時間が無い。
そう、僕にはあまり時間が残されてはいないのだ。
そんなものは、最初からわかっていたことなのに、2度目の春を迎えて、ますます気ばかりが焦ってしまう。
「考え事か?」
「いえ・・・」
僕の内心などわかるはずもなく、原因の女性はのんきに片手に文庫本を持ちながらあくびを噛み殺している。
「まあ、後少しでゴールデンウィークだからな、気合が乗らないもの無理は無い」
「はぁ・・・」
世間では9連休だと騒いでいる今年の大型連休も、月曜、火曜と平日である学生には関係のないことで、それよりも後半の5連休で彼女の姿を見ることができないということの方が重要である。
3年生の彼女にとって、僕は一学年下のただの後輩であり、部活仲間だと言う他にはつながりがない。現に、同じ部活に所属しておきながら彼女の携帯番号すら知らないのだから、そう大して親しくも無い知人どまり、ということだろうか。
だから、なんとなく春が来て、もうすぐ夏がくるかもしれないというこの時期に焦り始めたのだ、今更ながらに。
「先輩はどこかへ行く予定でも?」
「いやーー、一応受験生だからな、大人しくしているつもり」
「はあ・・・、受験生でしたね、そういえば」
思い出したくもなかったけれど、3年生の先輩は受験生である。忘れていたかったけれど。
「そういう自分はどこかへ行くのか?」
「いえ、特に予定はありませんから」
「寂しいやつだな」
「寂しいやつなんですよ」
一人で悶々とあなたのことを考えているぐらいには、寂しい男なんですよと、声には出せないから心の中で呟く。
「来年の今ごろは、きっと遊びの予定を立てまくってるだろうなぁ・・・って、浪人しなきゃだけど」
はっきりと自覚する。
来年の今ごろは、ここに先輩はいないのだと。
焦燥感が襲う。
だけど、何もできやしない自分の意気地の無さにあきれ返る。
外は暖かい日差しが降り注ぎ、いかにも行楽日和である。そんな今の時期だけの柔らかな日差しも、心の奥底まで届きはしない。
今日何度目かの溜息をつく。
これぐらいしか今の自分には出来ないから。
「幸せが逃げるぞ」
「そう・・・ですね。今にも逃げ出しそうですから」
あなたがいなくなるから。
その一言がいい出せなくて、再び先輩は文庫本に目を落とす。
元々体育会系の自分が文芸部なんて、およそ自分自身に似つかわしくないものを選んだのも、先輩に一目惚れしたせいだ。不純な動機だけれど。
今でも本を読むのは苦手だ。
定期的に製作しているらしい会誌にも協力できてはいない。せいぜい重いものを運ぶことや、本当に会誌を“作る”作業を手助けするぐらいだ。
熱心に活動をしている先輩にとって、あまり愉快ではない後輩だろうけど、不満一つもらされることなく現在に至っている。それを良い事に、僕も彼女を手伝いたくて、それだけが嬉しくて地味な作業でもこなしてきたのだ。
だけど、もうこんな風に先輩と一緒にいられる時間も少なくなってきたのだと、改めて今年のカレンダーを眺めながら思い知る。
もう会えない。
何度も思い描いてきた現実。だけど、この空間で彼女の存在がなくなってしまうことが実感はできなくて。でも、確実に来年には先輩はいなくて。
「来年は何してるんでしょうかね、僕たち」
何気なく飛び出してしまった言葉に驚く。複数形にしたところで先輩と自分にはなんの関係もないのに。当たり前のように別々に過ごしているはずなのに、願望がささやかにも滲み出てしまったことに苦笑する。
先輩はやっぱり僕の内心など気が付くはずもなく、ぼんやりと文庫本から目を離し、ニカっと笑った。
「そんなに寂しいのなら、来年もきてやるけど?」
冗談めいた言葉も、今の自分には気休め以上の言葉となってしまう。
「本気にしますよ」
「来年になって君が覚えていたならな」
「忘れませんよ」
「どうかな、忙しくなるし」
「先輩は忘れちゃいますか?僕のこと」
笑い話で終わるはずの会話に、思いのほか食いついた僕の反応に、やや先輩の瞳が真剣なものとなる。
「忘れて欲しいのか?」
「・・・忘れないでくださいよ」
それだけを言うのが精一杯で、机の上に置いた右腕に頬を置く。
先輩の顔なんか見られなくて、心臓がどきどきして、告白と言えるには程遠い言葉なのに全身が緊張してしまう。
「そうだな、お前みたいなやつは忘れないよ、絶対」
ふわりと何かが自分の髪に触れる。
先輩が触れていったのだと気が付いたのは、彼女が部屋を出て行ってから。
自分以外に誰もいない部室代わりの教室を見渡した時だった。
そっと、触れられた場所を確かめる。
体温なんて無いはずなのに、そこは確かに熱くて、どうしようもないほど彼女が好きだと叫びだしそうになる。
彼女といられるのは後少し。
僕は今少しだけ幸せな溜息をつく。
短いですが、久しぶりの短編です。
感想、誤字脱字の発見などはこちらへ→mail