鈴木政吉年表1859〜1944)

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2007年10月部分改訂

             


1859(安政6年) 11月18日誕生(名古屋宮出町)

1873(明治6年) 従姉先の東京浅草の塗物店飛騨屋へ丁稚奉公する

1874(明治7年)

奉公先の塗物店々主死亡、店舗閉鎖により帰郷する


1875(明治8年) 自宅の家業三味線造りの下職に従事する

1877(明治10年) 家督を相続する

1884(明治17年) 10月7日、父正春死去

1886(明治19年) 三味線造りの仕事も暫次不況となる

1887(明治20年) 小学校の唱歌教員に転身を志し、県師範学校教授の恒川鐐之助氏に唱歌を習う

1888(明治21年) 師範学校の生徒甘利鉄吉氏持参の弦楽器バイオリンを初めて見て心を引かれ特に乞いて一夜借用し、その試作にかかり、2月にその初号が完成
次回からはその物珍しさから、ボツボツ注文の希望者があって、引き続き製作を続ける


1889(明治22年) 製作品を持参上京して東京音楽学校(現東京芸大)伊沢修二氏並びに前教授ドイツのデイドリッヒ氏に試奏を願い好評を得る
その足で銀座の共益商社店店主・白井練一氏と毎月10台程の取引契約をした


1890(明治23年) 本格的にバイオリン製作をはじめる。白井氏の口利きにより大阪開成館三木書籍店(現三木楽器店)とも販売契約が結ばれた


1900(明治33年) 天神(バイオリンのスクロール部)の自動削り機(渦取機)の考案及び完成
さらに甲削機(表板と裏板に丸みを持たせる加工)の発明
パリ万国博にて政吉のバイオリンが銅賞を受賞
念願の大量生産のはじまり

1901(明治34年) 比留間賢八マンドリンをイタリアから持ち帰る

1904(明治37年) 鈴木政吉・比留間賢八・共益商社の白井慶造の三人で日本最初のマンドリンを製作する

1906(明治39年) マンドリンを製作発売開始

1910(明治43年) 英国ロンドンに開催の日英博覧会を機に3月イギリスに出発、帰路欧州を視察8月に帰国

1912(明治45年) 明治天皇崩御により諒闇となり、向こう1年間すべての音曲停止の令により、織り機の部品(モール)等の製造に転じて工場を維持する

1913(大正2年) 「玉琴」と名称して半玩具的楽器を製作 (この楽器は後日、森田吾郎氏(政吉の親友)により改良されて「大正琴」のアイディアとなる)
11月15日 工場に勅使御差遺の光栄を得る

1914(大正3年) ギターの製作発売する

1915(大正4年) 隣接している土地松山町まで工場を拡げる

1916(大正5年) 第一次欧州戦争の関係により海外よりの注文が激増し 石神堂町にも分工場を新設する

1917(大正6年) 8月4日勅定による緑綬褒章を拝受する

1920(大正9年) 7月長男・梅雄は渡米し、なお欧州を視察

1921(大正10年) 2月梅雄海外視察を終え帰国

1926(大正15年) 長男梅雄、三男鎮一が政吉の作品を持って渡独
ドイツの製作大家等を訪問

1930(昭和5年) 6月個人経営を廃し資本金50万円で株式会社に移行し、名称を鈴木バイオリン製造株式会社として本社を名古屋市松山町におく

1935(昭和10年) 大府分工場を新設する

1936(昭和11年) 戦火が激しくなり岐阜県恵那郡に本社を移転する

1944(昭和19年) 鈴木政吉 永眠
戦火により楽器製作全面的廃止となる

> 参考文献 鈴木バイオリンホームページ

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