嘘と方便

「付き合ってください」
「いや、あの…えっと…」
「だめですか?」
「だめとか、そういうんじゃなくって」
「じゃあいいんですか?」
「いや、そういうわけでも」
「だったら、好きな人いるんですか?」
「いるようないないような…」

段々と語尾が小さくなっていくこの男性とは割と最近知り合った。
といっても、私が一方的に顔を知っているだけで、向こうはこちらを認識しているかどうかはわからないけど。
私が彼の顔を覚えて以来、こんな場面に出くわしたのは片手では足りない。
初めは、人生で一度あるかないかの稀な瞬間にお目にかかれた事をちょっとだけ感謝した。
二度目は、ああ、この人もてるんだ、って納得した。
三度目以降は、慣れてしまってもはや挨拶を交わしている程度にしか意識しなくなってしまった。
全く関係のない私がこんなことを思うのはどうかと思うけれども、いつ聞いても彼の答え方が代わり映えしないのだから、と、ちょっとだけ自分を擁護してみる。
相手がどのような女性であれ、彼は始終受身で、否定とも肯定ともとれない曖昧な返事を繰り返している。
だから、勇気を振り絞って告白にやってきた弱気な女性の場合、今回よりも悲惨な会話に始終してしまうこととなる。
長々と続く会話のなかで意味をなした言葉がどれだけあるのか、数えるのも億劫になる。
結局、曖昧に笑う彼と曖昧なままの彼の言葉に、痺れを切らして女性の方が怒り出すことが多い。気の弱い女性ならお互い何の会話をしているのかわからなくなって有耶無耶、なんていうパターンもあったりする。
勝手に聞いておいて非常に理不尽だとは思うけど、そのおかげで私はこの男性にあまりいい印象を抱いていない。
どんな相手であれ、向こうはストレートに告白してきたのだから、それを受けるのもやっぱりストレートに答えるべきだと思っている。
なのにこの人ときたら、好きな人がいる、という方便も、付き合っている人がいる、という嘘も、どちらも言えない臆病者だ。百歩譲っても付き合う気はない、という言葉ぐらいは必要で、それをしないから彼から離れられない女性達が続出して、同じ人が何度も同じ事を繰り返す、などということになってしまうのだ。
今度の人も結局諦めきれずに、またくる、という捨て台詞とともに走り去っていった。彼はまた断りきれなかった、ということになる。 いいかげんにしやがれ、そんな風に彼の方に視線を合わせていたら、フイに視線が重なってしまった。
大学の図書館のいつもの場所で勉強をする私と、高確率でトイレの前といった人気のない場所で告白を受ける彼との距離は意外なほど近い。だけど普通にしていれば視線を合わせることなどない位置にいるともいえる。
なぜなら、彼らとの間には観葉植物の鉢がいくつもおいてあり、まるで壁のようになっているからだ。しかし、立っている向こうからは見えないのだけれど、実は割と背の高い植物の足元、植木鉢のすぐ上部分は生い茂る葉っぱもなく、座っている私からは実に見事に視界が開けている。だから何時もは彼らの腰の下辺りが見えるのみで、もっぱら音声のみで彼らのやりとりを把握しており、当然二人はこちらのに人がいる事にすら気がついていなかったと思う。
今回も相手にはばれないはずだったのに、なぜだか大きなため息と共にしゃがみこんだ彼とばっちりと目が合ってしまった。
突然視界に入ってきた彼の顔から咄嗟に視線を逸らす事ができず、こうしてばつの悪そうな彼とお見合いしているのだ。
思いっきり居心地が悪い。
盗み聞きするつもりはなかったけれど、結果として盗み聞きしまったことは事実で、だけどこんなとこでそんな会話をする方が悪い、といった反発心もあったりして、私はとても微妙な顔をしていたと思う。
じっとこちらを見つめていた彼は、小さなため息をついて立ち上がり、観葉植物の壁を越えこちらへとやってきてしまった。

