わんこなアイツ 7

 

 

 












フラメルデータサーチの事務所へ向かう車中でノックスと名乗った医者の口から、彼がアルフォンスとは遠縁にあたる関係にあり、アルフォンスの養父である事を聞かされた。
しかし話の途中、表情から俺がアルフォンスの生い立ちについて何も知らないと悟ったノックスは、あーとかうーとか呻いた後、「まぁその内コイツが自分から話す事もあるだろうから」と、口をつぐんでしまった。
一時極端に元気になったものの車を乗り換えた直後再びぐったりとしてしまい、保温用の毛布にくるまり俺の膝に頭を乗せて横になっているアルフォンスを見たけれど、奴もまた、目を閉じたまま口を開こうとはしなかった。

スモークが濃い目の窓越しに流れる外の景色にぼんやりと目をやりながら、俺はこれまでアルフォンスから奴自身の事を殆ど聞かされていなかったと思い至る。
この仕事を始める前からの古い付き合いらしいハボックから聞いたのは、この国随一の名門校と言われ、極めて狭き門であるセントラル大学を卒業した後、これまた誰もが知るような大手一流企業を転々とした・・・・・という事ぐらいだ。
出会ってからまだ少ししか経っていない俺だったけれど、アルフォンスが不自然なほど積極的に接近してきた所為か、こいつとは随分長い時間を過ごして緊密な関係になっているような気になっていた。
でも、実際はそうではない。
アルフォンスと俺があの交差点で初めて会った日から、まだほんの三カ月足らずしか経っていないのだ。その間にやたらと懐かれ、果ては告白までされたというのに、俺はアルフォンスの出身地も誕生日も、そして年齢さえ知らなかった事実に今さらながら愕然とした。




やはり、アルフォンスの怪我の程度は外から見たよりもずっと深刻だった。
事務所に向かう途中、ノックスの知り合いの整形外科に寄りレントゲンを借りて診たところ、右の鎖骨が折れていた。そしてノックスの車から降り、事務所までは手を借りつつどうにか自力で歩いたものの、事務所の一番奥にある仮眠室のベッドに一度横になった後はそのまま起き上がれなくなった。大きな傷だけ縫合し、破傷風のワクチンと抗生剤の注射という処置を受けたアルフォンスは、負傷からくる急激な発熱の所為で軽い虚脱状態に陥ってしまったのだ。

「今夜は相当熱があがるだろうなぁ・・・・まぁ体力がこれだけある奴だから心配は要らんだろうが」

浅い呼吸を繰り返し眠るアルフォンスに張り付いて、額のタオルを換えたり汗を拭いてやったりしている俺の横から、勝手に淹れたインスタントコーヒーを啜りながらノックスがアルフォンスの顔を覗き込むようにした。
そのノックスの横顔が何故か小さな子供の寝顔を眺める親のように思えて、考えるよりも先に口から言葉が出てしまった。

「ノックス先生は、なぜアルフォンスの養父に・・・?」

「うん?・・・・う〜ん・・・・・・」

言いよどむノックスに、先ほどの車の中での事を思い出し、あわてて問いかけを取り下げようとした時だった。ノックスが部屋の隅にかかっている古ぼけた額の前へ行き、そのノートサイズ程の額を壁から外して持ってきた。それはユトリロの模写風の絵がはめ込まれた額だったが、その後ろの爪をスライドさせて裏板をはがずと、一枚の写真が入っていた。

「ほれ」

手渡された、色あせてくたびれた写真。
其処には、おそらく子供の頃のアルフォンスだろう少年が石段に腰かけ、毛足の長い可愛い顔をした犬を膝の上に抱いている姿があった。

俺の知るアルフォンスは、犬を極端に怖がりけっしてこんな風に自然に触れることなど出来ない。しかし、少なくともこの頃―――中学生くらいだろうか――――のアルフォンスは、この犬を何よりも愛おしく大事なものであるかのように抱いている。

ノックスは懐を探って取りだした煙草を咥えた後、アルフォンスと俺を見てから火を点けずに箱に戻し、「あー」とか「うー」とかうめいた後、ぽつりぽつりと昔語りを始めた。

「俺は遠縁といっても本当に遠くてなぁ・・・・血の繋がりでいえば殆ど他人のようなもんだ。アルフォンスの両親だが、俺は面識がないばかりかそんな遠い親戚の人間なんざ知りもせんかったからあくまでも人伝に聞いた話だが、ふたり揃って放蕩で、親戚連中の鼻つまみ者だったらしい」

残ったコーヒーを一気にあおってゴクリと飲み干すと、再びアルフォンスの顔をのぞき込みながら続けた。

「その二人がいっぺんに事故で死んじまって・・・・・アルフォンスはそこで養護施設に行くのが一番良かったのかも知れんなぁ。とにかく、周りの親戚連中は身内の子供一人面倒見れないなんざ体面が悪いっつー理由でアルフォンスを引き取ったはいいが、そんな気持ちで子供一人の世話なんかできる訳がねぇ。当然押し付け合いになって、コイツはたらい回しよ。・・・・で、かく言うこの俺もチョンガーな上、モグリの医者なんかやっとる鼻つまみ者でよ、最後にその俺にお鉢がまわってきたってわけだ」

そんな露悪的な言い方をしながらも、ノックスのアルフォンスを見る目は愛情深い親そのものだ。

「親が死んだのが・・・・・確かこいつが4,5歳の頃だったかな。それから俺のトコに来る13歳までの間、どこに行ってもお荷物の邪魔者扱いを受けたんだろう。ウチに来た頃のアルフォンスは全く口を利かないわ表情はないわ飯も殆ど食わねぇわで・・・・・マジで厄介なもんを引き受けちまったと俺も頭を抱えたもんだ」

