夜桜の苦悩3

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1.監禁、PART2、群馬編

2.太田八幡教会の清水与志雄牧師との係わり

3.戸塚教会の黒鳥栄伝道師との係わり

4.谷村教会の川崎経子牧師との係わり


1.監禁、PART2、群馬編

1996年4月中旬

群馬でも同様の、監禁し閉じ込める目的だけのアパートの一室に連れて行かれました。

の部屋に着いたのは真夜中でしたが、今度は群馬の太田八幡教会の清水与志雄牧師が、脱会者を5〜6名ほどを従えて、いきなり入ってきました。

私は、親の素振りから、今度は親は、この清水牧師の管轄下に入ったことを知りました。また、私自身も、この清水牧師のもとに拘束されている事を理解しました。

そんな真夜中、私が疲れているにも関わらず、牧師は説得を始めました。

いつも、説得は深夜に行われました。統一協会は、眠りを妨げることにより、マインドコントロールを深めると、自分で言いながら、私は、なんて身勝手な人だろうと思いました。
そして、従えている脱会者は、清水牧師の言葉一つ一つに「そうですねえ。はいはい。先生の言う通りです。」と、まるで統一協会のアベルに従っているようで、私は、気持ちが悪くなりました。

只、そうした脱会者を見て、彼らの様に従う振りをすれば、自分の身が自由になれることを感じ取りました。私は今までの監禁からの恐怖から、本当は嫌なのですが、無意識の内に清水牧師の言葉に従って行くようになりました。
脳の感覚の中では「無理やり従うこと」は嫌なのに、「完全な精神の死という絶望」から逃れる為に、私は清水牧師の信頼を得ようとしました。

しかし私は、私がその清水牧師に迎合していく嫌悪感を思い出させる言葉にぶち当たりました。ある時、私がおとなしく清水牧師の話を聞き終わると、ある脱会者がこう言いました。「麻子さんは、(素直に聞くように)出来上がって来たからね。」
この言葉は一己の人間として、屈辱的な思いを呼び起こしました。

私は今でも、「自分を自分で蔑む行為をさせられた」、この屈辱感は忘れることが出来ません。いえ、人間の尊厳を自分で冒させるこの行為は、決して忘れてはならないと思います。

但し、清水牧師の説得は、統一協会活動に関しての内部での内容と、実際に行っている活動内容の違いでした。この話は実際に資料があり、全くでたらめであるとは感じられず、統一協会の行いの方が嘘の上塗りで、教義自体も、嘘のたびに変化している事を悟りました。
そして、この統一協会の教義では、自分の理想とする未来は実際に実現できないだろうと判断しました。
そこで、私は、統一協会を完全に辞める事にしました。これは群馬に移送されて2週間、96年5月初旬です。

しかし私は、自分が統一協会を辞めた心で居るのに、未だ監禁されているのには、もう我慢がなりませんでした。これを断ち切るには、何とかして牧師から「この子は大丈夫だ」と言う言葉を言わせるだけの信頼を得なければならないと思いました。

また、清水牧師は、説得している相手が統一協会から脱会しているかどうかを、自分では判断できないのも知りました。これは戸塚教会の黒鳥伝道師、谷村教会の川崎牧師にも言えることです。
脱会カウンセリングをしていながら、相手が脱会して居るかどうか判断できないのです。只自分に迎合してくる人を、脱会していると思っていつつ、自信が無い為に、牧師らは脱会者に「あの子は脱会している?」と聞いて確かめるのです。

そこで私は、他の脱会者と同じように、清水牧師に迎合するように振舞うようにし、他の脱会者と話をするようにしました。 そして、最後の決め手として統一協会の指輪と文鮮明の写真を清水牧師に渡す事にしました。いわゆる踏絵の儀式のようなものです。
すると見事に清水牧師は私を信頼するようになりました。最後の決め手として「お酒を飲めるようになった」と喋ると一段と効果がアップしました。
そして最後に清水牧師に「この人(親兄弟)たちを外に追い出して自由にしてください。」と言うと、すんなりと受け入れられ、やっと自由の身になれました。もう看視されなくて済む、外に出られる事で、「してやったり」と思いました。

ですから、清水牧師の監禁の元、清水牧師としてはも「う大丈夫」と安心していた筈の脱会者が、ある日突然監禁現場から逃げ出した、と言うのも頷けます。清水牧師に信頼されるように装う事は、実に簡単でした。感情的にならず論理的に話せば良いのです。

