権利と義務

 盛大な儀式と、国民の暖かな祝福をもって迎え入れられた正妃は、ひどく幼く、また不安定な少女であった。
平和を謳歌し、豊かな国土をもつフィムディア王国は、ただその存在だけで何がしかの縁を結びたいと思わせる大国である。文官や学徒の留学などによる細々とした交流、ではなく、もっと一足飛びにその大国と密接な係わり合いをもちたい、と思わぬ国はない。その最良で最短の方法は、自らの手駒を中枢へと送り込むこと、つまりは王族同士の政略結婚、ということになるのはわかりきったことである。自らの足で歩ける範囲内で生活をし、なおかつその中で自由に結びつきをもつ庶民とは異なり、彼ら、彼女ら王族は、幼い頃から自らの義務を教え込まれ、遂行することを求められている。よって、どのような相手であろうとも、国の益になることならば、その身を差し出すことも厭わず、また、国の代表として恥ずかしくないだけの振る舞いをせねばならない、と理解しているはずだ。
だが、このたびジクロウの正妃としてあがった少女は、そのことにひどく疎く、だが態度だけは非常に尊大な王女であった。
国から離れたところへ嫁いできたことに嘆き、言葉が異なることに戸惑い、風習が違うことに憂う。晴れやかな顔を見せることはなく、国から共に渡ってきた女官たちも、主の不興に影響されたのか、些細いなことをあげつらっては、ジクロウがあてがった下働きのものにあたる毎日だ。大国ならではのおっとりとした気性をもつものたちも、一向に改善されない彼女たちの態度に、徐々にひっそりとではあるが、その眉根を寄せ始めていった。

「品がない、どうしてここには美しさをわかるものがいないのかしら?」

女中が少しでも正妃の気が晴れるようにと、温室から届けられた花を活けたところ、その彼女から痛烈な皮肉を浴びせられる結果となった。こうなることがわかっていたからこそ、彼女の周りには最低限の仕事をこなすものしかおらず、気を利かせた女中は、ここを持ち場としてまだ日が浅い。良かれと思ってしたことで、理不尽な叱責をうけた新しい女中は、二度とこのようなことはしないだろうし、このことがまた新たに人々の口の端にのぼるのは必定だ。妃の評判は下がりこそすれ、上がることはないだろう。
深いため息をついて、出身国の人間以外を下がらせた王妃は、今日もまた気分が優れぬ、と言う理由で宮の扉をかたく閉ざしてしまった。


「またですか」

一応正妃、という建前上、最も彼女を厚遇せねばならない、という宰相の持論のもと、ジクロウの意思を問わず、勝手に宮へと渡る手続きをしていた彼は、眉間にしわを寄せた。

「はぁ、ご気分が優れないそうで」

そう言付ける文官も、どこか王妃を軽んじているような口調だ。
咎めなければいけない、と思いながらも、宰相はついにその気力が沸いてこない。
スリリルの呪術がとかれ、何の憂いもなくなった今、せっかく設けた正妃との間に子の一人や二人いた方が都合がよいだろう。いや、どちらかといえば将来の禍根のためには、いない方がいいのかもしれないが、彼女の立場を思えば、子の有無はその足場の強固さを左右するものとなるだろう、という配慮は一向に彼女たちには届いていない。
安定さえもたらされれば、誰の子でもかまわない、と考えている宰相は、アンネローゼの子が陛下の子ではない、というところにはこだわってはいない。ただ、同じ側室であるニーノの子が継承権を持つ以上、まったく付け入るすきのない血統、という後ろ盾のある王子が欲しい、と思っているのも事実である。
ジクロウの代の混乱を思えば、無理もない話しである。
まして、コザーヌ家や、その他の王子を産んだ側室を輩出した家々が簡単にあきらめるほど、フィムディアという国は安いものではないはずだ。
だが、肝心の正妃が、ジクロウを受け入れないままでは話は進まない。
幾度となく母国へ、それを匂わす手紙を送ってはいるものの、自体は一向に改善されない。それどころか彼女の態度はより頑なになり、先日父王が訪問したときですら、宮の扉が開けられることはなかった。



「困りましたね」
「お望みどおり無視してさしあげればよろしいのでは?」

辛らつな言葉を舌にのせ、リティが優雅に茶器をもつ。
アルティナの屋敷へひきこもったアンネローゼと離れ、彼女は今、地位の高い文官として宰相のそば近くで働いている。もともと政治的能力が高いうえに、本人の性質的にも向いていたため、アンネローゼの勧めもあって今の立場に納まっている。まったく憂いがなく、エリヤの教育だけが重要課題であるあの屋敷では、もはや彼女を活かせる場がないのも事実だ。

