あの頃の君は

 ジクロウが生を受けた年、レデ、後の宰相は、ギログラ家の第二子として誕生した。
当然、長子ではない彼は、あくまで兄の代替要員であり、影に日向に長子である兄とは区別をされ育てられた。血脈を重んじる家柄においては、その行いはいたって普通のことであり、父や母の関心があまり注がれない境遇に、寂しいと思いこそすれ、疑問を感じたことはなかった。ゆくゆくは母方の従妹と婚姻関係を結び、母の実家を継ぐ、と将来が決められていた彼は、それでも他の家の第二子や第三子よりもは、比較的恵まれた立場にあった、と言うべきだろう。
特筆すべきは、長子の頭が比較的残念な出来であったにもかかわらず、彼は非常に優秀な子供であった、という事実だろう。幾人もの家庭教師をつけたにもかかわらず、恥をかかされるような成績しか収めなかった兄と比べ、礼儀作法の先生程度しか接しなかったレデは貴族が通う学園の中において、優秀な生徒として名が通っていた。成績の知らせを耳にするときばかりは、父も母もレデの言葉を聞き、また、彼に笑いかけてくれた。
そんな中、レデは父から同じ学園に通う、一人の子供と親しくなるように、と、命じられた。
兄ではなく、自分にそういった言葉がもたらされることはほとんどなく、嬉しさのあまり深く意味を考えずに言うとおりにした。
その子供が、当時はほとんど玉座に座る可能性はないものの、一応王族の一人ではある、という微妙な立場に立たされていたジクロウその人であった。側室アルティナとレデの父にどのようなやり取りが行われたのかを、当時子供であったレデが知ることはできないが、お互いの利害が一致した結果なのだろう。末端とはいえ、王族と親しくなることに利点がないわけではない、ただし、長男がそのような弱い人脈を築くわけにはいかない、と、父親は考えたのだろう。
そんな大人たちの思惑とは別に、兄と同程度に頭が弱いジクロウを、時には教師のように教え、また、人柄は悪くはない彼と、友人として共に過ごすことを嬉しく思いながら成長していった。その関係が、時を経て、王と宰相、という立場となる、などとはまるで考えてはいなかったけれど。

 二人の関係の変化は、ギログラ家の長子が急逝したことによってもたらされた。
レデは気ままな次男坊、という立場を捨てざるを得ず、急遽ギログラ家の長子としての教育を受けるはめとなった。母の苗字を継ぐために育てられた彼は、また、母方の強い意向により、従妹との婚約は解消されないまま、二親の名前ギログラ家とスルリディ家の名前を頂戴し、それぞれを継ぐ跡取りを生み出す義務まで背負わされることとなった。こうなってしまっては益のないジクロウとの付き合いも、中止せざるをえなくなった。多少の難色は示したものの、親の言いつけどおり、当時最も玉座に近いとされたリサゼルの取り巻きとして、彼は今までにはない苦労をさらに背負いながら少年時代をすごしていった。
結果として、玉座はジクロウのものとなり、目論見がはずれたギログラ家は、代々賜っていた宰相職からはずされる憂き目に合うはずが、どういうわけなのか、ジクロウその人の指名により、若いながらもレデがその役職を賜ることとなった。
その結果が、今の政務体制であり、ジクロウの数少ない長所である人選感覚の鋭さが生かされ、現在までもフィムディア王国は安泰である。
陛下の幼馴染がもたらしたのろいという災厄を覗いては。

 現宮廷魔術師のアーロナは、貴族の家に生まれたものの、割合と変人が多く生まれる家系であったせいなのか、魔術師への道を進むこととなった。
魔術の学校へは、貴族階級の人間も多く通うものの、それは家督を継ぐあてがないものが大半であり、婿養子先を探すか、己の身一つで立つ術を身につけなければならない立場のものがほとんどである。その中にあって、高名で裕福な貴族であり、その家の長子であるアーロナが、魔術師への勉強を進めることは異例のことである。
本人にその才があり、また、それが許される環境にあったのが幸いして、彼は幼くしてその才能を伸ばしていった。また、本来ならリサゼルや、そのほかの有力な側室の子らと接触をもたなくてはならない身分であるにもかかわらず、彼は一向にそういった方面に心を砕くことはなかった。本を開き、読み、理解し、また、実践する。彼の一日は魔術への興味に占められ、また、父母もそれを許すありさまだ。
当然、彼は当時の複雑な人間関係や、やりとり、ジクロウやスリリルのことなどぼんやりとしか把握しておらず、まさか自分が中枢も中枢、宮廷魔術師などという立場に立たされるとは、全く思っていなかった。ただし、同じく才に長けたリイル=スリリルに関しては、淡い思い、というものを抱いてはいた。それが何か、ということを当時は言語化できなかった彼なのだけれど。
順調に魔術師として出世し、さらには、次席魔術師まで登りつめた彼は、偏った魔術ながらも、頭もよく容姿も優れたスリリルのもと、己の魔術だけを研究すればよい日々を送ることができた。
寝ては魔術の方式で悩み、起きては実践で苦労し、彼の毎日は、これからもそうやって続いていくはずだった。
たった一人の憧れの魔術師が、最も敬し、尊ばねばならぬ相手にのろいをかけるそのときまで。