統一協会を辞めたと同時に、監禁中のアベル(私)カイン(親兄弟)の仲良し親子ごっこも、終わりを告げました。
私には、親兄弟の存在は、私の心の奥底に秘めていた「私を監禁し続けた嫌な人たち」としか映らなくなりました。もう仲良しなんてとんでもない、この世で一番私を侮蔑した、大嫌いな人たちに変わったのです。
ですから、この時から、私は親兄弟と口を聞くことをしなくなり、この人達と共に笑う事をしなくなりました。しなくなったのではなく、私の人権を踏みにじられた怒りから、もう出来ないのです。仲良しをしていられたのは、皮肉にも、ひとえに統一協会の「家族愛の教え」に拠るものだったからです。


2.太田八幡教会の清水与志雄牧師との係わり

1996年5月

私は、1995年11月から5ヶ月間にも及ぶ監禁生活からようやく開放される事が出来た。しかしこれは、清水牧師の許可が下りたからそうなった事で、私自身の人権を主張して、或いは法的手続きを持って解放されたわけではない。
親兄弟が私の下を離れ、私は自由に外にも出られるようになったが、私はその後、清水牧師の指示により、脱会者だけの3LDKのアパートに住まわされる事になる。従って、同じ脱会者同士の目を気にしてそこに住むことになり、全くの自由と言うわけではない。

また、太田八幡教会の日曜礼拝、水曜の脱会者に行われる聖書研究会、また、他の脱会監禁中の人のアパートの同行に、積極的に参加する事を暗黙の了解として、しなければならなかった。まさに清水牧師の同行に同調し賛同する者として振舞わなければならない、と思い込まされていた。
そうしなければ、「未だあの子はおかしい。」と言われ、監禁されるのが恐怖だったからである。つまり未だ私は、清水牧師や他の脱会者の目が怖くて、清水牧師に迎合するように、自分の言動をセーブしなければならなかった。

清水牧師の発言は私にとってはとても恐怖だった。清水牧師はある日の昼間、群馬の私たち脱会者6人ほどを従え、統一協会に連れて行った。そこで出迎えた統一協会関係者をさも馬鹿にしたように「君達未だこんなことしているのか。」と、蔑んだ笑いをし、私たちもそれに習った。
しかし、清水牧師はその後の聖書研究会で部落問題をテーマにし、これは人権侵害で誰もが平等だと言っていた。私は昼間の統一協会では、馬鹿にしているように感じられ疑問に思ったので、統一協会員の人権はどうなのかと訪ねた。すると、彼らは別だと言った。

「統一協会員なんかは侮蔑しても良い存在なんだ。あんな奴等は、一生座敷牢に入れておいても良いんだ」。「それと文鮮明や幹部連中は絶対に説得なんかしてやらない」とまで言った。つまり統一協会員には人権は無く、私刑で隔離し死んでも良い。文鮮明に至っては、心の救出する必要も無い、地獄に行け。と言っているように感じられた。
聖書ではそのような者こそ、救うべき者であると私は感じていただけに、その言葉は驚きを通り越し、清水牧師に対して恐怖を感じた。私が統一協会を辞めるまでは、私にもその様な目で見ていた事をはっきりと感じた。私は一生、座敷牢に入れられても良い人間だったのかと。

また、別の監禁現場に同行させられたときにも、恐怖を感じた事が幾つも有った。
監禁したてのある統一協会員女性Aさんのアパートでの事だった。まず清水牧師が一人Aさんの部屋に入って行くと、Aさんは酷く暴れて抵抗しだした。その声が隣の部屋の私たちにも聞こえてきた。暫くAさんと清水牧師の怒鳴りあいの声がし、あるときぴたっと止まった。そこで清水牧師は、「猿ぐつわをするぞと言ったらおとなしくなったぞ、わはは」と得意げに笑った。そして、おとなしくなったから、脱会者も監禁説得現場に同行するように命じた。
清水牧師はこのように、監禁に抵抗している人を脅して従わせている事を、日常的に行っていたようだ。
何故なら、清水牧師は他の脱会者のB君に、「君とは取っ組み合いの喧嘩をして、俺がねじ伏せたんだよなあ。」と笑って言った事が有る。するとB君は、笑いもせず、体中硬直し、黙り込んだ。また、別の女性Bさんの場合にも、清水牧師が来ると、Cさんは恐怖で真っ青になって呆然としていた。それに腹を立てた清水牧師は追い討ちをかけるように更に怒鳴り散らし、Cさんは益々恐怖に駆られたように、顔が能面のようになっていった。