「いや、それはそれで面倒なことに」

あまりに立て続けに拒否された宰相は、とりあえず声をかけることをやめてもみたのだ。
その結果、うるさ型の女官長に詰め寄られ、聞きたくもない説教を聴かされるはめとなったのは記憶に新しい。その結果、陛下の渡りがかなったのか、といえばそのような事実はないのだが、面倒なやり取りがない分、形式だけでも整えた方がましだと、そう思う程度には、うんざりしている。

「いったい何が不満なのかわかりかねます。まあ、確かに凡庸で、頭も薄らぼんやりはしていますが」

自分自身も、ジクロウと結婚するぐらいなら飛び込んだ方がましだと、言ったことも忘れ、リティは本気で憤っている。主として思えば、威張り散らさず、余計なことはしない彼はなかなかに最適な上司ではある。だからといって、やはり、今でも男としてみることは不可能なのだが。

「まあ、あちらも幼いしねぇ。大国の王様というのに理想があったのかもしれませんし」

金髪の王子、といえば、どういうわけか端麗な容姿しか思い浮かべないのは、御伽噺や吟遊詩人に歌われる勇敢で麗しい王子の冒険物語のせいだろうか。確かに先々代のシルロー王などはその言葉どおりの眉目秀麗な王ではあったのだが、その血筋はどこへいったのか、ジクロウはどこまでも平凡な容姿だ。

「それにしても、王族の義務、というものを弁えていない態度は、もうすこしどうにかならないものかしら」

一日の仕事を終え、砂糖菓子と共に、リティと茶を飲むことは定番となっており、しばらくすれば彼女の夫が迎えにくるのも日常だ。夫は今頃、訓練の汗を流し、こちらへと向かっている最中だろう。

「アンネローゼ様の茶会でもひどい態度だったそうで」

思わず茶器を握る手に力が込められ、その静かな怒りに、宰相の身がのけぞりそうになる。

「それに関しては、こちらからもやんわりとだけど苦情は申し述べましたが」

相手は、一応一国の王女、大国の王室の血筋なれど、格下の側室になど謝らぬ、という態度は首尾一貫している。

「さすがのロラフェド殿も付け入る隙がないところがましな点、といえばそうなのですが」

まさに絵に描いたような王子姿であるロラフェドは、ニーノ、という駒と切れてからも、色々なことをあきらめてはいない。当然正妃に近づく、ということも念頭においており、早速茶会や、舞踏会だと、正妃を誘ってはいたらしい。手段を選ばぬ彼にしても、彼女の態度は鼻持ちならぬものであり、今では一向に誘いの言葉すらかけてはいない様子だ。あの、ロラフェドをして、と思わないこともないが、それにしてもこのままでいいとは、宰相ですら考えてはいない。

「そろそろ、国にお送りになっては?正妃にはアンネローゼ様が立てばよろしいのです」
「一応そのめどは立ててはいますが、いま少し努力の痕跡が必要ではないかと。ただ、すんなりとアンネローゼ様がたてるかどうかは」
「コザーヌ家が反対をする、と」
「ええ、どうあってもアンネローゼさまの父上の出自が低いことは変わりがありませんから」

アンネローゼがすんなりと正妃に納まれない理由は、父親が身分の低い騎士であったからだけではなく、彼女自身がいきなり側室として王宮に登場する以前の足跡が不明瞭なせいでもある。すでに男児を出産したのだからと、異を唱えないものばかりではないのが実情で、それならば、と少なくない失点はあるものの、同じく男児を出産したニーノを正妃へ、と押す家も多い。今のところ、血筋の良い正妃がいることで声をあげるものはいないものの、一向にその役目を果たそうとしない彼女を前に、その均衡が破られるのも遠い将来ではないだろう。 控えめなノックの音に、リティの夫が訪れたことを知る。
リティは優雅に一礼し、扉の外で待たされているであろう夫の下へ去っていった。



華やかに、しかし質の良い音楽が奏でられる中、ジクロウは正直気が失ってしまいたくなる思いにかられていた。
隣国が代替わりをし、新しく王となった挨拶をしに、フィムディアへとやってきた。
当然、新王は国賓扱いとなり、それなりの地位をもったものだけが集まる晩餐会が開かれ、お決まりのように舞踏会といった流れとなる、のは定例行事だ。
国の行事であるからには、ジクロウだけではなく、その妻、正妃と側室二人もその公式な場にはもてなす側として出席しなくてはならない。
ジクロウの隣には正妃が、彼らのやや後ろにアンネローゼとニーノが控えている。彼らの立場を考えれば、至極まっとうな配置である。後ろにいる二人の側室は互いに互いを良くは思ってはいないものの、このような場では、その美貌を余すことなく利用し、すばらしい外面で周囲の目を楽しませてくれているはずだ。
だが、そんな彼女たちに視線を奪われながらも、ちらちらと哀れみを含んだような視線がジクロウに注がれる。
正妃が来る前ならば、美しい彼女たちに奪われたまま、添え物以下の陛下など眼中に入れられることはないのだが、そうならなくなって久しいものの、いまだにジクロウは慣れないでいる。
ため息をこらえながら、隣に視線を送ると、彼の幼い正妃は、眉間にしわを寄せたまま、にこりともしないで突っ立っていた。 やはり、と、心の中で盛大なため息をつく。
隣国の王に踊りを申し込まれても、固まったまま一言も発しない彼女をみて、アンネローゼが優雅に新王の手をとり、さりげなく踊りの輪へと入っていってくれた。
さすがのジクロウも小声で妃に話しかける。