「聞いてた?」
「聞こえてた」

決して能動的に聞いていたわけではない、という姿勢を示す。
ここは自習スペースで、誰がここに存在していても悪くはないからだ。

「どうしよう」
「どうしようと、赤の他人に言われましても」
「うん…」

これだけで、何度この男の頭を張り倒したい衝動にかられたか。
先天的に突っ込み体質ではないと、思っている私でも、この人には思いっきり突っ込み倒したい。

「はっきり断ればいいんじゃないですか?」
「でも…」
「好きな人がいる、でも、付き合ってる人がいるでもなんでもいいじゃないですか」
「嘘はつけないし」
「嘘も方便」
「一度勇気を出して言ったことがあるんだよね、でも、相手はだれ?ってエスカレートしちゃって」
「近所の人でも、高校からの彼女とでもなんでもいいじゃないですか、それこそ」
「僕、嘘が下手みたいなんだ」
「だったら、付き合えないと言え。キッパリと言え、はっきりと言え、うっとうしい」
「君みたいにはっきり言えれば苦労はしないよ」
「自分でいらない苦労をしょいこんでおいてよく言いますよね。自業自得」
「はぁぁぁぁぁ、どうして僕ばっかり」
「顔だけは悪くないからじゃないですか?中身はどうかと思いますけど」

思った以上のウジウジした性格に思わず本音が飛び出している。
どうせ接点も何もない相手なのだから、何を言ってもいいと開き直っているのかもしれない。学部一年生の私と、私よりもかなり年上に見える彼が同じゼミに入ることもないだろうし、ひょっとしたらまるで学部も違うかもしれない。

「ほんとにはっきり言うね、君も」
「優柔不断な人間は大嫌いですから」

うっかり第一印象に好意めいたものを抱いていたせいか、彼のこの態度は私をよりイライラさせる。

「好きな人はいないけど、気になる人はいるんだよね」
「だ・か・ら、はっきりと言えばいいじゃないですか」
「でも、相手は僕のこと知らないし」
「知らないって、まあ、適当に誤魔化しておけば?」
「でも、今は好きかもしれない」
「じゃあ、そう言えばいいんです、そう言えば。はい、万事解決」

なんとなく話がおかしな方向へと寄れている気がしなくもない。
まだレポートは残っているけれど、机の上に広がっている資料や筆記具を片付け始める。

「うーーん、そうだね、言うべきだよね」
「はぁ、だから最初からそう言ってますよね」

バッグの中に適当に放り込み、急いで肩に掛け立ち上がる。手にもった資料を棚へと戻すべく歩き出す。
なぜだか彼は私の後をひょいっとくっついて来ては、私の手から参考資料を取り上げる。

「手伝う」
「や、手伝ってもらうような義理はないから」
「気になる人って君のことなんだけど」
「はあ、そうですか」
「これで義理ぐらいはできた?」

わけがわからない。うっかりと会話をスルーしようとして彼がおかしな事を言っていることに気がついた。

「今日会話してみて、思った以上に気に入ったみたい」
「えっと…」
「はっきり答えてくれるんだよね」

やぶへびというのはこう言う事を言うのだろうか。自分で言ったことに自分がやられるなんて。
だけど、経験値は豊富でもちっとも学習しない目の前の男と違って、私は正真正銘経験値ゼロのお子様だ。
だからこんな時どうしていいのかわからない。あんなに大見得きって、はっきりといえと主張していたのに、今の私は酸欠状態の金魚のように口をぱくぱくさせるのみで、ちゃんとした日本語すら話せていない。
なのに、年齢差なのか経験差なのかはたまた身長差のせいか、この人は余裕の表情で私を見下ろしている。

「好きなんだけど」

追い討ちをかけるように、からかうにしては真剣な眼差しでサラリとこんなことを付け足す。

「沈黙は肯定ととっていいのかな?」

蛇に睨まれたカエルのように固まったまま動かない私に、慣れた手つきで私の肩を抱き歩き出す。
ロボットのような動きで彼にリードされるまま歩き出してしまう。
幾つかの資料を棚へと戻すと、彼は私の手を引きながら図書館を後にする。

「まあ、突然こんなことを言うのもあれですから」
「はぁ…」

すっかり呆気に取られて何もいえなくなっていた私も、漸く事態を飲み込みつつある。
心臓はばくばくしているし、足元もなんか怪しいけれども、これはやっぱりはっきりと言わなくてはいけない、と深く息を吸う。
なけなしの勇気をはたいて彼にお断りと答えようとすると、その瞬間に彼がこちらへと振り返る。

「これからもよろしくお願いしますね、秋穂ちゃん」

どうして私の名前を知っているのですか?
すっかり出鼻をくじかれた格好の私は、なすがままに彼に引きずられていく。
これが優柔不断なのか強引なのかよくわからない男とのはじめての接触。
それ以来彼が「恋人がいるから」と、方便を言えるようになったのは私のせいじゃない。
たぶん、そう思う。

11.13.2006
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