 現在苦労しかしていないユリが、佐々木有里として生活していたときは、考えればほんの僅かな時間であった。
一般的な家庭に生まれ、特別仲が良い、というわけでも悪いというわけでもない両親の元、ごくごく普通の習い事を経て、何も身につかずに成長していった少女、というのは別に珍しいものではないだろう。友人も好きな人もいて、だけど特定の恋人はいない。学校が終われば、友達と連れ立って歩き、決められたお小遣いの中で買い物をする。
ありふれた日常が一変したのは、厳寒の冬。学校指定のコートと、本当は校則違反だけれども、誰も守ってはいないマフラーを首に巻き、やや背を丸めながら「行ってきます」の言葉を交わす。
ぽつぽつと同級生たちを発見できる通り道、有里はその姿を忽然と消した。
残されたのは彼女の通学鞄。
ただまっすぐと前だけをみながら、もしくは友人と談笑しながら歩いていた通行人たちは、誰一人として彼女の姿が消えた瞬間をみておらず、まるでミステリーのように彼女の消失は扱われた。
だが、有里が消えたことは現実だ。
警察の綿密な捜査も、知人への聞き込みも、街のそこここにある監視カメラの映像も、失踪の謎を解き明かすことはできなかった。
聞こえてくる嘲笑と、出所不明の噂は、有里の家族を追い詰め、やがて同じように育っていたはずの兄弟たちは姿を消し、残されたのは老け込んだ両親と、唯一彼女の手がかりとなる通学かばんのみであった。
時は流れ、日々は、有里がいなかったであろう世界を刻み続け、両親もやがては、それに慣れてゆく。
薄情なわけではないけれど、そうしなければとても生きてはいけなかっただろう。
有里がユリとして生き、思い出すことが少なくなった世界に、両親はやはり、時折思い出しては、食卓の空席を見つめる生活を送りながら生き続けている。
そうして、徐々に有里の居場所はなくなっていく。
彼女がこの世界でしっかりと根付いていくことと引き換えにするように。

   ダレン=ブランシェは稀有な才能をもつ魔術師として、幼い頃より台頭していた、というわけではなかった。
老師グルセドの最後の弟子として、幼き頃より育てられた彼は、所謂捨て子という存在であった。
わけあって男所帯のグルセドに引き取られ、兄弟子たちは実の兄のようにこぞって彼の世話をやいた。
やがて一人二人と独立していき、最後には老師とダレンの二人が残るのみとなった。
その頃には老師は、フィムディア王国の宮廷魔術師として仕え、ダレンはその従者のような若者として、王国内にて住まう生活となっていた。
まだ少年ではあったものの、魔術学校においては、教師の真似事のような仕事をし、夜には仕事を終えた老師にその魔術を学び、また、色々な話を語ってもらう毎日を過ごしていた。
ある夜、老師が、果物をむいているダレンへ世間話のような気軽さで、話しかけた。

「ダレン、わしはここを出て行くこととする」
「へ?」

さらりと、とんでもないことを言い出した老師に、まだ少年とも言える年齢のダレンは返事を返すことができない。

「予見とは、やっかいなものだ」

それきりそのことに関して口を開くことはなかった老師は、次の日には僅かな荷物だけを携え、ダレンを連れ出立していた。まるで王宮から吐き出されるかのような旅立ちは、ダレンに王室への不信感を植え付け、それは現在もしっかり更新されている。
ただし、大人になった今となっては、老師がその座を追われた理由を理解できていないわけではない。
予見といえば聞こえはいいものの、未来の一欠けらを見通すその能力は、時として見せたくないものもみせる。おまけにその都合が悪い未来を回避する術はないのだから、そんなものはあってもなくても同じだと、時の施政者が考えたとしても仕方がないことだろう。特に跡継ぎ問題で不安定であった前政権下にあっては、己に都合の良い託宣を行わせようと、各陣営が躍起にもなっていた。外れることのない予見をする老師がその名を口にすれば、それが捏造された言葉だとしても、納得はしないまでも、玉座を狙う人間にとっては大きな後押しとなるものだろう。
きな臭い政治から最も遠い人格が、あっさりとその中心へと巻き込まれてしまったのだ。老師にとってみても、ダレンと共に、街へ下る判断は間違ってはいなかっただろう。
その老師の姿勢が、今となっても彼の立位置を左右している。
権力からは遠く、魔術師としての能力すら人目に目立たぬように、と。
それがユリと出会ってからは、彼女のためには積極的に利用するまでに変化していったのは、彼にとって密かな驚きである。きっかけが老師の予知だとしても、ダレンがダレンとして彼女に何がしかの思い抱き、その気持ちが大きくなっていったことは確かで、もはや本人ですら、何が先であったのかすら忘れてしまっている。
もう、ユリはダレンの中の一部で、誰が何を彼に言ったのかは重要な問題ではなくなったのだから。

それぞれの人生は、それぞれ勝手な時で始まり、別々の時間軸で進んでいった。
一人の魔術師が感情の赴くままに、その流れを歪めるそのときまで。

11.2.2009/完結
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