21 | 嘉永6年7月5日 | 1853 | 先番 本因坊 秀策 | 太田 雄蔵 | 黒中押 | 先相先に手合いが変わって後の1勝1敗後の第20局 | ||
井上家の太田雄蔵が剃髪を嫌って、御城碁での対局が無く、その為に企画された雄蔵秀策30番碁は1853年の1月27日の第1局から同年11月28日に終局の第23局まで続けられた。この23局中打ちかけになって2日がかりとなった碁は8局あったが、1年以内に23局も同じ相手と打つのは異例なのだろうと思う。秀策は師秀和との17連戦があるが、同門だし、稽古碁だから、これも約1年の間に打たれていても、珍しくはないだろうと思う。 この30番碁は雄蔵が47歳の時に打たれたものであるが、雄蔵の全盛期の棋譜は日本囲碁大系13に収録されているので、後に鑑賞する機会があると思う。 |
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。 そして、「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。 左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。 smile_aceの感想は石田九段の解説を見る前と見た後にあり、どちらか分かる様にしています。 両方見ると、smile_aceの棋力が分かるかも知れません。 「***smile_ace感想」は石田九段の解説を見る前の感想です。 「***smile_aceコメント」は石田九段の解説を見た後の感想です。 ご意見、ご質問等を是非 smile_aceの囲碁のページ メッセージボード に残して下さい。必ず返事をします。 |
22 | 嘉永6年11月18日 御城碁第10局 | 1853 | 先番 安井 算知 | 本因坊 秀策 | 白1目 | 算知が正確なヨセを打っていたら危なかった御城碁 | ||
秀策の御城碁19局の内、松和との4局目と並ぶほどの秀策の御城碁苦戦譜で、算知がヨセを正確に打っていたら、秀策の御城碁19連勝は危うかったという碁です。 |
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。 そして、 「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」 「古典名局選集 秀麗秀策 解説 福井正明」 を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。 左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。 smile_aceの感想は石田九段の解説を見る前と見た後にあり、どちらか分かる様にしています。 両方見ると、smile_aceの棋力が分かるかも知れません。 「***smile_ace感想」は石田九段の解説を見る前の感想です。 「***smile_aceコメント」は石田九段の解説を見た後の感想です。 ご意見、ご質問等を是非 smile_aceの囲碁のページ メッセージボード に残して下さい。必ず返事をします。 |
23 | 安政3年12月17日 御城碁第12局 | 1856 | 先番 伊藤 松和 | 本因坊 秀策 | 白中押 | 嘉永3年の御城碁で苦戦した大先輩に、白番で恩を返した御城碁 | ||
大先輩との御城碁対局は3度目、初の白番での快勝譜である。コミが無いから仕方がないとは言え、白は無理な打ち方をしているが、それが通ってしまった。 |
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24 | 安政5年11月17日 御城碁第14局 | 1858 | 先番 坂口 仙得 | 本因坊 秀策 | 白3目 | 御城碁の19局の内3番目の苦戦の碁 | ||
秀策・仙得戦は、御城碁でこれが4局目の対戦。雄蔵を除く、天保の四傑の松和、算知、仙得の面々は、揃って、御城碁4戦全敗であった。仙得は秀策に対して、この碁以外は白番だったから、やむを得ないと言えるだろう。 この碁は苦戦に見えるが、秀策としては、相手の力量を知り抜いていて、細かくすればいずれは追い込めると、余裕を持っての戦いだったのだろう。コミ無しの白番は、勝ちにするのは容易ではなく、時間と努力を要するのである。 |
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25 | 安政6年4月19日 | 1859 | 二子 海老沢 健造 | 本因坊 秀策 | 白5目 | 明治碁界の中心人物として活躍した後の巌崎健造との10番碁の第6局 | ||
健造はこの碁には負けたが、10番碁を7勝3敗とし手合いを先二に直した。 健造の奮戦ぶりに感心した愛好家が高価な和服を一揃い贈ってくれた。健造が後援者の吉沢文蔵に見せると、身分不相応を理由に取り上げてしまった。健造は「あれほど情けない思いをしたことはない。だが、村瀬弥吉に勝って、21歳で5段になり、文蔵から返してもらった時の嬉しさは、なにに例えようもなかった。」と語ったという。 新たな発見 この碁の黒206について、今まで、漠然と、無意味なダメヅメにあたるこのような手は、棋譜が汚れると考えて、打たない方が良いと思っていたが、その正当性を考え、理由を検討ファィルの白207のところに書いてみました。ご意見があったら、是非教えて下さい。 |
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