今回は5泊6日で436Kmの走行でした。 |
9月7日 | 尾道より、しまなみ海道を大島まで |
浜松を朝早く出発し、10時頃には尾道へ到着しました。しまなみ街道は2006年に京都から広島へ行く途中で、3分の2ほど走った後、途中で山陽道に戻りましたが、随分気持ち良く走ったという印象で、今回は、四国今治までの全ルートを走ることにしました。 | |
因島には秀策記念館があって、尾道市が管理していました。 芳名帳には著名なプロの名前がありました。 第24世本因坊石田秀芳 私の一番好きな棋士。テレビ番組でしか経験ないですが、わかりやすく解説してくれます。 |
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武宮正樹九段 武宮宇宙流で有名。楽しい棋譜を残してくれる棋士です。解説は天才向けの解説だと私には思えます。 |
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依田紀基九段 碁は強い人だなという感じを受けます。理路整然とした解説をする人です。 |
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梅沢由香里五段(旧姓で現在は吉原) えっ、こんな美人がプロ棋士にいるの! とびっくりしたことがあります。 東京大学で講師をやっているらしい。 |
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大竹英雄九段 美しい形への拘りのある棋譜を残す棋士です。 以上、全部の芳名帳を見せて貰って、気がついた名前を拾いました。あまり馴染みの無い人は気がつかないわけだから、とても身近に感じる人ばかりです。 |
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東京の日本棋院にある幽玄の間を模した部屋 | |
秀策が父親に送った手紙と現代語の訳文 | |
秀策の生家が再現されていました。 | |
「本因坊秀策囲碁記念館」が正式名称のようです。 隣の女性はレンタル自転車で来ていた様です。碁は昔やったことがあるとのこと。 気楽にポーズを取ってくれました。 |
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しまなみ海道は、こんな橋が8つくらいあって、自転車も有料です。50円から200円だったかな。 | |
9月8日 | 大島より松山で走り、松山から広島までフェリー |
松山から広島へはフェリーで、高速フェリーがあるからと松山港への到着時間はあまり気にしていなかったのですが、到着して聞いてみると、高速フェリーは自転車は載せられないということなので、予定のフェリーに乗れなかったら、広島で待っている友人(昔一緒に仕事をした仲間)に迷惑を掛けるところでした。 無事予定通り到着し、懐かしい人達(事務の電算化の時に一緒に苦労した、大げさに言えば戦友みたいな人達)に逢いました。写真がないのが残念。 |
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9月9日 | 広島より三次まで走る |
広島の北にあった高陽食堂。浜松の我が家の近くに、同じ系列の曳馬食堂があり、寝屋川の息子の家の近くに寝屋川食堂があって、外観の感じが似ているので、懐かしい食堂です。 | |
9月10日 | 三次より太田まで走る |
三次のホテルの朝食 | |
三次から石見へはこの江の川沿いのルートでした。最初名前負けしていた江の川が段々大きな川になって、この辺りでは、名前相当の川になっています。 | |
石見銀山街道案内図。広島の碁友ふきれさんにルートの情報を貰って、登りがきついから遠回りを勧めてくれたのに、遠回りしないで、やせ我慢してきつい登りを登りました。まあ、なんといっても、フランスで盗難に遭って、新車を買っての旅行だから、多少は、無理しないと、新車に申し訳ない??? | |
石見銀山は世界遺産だからと寄ってみたのですが、街並みが保存されているというところに価値があるということの様です。富士山が世界遺産になっていないのにここが世界遺産というのは、ちょっと不満が残ります。 富士山は開発が進んでいるからとのことですが、私の意見は、開発が進んでいるのではなく、破壊が進んでいるからだと思います。数年前に自衛隊の富士の演習を見せて貰いました。自衛隊の砲弾が富士山を目がけて何発も打ち込まれる風景を見て、私は怒りを感じました。 100歩譲って、富士山の演習は許されるとしても、見物させる必要がどこにあるのか。航空ショーなども同様です。数十年前の浜松基地での事故の教訓は何だったのだろうかと感じます。 |
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石見で飲んだ氷水。紙のコップでは風情がないから美味しくなかった。 | |
石見のもう1つの目的地、本因坊道策(1645-1702)の顕彰碑です。 | |
左の顕彰碑は明治15年に再作成、平成13年の300回忌に左下に改築したということの様です。 | |
どれかわかりませんが、道策の墓があるのでしょう。 | |
上記顕彰碑は馬路満行寺の西(裏手)にあり、この地図を見ればすぐわかるのですが、この地図を見なかったので、結構見つけるまで時間がかかりました。 この琴ケ浜海岸というのは、「鳴り砂」で有名らしく、NHKの「こころの旅」という番組で紹介していましたが、砂の上ょを歩いたりすると、鳴る様です。きれいで、粒が揃った石英がこすれあうと音が出るのだそうです。 |
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これは何かわかりますか? 琴が浜は石見銀山関連の精錬所跡や鳴り砂があって、入口に観光バスの駐車場があるのですが、そこのある建物にあった絵です。 | |
馬路満行寺を松江側(北東)へ2Km強の所に、仁摩満行寺にあります。その入口の南側に岸本佐一郎の顕彰碑があります。読みにくいですが「岸本橘堂先生之碑」と書いてあるとのことです。 | |
仁摩満行寺 | |
9月11日 | 太田より、日御碕経由、松江まで走る |
太田市を出て国道9号線の路側帯を走っていましたらマイクロバスの左側のバックミラーをヘルメットに当てられました。片道が2車線の国道で、左側の車線を走っているマイクロバスに当てられたのですが、車との事故は生まれて初めて。ヘルメットの上からだからなんともないと思いましたが、マイクロバスを止めて、名刺を貰いました。相手はタクシーの運転手、いわばプロです。なんと未熟なプロだと思いました。後日、身体は大丈夫という連絡をいれておきましたが、自転車に乗る時は、必ずヘルメットを被ること、歩行者を十分配慮しながら、歩道も利用することを意識しようと思います。 ヘルメットにはバックミラーに当てられた跡が残っていました。 |
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日御碕の入口にある食堂で出雲そば | |
NHKの朝ドラ「だんだん」で見た日御碕。最終回で出てきました。いのちの歌を歌っていましたね。 きれいな岬です。夕焼けが素晴らしそうですが、暗い道を走らないといけないので、諦めました。 見れなかったので検索してみました。 日御碕の夕日 1 2 3 |
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出雲の阿国の墓がありました。昔日本史の時間に習ったような気がします。 | |
宍道湖の夕焼け | |
出雲から松江までは一畑電鉄という私鉄が走っていて、この様に自転車持込券を発行しているのを後日知りました。持込みというのは袋に入れなくても良いので、日御碕から松江までの時間を短縮出来る訳だから、日御碕の夕焼けを見ることが出来たかも知れません。 いや、そういう情報を知っていても、夕焼けより自分の足での移動の方を選択したかな。 因みにこの情報は、NHKのこころの旅という火野正平さんの番組で紹介されました。左の写真もその番組の一部分です。 |
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9月12日 | 松江から浜松へ |
浜松へは、早朝出発しました。午後に近くの公民館の催で、「面白天気図の見方」という講座を受けることになっていたからです。松江を7時前に出発して午後1時過ぎに浜松へ到着しました。一寸遅刻しましたが、面白い講座でした。 |