふ」

崩さない微笑をそのままに、十和(とわ)さんはご飯をこれでもかというほど盛り付けてテーブルの上へ置く。僕が言った言葉など「天気がいいね」ぐらいにしか感じ取っていないのか、その動作には無駄が無い。これだけは良い物をと、十和さんが買い置きしてくれている緑茶が茶碗の隣に添えられる。すでに台所は片付けてあり、十和さんがテーブルの真向かいに座ってくれさえすれば完了だ。
なのに、十和さんは笑いながら帰り支度をはじめた。

「…帰っちゃうの?」
「うーん、おばさんも色々忙しいの」
「おばさんって三つしか違わないじゃん」
「その三つが大事なのよ」

僕が結婚を匂わす度に、十和さんはこうやって自分の事をおばさんと呼ぶ。あからさまに年下である僕とは結婚できないと拒否されているようで、気分のいいものじゃない。だいたい、僕の知り合いだって三つどころか八つも離れた女性と結婚した人だっているわけだし、そもそもこの時代にどっちが年上だの年下だのごちゃごちゃ言う方がどうかしている、と、思う。

「僕が良いっていってるんだからいいじゃないか」
「私がダメっていってるいるのだからダメじゃないかしら」

さらりとかわされるのは年の差のせいなのか、僕が不甲斐ないせいなのか。

「だったら、もう来なくていい」
「あらそう、じゃあそうするわ」

おまえなんか出て行け、が通じる昭和時代の親父のような我侭を言ってみたものの、当然そんなものを意に介してくれるはずもなく、あっさりと「今の嘘」なんて言い繕う始末。僕はどこからどうやっても十和さんには勝てやしない。

「だけど、僕が真剣だっていうことぐらいは慮ってくれてもいいんじゃないの?」
「そうね、その真剣さで色々なことがクリアできたら考えない事もなくってよ」

結局、十和さんの意見はここのところに落ち着く。色々なことがクリアできたなら、と。
よくわかるようなわからないような十和さんの提案に、僕は黙る事しかできなくなる。
十和さんはようやく笑顔を一瞬だけ崩して小さくため息をつく。

「じゃあね」
「……、うん、また」

十和さんは決してまたね、ともまた来る、とも言わない。だけど僕は必ずまた、と念を押す。いつもいつも大抵十日以内には現れてくれるから、そんなことを言わなくても大丈夫かもしれないけれど、何一つ確証の無い自分の立場からすれば、どんなにささいなおまじないでもしておかなければ不安で仕方がなくなる。二度と姿を見せてはくれないのではないか、という不安を感じたことは一度や二度じゃない。そのたびにひょっこり現れる十和さんの笑顔に癒され、また不安になる。
十和はいったい僕の事をどう思ってこうやって会いに来てくれるのだろ。
聞きたくて聞けない言葉。
プロポーズなんかよりもっと先にやることがある僕達の関係は、一生平行線なのかもしれない。



「よう」
「…」

嫌なやつにあった、と、たぶん露骨に顔に出していたのだろう。ちょっとまずった、という顔をして、でも差し出した手を引っ込めることなくこちらへと歩み寄る。

「元気そうだね」
「まあなー、といってもメタボリックまっしぐらって感じだけどな」
「どちらにしても羨ましいよ、奥さんのご飯がおいしいってことだろ?」

大学の同級生である彼と会うのは卒業以来となる。途中で披露宴の招待状がきた事は覚えてはいるけれど、取材旅行と称して海外へ逃亡中だった僕がどうこうできるはずもなく、たぶん母さんが適当にお祝いを贈っておしまいになったはずだ。それから先はありがちで年賀状のやりとりだけが続いている。

「相変わらず、か?」
「相変わらずって?」
「いやー、服装の趣味も変わってないみたいだし」
「好みなんてそんなにコロコロかわるわけないだろう?」
「そういう意味じゃあ、ないんだけどな」

