わんこなアイツ 3

 

 

 












「今日もいつもので」と、いつしか指定席のようになってしまったカウンターの一番奥の椅子に座り、ニコニコと注文を繰り出してくる男を無視して、俺は厨房に入ると今日の賄いを皿に適当に盛り、簡単な生野菜のサラダを添えてズダンと奴の目の前に置いた。

「え?あれ・・・?これは・・・・ええと」

目を瞬かせて首をかしげる仕草が犬のようだと思いながら、トッピング用の青ネギをひとつまみ入れた味噌汁を「いいから食え」と差し出してやる。戸惑いながらもそれを受け取った男は、目を細めてなんとも幸せそうに笑い、早速味噌汁を啜りだした。



初めてこの店にアルフォンスが来てからひと月近くが過ぎていた。アルフォンスは俺の予想に反して、あれから毎日この店の定休日である火曜日以外は必ずこうしてやってきて、飽きることなくアム丼得盛りセットを食べ続けた。
最初のうちこそただの物好きだと思い放っておいたのだが、あの栄養バランスなど全く考えていない上に塩分とカロリーてんこ盛りのメニューを毎日食べ続けているアルフォンスの身体が心配になった俺は、とうとう我慢できずに今日は店の賄いを出してしまった。
毎回店長ご自慢のスープを一滴残らず飲んでいくアルフォンスは、今では店長の一番のお気に入りだったし、わざとそうしているのかアルフォンスの来店時間はいつも客が途絶える10時頃で他の客の目を気にせずに済むから、こんな事もできるのだ。

「どうだ?賄いは大抵エドワードに任せてんだ。ウチのバイトもなかなかの腕だろう?」

店長が汗だくになった額のタオルを新しいのに替えながら尋ねれば、「美味しいです、とても!ああ・・・・幸せだなぁ」とニコニコしながらもガッツリとおかわりを要求してくる。

実は今朝からコイツに賄いを食べさせてやろうと思っていた俺は、いつもの倍の量を用意していた。
店長の好物である鯖の煮つけに肉と野菜の切れ端を入れた味噌汁。こんなショボい賄いを出してやった位で涙をこぼさんばかりに感動しているこいつを見るのも、なかなか悪くない気分だ。
最初はやたらと懐いて近づいてくる男を胡散臭く鬱陶しく思っていたが、それも毎日顔をあわせていれば多少はほだされもする。
この男、仕事中の隙のない怜悧で危険な印象と普段のほんわかおっとりしたキャラのギャップが大きすぎて、それが俺の中から男に対する警戒心を薄れさせてしまったというのもある。更に良くないのは、奴はやる事なす事全てが犬っぽいのだ。例えるなら・・・・・・そう、サイズが規格をオーバーしてしまってショードッグにはなれないが、血統が超一流で性格も外見も最高のゴールデンレトリバー・・・といったところだろうか。
動物の飼育が禁止されているアパートで一人暮らしをしている俺は犬を飼っていないが、実は無類の犬好きだ。故に不本意ではあるが、そんな俺がアルフォンスに気を許してしまうのは必然であると言えなくもないのだった。

しかし、だからといってこの状況はどうなんだ。

ヤツが賄いを食べ終えた数十分後、俺はどういう経緯かあれよあれよという間に言いくるめられ、気付けば奴の自転車の後ろに乗って四つ駅向こうにある奴の事務所へと運ばれていた。―――奴は俺のアドバイス通り、駐車禁止取り締まり強化エリアのあの周辺に来る際には必ず自転車を使うようになっていた。要するに、コイツは毎日毎日雨の日も風の日も、チャリをせっせと四駅分こいでアームストロング軒まで通っていた訳だ。物好きにも程がある。

「急にごめんね。でもホント助かるよ。せっかくモノになりそうだった新人が突然辞めちゃってさ。今抱えてる回収先の殆どで、犬飼ってるんだよ。それもみんな大型犬。債権回収業務だけは他の社員には任せられないし電話だけでどうにかなる相手ばかりじゃないから、本当に困ってたんだ」

