そんなもの

「はい、これ」

こういう行事には全く縁がなく、興味がないフリをしながらも思いっきりどこかで期待している俺に何かが差し出される。
なんとか顔に出ないようにしながら、それでも内心ニヤつくのが止められない。
これは、俗に言うところの、バレンタインチョコ本命、というやつではないか?
いやいや、ちょっと待て。
あせるな自分。
まず相手をよく見てみろ。
知らないやつじゃない。確かにクラスメートだ。ただし、変わり者として評判の遠藤さんだがな。
ここで一気に内心の期待値が下降する。
この人が持ってくるものがまともなものなわけがない、という先入観がなんとか心に余裕をもたせてくれる。

「なに?これ」
「なにって、チョコレート」

それはなんとなく、わかります。俺の何?は何の意味?の何なんだけれど。

「や、なんとなくイキナリは悪いかなぁって思って」
「いきなり?」

父親譲りの眉間の皺がたぶん深く刻まれていると思う。こいつはやっぱりわけのわからないやつだと、どちらの手からも離れたままの机の上のチョコレートを見つめる。これ食ったら、無理難題をふっかけられそうな気がするのは気のせいじゃない。

「一人暮らしだってきいたからさぁ」

ああ、と、思い切りここで納得してしまった。
高校生で一人暮らしなんていう珍しいものをしている俺に興味があるわけね、と。
俺が通っている今の高校はなんということはない普通の公立高校だ。とりたてて頭が良いわけでも運動ができるわけでもなく、芸術系や職人系の科があるわけでもない。ごくごく普通の共学高校だ。
そんな中で親元を離れてまでここに通う人間はほとんどおらず、自然と高校生の癖に一人暮らしをしているという自分は珍しい存在になってしまうのだ。

「別に、一人暮らしだけど、何か?」
「やっぱりエントランスホールとかキレイ?」
「は?」

唐突に会話が噛み合わない。
エントランスホール?なんだそれは?日本語か?
俺が住んでいる下宿は気のいい老夫婦がやっている安くて古いアパートで、風呂もトイレも共同な、今時の大学生なら絶対に入らないようなレトロな物件だぞ?

「暗証番号とか打ち込んだりするの?」

ちょっと待て、こいつはいったい何を想像しているんだ?
確かにそれはドラマかなんかで見たことはある。見たことはあるけれど、実物なんて見たことねーよ。

「あのな、おまえ何想像してるわけ?」
「何って。超高級ワンルームマンション、セキュリティー仕様…かな」

タメイキをつくことさえ面倒くさい。

「俺がそんなものに住めるような人間に見えるのか?」
「や、それは見えないけどさ」

思いのほかあっさりとそんなことを言う遠藤は、悪気はないらしい。そのほうが性質が悪いとも言えるが。

「ここは、近くのスポーツ特待生をバンバン入学させる高校でも、ボンボン学校でもなんでもない、普通の、どっちかっていうと頭の緩い公立高校だ!そんなところに住めるような人間に出くわす可能性がどれだけあるっていうんだ!」

個々の家庭でいうと、なんでこいつこんなに金持ちの家?という家がないわけじゃない。
だけど、そんなものは少数派で、どちらかというと頭のてっぺんから爪先まで庶民どっぷりの家庭の方が圧倒的多数派だ。

「んーー、やっぱ高校生の一人暮らしってさーー、こう、なんていうか、夢とロマン?」
「現実を見てからモノをいえ、誰がメシ作るんだっつーの、誰がそれ片付けるんだってーの。俺だってしたくてしてるわけじゃねーー」

ほとんど掛け値なしの真実の叫びだ。
家にいる頃はアレコレ煩く注文垂れてた俺だけど、全部一人きりでやってみたら、どれだけ大変なのかが骨身に染みてわかってしまった。だから、実家に帰った時の俺は素直なイイコだ。お袋が不気味がるほどに。
それに、そもそもこんな思いまでしてここに通っているのは、それなりのわけがある。

