昨年10月、信州地獄谷温泉に昭和の(囲碁)新布石のモニュメントが出来ましたので、それを見たら少しは強くなるかと、地獄谷温泉へ行ってきました。 石和町での花火、須玉から野辺山の20キロ標高差1000メートルの登り(清里ライン)、野辺山の電波天文台、姨捨からの善光寺平(長野盆地というのかな?)の景色、地獄谷温泉の新布石のモニュメントなどなど楽しい4日間でした。トレーニングの成果で、名古屋から浜松までも含め4.5日で450キロをそんなに苦もなく、走りました。 概要 (2004年8月21日〜27日) 1日目 朝5時出発で、JR浜松駅まで自転車で行き、JRで富士川まで、富士川より自転車で富士川沿いに北上 (国道52号線)。身延までは登り、身延から甲府の東の石和(いさわ)町まではほぼ下り。 石和町が標高300メートル程度なので、90キロは楽なルートでした。丁度夜が花火大会があって、 特等席で観ました。 宿泊は石和温泉YH。 2日目 佐久甲州街道(清里ライン、国道141号線)を北上。野辺山がJR(小海線)の最高の標高1375メートル地 点で、20キロ、標高差1000メートルは、登り甲斐がありました。ついでに、野辺山宇宙線研究所を 見学。 宿泊は臼田町の旅館。 3日目 前夜はオリンピック女子マラソンを見ている時(AM2時頃)に大雨の音で、自転車は無理かなと悩んで ました。 朝、今にも泣き出しそうな空で、かなり降られ、下りだったので、寒いほどでした。 昼前には雨も上がり、余裕があったのでも名月で有名な「田毎の月」に行きました。 月は出ていないし、水田の水は見えなくて、稲が稔ってましたので、月見ソバで辛抱しました。 国道18号線(北国街道)と国道403号線利用。 宿泊は小布施の風YH。 4日目 地獄谷温泉は前泊小布施町の東約10キロ、山を迂回していくので、片道20キロ程度の登りです。 昨年の10月頃にテレビのニュースで見た記憶の「昭和の新布石のモニュメント」は実在しました。 午後はJRで名古屋まで 5〜6日目 7日目 名古屋から国道1号線、国道362号線(姫街道)で、浜松へ |
1日目 走行90キロ | |
朝5時に自宅を出発しました。6時のJRなのですが、自転車を袋にいれる作業を1年やっていないと、多少まごつくこともあるので、余裕を持った時間です。 8時前に富士川駅に到着、タイヤを本体にセットし、8時20分頃にスタートしました。 富士川は日本3大急流の一つだとのこと、当分富士川に沿って進むので、気合が入りました。 | |
荷物は自転車の後ろのバッグと、リュック、ウエストリュックの3つ。 | |
日本三大急流と言っても、下流の方なので、大した登りではありませんでした。 のどかな景色です。 | |
崖崩れ防止のトンネルが広範囲に作られていました。まだ工事中のところもあり、旗振りの人が、総工費300億とか言ってました。 | |
身延に着きました。甲府まで46キロ、石和町まではもう少しあるので、あと50キロ強。 | |
逆さ銀杏で有名な上沢寺。普通銀杏の葉は垂れ下がっていないらしく、この銀杏が垂れ下がっているので、この名がついたとか。 | |
笛吹権三郎の伝説 600年前に、水害で亡くなった母を、笛を吹きながら捜した笛吹権三郎の像が平成3年に作られていました。現在はこの南800メートルを流れている笛吹川は当時はここを流れており、この故事に因んで名付けられたようです。 | |
当日は石和町の花火大会が盛大に行われました。7時30分から9時まで、ずっと花火の真下と言っても良いほどの特等席で鑑賞しました。 これだけ近くで花火を見たのは始めてです。 | |
花火は写真に撮るのが難しいと聞いていました。当日撮った写真は、カメラの液晶スクリーン上では、みな綺麗に見えたのですが、拡大してみると、殆どがだめでした。なんとか見る価値のありそうな2枚だけをアップしました。 | |
2日目 走行95キロ | |
早朝、石和温泉ユースホステルの近所の八田家御朱印公園を散策。朝のラジオ体操を叔母様3人が仲良くやっていました。 | |
朝顔が綺麗に写りました。 | |
朝の旧笛吹川(現西川)です。 | |
逆光線で撮ってみました。朝の雰囲気が良く出ています。 | |
石和温泉ユースホステルでの朝食風景です。 メールアドレスを教えてくれたら、写真を送ることになっていますが、現在のところ、ご夫婦に送ったのみです。また、連絡が入るかもしれません。 バイクでツーリングの人、四輪で来た人、自転車で来た人、この日の朝食は5名でした。もう一人バイクの兄ちゃんは朝早く出かけたのかな? | |
石和温泉ユースホステル全景 「いさわ」となかなか読めません。石和温泉は昭和36年にブドウ畑から突然温泉が湧き出して以来、山梨県内屈指の温泉郷に発展したそうです。 | |
国道20号線、別名「甲州街道」は懐かしい国道です。東京での単身赴任時代の日曜日には毎日自転車で走っていました。当時は、荻窪に住んでいて、北に青梅街道。南に甲州街道があり、奥多摩などへよく出かけました。 | |