意味深で、だけど、ちょっとだけこちらをバカにしたような表情にひっかかる。こんな態度を同級生達がよくとっていたことを思い出したからだ。
どちらかというと社交的ではなく、友達もあまりいない大学時代は、それでも名簿の近い同級生とはそれなりに会話を交わす機会があったように思う。だからといって関係はそれだけで、とりたてて深い付き合いをしていた覚えはない。だから、同級生が彼のように披露宴の招待状や何かを送ってよこすようになったのは、僕自身がある程度有名になってからだ。

「一人か?」
「独身っていう意味ならまだそうだけど」
「作家先生っていうのはもてるもんじゃないのか?」

どういう作家の人をイメージしているのかはわからないけれど、僕自身はとても地味な作風で、輪をかけて地味な本人ではあまりもてようが無い。マスコミでチヤホヤされているような話芸も容姿も良い、という人は極々一部の人間に限られていると思う。

「そっか、じゃあまだママと一緒?」

ある程度年のいった人間が、母親をさして「ママ」というのはある特定の意味がこめられているような気がする。

「いや、一人暮らしだけど」
「ああ、そっか。そうか、でも良く許したな、お前のママン」
「そのママっていうのはやめてくれないかな?5歳の子どもじゃあるまいし」
「あー、ごめんごめん。あまりにも強烈すぎて」
「強烈?」

大学ともなれば普通授業参観だの個人面談だの、保護者の関わる行事は存在しない。数少ない例外と言えば入学式と卒業式だろうけれど、それだとて同級生の保護者に直接接触できる可能性は低いはずだ。
まして、母さんも父さんもそのどちらにも参加しなかったはずだ。

「ああ、いや、まあ…」

言葉を濁した彼は、言いたそうに、でも言いにくそうにしている。これが、在学中周辺が僕へと送っていた視線の理由なのかもしれないと、せかすような気持ちで彼の口を割らせたくなる。

「気になるなぁ、もう時効だと思うから、言ってくれないかな?」
「うん、まあ。っていうか、おまえ本当に独立したのか?」

確かに僕が独立しようとした時には色々あった。いや、現在進行形で色々ある。年の離れた末っ子である僕に執着している母さんが、僕が家を出て行くことを強烈に反対したからだ。たぶん、今だって許してないと思う。だけど、色々束縛しては好き勝手な事を押し付けている母さんに嫌気が差していた僕は、父さんが賛成してくれた事をいいことに、さっさと実力行使で一人暮らしをはじめてしまった。今でも僕の合鍵を狙う母さんと、そうはさせまいとする僕との間の攻防戦は続いている。だけど、それは家庭内の事情ということで、同級生が知るはずも無いことなのだけどと訝しむ。

「独立したよ、大学卒業してすぐだけど」
「そっか、そうかそうか、じゃああれは一歩通行だったわけだな」
「一方通行?」
「いや、ごめん。おまえっててっきりマザコンだと思って」

あまりな言葉に無言になってしまう。逆らうと煩いから母さんのことを放っておいた僕は、そう言われる要素があることも理解している。
だけど、そんなことはお構いなしに彼の方は長年のつかえが取れたように晴れやかな顔をしている。

「いやー、だってさ、どっから調べてきたのかは知らないけれど、いきなり俺んちかけてきて、『うちの子には相応しくないのでお付き合いはご遠慮願います』って言う親って普通じゃないべ?やっぱ」
「……誰が?誰に?何を言ったって?」
「だから、お前のママンが、俺にお前とは付き合うなって電話を寄越してきたって話」
「嘘だ!」
「嘘も何も、俺だけじゃないぜ、俺の周りは大抵言われているし、女子どもなんてほぼ漏れなく言われているのは間違いない」
「でも!」
「でもって言われてもなぁ、っていうか手紙だってきたぜ?確か新歓コンパの後ぐらいだったかなぁ、お前を悪の道に引きずり込むなっていうながーーーーーい手紙が」
「手紙?」
「なんだったら送ってやる。いまだになんとなく気持ち悪くて捨てられないでいたからな、これでいい厄払いができる」
「嘘だ…」
「まあ、信じたくない気持ちもわかるけどな、っていうかいくらなんでも人付き合いが苦手なだけでこんなにも周囲と疎遠だったなんて思ってないだろうな?」
「それは」
「俺らの周りみたいなおせっかいな連中は、どっちかっていうとおまえみたいな大人しい連中まで引きずり込んで遊び倒すし、現にそうだっただろ?」