恐怖でおびえさせて自分の話を聞かせる事が、清水牧師の説得の手順だったように感じた。私も、もし暴れていたら、清水牧師に「せっかく夜遅くまで着てやってきているのに、俺の話を聞かないなんて馬鹿だ。阿呆だ。」と同じように罵声を浴びせられ、「ロープで縛り付けるぞ、猿ぐつわをするぞ」と脅かされられたのではないかと思うと、とても怖くなった。
また、清水牧師が事実上、監禁している統一協会員の監禁の続行と解除をその親たちに指示している事もはっきり見てきた。

そしてそんな事を、日々見せ付けられて、清水牧師が怖いがために、更に迎合せざるを得なくなった。そう、私を監禁した親兄弟よりも、監禁を指示している清水牧師の方が、私にとっては恐怖な存在だという事がはっきりした。親兄弟は牧師の指示に従っているだけなのだから。幸か不幸か、私が清水牧師に最初から迎合するようにしていたから私自身が脅される事無く、2週間で監禁解除になっただけである。

だが、人を脅して迎合させて、監禁者を清水牧師の意のままにする事が、果たして救出と言えるのだろうかと、疑問に思った。脱会者仲間内でも、これは「キリスト教に則った救出ではなくて、只の『清水教』だよね。」と話していた。私もそう思った。キリスト教による『救い』ではなく、清水牧師自身が教祖に成り上がって、人の人権を取り上げ、その上で意のままに動かすという、『清水教』だと感じた。

それを裏付けるかのように、清水牧師はマインドコントロールが心の病であるにも関わらず、マインドコントロールは精神を冒す病である事を否定した。また清水牧師は「僕は人の心は判らないから、そうしたケアはできない」と言った。

ではこの人のやっている事は、一体は何の救出なのだろうかと感じた。その答えに応じる言葉が、清水牧師からある日返ってきた。
清水牧師は、統一協会員の人数が減る事が唯一の快感であるような事を語った。その内容とは、清水牧師自身が、神と悪魔の間で人間の取り合いの戦いをしている、その神の尖兵として働いて闘っている、と言う事であった。そして「自分は、その戦いに日々明け暮れている戦士である」と清水牧師は語った。

そうなのだ。清水牧師の行動の本質は、マインドコントロールに掛かった人の「心を取り戻す」為に闘っている訳ではなく、彼の神の尖兵として戦うことに快感を覚え、そんな自分に満足している、只の「偽善者」だと、私は感じた。とにかく一人でも統一協会員が居なくなれば良い。それ事だけが清水牧師の心を占め、本来の問題の本質である、統一協会員の「心」はないがしろにされて居る、と感じた。

それと、後になって両親に聞いたところ、群馬の黒鳥伝道師指示で、両親は、清水牧師に対して、私が群馬に入ってきたときに10万、群馬から出るときに10万のお礼金を出したと言う。
そのような脱会者のお礼金が教会活動の献金に計上されていると、いう事実は不明である。統一協会活動を、教会の敷地内で行っている事自体、充分教会活動だと思うのだが、もし、そのお礼金を、清水牧師はそのお礼金や活動を教会の収入としていないなら、個人営業、牧師の副業としている可能性は否めないと、感じている。


3.戸塚教会の黒鳥栄伝道師との係わり

1996年7月

私は、1脱会者として認められ、かつて黒鳥伝道師に「自分一人で生活できる場所と時間を与えられる」と約束させたように、神奈川県に移され、その通りに一人暮らしを始める事になる。
そして、清水牧師が「自分は心のケアは出来ない」と言っていたので、その心のケアを黒鳥伝道師がしてくれるものと期待していた。その意味も含めての黒鳥伝道師と約束したつもりでいた。

