古典棋譜鑑賞 秀策01

01天保11年3月14日 1840 3子 桑原 秀策 伊藤 松治郎 黒4目勝 入段してまもない満10歳の時の伊藤松和との3子局
松次郎は後の松和、この時6段である。まだ虎次郎の頃に尾道で打ってもらったことがある。後に御城碁で名局を打った相手でもあり、秀策に取ってなにかと縁の深い人である。
この碁は黒の秀策の4目勝となっているが棋譜は202手で終わっている。石田九段は203手から214手までの想定手順を示して、あとは読者にお任せしたいと書いているので、以下のヨセを作ってみた。
結果は黒5目勝ち(1目差なら容赦出きる範囲だろう)になったが、上辺のヨセ具合で結果が大きく違ってくることが分かるまでにかなりの時間を要した。smile_aceの想定手順についてご意見があれば是非教えて頂きたい。
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。
そして、「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。

smile_aceの感想は石田九段の解説を見る前と見た後にあり、どちらか分かる様にしています。 両方見ると、smile_aceの棋力が分かるかも知れません。
 「***smile_ace感想」は石田九段の解説を見る前の感想です。
 「***smile_aceコメント」は石田九段の解説を見た後の感想です。

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古典棋譜鑑賞 秀策02

02天保13年3月 1842 2子 桑原 秀策 本因坊 秀和 黒中押勝 第14世本因坊たることを約束された秀和との第1局。
伊藤松和との3子局に勝って、秀策は入段の報告の為に因島に帰り、翌天保12年、再び江戸に向かった。
途中、大阪で中川順節との2子番4局に全勝して江戸に入り、秀策と命名され、2段格となった。
13世本因坊丈策の跡目として14世本因坊が約束されている秀和は秀策より9歳上の23歳の若さながら7段。隠居した名人丈和を除けば本因坊家最高の実力者。秀策14歳で2段格、そう楽な手合いでもない。
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そして、「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
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古典棋譜鑑賞 秀策03

03天保13年8月7日 1842 2子 桑原 秀策 太田 雄蔵 黒中押勝 生涯の好敵手太田雄蔵との手合いを先二としたカド番勝利の碁
雄蔵との対局は、稽古碁ではなく、他家との他流試合の真剣勝負であり、上手も下手も力の入れ方が違うというのは容易に想像出来ることである。
雄蔵は1807年生まれというから、秀策より22歳年上、棋風は豪放華麗、スケールの大きい戦いが得意だったという。本局の前まで、雄蔵とは2子で6勝3敗1ジゴと、秀策にしてはめずらしく、やっとカド番に追い込んだという状況で、本局に勝ってやっと手合いが2子から先二となった。
手直りのルールは4番手直りということで、この意味は4番勝ち越すと手合いを変えるということのようだ。自分のアマチュアでの経験では、「3連勝すると手直り」というルールが幅を利かしている様に思う。この対局でも、ジゴを挟んで秀策が連勝しており、本局に勝てば3連勝となる。2つのルールは似たような結果になるのだろう。4番勝ち越しは過去の戦績を記録していないと正しい運用は難しいが、3連勝なら記憶の範囲で判定出来るという簡便さがアマチュアに好まれる理由だろう。
雄蔵の碁は日本囲碁大系15秀策には6局収録されているが、別途、日本囲碁大系13に12局収録されており、橋本昌二九段の解説となっている。いつか鑑賞出来るのを楽しみにしている。
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古典棋譜鑑賞 秀策04

04弘化3年5月10日 1846 先番 中川 順節 桑原 秀策 白中押勝 4年前に2子置いて4連勝した順節との先相先の一局
秀策は4段となり、故郷にその報告の為2度目の里帰りとなった。兄弟子も同行し、坊門の新進気鋭の4段として故郷に錦を飾った。本局は、3度目の江戸への旅の途中、4年前に2子置いて4連勝した順節との先相先の一局である。 結果は先相先で4連勝となり、手合いを互先にした。 尚、有名な耳赤の碁はこの2ケ月後に打たれている。
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古典棋譜鑑賞 秀策05

05弘化3年7月25日 1846 先 桑原 秀策 井上 因碩 黒2目勝 古典棋譜で一番有名な「耳赤の一手」の局
秀策の棋譜、いや古典棋譜の中でも屈指の著名局である。
11世井上(幻庵)因碩は丈和との名人争いに敗れ、愛弟子赤星因徹も丈和に破られた。名人碁所は手が届かなかったとはいえ、なお、実力者として大阪に定住していた。3度目の江戸への東上途中の秀策との対局が実現し、秀策が4段であることから2子で行われたが、因碩が手合い違いを認め、改めて秀策の先で打たれたのが本局である。
先の秀策は、大斜定石を誤まった為、いったんは因碩の優勢になったが、有名な耳赤の一手で、逆転のきっかけを作り、因碩の落手もあって勝ち、以下の3局も負けなかった。

「耳赤の一手」の由来 黒127の手を見て、幻庵の耳が赤くなったから、黒127は妙手だったのではないかと、医師がコメントし、実際、その通りであったという逸話から黒127の手がそう呼ばれている。
smile_aceがまず棋譜を見て感じたことを左の碁盤の下の余白に表示してみました。>(前進)や<(後退)で動かして下さい。
そして、
 「日本囲碁大系 第15巻 秀策 解説 石田芳夫」
 「古典名局選集 秀麗秀策 解説 福井正明」
 「王メイエンの囲碁ミステリーツアー 解説 王メイエン」
を参考に変化図も加えて 鑑賞ファィル を作ってみました。
左の碁盤では変化図を表示することが出来ないので、変化図や石田九段の解説を見る為に、出来るだけPocketGobanで鑑賞ファィルを見ることをお薦めします。
 特に「王メイエンの囲碁ミステリーツアー」のメイエン九段の解説は鑑賞ファィルにしか掲載していません。

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