甲州街道はなだらかな国道です。この先の登りが楽しみです・・・。 | |
須玉から登りになっていて、清里まで、地図で15キロくらいの登りかと思っていました。ここは、清里の入り口、清里有料道路の橋が見えます。 もう少しで、登りは終わりかと思っていましたが、まだまだでした。 清里が登りの終点だと勘違いしていたのです、清里から、野辺山まで5キロ強、まだまだ、登りが続きます。 | |
清里に着きました。この時点で、もう、降りるだけだと思っていたのに・・・。 | |
子馬さんに、無料でモデルになってもらいました。写真ではあまり分かりませんが、ハエが一杯で、綺麗とは言えません。 | |
やっと、JR最高地点に到着。5キロ前で登りはお終いと思っていたのだから、この5キロは、精神的には10キロくらいに匹敵したような気持ちです。 | |
実は、上の標識に気が付かず、JRの線路沿いの道が、まだ登りが続いているとカン違いして、通り過ぎたところで見つけたコスモスです。 戻ってみると、やはり登りでなかった。登りばっかり走っていると、登りでなくても、登りと錯覚するのでしょうか? 逆に、登りなのに、登りでないとカン違いしたこともありました。何で今日はこんなにペタルが重いのか、不思議に思いながら、登りを登りでないと思いながら登った(東京方面から河口湖に向かっていた)時のことです。 | |
特製のアイスクリーム。何が特製かわかりません。 | |
野辺山電波天文台の45M電波望遠鏡 電波天文学とは 光で見える宇宙は主として星ですが、電波で見れる宇宙は、星が生まれるもととなる冷たい星間ガスや、生まれた星からの紫外線でイオン化された電離ガス、重い星が死ぬ時の超新星残骸などが観測出来ます。 つまり、電波による観測は、星の誕生と死という宇宙の壮大な営みを見せてくれます。 以上、天文台作成のパンフレットの受け売り。 | |
観測機器なんでしょうが、白いものが、何か分かりません。まあ、良い景色だということで・・・。 | |
これも、モダル代無しで、入ってもらいました。彼のお母さんに写してもらいました。住所を聞いて写真を送ってあげるという雰囲気にはならなかった・・・。 | |
佐久甲州街道。武田信玄が川中島の戦いに行く時も多分ここを通ったのでしょう。昨年は上杉謙信が川中島から引き上げる時に歩いた道を走りました。 | |
3日目 走行105キロ | |
二日目の宿泊は臼田町の旅館。石和温泉から100キロ前後ということでヤフーの電話帳から捜しました。この近辺にはユースホステルがなかったのです。 前夜というより、早朝はアテネ女子マラソンがあった日、ユースホステルだと消灯時間が決められているので見られませんが、この日は旅館だったので、優勝の瞬間を見ることが出来ました。 雨は2時頃強く降っていて、JRの利用を覚悟しました。 翌朝出発時点で殆ど降ってなかったけど、小諸を通り過ぎるころから雨が降って来ました。 信濃国分寺史跡公園の万葉植物園 | |
小諸からは国道18号線(北国街道)に入ります。 ここら辺りは、斜度、風ともにフォローだったので、気持ち良い走りでした。姨捨に寄る予定でしたが、気持ち良く走って、通り過ぎてしまったほどでした。 | |
昨年JRから見た景色をもっと、ゆっくり見たかったので、姨捨駅まで行ってみようと、北国街道を戻って登って見ました。ここで登らないと、この日は下りばかりになりそうだという認識もあったのです。 | |
田毎の月のモチーフとなったと思われる場所です。斜面で田んぼが沢山あり、東の空に登った月がその田んぼに沢山写る現象の様ですが、本当に複数の月が見られるのでしょうか? | |
当然月は見られないので、花より団子ならぬ、月より月見ソバ(昼食)になりました。 | |
姨捨駅に行かなかったら、この日は登りがないと思ってましたが、これが、大変な読み間違いでした。これは千曲市の案内図ですが、ここから国道18号線を離れ国道403号線で当日の宿泊先のある小布施へ行くことにしていましたがそこに落とし穴があったのです。 こんなことが許されるのか、あってもよいことなのか、大変憤りを感じました。 | |
憤りはどこに対して向けたらいいのでしょうか? 須坂市に入って、左=403号線須坂市、右=志賀小布施他の道路標識がありました。地図から見ると変だな、でもバイパスが出来たのだろうかと思いながら、右のルートを取ったのです。 結果、15キロ以上走りました。しかも、山に向かった道路なので登りが半分、下りが半分。左のルートを取れば、5キロ程度の平坦な道なのに、道路標識を見て右のルートを取った為に5キロで行けるところを、15キロ走ったのです。 通りすがりの車が市内を通らない様にするための便法だった様です。車用の標識だと言っても、国道なんだから、そんな事は良くないと思います。不必要なガソリンが、この標識でどれだけ浪費されているか興味があります。1車1リットルとして、年間何台が迂回していくか??? | |