そこで私は、戸塚教会の牧師館で行われた統一協会の親の会に、私が始めて出席した。この時、脱会の為の拉致監禁を嬉しそうに語る黒鳥伝道師を見た。
黒鳥伝道師は私を他の親に始めて紹介する時に、誇らしげにこう言った。「麻子さんの監禁期間は4ヶ月だったけれども、もっとやっても良かったのよ。」私はその言葉に、震えを覚えるほどの怒りと恐怖を感じた。私はとっさに「そんな事は嫌です。とんでもありません。」と言った。
しかし私の怒りは通じなかった様である。黒鳥伝道師は「あらまあ、それはすまなかったわね。」と驚いた様子もなかったし、私には、それも心から謝っている感じを受けなかった。
それどころか私は、4ヶ月も監禁した事を、黒鳥伝道師自身が自らそれを指揮した事の証であり、親兄弟にそれを指示した主犯たる役割をした人物だと直感した。そして、その事に対して罪の意識も悪びれた様子も無く、私を4ヶ月も監禁した事を嬉しそうに誇らしげに語る黒鳥伝道師に嫌悪感を感じた。
そして、未だにその言葉は私の脳裏から離れない。その言葉は、監禁と言う行為で他人の人格を奪った者が、奪われた者への最大の侮辱の言葉であると私は、確信している。その黒鳥伝道師の言葉は、罪悪感も、人の人権の尊厳を大切にするという人間性の心も、微塵も感じられない。

しかしその事により、当時の私は、清水牧師の恐怖よりもより深い恐怖感を感ずる黒鳥伝道師に、従属するようになっていった。
ここで黒鳥伝道師の嫌う言葉を言ってしまうと、私はまた、「この子は未だ駄目ね。」の一言で監禁されると言う恐怖が、私の心を閉ざした。いくら侮蔑的な言葉を黒鳥伝道師が吐いたとしても、それによって、私の心の奥底の悲鳴は蓋をされ、更に従属するようになっていった。「黒鳥伝道師のみならず親の会の人々、他の脱会者によって、何時でも、私は見張られている。」その恐怖は何時でも心から離れないで私の心を縛り付けていた。

しかし表向きでは黒鳥伝道師に、私は好意的な態度を取っていた。黒鳥伝道師の戸塚教会の牧師館での初めての面接でも、黒鳥伝道師、麻子さんの保護に関わる傷は全て私に責任があると断言した。私は恐怖の中でも、その言葉を信じるしかなかった。
この世界に、脱会の為の拉致監禁の傷を聞いて理解できる人間が他に居るとは、到底考える事が出来なかったからである。私にとって黒鳥伝道師が、この日常社会で、監禁と言う異常環境を理解出来る、唯一の存在で、反面また、この監禁状態を作り出す権威をもった人物と映っていた。
そこで私は、黒鳥伝道師が私の苦しみを引き受ける事を約束した事を信じ、私自身の身の安全を考えて、黒鳥伝道師に表面的には良い関係を保ちつつ、監禁の苦しみを少しでも黒鳥伝道師に理解してもらうように話す事を心掛けた。それによって、少しでも黒鳥伝道師からの束縛から逃れようとしたのだった。

しかし黒鳥伝道師は私との会合をもってくれたが、それは殆ど私からのSOSが有って話し合う予定をもってくれただけで、彼女から私を気遣う連絡は全くと言って無く、元論その間私がどんなに苦しんでいようと、ほったらかし状態であった。
私は自分からのSOSで何度か電話した事があったが、今忙しいからと断られた事が何度もあった。私がSOSを出すのは、監禁のPTSDでフラッシュバックや鬱に陥り、今まさに死ぬほどの精神状態のときだけである。しかし、その時にあっさりと断られる事は私には、私の生きる道の最後の救いさえと真っ向からばっさりと切り捨てられた気持ちであった。

また、私は数少ないその会談の中で、「今にも死ぬ気になれば死ねるような、如何に今生きている状態が精神的に苦痛で、孤独な常態か」を訴えた。「今自由に暮らしているようだけれど今でも私の心は監禁され看視され、独房に縛り付けられて一歩も外に出れない状態」である事を話した。
すると黒鳥伝道師は驚いた事に、「苦しくても今生きているからいいじゃない。」と事も無げに私の苦しみを切り捨てた。生きているからこその苦しみで、それも生殺しの状態である事を訴えているのに、黒鳥伝道師は良い状態だと言うのだ。私はそんな、生殺しの状態の人間を目の前にして、にこやかに笑ってそう言う黒鳥伝道師は、不誠実で残酷な人柄を感じ、益々不信感を抱かずに居られなかった。