「そっか、そうだよね。だってあの村だもんね」

あの村、と言われて、言外に色々な意味が含まれているような気がするのは俺が神経質になっているせいか?
まあ、言われても仕方がないような横溝正史チックな村ではあるけれど。
もともと、農家が寄り集まって集落が出来たような村には若者は居着かず、村の人口は年々減少していく一方。それにあわせるようにして一つしかなかった小学校も中学校も近隣の村や、少し大きな町へと吸収合併されていった。だから、学童のいる家庭は母子が村外にでて父親だけが残る逆単身赴任や、いっそ家族ごと引越しをしよう、などと入学を期に村を離れることが多く、俺の数少ない同級生達もそれに習って村から姿を消していった。
最後に残った俺は、お袋の送り迎えでなんとか中学までは通うことができたけれど、何十キロどころか百キロ以上離れた街まで毎日俺を送迎することは出来ず、こうやって俺一人でここまでやってくることになったんだ。
実家自体は農家のほかに、牛や鶏にまで手を出しているから当然そこを離れるわけにはいかない。
村の通学事情を思い出し、思い切り不機嫌になった俺にかまわず遠藤が話しつづける。

「まあー、そんな本みたいな事あるわけない、とは思ってたけどさ」
「だったら聞くなっつーの」
「っていうかさ、さっきから何ぼりぼり掻いてるわけ???」

学生服の下を乱暴にかきむしっている俺に対して、不審そうな顔をする。
まあ、確かにこんな時期にこれほどあからさまに痒がっている人間は、珍しいわな。
さっきからの遠藤とのやりとりをおもしろそうにニヤニヤ眺めていた友人が、すすっと寄って来て告げ口をする。ちなみにこいつは、俺とは反対の海側の村出身で、自転車を40分、単線の電車を1時間かけてやってくる正真正銘の田舎モノだ。五十歩百歩だと、わかってはいるが。

「あのね、遠藤さん。こいつ、のみに刺されたの」
「のみ?のみってあの蚤?」
「そう、あの蚤」
「この時期にいるわけ?そんなの」
「まあ、暖冬だし」
「や、でも、冬だよ?」
「やかましい……。いてわるいか」
「日曜日すごくいい天気だったでしょ?」
「うん、すごーーく。暖かかったしね」

ぶすっと黙ってしまった俺を置いてけぼりにして、二人は軽快に会話を続けている。

「それで、布団を干したらしいんだ。こいつ」
「ああ、なんか生活感」

コイツはいったいどんな暮らしを想像していたんだ?人間普通にしていれば生活感なんてものは溢れて当然だろうが。

「で、そのふかふかの布団の上に野良猫がちゃっかり昼寝してたんだって」
「ああ、和むわ、なんかその風景」
「でも、こいつは和むどころじゃなかったと、そういうわけ」

二人で指を差しながら半笑いになってやがる。

「猫ちゃんが犯人」
「そう、犯人」

何が面白いのか、二人して大笑いし始めた。
本当に、よくわからない。
こっちは体のあちこちが、特になぜだかパンツの中だとか、きちんとTシャツだって着ていたのにその服の下が痒い。
まさかこんなところでそんなところまで掻けないので、がまんして背中をかきむしる。

「やーーー、おもしろーーい」
「つーことで、遠藤も妄想はいいかげんにしろ」

散々笑い倒して、席を立とうとする遠藤にあわててチョコを押し返す。
彼女はここにきて初めてキョトンとした顔をして、次に少しだけ顔を赤くする。
その反応にどう返していいのかわけがわからない俺は、手にもったままのチョコと、彼女の顔にいったりきたり視線を走らせる。

「まあー、それは、あれっていうか……まあ、そういうことで」

そのまま、彼女は走り去ってしまった。
もうすぐ授業が始まるというのに。
残されたのは、クラスメートのニヤニヤとした視線と、笑いを必死で堪えている友人。
空中に浮いたままのチョコレートをどうやってしまえたのかもわからないまま、授業が始まる。
ぽつんと空いたままの席と、かばんの中のチョコレート。
どうしていいかわからないままの俺。
元々わけがわからない数学の授業が、面白いほど頭をカラすべりしていく。
数字の代わりに解けない問題が降りかかる。
とりあえず、お返しはどうしよう、なんて、今まで考えた事もない悩みを抱えながら。

2.14.2007
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