白状すると、俺はこれまでの人生で男に告られた経験が一度や二度じゃない。もっとぶっちゃければ、男に押し倒されたのだって両手の指だけでは数えきれない。もっともそいつら全員、後々トラウマになって不能になるんじゃないかって程度には叩きのめしてやったが。
俺は恋愛に関して晩熟な上恋愛願望自体が希薄なタイプだからフリーでいる期間が長く、すなわち俺の周囲に女の影がある事は少ない。その為に、いわゆるソッチ系の人間だと誤解されてしまうのかも知れなかった。
アルフォンスから告白をされた日の夜、俺は眠れずに一晩中自分がこれからどうしたいのか、どうしたらいいのか、考え続けた。しかし朝になっても、結局答えは出なかった。
アルフォンスが求めるのは恋愛対象としての俺。でも俺は、自分がアルフォンスに恋愛感情を・・・・・突き詰めれば肉欲を持てるとはどうしても思えない。
ならばはっきりと拒絶してやるのが誠意ってものだ。
俺が答えを出せずにいるのは、そうすることでアルフォンスと俺の間にようやく生まれ始めた絆を手放す事になってしまうのでは・・・と恐れているからだった。
アルフォンスの気持ちに応えられないのなら、俺はアルフォンスの存在を失う覚悟でヤツを振ってやるべきなのだ。それなのに、どうしてもそれをしたくない。
「そりゃズルイだろ、俺・・・・・」
とうとう一睡もできぬまま、事務所の出勤時間が迫ってくる。
アルフォンスは休んでもいいと言ったが、あの会社が今猫の手も借りたいほど忙しく、アルフォンスを犬から守る為にハボックが自分の仕事そっちのけで一緒に行動する事など不可能なのはよく知っている。
俺はエイヤと気合を入れて起き上がると、身支度をする為に洗面所の扉を開けた。
「はよーッス・・・・あれ、アルは?」
できるだけさりげない風を装って足を踏み入れた事務所には、いつもこの時間は窓際の机でパソコンに向かっている筈のアルフォンスの姿はなく、ハボックが一人忙しそうに機材を並べてチェック作業をしていた。
「お、エド。身体大丈夫なのか?」
「は?」
「『は?』ってお前・・・体調崩して寝込んでるから何日か休むってボスが言ってたぜ?」
「あ、ああ。えーとー・・・その、なんだ。そんなアレな訳じゃねぇから。アルも大げさだなぁ。もう大丈夫大丈夫。バリンバリンの全開!」
勝手に人を病人にしたアルフォンスは、やはり俺がまさか翌日から出勤してくるとは思っていなかったらしい。俺だって、今まで通り普通にアルフォンスに接するのは難しいと思う。しかし、ソレはソレ、仕事は仕事だ。
「今日、調査なんか入ってたっけか?」
盗聴器や盗撮用のピンホールカメラとか無線機が入ってるコンテナが半分近く空になっていて、周囲にはそれに付随する諸々の機器やケーブルがズラリと並んでいるのを見た俺が首を傾げれば、今朝早くクライアントから状況が変わった為急きょ日程を変更して今日すぐに調査をして欲しいと電話が入ったのだとハボックが説明した。
アルフォンスは段取りの為、一足先に現場入りしているらしい。
俺は予定表からその顧客の情報を確認してギョっとした。クライアントはこの辺では割と名の知れたヤクザの組長で、依頼内容は自分の情婦が別の男と通じている疑いがあるのでその真偽を調査し、もし事実ならば証拠を押さえる――――というものだった。しかし、その調査現場には重大な問題があったのだ。
「ハボック!これ、敷地内で土佐犬放し飼いしてるトコじゃんか!アル一人じゃ無茶だろうが!なんで俺に連絡しねぇんだよ!?」
「だから、お前寝込んでるってボスが言・・・・」
「先に行く!周波数の調整済んでるよな?インカム持ってくぞ!」
何も知らないハボックに文句を言うのはお門違いだったが、俺はそれにフォローも入れずに事務所を飛び出した。
フラメルデータサーチは普通乗用車の他に特殊なアンテナを装備した調査用車両、そしてバイク3台を所有している。しかし今日のような足が付くと不味い仕事の場合、移動手段は電車かタクシーを使う。
俺は国道沿いを全速力で走りながら流しのタクシーをつかまえて飛び乗り、現場に向かう間に数日前打ち合わせした調査の手順を反芻した。
まず、アルフォンスと俺が盗聴電波の調査会社の営業を装い、『建物内に盗聴器が仕掛けられている』という名目でターゲットの建物内に入り込み、盗聴器を探す振りでセキュリティシステムが作動しないよう細工を施しつつ逆に盗聴盗撮機器を仕掛ける。これが第一段階だ。
