とある聖女の物語/第9話

 和平交渉を終え、王は玉座の感触を確かめるかのように己の場所へ座した。
下には相変わらず役立たずな重臣たちが顔を揃えている。
使者としての大役を果たした第三王子は、隣国の様子を伝え、そして正式に隣国との停戦が決定した。
第二側妃の娘が、正式に隣国へ嫁ぐことも決められ、彼らは満足して屋敷へと引き戻っていった。



「もう下がって」

宮殿へと再び足を踏み入れ、以前と同じ、いや、それ以上の待遇を受けているリエラは、それでも一向に気が晴れることはなかった。
彼女は再び嫁ぐのだ。
一度目は無知のまま。
二度目は、知りすぎるほどの知識を得て。
どちらがましかはわからない。
だが、知れば知るほど恐怖が増していく。
隣国の王は情熱的で粗暴、冷酷であり情に厚い。相反する彼に対する言葉は、リエラを混乱させる。
それでも、彼女は嫁がなくてはならない。
国のために、国民のために。
彼女が王族の一員として生まれてきた理由は、ただそれにつきるのだから。
ようやくそのことを知り、そのように振舞おうとはしている。それでも時折鬱屈した気持ちが折り重なり、何もかもを放り投げて逃げ出したくなる気持ちに駆られる。
そんな折、計ったように現れるのはあの従者の男だ。
すでに高官としての任務に戻った彼は、リエラより忙しいはずだ。
だが、気がふさがったときに限って、彼はリエラの前へ表れ、気の紛れるものを与えて去っていく。
言葉をたくさん交わすわけではない。
だが、珍ずらかな菓子や美しい装丁を施された本などは、彼女を楽しませ、気が晴れる一因となる。
幾度目かの逢瀬の後、あまり開かない口を開く。

「謝罪、しなければなりません」
「何を?」

美しい装飾の筆記具を手にし、彼女は珍しいものでも見るかのように彼を見上げた。
筆記具は例によって彼がリエラへ与えたものであり、彼女はその感触を楽しむかのように居室の椅子へとゆったりと座し、適当な紙で書き味を試している。

「あの国へあなた様を嫁がせるのは私の本意ではありません」

彼からこぼれおちた言葉が、あまりにも意外で、リエラの動きがとまる。
侍女たちは彼の言葉が聞こえないようなふりをして、部屋の隅に待機したままだ。

「なぜ?それが王族の役目なのではなくて?」

最初に、彼に王族というものがわかっていない、と言われたことを思い出し、少し意地悪顔をして彼へと問いかける。
だが、それに対する反応までもが意外なもので、彼は彼女の前ではじめてその表情を崩した。

「そう、なのですが」

寂しく笑った彼は、そのまま口を噤む。

「隣の王の人となりは一通り聞いています」

数多くの王家の姫君をその後宮へと押し込め、狂気と執着で彼女たちを掌握している、ということは誰に聞くでもなくリエラの耳にはすでに届いている。
一度は侵略をしかけた国をよく思うわけもなく、また亡命したものたちの言いざまが数倍にも膨れ上がって広がっている。
確かに、彼のやり口は褒められたものではない。
恐怖によって支配された国政は、それでもようやく落ち着きを取り戻したようではあるが、かの王が激昂しやすいことは確かだ。
彼に意見をし、処刑された人間は、戦後減ってきたとはいえ、なくなったという話は聞いていない。
リエラは、そのような国へ嫁ぐのだ。
最小限の供と、最大限の供物とともに。
それをなんともない、と言って捨てるほどリエラは豪胆ではない。
日々おののき、毎夜悪夢にうなされる。

「申し訳、ありません」
「それしか手がなかったことは知っています。あなたは十分なことをしてくれました」

水仕事でひび割れていた指先は、再び綺麗に整えられ、栄養のいきわたった髪はかつての輝きを取り戻した。
王宮の宝石、と呼ばれなれた彼女は、それにふさわしい美貌も取り戻した。
いや、落ち着きと、何かを悟った彼女は、以前にも増し、その美しさに凄みまで加わっている。
従者に贈られた筆記具を大事そうに撫で、彼女は微笑む。

「名前は?」

リエラの質問に、従者はようやく彼女と視線を交わす。

「ユティヴァス、と申します」
「そう、覚えておくわ」

それを最後に、彼らが会話を交わすことはなかった。
リエラは豪華な支度とともに、隣国へと嫁いでいった。



彼女が隣国で幸せに暮らしていたかどうかを知るものはいない。
ただ、彼女が一男一女を得た、という公式な記録があるだけだ。
やがて男児は父王を幽閉し、その玉座へとつくこととなる。
傍らにいるはずのリエラに関するその後の記録はなく、ただ聖女のようであった、という言い伝えが残るだけであった。




5.14.2011
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