またある時、鬱で苦しみ、死にそうなときにSOSの電話を入れたときのことである。兼ねてから、黒鳥伝道師には私がSOSの電話を入れるときの状態は、どうしようもなく助けを必要としている時だという事も伝え、黒鳥伝道師はそれを理解したと言っていた。だがその苦しみの深さを黒鳥伝道師は理解できない様であった。
黒鳥伝道師は、私に「こういうときは何時もどうしているか」と聞き、私が「アルコールを飲んでふて寝します」と答えた。すると、「アルコール代」と言って5000円くれて、「今忙しく行くところがあるからと」別れ、それっきり改めて話を聞く事も無かった。私は、黒鳥伝道師は「私の苦しみに全て責任を持つ」と言う事は、お金をくれる事だったのかと、改めて不信感と虚しさを感じた。

私は度々、戸塚教会の牧師館で毎週行われる統一協会の父母の会に出席し、拉致監禁の苦しみを訴え、拉致監禁のない保護活動の必要性と確立を請求してきた。しかし、黒鳥伝道師は、「この人はもともと親子関係が悪かったから」とみなの前で言い、拉致監禁での親子兄弟の信頼関係の崩れを、もともとの親子関係のせいであると摩り替えた。更に、私が拉致監禁による心の傷が深い事を訴えたが、黒鳥伝道師は「麻子さんのケースは失敗した特別な例だから、皆耳を聞かないように」と父母の会の人や他の脱会者に指示した。すると、父母の会の人は皆その黒鳥伝道師の言葉に従い、私の言葉に耳を貸さなくなっていった。

そして、父母の会でこう言った事が私の耳から離れない。それは、黒鳥伝道師が怒鳴り散らしながら、「保護(拉致監禁)は本当はしてはいけないことだけれども、相手が統一協会員であり、緊急性を要する事であれば、それは許される事なのです。」と言った事だった。
この言葉はとても衝撃的だった。そもそも、その「緊急性」とは、親兄弟が「子供が統一協会に取られて韓国に言ってしまう。」という慌てふためいている姿を指し、統一協会員自身に緊急性は感じていない状態である。もしある個人に、法的に罪を犯すか、犯した事実があるという「緊急性」があるのならば、それは法で裁かれ、禁固なり実刑なりの然るべき処遇を、法によって執行されるの事が、憲法の基本的人権において強調されているように、人道的な措置であると私は思っている。
私は黒鳥伝道師自身が、そうした法的手続きを一切取らずに「ある人物が緊急性を要する人間で、そう言う人間は拉致しても構わないという法律」を自分で作り、監禁しても構わない人物と黒鳥伝道師が断定して居るように感じた。そして親たちに「その法律」に従わせて、監禁を指示して実行させているようで、心底末恐ろしくなった。

そこで私は、脱会者関係の人間には、人間の尊厳が冒された苦しみが判らないのだと気付き、脱会関係者ではない、戸塚教会を訪れる只のクリスチャンに、私の苦しみを訴える事にした。すると、それを聞きつけた黒鳥伝道師は、「私の悪口を他の人に言わないで」と口止めされた。黒鳥伝道師、自分のしている事が悪い事だと判ってしているのかと、私は黒鳥伝道師は確信犯ではないかと思った。
しかし、戸塚教会の何処にも、人権を侵害された苦しみを訴える場所がなくなった事を悟り、戸塚教会から離れていくことにした。

また、黒鳥伝道師が、拉致監禁の非人道性を知らないばかりか、驚くべき事に、統一協会のマインドコントロールについても何も知らなかった。事実、私がある日、黒鳥伝道師に「統一協会のマインドコントロールに付いて教えてください。」と言ったところ、黒鳥伝道師は烈火のごとく怒り、「私がそんな事知る訳が無いじゃない。」と怒鳴った。
では何故、マインドコントロールに掛かっているから緊急性があるとか、マインドコントロールからの救出が出来るのか、救出の為のカウンセラーと名乗っているのか、今まで言ってきた事は皆嘘ばかりであると思った。

