「おい、佐伯。あれをなんとかしておいてくれ」
くどくど説明しなくてもわかっているだろう、と言わんばかりに担任教師が何かの紙をヒラヒラさせながら近づいてきた。しかも、内容が薄々どころかはっきりとわかってしまう自分が嫌だ。
「で、今度はどんなことが書かれていたんですか?」
金髪妖怪をおとりにしてなんとか怪奇現象を静めたものの、あれだけでは満足しなかったのか、アノ半透明はちょくちょく学校へやってきては悪戯をしかけてくれる。すっかり慣れてしまったクラスメートたちは、またか、といいながらもさして被害のない、たとえば濡れた廊下だの、馬鹿ってかかれたグラウンドだの、ウサギの耳のようなものがついた五寸釘が打ち込まれたわら人形などを淡々と片付けてはいる。もちろん地味にいらつきはするものの、それでも以前ほどの嫌悪感はなくなってしまったのか、私に泣きついてくる人間はほとんどいなくなった。慣れというのは恐ろしいもので、人外が起こしてしまった怪異現象をうっかり受け入れ、すっかりと馴染んでしまったらしい。ただし、都市伝説が流布するたびに食いついていたタイプのクラスメートですら、僅かに嫌そうな顔をしてできるだけその手の話題を逸らそうとしていることが、唯一といえば変化したところかもしれない。
「笑うなよ?」
「はぁ」
照れたような嫌がっているような微妙な顔をして、担任が答案用紙を差し出す。採点前のそれは、まだ赤いしるしなど入っていないもので、それだからこそ赤鉛筆で記されたその文字が嫌と言うほど浮き上がっている。
「愛してる……?」
そう、そのテスト用紙には確かに「愛してる」と例のあの書体でしたためられている。
思わず吹き出しそうになったのを抑え、担任の様子を窺うと、明らかに困った表情を浮かべていた。
「怨念とか恨みますとか、呪ってやる、ならわかるのだけど」
「ああ、まあ、それならセンセイだって佐伯に頼まないよ、もう」
慣れきってしまったのはクラスメートだけではなく、私たちの担任教師ですら、この小さな小さな怪異現象にすっかり感覚が麻痺しているらしい。
「いつもならノイローゼ気味の生徒がいて、って説明できるんだがなぁ」
クラス全員がノイローゼなどというクラスの受け持ちはしたくないものだ、と、思いつつ、そういえばこの人が最近結婚したらしい、ということをおもいだした。
「ひょっとして家にもってかえったら、まずい…、とかでしょうか」
「うん、ひょっとしなくてもそう。学校で済ませられればいいが、そういうわけにもいかなさそうだしな」
「はぁ」
「悪戯で済めばいいが」
「失礼ですが、少し悋気な方?」
「おまえは相変わらず表現が古臭いなぁ、って、まあ、ぶっちゃけやきもちやきだ、しかも一度火がつくと日本語が通じなくなる」
「ささやかな怪異よりもそちらの方が面倒くさい?」
「ちゃちいポルターガイストなど目じゃないぐらい凄まじい結果になるかもしれん、頼むからなんとかしてくれ、こんなのがコレから続いたんじゃ、おちおちテストもできやしない」
それは学生としては願ったり叶ったりな気もしなくはないが、担任の家庭平和を乱すのも悪いような気もする。世の中には姉さんのように嵐を巻き起こす性質の女性が少なからずいる、ということを理解もしている立場としては、仕方がないので例によっておとりを呼び出す。
「ああああああああ?」
明らかに機嫌が悪そうに現れた金髪妖怪は、登場するたびに現代的に、それでいてこの地方では浮くほど華美な服装になっていく。唐突に現れた彼に群がる女生徒たちは相変わらずで、それにうっかり相好を崩すスケベ心も忘れてはいないらしい。
「だいぶよくなったみたいだな」
「おまえのせいでメイクには怒られるは、社長にはどつかれるは、散々な目にあったっちゅーに」
前回の呼び出しの際、いい加減に姉さんに会わせなければ梃子でも動かん、というこいつの我侭を聞き入れ、実家で琥珀のご飯を堪能している姉さんに会わせたことを言っているのなら、それは私のせいではない。あくまでいきなり抱きつこうとして、素直に拳をくらったこいつのドン臭さが悪い。
「まあ、不可抗力だ。それに大好きな姉さんに触れられて本望だろう?」
触れるだけではあんな音はしないものだが、そんなに細かい事はこの際気にしないでおこう。
「はっ!散々呼び出しておいて、その結果があれじゃあ割に合わん」
「そう言うな。今度からは顔は殴らないようによく言っておく」
「また殴る気か?」
「条件反射だ」
金髪妖怪を嫌いぬいている姉さんは、こいつが近づいただけでも無意識のように攻撃ができる状態になっているらしい。だからあれほど止めたのに、と思いながらも、少しだけ哀れに思ってしまう。
「で?今日は?」
「うん、まあ、なんというか」
きっちりと金髪妖怪の背中にくっついている半透明を見上げながら言葉を濁す。
私がこいつを呼び出す理由など、これ以外はありえないのに、いまだにこいつは姉さんとのとりなしを期待している。
「いたずらはやめてくれるな?」
頬を染めた顔を小さく上下させ、満足そうなに微笑む。かわいいのだか不気味なのだかよくわからない。
「……ひょっとしておまえ、またあれか?」
「それ以外に何があるというのだ?」
「だぁあああああああああああああ!いい加減にしろよな、この前もその前も、こいつを振りほどくのにどれほど俺様が苦労したのか」
「うん、がんばれ」
こいつにくっつけてさえしまえば、元々触ることが出来ない半透明を引き離すのは非常に難しい。いつもいつも金髪妖怪がどうやって振りほどいているのかが少し気になる。
「あーーー、テストに落書きするのはいいかげんやめてもらえないか?」
ちょっとだけ考えた素振りをして、不承不承頷いた半透明は、金髪妖怪の叫び声と共にどこかへと消え去っていった。とりあえず、これで一週間ほどはクラスメートを少しだけ嫌な気持ちにさせていた怪異現象も静まるだろう。
すっかり成仏する気をなくしたのか、元々その方法を知らなかったのか、我が高校の七不思議が八不思議になるほど定着した半透明のいやがらせは、その後も地味に続く事となる。
しかも、約束どおりテスト用紙に悪戯するのはやめたものの、担任教師の個人的な持ち物、手帳、携帯、ワイシャツに悋気な配偶者でなくとも激怒するような怪異現象を残すような方法へと進化しながら。
そのたびに泣きそうに色々な意味で顔を腫らした担任教師と、数回に一度姉から愛の拳を受けている金髪野郎の絶叫を交互に聞くことになるなどという、ちょっとした好奇心が招いた面倒くさい出来事に辟易とする未来が待っているとは、やっぱり、一段落したと、少し安心しきってしまったそのときの私は知るよしもなかった。