夜桜の苦悩4

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1.アトピーの発症

2.PTSDの発症

3.そして、心の癒し


1.アトピーの発症

心の状態も、鬱である事が判っていたが、体も異常信号を発していた。
なんと背中がアトピー性皮膚炎になっていた。1996年5月に統一協会を脱会後、7月で神奈川で一人暮らしをはじめたが、その時から既に皮膚科に通わなくてはならなかった。皮膚科では、ステロイド剤を処方されて、背中に塗り捲った。しかしそれでもアトピーは治らず、悪化の一歩をたどった。

ステロイド剤を塗っても、最初は一日効いたものが、半日しか効かず、徐々に効果は減り、薬の強さと量だけが増えていった。アトピーは背中から腹部、顔にも広がり、部屋を一歩外に出るだけでも、ホラー映画のモンスターのように、ぐしゃぐしゃのじくじく状態になった。
まるで、頭から熱湯を浴びた重症やけどの状態であった。そのため、97年4月と7月に入院を余儀なくされた。

入院中はステロイドの強い薬の内服と外用薬を使う為、一時的には治るが、退院後はそれよりも更に強い薬を使用しないと、モンスター状態に直ぐに戻ってしまった。
「この世に生きている」それだけでも充分苦痛だと体が訴えているかのようだった。

私は、自分なりにステロイド剤について情報を集めた。そして、ステロイド剤を使い続ければより強い薬しか効かなくなり、最終的にはぐしゃぐしゃの弱い皮膚になるだけだ、と知った。
また、ステロイド剤は、根本的なアトピーの治療法ではないことも知った。事実、皮膚科の医師が「ステロイドでアトピーは治りません。」と、そう言った。私はその為、ステロイド剤を使う必要性を感じなくなった。

98年7月最終的に、いくらステロイド剤を塗っても、体のぐしゃぐしゃは治らない時がやってきた。そこで、ステロイド剤の使用を中止した。

恐ろしい事に半日ほどで、ステロイド剤の副作用と呼ばれる「リバウンド症状」が現れた。ステロイドはお腹、背中、顔だけに塗っていたのだが、足の裏だけを残して足首まで全身が真っ赤にはれ上がり、全身から体液の浸出がおきた。
それはステロイド治療中よりも、更に過酷な症状だった。皮膚の無い部分は極度に敏感に感なり、空気も水も、あるいは温度湿度の変化も、強烈な痛みとなり襲ってきた。
風呂に入る為に衣服を脱ぐだけで、空気が痛い。お湯を浴びると痛い。更にお風呂の水は、私の全身からの体液でぬるぬるになり、かさぶたが毎日剥がれて、灰汁のように白く濁るほどだった。
更に風呂を出えると今度は空気が痛い。毎回、その為に歯を食いしばって体を自分で抱え込んで耐えねばならなかった。

体中が体液の浸出と痛みで、毎日2時間程の睡眠で、眠る事もままならなかった。体液の浸出の段階が終わるとかさぶたの脱皮が毎日行われる段階に移行する。通常皮膚の脱皮は28日周期だが、毎日脱皮が行われ、そのたびにかに100匹刺された以上の猛烈な痒みと、新たな体液の浸出が起こる。剥がれた皮膚は方掌にこんもり乗る位の凄まじい量で、体液の浸出も毎日下着を10枚くらいびっしょり濡れる量だった。当然、毎日たんぱく質を取らないととたんに栄養失調をきたす量である事は、一目瞭然だった。

だが、インターネット上で見つけた、脱ステロイド後のリバウンドを支援してくれる皮膚科の医院を見つけたので、そこでの治療を行いつつ、一回目の大きなリバウンドの波を、どうにか乗り切る事が出来た。ようやく体液の浸出の出ない状態になったのは半年後の事である。
しかし、それから3年経た今でも、精神的な負担が大きいとき、鬱で体が疲れきっていると、体のあちこちに湿疹ができ、体液の浸出と皮膚の脱落が起こる。

私のアトピーの急激な悪化は、監禁の開放後から始まり、鬱の悪化とともに、悪化している。私は、薬が効かなくなるほどのアトピーの悪化は、拉致監禁の後遺症が、体にも現れたものだと感じている。


2.PTSDの発症

監禁後、解放された後、毎日、何故か悲しみと不安と怒りが、心の底辺に有るようになった。何をしても楽しめない。何にも興味が湧かない。
一人暮らしを始めると、毎日何をして良いか判らず、どこにも行く場所が無く、毎日「独房」に居る気がした。

そして、そんな不毛な毎日の穴を埋めるかの様に、アルコールの量が増えていった。
最初は、ウイスキー1瓶を一ヶ月で飲み、その後2週間で1瓶、1週間で1瓶、4日で1瓶、最終的には2日で一瓶、飲み干すようになった。