今の、まるで神に愛されて全てを与えられた男のように見えるアルフォンスの思いがけない過去に、俺は言葉をなくしたままノックスの次の言葉を待つだけだった。

「でもなぁ。親が死ぬ直前にコイツが飼い始めた犬がいるんだが・・・・この写真の犬だ。キャッシーって名のシェットランドシープドッグの雑種なんだが・・・・この犬を相手にする時だけは、コイツは普通に笑って普通に話をするんだな。10年の間、キャッシーだけがアルフォンスに愛情を与えてくれる存在だったんだろう。それが不憫でなぁ・・・・・で、俺の許でようやく落ち着いて、それなりに親子みたいに暮らせるようになってから一年くらいした頃か・・・・キャッシーが死んじまったんだよ。それも老衰じゃなく、飼い主の過失ってやつでな」

手の中の写真にもう一度視線を落とす。
口もきかず、笑顔も見せなかったアルフォンスが、ノックスの許でようやく得る事が出来たささやかな平安。写真のアルフォンスは、撮影者に向かって柔らかな笑顔を向けていた。その腕に大事そうに抱かれた犬は、まるでアルフォンスの一部であるかのようにも見える。

「ハーネスが外れて道路の向こうに走って行っちまったキャッシーを呼び戻したところにタイミング悪く車が来てな。可哀想に、キャッシーはいちもくさんに走って戻ってきたとこを、アイツの目の前で・・・・。アルフォンスはそれ以来、一切犬に見向きもしなくなった。キャッシーの使っていたハーネスも食器も犬小屋も布団も写真も何もかも、何一つ残さず全部処分しちまった。キャッシーを思い出させるもの全てを拒絶して、それでようやっと心の均衡を保ってたんだろうなぁ。この写真はよ、俺がこっそり取っておいてあいつに内緒でここに隠してんだよ。いくらなんでも写真の一枚も残ってねぇなんてよ、そりゃおめぇ寂しいじゃねえか」

アルフォンスの犬の怖がりようは尋常ではないと思っていたが、怖がりながらも不思議にアルフォンスから犬に対する嫌悪感というのは一度も感じた事が無かった。
激しく拒絶するのは自分の心を防御する為であり、犬に対して嫌悪の感情を持っている訳ではなかったのだ。
自衛の為の拒絶がいつしか恐怖へと形を変え、今のアルフォンスがいる。
そう思うと、犬を怖がるアルフォンスを次に見た時、俺は自分が平常心でいられるかどうか自信が持てなかった。
飛びかかってくる犬そっちのけで、アルフォンスを抱きしめて頬ずりしちまうんじゃないか・・・・なんてすら思う。

「なぁ嬢ちゃんよ」

とっくに俺が女ではない事に気付いている筈なのに、その呼び名を改めるつもりがなさそうなノックスは、さっきアルフォンスを覗きこんだ時と同じ表情で俺を見た。
子供を心配する親の顔だった。

「アルフォンスは普段はなかなか喰えない男だが、慣れた相手には無邪気な仔犬みてぇにすり寄ってくトコがある。特に、嬢ちゃんへの懐きっぷりは親の俺でも呆れるほどだ。けどよ、一度捨てられた犬ってのはその怖さが身に染みちまって、また捨てられるんじゃねぇかと臆病になっちまうもんだ。コイツもそれと同じなんだよ。コイツが黙ってた事を勝手に嬢ちゃんに話したのはよ、コイツがこの期に及んでビクッてるのが分かったからだ。イイ年した大人の男を子供扱いする過保護な馬鹿親だと笑ってくれてかまわんよ。なぁ・・・エドワード君というんだっけかな、嬢ちゃんは?」

『君』としながらもやっぱり『嬢ちゃん』なのかと内心不服に思いながらも、俺は黙って頷いた。それよりも、何故ノックスが初対面な上にまだ名乗ってもいなかった俺の名を知っているのだろうか。その疑問が大きかったからだ。

「アルフォンスからはここ最近、会う度に『エドワード君』のことばかり聞かされてたからなぁ・・・・・・・そうか・・・・そうか。やっぱり嬢ちゃんがそうだったか」

黙っていると気難しく、ともすれば冷たそうにさえ見える顔をクシャっと歪め、ノックスは体を揺らして笑った。

「あ・・・・あの、アルは俺の事をどんなふうに?」

犬相手限定のボディーガードくらいにしか役だっていない自覚があった俺は不安になって聞いたのだが、ノックスは笑うばかりで、それに答えることはなかった。






携帯に急患の呼び出しがかかり、俺にアルフォンスの看護を引き継いだノックスが帰った部屋は、アルフォンスの浅い呼吸の音がするだけだ。時間は既に夜の8時を回っていたが、インカムにハボックからの報告はまだ入って来ない。

アルフォンスの額のタオルをもう一度取り換えてやりながら、自分の中でジワジワと湧き出る不思議な感情がある事に気づいてはいるのだが、その正体はまったく不明だ。
守ってやりたい・・・とか。大事にしてやりたい・・・とか。幸せにしてやりたい・・・とか。
その中には確かに同情もあるのだが、この胸の疼きはそれではないのだ。
こういうのを『父性』とでも言うのだろうか。

昨日のアルフォンスの告白で悩んでいた事などすっかり忘れ去り、これからは自分がアルフォンスを守って大事にして、何としてでも幸せにしてやりたい。いや、必ずそうするんだ―――――と、俺は胸に誓っていた。









ハボ、空気読んでます。(。≧ω≦)ノエライッ!!

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230507UP

 

 


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