そのように私は段々と、黒鳥伝道師が「心のカウンセラー」として信頼する事と、拉致監禁の非人道性を訴える事にに虚しさを感じていった。

そして、とうとう、先の約束にも関わらず、私の話を真摯に受け止め責任を持っていないことが、5年経った2001年秋に実際に証明された。
PTSD of K..C.Tの会合に、私を含めたKCTのメンバー3名と黒鳥伝道師を招いた時であった。
私は、戸塚教会に通い始めた当初、黒鳥伝道師が私の監禁による苦しみに対して、黒鳥伝道師ら全て責任を取ると言った事を話した。そして、今でもその苦しみは続いている事。監禁のPTSDと言う病に掛かっている事。その監禁と言う人間の尊厳を奪う恐怖の根源が、黒鳥伝道師自身である事をつぶさに伝えた。
それも、恐怖の根源である人に直に話すのだから、私も恐怖と闘いながら震えながら話すと言う苦痛を強いられるものであった。でも、こうして思っている真実を話す事が私が黒鳥伝道師に対しての誠実な接し方だと思っていたので、誠意を持って淡々と語った。
すると、今まで静かに聞いていた黒鳥伝道師は突然「貴方の重荷を今始めて背負わされました。」とかっとなって怒りだした。私は黒鳥伝道師が怒る姿に「今になって始めて責任を背負ったのか」と唖然とし、また、人の重荷を背負った事に怒る姿を見て、この人は本当に聖書を読み伝道師として働く人の姿なのかとかと耳を疑いたくなった。これほど人の重荷を背負う事が嫌なのならば、初めから、「貴方の重荷を背負います」などと約束しなければ良いのではないか。伝道師という職に就く事もしなければ良いのではないか。わざわざ人の重荷を背負うと言う嘘をつくこともしなければ良いのにと思った。

黒鳥伝道師のその言葉に、皆唖然とし、言葉を失い沈黙が続いた。そのとき私は黒鳥伝道師が昔言った言葉を思い出していた。
ある日父母の会の後、私が黒鳥伝道師は、「色々な親の悩み事を聞いて背負って、大変ですね。」というと、黒鳥伝道師は事もあろうにこう言ったのだった。「あら、大丈夫よ。一人一人の内容なんて聞いていないから。重荷を背負って家に帰れないもの。内容は聞かずにその人がどういう状態か見ているだけよ。」と。
そう、黒鳥伝道師は脱会者自身の相談にも耳を傾けていないどころか、父母の会の親たちの心の傷も、ましてやクリスチャンの相談にも全く聞いていない事を明らかにしていると、私はそのとき思った。

暫く沈黙が続いた後、黒鳥伝道師は、自分の立場が悪く居たたまれなくなったのか、掌を返したように突然「貴方を傷つけてごめんなさい」と謝った。
さっきまでかっと怒っていたのに突然泣いて謝られても、私には何故謝っているのか、何に対して謝っているのか、この矛盾した言動は理解できなかった。そして「これで失礼します。」と帰っていった。
私はなんて、不可解で矛盾した言動なんだろうと思った。そして自分の言った言葉に責任を持たず、立場が悪くなれば逃げ帰るという、なんと人に不誠実な人なんだろうと改めて感じた。まるで子供騙しの演技を見せつけられた様で、私たちは只呆れ果てるばかりであった。

私は、その言葉を思い出し、また今のその言動を目の当たりにして、心無い黒鳥伝道師の心根を見るような気がして、気分が悪くなり、顔を見るのも嫌になった。黒鳥伝道師からその後一度だけ電話があり、「話がしたいから時間を取ってくれと。」連絡があった。私は話をするという以前の問題で、まず謝る事が第一だと感じ、また顔を見るだけでも気分が悪くなる思いだったので、その様答えた。するとそれきり、現在数年以降経つが何の連絡も無くなった。ああ、また、「初めて貴方の重荷を背負った」と言う言葉も口先だけだったのだと感じている。

その後、親から黒鳥伝道師とお金にまつわる証言を聞いた。これもまた驚くべき内容だった。
それは、私が何か黒鳥伝道師に相談事をすると、その度に集会で顔を合わせたときに、「麻子さんから相談事を受けた。」と親に連絡をしていた事だった。親は、それが暗黙のうちに「献金をしろ」という合図だと思い、そのたびに月定献金の他に特別感謝献金をしたと言う。
また、親自身が教会で相談をする度にも献金をせざるを得なかったと言う。それは、他の人が見ていないので、教会献金に計上されていたかどうかは判らない。
だが、私の脱会が成功して群馬から神奈川に移住するときには、他の親から、戸塚教会と黒鳥伝道師直接行く献金を分けて出せと指示があり、その様にしたと言う。そして、これらの度重なる献金の事は、私に話すなと口止めをされたと言う事であった。
私が相談事をする度に、何故親が、私の見知らぬところで献金しなければならないのか、とても不愉快である。
また、私が脱会した際に、黒鳥伝道師にじかにお金が渡っていたことも、私には納得が出来ない。
黒鳥伝道師の相談も、監禁中の指示も、全て教会活動として行ってきた事ではないのか。個別の親の相談も、父母の会も全て戸塚教会の牧師館で行われた事である。黒鳥伝道師の言動全てが今の私には不可解であり、不愉快なものとなっている。

