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8月18日の天気予報は雨。JRで行こうか悩んだ末、濡れることにしました。市内に近いところでも、こんな風景で、相当濡れると思ってましたが・・・。
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今回、ダムは何ヶ所も見ましたが、全てのダムで放流をしていました。ここは、佐久間ダムです。 |
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佐久間ダムを越えるとこんなトンネルが10ケ所以上あります。最初の3ケ所は500メートル以上ありそうな長いトンネル。ここでトラックに逢ったら怖い。 |
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台風10号の影響で「通行止」の表示がありました。この立札は私が通行止の範囲を通過して来た後のものです。つまり、通過する前にも同じ趣旨の立札が合ったのですか、その立札は無視して通過しようとしたのです。ちょっと心配でしたが、自転車だから、担いで渡ればなんとかなるだろうとの読みでした。やっぱり、心配だったので、通過前の立札を撮影するという余裕はありませんでした。 |
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昼食は自作のオニギリ、梅干のオムスビが好きで、そればっかり。綺麗な水が面白く映りました。 |
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天竜川に沿った道だったので、登りの勾配は緩やか、殆ど車に合わず、少し降られた程度で順調に走りました。 |
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平岡ダム。直線距離であと10キロくらい。でもこれからが大変だった。 |
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阿南町富草小学校。標高615メートルとありますが、平岡ダムからの道をちょっと間違えて昇りを1回でなく、2回登ったのでかなりグロッキー。 |
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ここは標高820メートル。ここは猪がしょっちゅう出てくるらしい。下の右側の犬(カズ)が角でやられたとのこと。こんな話や、児童会館の話、将棋の米永永世棋聖の話等、ここの奥さんは話好きであっという間に1時間、その間犬は食事お預け、我が家のGladとは随分待遇が違う。 |
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2日目、ヒロ(6才)、カズ(1才)と一緒に。この「下条ランドユースホステル」は交通の便が悪いこと以外は「美味しい食事」にしろ、「広い部屋」にしろ上等です。交通の便はお迎えが頼めるのだから、問題なし。但し、車でも、道が分かりにくいと思うので、お迎えを頼まないとね。 |
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飯島町。長野県に入っているわけですが、長野県は500メートル以上の標高の市町村にはこのように標高を表示するようにしているような気がします。 |
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伊那市近郊、ここでもやはり天竜川に沿って進みます。天竜川は諏訪湖が源流のようです。 |
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伊那市近郊で夕立に遭って、1時間雨宿り。ここらの小学校はもう新学期が始まっていました。写真はサッカー好きの小学生と。彼らの一人から、「夢は何?」と聞かれた。聞いた当人はプロ野球の選手だそうな。僕だって昔はその可能性を追求したのだよ。
でも、現在のことなので、「中国に行って自転車ツアーと囲碁を打つことだよ。」と答えておきました。 |
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塩尻市の外れ辰野町小野に「南塩終点の地」の石碑がありました。なるほど、「塩尻」なんだと、今頃感心してます。 |
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塩尻市に入りました。標高814メートルかー。 |
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市に入ってすぐ、分水嶺公園がありました。ここは標高889メートル。南は天竜川で浜松市に、北は信濃川で新潟市に流れてるのでした。 |
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水の分かれ |
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松本市の中心から少し東にある「浅間温泉ユースホステル」。ここは下條ランドと比べると、ちょっと物足りない。食事は出来ないし、テレビもない。もう8時には寝てしまいました。 |
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ところが、お客に特色がありました。某大学の(多分)自転車クラブのメンバー7人(全て女性)が泊まることになっていて、僕より大分遅く到着しました。結構走り慣れているようで、部品(この時はブレーキシュー、僕は1万キロ近く走っても交換してないけど)の取替えなんか自分たちでやってたんです。左のようなことはなく、次の日、僕は北へ、彼女たちは東(美ヶ原方面)へ。 |
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3日目、犀川という川は謙信が川中島に進む際に渡った川だったので、東回りルートもあるのだけど、犀川沿いに進みました。でも・・・。 |
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犀川の生坂ダムでもやっぱり放流していました。 |
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信州新町の奈津女橋にある「かあさんの歌発祥の町」の標識 |
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水内ダム |
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写真ないのが残念。シャッターチャンスはあったのに・・・。長野市に入って小田切ダムの近くで、「ロードレーサーに跨った、汗でキラキラの美しき女性」に逢いました。ファウンデーションの為か、色が白くて、たまたま道を間違った為か、汗を一杯かいてました。その汗で、顔が輝いていて、すごくチャーミング。僕の自転車と違って軽装で、僕の質問に答えるとさっさと走っていってしまいました。冷たいの。
質問 「どこへ行くの?」
回答 「ウバステの予定」
「ウバステ」ってどこ?後で分かりました。犀川ルートより、もっと良いルートがあったのが。
左は有名な絵で鈴木春信作「清水の舞台から飛び降りる美人」
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犀川の丹波島に到着。ここは謙信が川中島の決戦の時に渡った場所です。今は丹波島橋が架かってて、善光寺へ行くのに便利です。ここから南が「善光寺平」と呼ばれる平野です。善光寺方面から善光寺平を眺め、川中島の決戦に闘志を燃やしたのでしょう。 |
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川中島古戦場公園 |
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「三太刀七太刀の跡」とは川中島の戦いの時に謙信が信玄に切りかかった時の傷のことを言うとのこと。三太刀は信玄の身体に、七太刀は信玄の持っていた軍配に傷をつけたということです。
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善光寺 |