「国内ではよいが、対外的な仕事はしてもらわねば困る」

至極最もな小言に、妃の機嫌は急降下し、ジクロウの手にしていた酒器を取り上げ、床へとたたきつける。
即座に宮廷魔術師のアーロナが近寄り、正妃を病気ということにして取り去らなければ、彼女のこの振る舞いは、大国の恥として、新王に自国へのおもしろい土産話として持ち帰られてしまうところだったのだろう。もっとも、お飾りですらない正妃のことは、もはやその噂をとめる術を持ちえていないのだけれど。



「自覚をもっていただかねば困ります」

今まで下手に出ていた宰相が、正妃の宮へとリティを伴い苦情を届けにやってきた。
そのことに驚き、今まで尊大な態度で彼へ対峙していた女官長が応対に苦慮している。
そもそも、彼女の出身国はさして大きな国ではなく、その連綿と続く血筋以外に、フィムディアに得るところはない。少々採掘できる、という鉱物ですら、自国や他の国で事足りるのが現実だ。気が遠くなるほど続いた血統の中で、その存在そのものが神格化され、熱狂的に崇拝する国民がいる、ということ以外に、かの国に突出したものはなにもない、ということを自覚しても良い頃だ。
その気になりさえすれば、フィムディアは、妃を国に帰すこともできるのだ、ということを。

「今までは姫の年齢を考慮して遠慮申し上げておりましたが」
「ですが、やはりお寂しく思う姫の心を思えば」
「でしたら、お帰りになられたらいかがです?内外に仕事をしない妃など、必要としてはおりませんので」

後ろに遠慮がちに控えていたリティが、遠慮のない言葉をかける。一瞬その言葉に気色ばんだ女官長だが、さすがにどちらに非があるぐらいのことは認識しているらしく、言い返せないでいる。

「これ以上このままですと、やはりこちらにも考えが」



「帰りたい!!!!!私は帰りたいの!」

突然乱入してきた少女に、皆の視線が集中する。大国の正妃、という名称には程遠い、やせ細った子供のような姿に、宰相もリティもすでにも罪悪感すら沸いてこない。今ここで、正妃は誰か、と、民に問えば、ほとんどのものがリティを指し示すだろう。それだけ、今の正妃からは王女としての矜持すら感じられない。また、久しぶりに聞く正妃の声は、やはり幼く、涙にぬらしたその顔は、もはや妃、といった威厳すら見られない。

「いや、ここはいや、こんなところはいや!」

女官長に縋り付いて訴える彼女を、周囲の大人が静かに見下ろす。
宰相は多少の同情をもって、リティは蔑みをもって、寝台こそが相応しい格好のまま彼らの前に現した正妃の姿を見やる。

「だって、あの人ちっとも私のことなんて見ていないじゃない!それに民だって、私のことを褒め称えてくれない!こんなところはいや、いやなの!」

勝手な言い分を吐き出し、最後には嗚咽となった絶叫に、宰相は困った笑みを浮かべたままだ。

「なら帰りなさい。王族の義務も知らない、知ろうとしないあなたは、ここには必要ありません」
「あなたのようなたかが文官に、姫様を愚弄される謂れはありませぬ」
「彼女の言葉は、私の言葉と思っていただいてかまいません。それに彼女の出自は、あなた方がすがり付いている小国の王族、よりも聞こえはいいかもしれませんね、あなたの国以外においては」

やんわりと、だが彼女らを排除する言を吐いた宰相に、女官長が青ざめる。
小国の中で培った無駄に高い自尊心が、彼女たちをすでに戻れない位置まで追いやってしまった、と、ようやく気がついた。
程なくして正妃は病気を理由へ国へと返され、かといって行き場のない彼女は、結局神殿へと預けられることとなった。
正妃の事実上の失脚を期に、再び縁談が沸いて出たジクロウは、辟易し、逃げ場としてアンネローゼの屋敷へと足繁く通うこととなる。
そこからまた、ニーノとアンネローゼの正妃をめぐる争いが始まるのだが、それはまた別のお話。
ほどなくして、アンネローゼは妊娠し、第二子を出産し、その立場を強固なものとする。
アンネローゼが正妃として納まるのはあと少し。
ジクロウはそのときになってようやく、穏やかに暮らせるようになったと、後に語ることになる。

5.15.2010/完結
++「Text」++「Chase目次」++