何を言われているのかわからなくて、とりあえず当時の事を思い返してみる。
確かに、僕以外に明らかにコミュニケーション能力に欠けている人間も、彼らの仲間は気にせず迎いいれていたような気がする。いくら僕自身が社交性にかけたとしても、彼らならそれを補って余りあるほどのおせっかいさとエネルギーがあったような気もする。
だからといって、彼が言った事が信じられる内容ではない事も確かな事で、母さんがそんなことをしていたかもしれないだなんて、信じられずにいる。だけど、ああやっぱり、と腑に落ちている自分がいることも事実で、これでようやく周囲の反応も十和さんの反応も理解することができた。

「信じたくなければ信じなくてもいいけどなぁ、別に。あ、そうだ、かみさんに聞いてみるか?あいつも色々とお前のママンから文句垂れられた一人だし」

そうやって携帯電話を取り出した彼は、素早く通話ボタンを押す。何コール目かに通話口から飛び出てきた声は、ただそれだけで学生時代にトリップしたように懐かしい声音だった。
僕に出会ったことと、当時の事を二つ三つやりとりして、僕に携帯を押し付ける。そこから聞いた内容は、彼の言う事とたいした差はなく、それどころか女性である彼女に対して母さんが言ったと言われる言葉は遥かに酷いものだった。

「つーことで、証人二人だけじゃ不満か?」
「いや、そういうわけじゃ」
「なんだったら同級生中アンケートをとってみてもいいけど」
「おもしろがってないかい?そんな変な親を持った僕に対して」

納得しきれてはいないけれど、だからといって信用していないわけじゃない。だけど、それ以上に当時の同級生達が僕を見る目が、どういう色を含んだ物だったのかが理解できて、できればこのまま地球の反対側まで穴を掘って埋まりたい気分だ。

「んーー、どっちかというとかわいそうがっているっていうのがアタリかな?おまえそのままじゃ結婚もろくろく出来ないだろ」
「結婚……」
「まあ、せいぜいママンに刺されないようにな」

それだけを言って、同級生は携帯アドレスだけを残して去っていった。



「十和さん…」

きっかり10日以内に現れた十和さんに質問をぶつけようと名前を呼ぶ。
十和さんはやっぱり柔らかな微笑を湛えビニル袋から食材を取り出している。

「なあに?」
「……別に」

十和さんの何もかも知っているような笑顔に何も言えないまま時間だけが過ぎていく。

「あの…」
「はい?」
「いえ、別に」
「今日はそれが多いのね」

余った料理をタッパに入れて、冷蔵庫に仕舞う。その一連の動作をじっとみながら、だけど結局何も言えずに黙々と十和さんの料理を口へと運ぶ。

「さて、と」
「もう帰っちゃうの?」
「ええ、もう帰ります」
「このまま泊っていけばいいのに」
「そんなはしたないマネはできなくってよ」
「だったら、だったら僕と結婚すればいいよ」
「ふふふ、しょうちゃんってば冗談がお上手ね」
「冗談じゃなくって」
「あらあら、おばさん困ってしまうわ」

帰り支度をはじめた十和さんは、あっさりと僕のプロポーズをかわす。

「もしも!もしも母さんが」
「お母様が?お母様がどうかなさって?」

何も言わない十和さんの笑顔が、全てを語っているようで次の言葉がつげない。

「変なしょうちゃん。じゃあ、またね」

初めてまたね、と言ってくれた十和さんに今まで考えていて言わなくちゃいけないこと、聞かなくちゃいけないことが全て灰となる。
嬉しさに燃え尽きた僕は、このまま大人しく十和さんを待つ犬となる。
問題は山積しているはずなのに、なんてこともない一言で幸せになれるだなんて、僕はとことん十和さんに依存していると思う。
十和さんの作ってくれた料理を噛み締めて、十和さんを思う。
僕は、やっぱり十和さんが好きなのだから。



9.28.2007
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