こうした一連の黒鳥牧師との関わりが、後述する私のPTSDを更に悪化させる重要な原因となっている。


4.谷村教会の川崎経子牧師との係わり

馬鹿馬鹿しい話だが、統一協会からの救出活動をしている黒鳥伝道師、統一協会のマインドコントロールについて、何も知らないと言ったので、それなら其れを知っている牧師に合わせて下さいと、頼んだ。すると黒鳥伝道師は山梨県の谷村教会川崎牧師を紹介し、川崎牧師と連絡を取ったので、私は谷村教会の川崎牧師に会いに行き、一週間話を聞く事となった。一週間と決めたのは、その牧師の牧師館でケアを受ける為に寝食を一緒にするので、一日いくらと料金が決められていた為であった。

私が其れまで疑問に思っていた事は、『ユダヤ教は旧約聖書の教えを、聖書に書かれている事であるから「正しい教え」とし、新約聖書の教えとイエスキリストを異端と見なしている。しかし、新約聖書の教えは、イエスキリストが、新しい福音をもたらし、その教えを伝播した事によって「正しい教え」とされている。対して、統一協会の教えは、文鮮明が、さらに新しい福音をもたらした事で「正しい教え」としている。
一体、基督教が正しい教えとし、統一協会が誤った教えとする根拠は何処にあるのか。どちらも、この本が○○に拠って神から伝えられ、其れが本に書いてあるから私が正しい、と言った理屈は、どの宗教でも同じではないか。

更に、基督教にしろ,ユダヤ教にしろ、イスラム教にしろ、小さい子供のうちから洗礼を受けさせ、毎週教えの正しさの刷り込みと、毎日のように礼拝の儀式を体験学習させ、生活の中でも宗教の刷り込みが、なんの躊躇も無く行われている。
献金にしろ、月定献金の他にも、事有る毎に○○献金と称して、教会員から収める事を義務付けている。また、後に聞いた話だが、基督教でも、各家庭の献金額を牧師が決め、無理やり取り上げている例もあると言う。
注)「参考文献「信仰」と言う名による虐待」マインドコントロール研究所編

只、こうした宗教の刷り込みが、一般社会に溶け込んでいて、当たり前になっているだけで、単に他の新宗教の教えが出て来た時には、其れを異端と見なして弾圧を加えているだけではないのか。
統一協会のマインドコントロールが間違いだと言うならば、其れはどの宗教も同じように思える。私の宗教のみが正しいから、貴方の宗教は間違っているという理論では、大きな矛盾が生じ、統一協会のマインドコントロールの間違いを見出す事は、出来ない』、と言う事であった。

川崎牧師と会い、まず私が私の信じていた統一協会の教義に付いて話を始めた。すると、驚いた事に、川崎牧師は「貴方の統一協会の教義は間違っている。」と言った。そして、まずここが違うと、川崎牧師の信じている統一協会の教義を教え込まされそうになった。その上で、この川崎牧師の統一協会の教義と、キリスト教の聖書の教義の違いを正そうとした。

これでは、私が信じてきた教えとの比較にはならないと、即座に判断した私は、その話を中断した。
川崎牧師の統一協会教義と聖書の話の違いを聞いて何になろう。私の疑問はそれでは解けないではないか。
また、聖書との違いを指摘されたとしても、聖書が絶対的な真理であり、それ以外のものは間違いであると言う根拠にはならない。
それが私の疑問点なのに、その答えを、川崎牧師からは見出せそうに無いと直感した。

川崎牧師は、川崎牧師の統一協会教義を私に刷り込もうとして居るのも気持ちが悪かった。また、統一協会員がすべて川崎牧師の統一協会教義で無ければならず、その上で聖書の話をすると言う姿勢にも腹がたった。川崎牧師の思考の中では、統一協会員は全て、川崎牧師の統一教義に染まっていなければならない。
そんな十派一からげに人を見ている、川崎牧師に感覚に嫌悪感を感じた。