普段何もしないでいると、自分は何も出来ない、何をやっても駄目だ、何もしたくない、生きていて楽しい事なんてない、生きているのも面倒だ、死んでしまいたい、でも死ぬことも出来ない、と思ってしまう。

根本的に、自分は自由に生きても良いんだ、とか、幸せになっても良いんだ、と、思えない。心の根底には、怒りと苦しみと、悲しみが、ずっしりと横たわっているのを知っているから、とても、そんな風には思えない。

監禁後3ヶ月ほど経て、これは普通の状態ではない。と自分でも自覚してきた。だが、前述したように、アトピーの悪化の方が日増しに悪くなり、鬱どころではなくなった。

アトピーの悪化とステロイドのリバウンドが一段落した頃、また、再び鬱の状態に返り、毎日鬱と苛々した日々を送るようになった。これが99年の春頃からである。
そしてこの苛々の原因は、必ず監禁時の事を思い出すと出てくる事もはっきりしてきた。私はこれは、監禁によるPTSDから来る症状だと感じ始めた

そこで2000年10月に、インターネットでPTSDのページを発見し、PTSD度チェックを試してみた PTSD.info。すると、ほとんどの項目にチェックがつき、重度のPTSDの可能性があり、カウンセリングを受けるのが最優先と判定された。更に、睡眠障害、パニック障害、外出恐怖なども、どれも重症だそうだ。

以下該当項目抜粋
・感情の起伏が以前より少ない。
・心が死んだように感じる。
・突然意味もなくイライラしたり、落ち込んだり、怒りを感じるようになった。
・人と話したり、人に会うのがおっくうになった。
・将来に希望がもてない、計画をたてるのがおっくう。
・自分が長生きして、仕事をしたり、結婚したり、子供をもったり、年をとってゆくなんて考えられなくなった。
・何もせず、ぼーっとしている時間が多くなった。
・このまま生きていても無意味に思えてくる。
・外に出るのがおっくう、または、全く出られなくなってしまった。
・自暴自棄になってしまっている。
・未来のない関係に手を染めたり、何かに依存したり、嗜好品にはしったりしている。
・突然、「自分のことを誰も知らない場所でやりなおしたい」と思うようになった。
・自分の過去をすべて消してしまい、どこかに逃げてしまいたい。
・自殺願望が芽生えてきたような気がする。
・幸せそうに笑っている人を見ると、いらいらしてしまう。
・団地の昼下がりなどの「幸せな光景」の中にいると、違和感を感じる。
・トラウマとなっている出来事に関連することを、見たり、思い出したり、話したりすると、かーっとなったり、変な気分になる。 
・悪い夢をたくさんみる。
・他の人や社会から、疎外されているような孤独感がある。
  ・人の視線が気になるようになった、または、自分が笑われているような気がする。
・トラウマとなった出来事がおこった日や月、季節がめぐってくるたびに、落ち込んだり、死にたくなったり、イライラしたりする。
・トラウマに関連する人、シンボルには関わりたくない。

特に、監禁時を連想させるニュース、家族との関わりを描いたドラマ、現実的に家族との関わりが有ると、フラッシュバックを引き起こす。急に動機が激しくなって体が震えたり、吐き気を催す。アトピーが悪化する。
睡眠が異常に浅く、毎日悪夢にうなされ、起きたときには疲れきっている。朝から疲れ果て、昼間で寝込み、睡眠時間を一日12時間以上取らないと、実際に立ち上がる気力も体力も無い。毎日監禁時とその後に受けた嫌な思いだけが、頭の中をぐるぐるとよぎる。

また、黒鳥伝道師との係わり合いによっても、私の不安は解消されるどころか、毎回苦しみを背負わされるような形で、傷つけられていたことを実感している。更に黒鳥伝道師の嘘つきの言動(現在裁判中)を聞くたびに、私を腹立たせ、鬱状態と苛々が増すことを体験している。

ここまではっきりと、何が原因で鬱状態になっているかを知ると、これはもう「監禁と言う犯罪被害によるPTSD」だと自分で確信するに至る。監禁後、ずっと苦しいまま5年も経て、その事に始めて気が付き、今でも黒鳥伝道師の発言によって傷つけられている。
その確信を得て、私は始めて心療内科の門をたたく事にした。それまでは、自分のPTSDなど世の中では信じてもらえず死んでいくだけだと思っていた。でも、ここで信じてもらえなければ、私の心は監禁のPTSDで一生苦しめられ、親兄弟に合う事すらできず、合っても笑う事もできない。

このままでは生きていく事でさえ苦痛であった。仕事に付くなんて、勿論とてもできなかった。しかし、これから将来親の助け無しで生きていこうと決心していた私は、どうしてもこのPTSDと立ち向かわなくてはいけないと思ったのだ。

そして心療内科では、私の症状から、拉致監禁によるPTSDとの診療結果が出た。この事により私が世間から疎んじられ認められない存在であると言う不安感からは、少しは脱却できた。