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千曲川
小布施町へ入る前に豊野町のアップルライン(国道18号)沿いの店でお土産を手配。僕も試食。 |
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小布施町に到着。ここは「町興し」の匂いがプンプンします。写真はその中でも中心地なんですが、町に入ると町全体が外部の人を意識しているような清潔さを感じさせてくれます。人に聞いたところでは、町の条例で、一定の要件の新改築については補助金を出しているとのこと。 |
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小布施の風ユースホステル。補助金は出ているのでしょうね。新しくて、小奇麗なユースホステルです。同室に泊めてもらえるか分かりませんが、新婚旅行で泊まってもいいのではと思えるほどの綺麗さです。これで素泊まり3000円強だと、なんか悪いみたいですね。 |
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食事後のくつろぎの時。
ユースホステルは原則合部屋。3泊目でやっと合部屋になりました。前2泊はベッドは複数だったけど、僕だけで実質1人部屋でした。ここは人気のユースホステルなんです。素泊料金は大体3000円、夕食1000円、朝食600円です。知らない人と気軽に話せる人に取っては良いところです。 |
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4日目、15キロの登りがあると聞いたので、結構気を入れて走りました。 |
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信濃町までが登りと聞いていたので、ほっとしているところです。 |
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小林一茶のゆかりの地が信濃町にありました。
陽炎やきのうは見えぬだんご茶屋 |
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新潟県に入りました。ここからは殆ど下りのはず・・・。 |
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妙高高原の入り口に架かっている橋「信越大橋」 |
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妙高村、中郷村、新井市と下りが続く、ここの下りの特徴は道が真っ直ぐなこと。普通山の道路は曲がりくねっているのが特徴だけど、ここは、真っ直ぐな道路が殆どで、道も新しく、ブレーキ掛けずに下れる爽快さは他ではなかなか味わえません。
ここは、川中島への戦いの為謙信が数千の兵を率いて登ったところ、その思いを感じる暇がないほどの爽快な走りでした。 |
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上越市に到着。数年前、一緒にヤマハで仕事をしたり、スキー滑った池田憲一さんがホテルで待っていてくれました。。彼は新潟県北部の新発田市に在住、僕が上越まで行くと聞いてわざわざ上越市内遊覧に自転車持参で、付き合ってくれたのです。もう一人の物好きと3人で昼食をしましたが、その食堂に珍しい動物がいました。ちょっとピンボケだけど、ウーパールーバー。 |
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市内遊覧といっても、3時間程度なので目的の春日山に一直線。城跡、林泉寺、谷愛宕を歩きました。 |
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物好きなお二人、折角付き合ってくれたのに、こういう言い方は良くないですが、嬉しい反面、そんな気持ちもありました。逆の立場になったら、多分僕も同じことを言われるでしょう。春日山に登る途中。お二人は山の会のメンバーで、山登りが好きだから・・・。物好きというより、山登り好きなのですね。 |
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春日山神社。春日山城跡へ行く途中にあります。 |
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謙信公の銅像。実物よりかなり大きい。 |
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謙信が春日山城より見たであろう景色を少しでも味わえました。 |
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林泉寺境内 |
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謙信公の墓 |
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上越で僕を待っててくれた人が、もう一人いました。横山 健治さん。
彼はヤマハ月販京都連絡所にいた方で、昭和50年代にヤマハを退職され、出身の上越市に戻られていましたが、僕のホームページを見られて僕に連絡をしてくれました。奇しくも、僕が上越市への自転車ツアーを計画していた段階で、連絡してくれたのです。忙しいところ会いに来てくれました。元気にしていらっしゃったので、消息を知りたい方は私にご連絡ください。
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翌朝(5日目)のJR上越駅>可愛い女性が僕と一緒に写真を撮ってもらおうと待っててくれました。一緒に記念撮影。この女性、固くなって全然動かないので、僕も、固くなってしまいました。この日は名古屋までJR。(青春18切符有効利用) |
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長野駅での社内アナウンスで、「ウバステ」という声が聞こえました。昔、姥山(うばすてやま)の伝説(年寄を山に捨てる話)を聞いたことがあります。ウバステという言葉を「ロードレーサーに跨った、汗でキラキラの美しき女性」から聞いた時は意味が分からなかったのですが、そこへ行くって言ってたんだとやっと分かりました。地図をみて、どんなところか見て見たら、犀川ルートでなく、東寄りのルートを取れば、通過するところだということが分かりました。 |
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長野駅から篠ノ井線、千曲高原の外れが姨捨(おばすて)。字も発音も違ってました。 |
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「ロードレーサーに跨った、汗でキラキラの美しき女性」のイメージはこういう感じ。 |
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上の写真の様に、ここは「善光寺平」を一望に見渡せるところ。多分、武田信玄はここから、川中島の戦場を見て「啄木鳥」きつつき作戦を練ったに違いありません。謙信は善光寺から見て作戦を練ったように・・・。 |
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名古屋到着。6〜8日目名古屋泊。母が白内障の術後の診察があり、付き添った時の写真です。 |
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9日目。再び、自転車で、名古屋出発。 これから走るんだという気合が感じられます。 |
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愛知県と静岡県の県境。本坂トンネル。 |
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気賀の関所。ここを過ぎると、浜松市。9日間の旅は終わりました。 |
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