4日目 走行50キロ | |
小布施の風ユースホステルを8時過ぎに出発し、最終目的地の地獄谷温泉に向かいました。写真はここのマネージャーの北風さんに映して貰いました。彼は「小布施の北風ユースホステル」という名前にせず、「北」を取ったのは良いネーミングと得意げにいつも(2回しか聞いたことないですが、まず間違いなく)話します。 | |
直線距離だと10キロ程度ですが、山なので迂回します。有名な湯田中温泉から、尚、奥に入ります。 | |
地獄谷温泉の入り口です。ここから2.4キロ。急な坂、舗装していない箇所があって、自転車は途中で置いていきました。 | |
車で来ても、駐車場に止めて、徒歩で登らないといけない。 野猿公園で猿が温泉に入っているのを見に来る人が殆どです。私みたいに、それは見ないで、宿の入り口の木谷道場の人達の写真を見たり、新布石のモニュメントを見るのが目的の人は少ない。 | |
ここは昔使っていたようですが、今は倉庫に使う程度の様です。でも、対岸から見ると立派な建物で、とりあえず見に行きました。 | |
これが2003年10月に出来た新布石のモニュメントです。 左側には「新布石発祥の地」と、右側にはスポンサーの名前が書かれています。 | |
「新布石発祥の地」の石碑の裏側です。下記の様に書かれています。 1933年(昭和8)夏、ここ信州地獄谷温泉において、木谷實(当時五段 25歳)・呉清源(当時五段 20歳)の両者が囲碁新布石法の研究に没頭した。帰京後両者は新戦法を駆使し、赫々たる成果を挙げたことにより、新布石法は一世を風靡し、昭和囲碁史の大きな1ページを飾った。その精神は脈々と今日まで伝えられ、現代囲碁の発展に多大な貢献をしている。両師の功績を永く留めるため、囲碁を愛する者広く志を寄せ、記念の石碑を建立する。 2003年10月12日 事実と違っていると私が思う点は 1.どれだけここで両者が研究したか。多分二人で没頭ということはなかったと感じます。 2.呉さんが五段というのも変らしい。少なくとも木谷さんより下だったはず。 何はともあれ、2人がここで、布石の論議をしたことは間違いないと思います。これは呉さんの最近の本「中の精神」にも書いてありました。 | |
石碑は後楽館の前にあり、後楽館を通り過ぎて、河原へ出たところに噴泉が噴出しています。 尚、地獄谷温泉では、この後楽館しか温泉はなさそうです。そうそう、猿用の温泉地「野猿公園」を除いての話です。 | |
後楽館の温泉に入りました。誰もいないので、自動シャッターで入浴中を撮影。近頃は皺が目立つので、写真を撮る時は勤めて笑顔を作って誤魔化していますが、自動シャッターではなかなか笑顔が作れません。良い知恵があったら教えてください。 自動シャッターで笑顔を作っている光景って、笑えるので、それを頭に描くのですが、やっぱりだめですね。 失敗談 1.後楽館の人に木谷道場の人の話(玄関にあった写真をちょっと見たのですが、小林泉美さん、春山勇さんくらいしかわかりませんでした。)を聞こうと思って風呂から出て、シャツを替えて、写真を見ていたら、客扱いしてもらえなくて、怒られてしまったので、なんか気まずく話をする機会を失いました。シャツが同じだったら、そういうことはなかったかも・・・。 2.ゴールデンレトリバーがいて、仲良くしようと、いろいろ挨拶していましたが、ご機嫌が悪かったのか、怪しいやつだと思ったのか「うー」と脅されて、写真も一緒に撮らしてもらえませんでした。「きゃいん」 | |
来た道を戻り、信越本線豊野駅で自転車を袋に入れて、名古屋まで帰りました。 | |
7日目 走行105キロ | |
2日ほど名古屋で過ごし、7日目に国道1号線(東海道)、国道362号線(姫街道)経由で浜松に向かいました。8時45分スタート、夕方4時頃に浜松につきました。 矢作川の矢作橋です。蜂須賀小六と日吉丸の出会いの場所てせした。 | |
岡崎城。まだ見学したことはありません。 | |
額田郡額田町の名鉄元宿駅にあるモニュメントです。 ふりむけば 額田の里は 夢街道 なにか、怪しげな詩の様に感ずるのは私だけでしょうか? | |
昼食をしているのを見ていてくれたメス犬です。お茶は出してくれませんでしたが・・・。歓迎の意味?でよく吠えてくれました。後で、仲良くしてくれましたけど。 | |
豊川。水が綺麗で、ここまで来るといつも、ほっとします。 | |
本坂トンネル。この日の標高が最大のポイント。400メートルくらいでしょうか。
愛知県と静岡県の県境です。 | |
我が家の愛犬Gladのお出迎え。13歳。柴犬は緑内障にかかりやすい犬種だそうで、Gladも左目は緑内障で全く見えないし、右目も白内障で明るさくらいしか見えないようです。 緑内障は眼圧が高くなるので、目玉が大きくなっています。 | |