それでも、仕方なく、川崎牧師の統一協会員の特徴を聞く事になった。するとまず、川崎牧師は「統一協会員は嘘をつく。これは登校拒否児童が朝に腹痛を訴える事と同じ。」と言った。私は、この言葉に心底驚いた。
登校拒否児童は、家庭や学校や地域に何らかの問題が有り、心に病があることで、本当に学校に行きたくてもいけない状況であると私は思っている。その児童の言動と、統一協会員の嘘を一緒にするなんて、なんと酷い事を言う人だと怒りさえ感じた。

怒りを感じつつも、私は川崎牧師の話を聞いた。すると川崎牧師は霊界の話を始めた。太田八幡教会の清水牧師は、霊界は無いと言っていた。スピリチュアル(精神の)なワールド(空間)は有ると言っていたが、それでは意味が不明であった。
これに対し川崎牧師は「霊界は有る。統一協会とは違うけれど、段階がある。」と言った。聖書には霊界と言う言葉は無いはずなのに、聖書とはまるで違う霊界論をこの人は持っていて、図式で示してくれた。この人とは聖書の教えともかけ離れていると感じた。

この川崎牧師の下で数ヶ月一緒に暮らしていた、ある脱会者の言葉を思い出した。「川崎牧師は、自分は神の座に一番近いところに座る事になるんだと、自分で言っていた。」と。その事と、川崎牧師の霊界論が一致して、思わずあきれ果てた。
もし、本当に聖職者カ、聖書に近い者ならば、日々自ら犯す些細な罪をも見逃せず、神の座には到底近づけないと私は思うのだが、川崎牧師はそこに座るらしい。

さすがに呆れ果ててきたところで、川崎牧師が今脱会させている最中の監禁現場に説得に行く時間になった。この時期、ペルー日本人大使館人質事件の真っ最中で、テレビでもそれを放映していた。
それを見て、「あんな(監禁している)人たちなんか、銃殺すれば良いのよね」と言って監禁現場に出て行った。
監禁している親に一歩も外に出さないように指示を出し、今から監禁現場に行き、監禁状態を続行させているのはあなたではないか、と私は言いたかった。あなたこそ銃殺されるべき人ではないのかと。
しかも、銃殺しろと、良く聖職者の身で「人を殺す言葉」を言えるなあと、またしても呆れ果てる思いだった。

また、川崎牧師の牧師館の雰囲気も息が詰まるほど気色が悪かった。牧師に群がっている元統一協会員達は、統一協会の雰囲気さながら、アベルカインの様であった。脱会者は川崎牧師の発言一つ一つに、うんうんとうなずき、「先生そうですねえ」と、川崎牧師の感情や意見を、そのまま自分の意としていた。
川崎牧師の話には、呆れて付き合いきれず、脱会者の心も文鮮明から川崎牧師に移行し、統一教義から川崎牧師独自のキリスト教義に移行しているだけだと感じた。中の雰囲気も統一協会と全く同じで、気色悪かった。

そして、ある脱会者が私に、「あなたも勿論洗礼を受けるのよねえ。」と、当然のごとく言った。しかし私がきっぱりと「受けません」と跳ね除けると、川崎牧師も、そこに居並ぶ脱会者とも、皆驚き呆れた顔をした。
どうやらこの教会では、統一協会を辞めた人間は、キリスト教の洗礼を受けるのが、当然の慣わしであるようだった。これではまるで、川崎牧師は「改宗屋じゃないか」と思い、この事も、更に気分を悪くさせた。

しかし一週間と約束していた為、この牧師館で寝泊りして話を聞く事を2日目にしてやめ、それ以降は近くのビジネスホテルに寝泊りし、食事だけ牧師館で頂く事にした。それでも、一週間分の牧師館の宿泊費は払って帰った。

しかし、後になって驚く話が親から私の耳に届いた。親の証言では、戸塚教会の黒鳥伝道師が私の親に「麻子さんが川崎牧師にお世話になっているから、10万円お礼として出しなさい」と言ったそうだ。黒鳥伝道師は親に、私がちゃんと宿泊費を出している事を知らせなかった。それどころか親に、黒鳥伝道師を親の車に乗せて、川崎牧師のところまで連れて行かせ、川崎牧師に金を払わせ、黒鳥伝道師の送り迎えまでさせた。そこでは私のケアの話は一切出てこなかった。
川崎牧師は二重取りではないか。しかも私のケアの話は何も無く、黒鳥伝道師を連れて行かせている。それも、黒鳥伝道師とつるんで親に金を出させているように感じた。私は、川崎牧師にも黒鳥伝道師にも、人間として更に嫌悪感を感じた。


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