その後ウチの調査車両で(勿論ナンバープレートは偽装する)周囲を巡回しながら電波を拾い、証拠を押さえるのが第二段階。
そして最後に警備会社の警備員に化けたハボックが異常信号を受信して駆け付けた振りで再度侵入し、セキュリティシステムの細工を元に戻し、仕掛けてあった機器を回収する・・・・という流れだ。
ターゲットは完全な堅気という訳ではないようで、懐に物騒なものを仕込んだ使用人が複数常駐しているというデータもある。ハボックは専ら特殊調査や身辺警護を担当しているだけあり体術には相当自信があるようだが、アルフォンスがどの程度の腕っ節なのかを、まだ奴との付き合いが浅い俺は知らない。
現場は高級住宅街の片隅にある。200坪はあろうかという敷地をぐるりと塀で取り囲んだ中にどデカイ数寄屋造りの邸宅がそびえ立つ、如何にもなロケーションだ。
そこに辿りつくと、アルフォンスは既に侵入に成功しているようで建物の周辺に奴の姿はなかった。俺は擬装用に近所のコンビニで買ったペットボトル飲料入りのビニール袋を下げて通行人を装い、インカムのマイクを指先で三度弾いて5秒数え、再び三度弾く・・・を繰り返した。
俺のサインに気付いたアルフォンスからの連絡を待ちながら暫くブラブラしていると、イヤホンにゴツ・・・と雑音が入った。アルフォンスからの合図だ。
『ターゲット宅前に到着。指示は?』
打てば鳴るようないつものやり取りとは違い、少し間をあけてアルフォンスからの返事がきた。
『・・・・携帯に電話をくれ。後は打ち合わせどおりに』
最小限の要件だけ言ってアルフォンスの声は聞こえなくなる。おそらく関係者の人間が近くにいて、イヤホンから漏れた音を聞きつけられるのを防ぐ為、一時的にインカムの電源を切ったのだろう。
ブレザーの内ポケットから出した趣味の悪い伊達眼鏡をかけ、指示通りアルフォンスの携帯を呼びだすと、わざと大きな声で通話する。
「あー、どーもー遅くなってスイマセン課長!スミスです。今到着しましたぁー!前の現場が長引いちゃいましてねー」
俺の声に、なんだなんだと人相の悪い男が二人、門扉から顔をのぞかせた。それに馬鹿っぽく会釈して「どーもー!エレクトリックサーチのスミスですー!今、ウチの課長がこちらにお邪魔して電波の探査作業させていただいてると思うんですけどー」
相手に警戒心を抱かせないコツは、あくまでも馬鹿っぽく。今回の俺のキャラ設定は、『ノータリンでお調子者の新入社員スミス君』だ。
男の一人が一度中に引っ込んでややすると、中に居るアルフォンスと話が通じたらしく、俺はすんなり邸内に招き入れられた。
「課長ー遅くなってスミマセンー!」
これまたガラの悪い男に周囲をうろつかれながら作業中のアルフォンスの背中に声をかける。此方にチラリと目線を向けたアルフォンスは完全に仕事モードで、それを見た瞬間俺はひどくホッとした。それと同時に、自分の自意識過剰っぷりが恥ずかしくなった。
何が、『ソレはソレ、仕事は仕事』――――だ。昨日の気分をそのまま引っ張って仕事にまで持ち込んでいるのは、アルフォンスではない、俺の方だ。
アルフォンスが今日の現場に俺を呼ばなかったのは、俺と顔を合わせ辛いなんて些末な感情に振りまわされての事ではないのだ。むしろ、気持ちの切り替えが出来ないかもしれない俺の身を案じての判断だった。
アルフォンスはいつでも自分を完璧にコントロールして、完璧な仕事をする男だ。それなのに余計な心配をして勝手に現場に駆けつけてしまった自分は余りにも考えなしで、こんな自分がアルフォンスの心配をするなんて滑稽きわまりない。
こんな俺にできるのは、せいぜいボロを出して足を引っ張らないようにする事と、発情した土佐犬からアルフォンスの貞操を守りぬく事くらいだ。
ほんのひと月前にはただひたすら鬱陶しくて厄介な人間だと思っていた相手に、いつしか様々な感情を引き出されて振りまわされている自分がいる。
自分の不甲斐なさに打ちひしがれていた俺は、おちゃらけた馬鹿社員を演じながらも、この男の価値に釣り合う自分でありたい・・・と、強く思っていた。
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