しかし、まだ親や兄弟に会うのは、抗不安剤を大目に飲まないと合いに行けない。また、親兄弟と合っている時は、感情が殺され、笑う事ができない。楽しくも無い。緊張し震え不愉快を感じ、非常に苦痛である。
そして、未だに親や兄弟に嫌がらせを受けるという悪夢を毎日見つづけている。

今現在も、心療内科での治療は続いている。ちなみに、私の2002年11月現在の心療内科での処方を記しておく。
毎朝:パキシル10mg(抗鬱剤)1錠
就寝前:ラボナ50mg1錠、コントミン12.5mg1錠、ベンザリン5mg2錠、ピレチア25mg1錠、ユーロジン2mg2錠、レンドルミン0.25mg2錠、デパス0.5mg1錠、ホーリット20mg1.5錠
それでも寝れない時:ハルシオン0.25mg1錠、デパス1mg1錠
日常不安時:デパス1mg1錠


3.そして、心の癒し

監禁時における自分の気持ち、嫌な事柄の数々、状況、気持ち一つ一つを思い起こし、それが何であったかを確認する事は、自分の中で封印していた過去の傷を切り開き、直視する事であった。
これは、周りの方々にも、自分にも、癒されていると思い込んだまま放置され、実際には未だに今の私を苦しめ、事ある毎に疼く様な、数々の心の傷を再びこじ開けて、もう一度その本当の病名と原因を探る事である。

この作業は、当時の自分が封印してしまうほどの、辛い、苦しい思いを呼び起こす事であり、その当時の激しい苦痛、屈辱感、溢れる涙、その様な激情に、実際に今の自分が直面し、感じる事であった。

その為、その度に動揺し、フラッシュバックを起こし、気持ちの安定を図る事も困難であった。

現在自分に置かれている環境は、当時とは違う事を論理的には理解していても、当時封印していた感情だけが、ここぞとばかりに解き放たれて、私の気持ちを占めてしまい、時には体が震え、当時のように重苦しく息詰まった気持ちにさせた。

今の自分が、丸ごと全て、この思いを深く受け止め、認め、なだめながら、客観的に把握する事は、実際に根気と根性と忍耐の要る作業であった。

このため、今の自分の精神的なエネルギーを補給しながらの作業となり、多くの時間が必要でなかなか進めることが出来ず、気持ちを集中させることも難しかった。

まさに、診療内科医あるいはカウンセラーの先生と、患者クライアントを、私という一人の人間の中で、両方演じつつ感じている状況である。

今の私は、その当時の何処にも行き場の無かった私の叫びに耳を傾けたいと思う。

現在は、その叫びを少しは聞く余裕が出来てきた。誰にも聞いてもらえなかった、自分でも認めず封印していた事を、今の自分は真っ直ぐに「本当に、そうだったね。」と、聞く事が出きる。

そのように今の自分が聞いて認めて事で、当時の心、過去の記憶は、少しずつ癒される様に思う。

そして、私の拉致監禁に関わった親族も、今では両親、妹、叔母と少しずつでは有るが、私のPTSDを理解してきている。そのことが今の私の唯一の救いである。2004年現在、私は、両親と生活することが可能となった。
だが、ここ数年来出ていなかったアトピーは悪化してしまった。やはり体は正直なものだ。心では大丈夫と思っていても、体は拒絶反応を示しているかのようだ。

しかし両親とは、日々拉致監禁がどんなに辛いことか、どんなに人を苦しめる悪いことなのかがが、話し合われている。これ程までに、拉致監禁の罪悪性について話し合われている、脱会者の家庭は居ないだろう。そのことは、私に両親への恐怖を少しずつ消し去っていくようにも思える。
だがそれでも、全ての親族が、親族全員が加害者になってしまった事実を理解することは、未だ難しいのが現状である。親族との接触が多くなった現在、親族との恐怖感を埋めるには、更に時間を要することを切実に感じている。

また、拉致監禁した加害者の本当の指示者としての役割を果たし、私の最大の恐怖と苦痛の原因である鳥伝道師や清水牧師達は、私の叫びに耳を傾けようとしない。彼らの加害者としての自覚の無さに、私はPTSDを悪化させている。彼らは加害者では無く、反対に被害者の仮面を被っていると感じるのである。そのことが更に私の怒りと屈辱感に触れるのである。
彼らが良かれと思ってした行動でも、それによって生み出された被害者が居ることを知って欲しい。そして、彼らが加害者としての自覚を持ち、被害者のその叫びを聞き入れる日が来る事を、心から願ってやまない。

私はこうして「言葉」を、「言霊」として、「心の叫び」として、精錬に吟味しここに記している。だが、この「言霊を捉える心」を持っている者が、余りにも少ない事も知っている。だが言霊の重みを捕らえることの出来る方々が多少なりともいると言う事の大切さ、そうした方の心の深さをまた知るものでもある。


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