LiRa-Mandolin について
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2007年11月作成中

             


 マンドリラとはマンドリンとリラの合作のような楽器である。

まずはリラとは何か調べることにする。「リラとは?」から始めてみることにします。

英・仏:lyre、独:Lyra、 Leier、 伊:lira 
読み方としてはリュラー、リラ、ライアー。

一般に古代ギリシャの竪琴を意味するものである。その後、この形態の楽器をこの名前で呼んでいる。歴史的には、リラはいわゆる神事に用いられたようで、現代においても、アフリカのリラは、 そういった儀式や、まつりごと、医療や祈祷などに使われているようです。

「牛頭のあるリラの女王
大英博物館の至宝展のホームページより

 

紀元前2600-2400年頃、記録に残っているものとしては最初にシュメール文化において、リラは発見されています。 実際に、リラという楽器そのものは、それ以前にも存在していたかもしれません。 そのリラは「牛頭のあるリラの女王」と名づけられています。イラク、ウル出土  紀元前2600−2400年ごろ (大英博物館蔵)

 そして、リラは、シュメール文化から、古代エジプト、古代ギリシャへと伝えられてゆきます。 ギリシャ神話にリラは登場し、神々が奏でた楽器であると考えられています。やがてリラはヨーロッパに伝えられ、中世では抒情詩の伴奏に用いられました。 抒情詩とはlyricであり、これはlyraから来ています。

中世ヨーロッパでは、リラより後に発祥したハープが人気をはくし、ルネッサンス期にはどんどん改良が重ねられ、音楽的にも、芸術的にも洗練されてゆき、リラはヨーロッパの音楽に取り残される形で、歴史的にほとんど姿を表さなくなってゆくきます。
 それはリラの音楽的表現に限界があったためと思われます。楽器の構造がシンプルであるがゆえに音域、音階、それ以上に音量が出なかったのが致命的と思われます。その後、リラは一部の都市で細々と伝播してきました。


古代楽器(Ancient Greek Instrumentsより
http://homoecumenicus.com/ancient_instruments.htm

古代ギリシアの酒宴では「アポロン賛歌」が合唱されて、招かれた客はそれに続いて、各々の持ち歌を披露したそうです。この時に使われた楽器が「リラ」「バルビトス」などであったようです。

 古代ギリシャの音楽は、最初の段階では「歌」あるいは「合唱」が主であった。それにアウロス(オーボエ属の笛)の伴奏が付くようになり、それから「リラ(Lyra)」「バルビトス(Barbitos)」などで伴奏するようになり、次いで大型で複雑な構造の「キタラ」が専門家により弾かれるようになったそうである。

上記のように神話でも、楽器の最初は「ムーサ達の笛」。次に「オルフェウスのリラやバルビトス」。最後に「ディオニュソスのキタラ」に変化しています。「ディオニュソスの音楽」とは酒神ディオニュソスに関わる職業芸術組織(テクニタイ)であったようです。このテクニタイの人々が使った竪琴が「キタラ」であったようです。

リラ(キタラ)は形状そのもがデザイン的にバランスが取れていて、しかもその伝説的なロマンを秘めている。それを現在の楽器に生かせないかと考えることは不思議ではないと思う。

Lyra-guitarre

リラギター(Lyre-guitarre)は1800年代にフランスで考案されヨーロッパ全域に広まった。

弦楽器の分類はリラ属、ハープ属、リュート属、チター属、樂弓属の五つがある。このうちリラ属の構造は、共鳴胴から2本の腕が出て、腕の先端に渡した横棒から弦が胴に向かって張ってあるのが特徴。このリラギターは形状からギターと思われるがリラ属の楽器になる。共鳴胴の下の部分はベース部として平らになっていて、支えがなくても立っているように作られている。また、演奏方法もギターのように抱えることなく竪琴として弾かれる。

リラギターの研究はStephon Bonner,John Doanなどが有名である。特に" History and Manufacture of the Lyra Guitar,850-1840 by John Doan"が1972年に新しい研究を発表している。
ハープギターの分類方法は多くの研究者により試みられている。特にボナー(Stephon Bonner)は非常に緻密な研究を行っている
。しかしそれらの多くは楽器の分類の解釈の違いが問題となっています。また単に音楽学の見地からだけでなく社会学、歴史学、宗教までも含めた幅広い議論がなされています。 それはリラギターの腕が長いか否か、ベースがあるか否か、などを含めすべてを含めて分類されています。

大別して、フランススタイル、ドイツスタイル、イタリアスタイル、スペインスタイルが有名であり、特にイタリアスタイルではGennaro Fabricatore(1790年代〜1800年代前半)の作品が有名である。

 


ref:  www.harpguiters.net
ref:  www.harpguiters.net

 



FRATRES CALACE のラベル

MANDOLIRA

アントニオ・カラーチェ(1828−1876)の死後、ニコラ・カラーチェ(1859−1924)とラファエレ・カラーチェ (1863−1934)は工房を受け継ぎ、「Fratelli Calace(カラーチェ兄弟)社」を設立しています。しかし1901年(諸説あり)にニコラは渡米し、ラファエレが工房を支えることとなった。会社名も「Comm.Prof.R.Calace&Figlio」と改名し今日に至っている。その間マンドリラの製作により特許を取得している。しかし、特許の内容やマンドリラ製造の経緯についての資料を見つけることが出来なかった。
そのほかMONZNOなどイタリアの製作者によって少数が製作されている。
MONZINOいついては別項目にてまとめを試みた


Fratelli Calaceのマンドリラ

 

 

monzinoのマンドリラ

 

 

Patienoのマンドリラ

 



A.MONZINOのマンドリラ

マンドリラの構造

マンドリラの構造はマンドリンとは大きく異なっている。(右写真)

マンドリン胴体から左右対称に腕が伸び、腕の先端付近とペグを金属の支柱で結ばれている。表面版は胴体〜腕まで一体化しておりその面積は一般的なマンドリンと比べ倍近くなっている。

腕部は胴体と一体化して空洞となっている。一体化と言うより胴体の側板が伸び腕状になっている構造である。
したがって楽器の体積はかなり増えることになる。

 


普通のマンドリンと比べ大変複雑な構造であり、その製作には高度な技術を必要とするようである(楽器製作家嶋田氏談)





胴体と腕の接合部分(接合ではなく一体化)

腕とヘッドを繋ぐ支柱

支柱の役割
腕とペグを結ぶ金属製の支柱の役割は音楽的には特に意味のあるものとは思えない。用途としては腕の強度を補強することが考えられる。一般にリラの特徴の一つにこの支柱の存在があげられる。マンドリラもリラを模倣したことからそのデザイン的に用いたことも考えられる。

腕部の内側の湾曲部分を製造することは容易ではないようにみうけらっる。



A.MONZINOのマンドリラのラウンド部

底部の構造
ヘルメット状の構造となっている。ラウンド部分の張り合わせを尻部で結合させてる。胴体部分とラウンド部分の結合もしっかりと出来ている。

 

 

 

 

 

 



CALACEのマンドリラの側面
側面の構造
第一に側板は長い腕の強度を保持させる必要がある。またラウンド部分との強力な結合のために大型の部材を用いている。

 

 

 

 

 

 

 

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