新しい補充人員が見つかり、その人間が使えるようになるまでという期限付きで、俺はアルフォンスが代表をつとめる小さな会社で働く事になった。といっても、こうなったのは俺の意思ではない。アルフォンスがすっかり懇意になった店長を抱きこんでしまった為、店長命令で仕方なくこうせざるをえなかったのだ。
仕事の内容は簡単な書類整理と、調査に使用する機材類の管理、データの打ち込み作業、そして何より重要なのは興奮して襲いかかってくる犬からこいつの貞操を守る事だ。
アルフォンスの犬嫌いは度を超えていて、その怯える様子は尋常でなく、目の当たりにすると驚きを通り越して気の毒になってしまうほどだ。それでいて何の因果か、コイツは異様に犬に好かれる体質で、雄雌問わず大抵の犬がコイツを見るなり発情して襲いかかってくるのだ。きっと何がしかのフェロモン物質がコイツの体内で分泌されているに違いない。
アームストロング軒でのバイトもそのままだから、当分の間俺の生活は多忙を極める事だろう。しかし、まるでモデルのような容貌を持ちながら、仕事までデキるなんていうイヤミな男のあんな情けない姿を見てしまった所為で、抑えきれずに湧いてしまう優越感の心地よさも手伝ってついつい世話を焼きたくなる気持ちがあることも否定できない。



フラメルデータサーチは、行政書士事務所や郵便局なんかがいっしょくたに入っている古いビルの7階にあった。間口が狭いのに奥行きばかりあるフロアをひとつぶち抜きで使っていて、置いてある事務机やOA機器から見ても、そこそこ儲けているようだった。

「ボスおかえりなさい・・・・っと、アレ?お客さんっすか?どーもどーも」

咥え煙草でパソコンをいじっていた金髪の男が顔を上げ、人好きする笑顔で挨拶を寄こしてきた。アルフォンスといいこの男といい、何故か共通して人懐こい大型犬を連想させる。
手早くインスタントのコーヒーを三人分淹れて来た金髪の男と改めて引きあわされた。アルフォンスもそうだが、この男も上背があって相当ガタイがいい。ここに来る道すがらちらと説明を受けたこの会社の業務内容がヤバ目な所為で、腕っ節の強さが社員の必須条件になっているのかもしれない。

「ハボック、こちら今日から暫く臨時で入ってくれるエドワード君。で、エドワード君、彼はハボック。得意分野は機器を使った違法調査と尾行。最近はボディーガードなんて業務も多く請け負うよ」

「うはーエドワード君ての?ヨロシク。スゲェ・・・マジでめちゃ綺麗だなぁ君。モデルとかやってる人?」

いきなり強引に俺の両手を掴んでブンブンと握手しながら、ハボックと紹介されたその男は俺の顔をまじまじと覗きこんできた。これから暫く毎日顔を合わせる事になる訳だし、どう出たもんかと考えあぐねていると、アルフォンスがピシャリと号令をかけた。

「ハボお座り!」

途端に俺の手を放して直立不動の姿勢をとる冗談のようなやり取りに、俺が口を挟む隙はなさそうだ。

「わん。・・・・つーか、あんまり美人だからさぁ。ボスだって人の事言えんじゃない?いつもより数倍目がキラッキラしてるっしょ?発情期のメス犬にメロメロになったオス犬みた・・・・」

「キュンキュン吠えるな駄犬!外回りのついでにガンショップで取ってきてやったコレでも弄ってろ!」

初めて耳にする乱暴な口調でアルフォンスが懐から取り出した何かの包みをフリスビーのように投げると、ハボックはそれこそ犬のように飛びついてダイレクトキャッチしたそれに頬ずりをする。「待ってましたブラックホークの絶版モデル〜!休憩してきまッス」とご機嫌な様子で事務所の奥に引っ込んだ。どうやらあの包みの中身はモデルガンらしい。

「あ、・・・あー・・・ご、ごめんね?ビックリしたでしょ?今のところこの事務所は僕と彼だけで大忙しなんだよ。君の机はここが空いてるから・・・・それとPCはこのノートを使ってもらおうかな。まさかエドワード君に手伝いに来てもらえるとは思ってなかったから全然準備してなくて」

「・・・あのよ・・・」

「あ!あとは低反発の座布団があるんだった!コレ使ってね、コレ!それからええと・・・」

「あのなぁアルフォンス!」

「うわ!ははははははいっ!?」

テンパって突っ走る男の名を呼ぶと、アルフォンスは全身で飛び上がって真っ赤に上気させた顔で振り向いた。
・・・・・こいつ、面白ぇ・・・・。

「いいから、とりあえず俺がする事を教えてくれ。それとやっぱり俺が使われる立場だから呼び捨てはまずいよな?ボスって呼べばいいか?」

「うわそんなとんでもない!・・・・で・・・できれば今みたいに名前で・・・あの、アルって呼んでくれると・・・嬉しいかな、なんて・・・」

「わかったよ、アル。これから暫くの間ヨロシクな」

頼まれて手伝うとはいえ、給料をもらう身である以上こいつは雇い主だ。今までのようなつっけんどんな態度ばかりではまずかろうと笑顔で挨拶をしながらも、鼻息荒く身をよじらせて乙女チックに恥じらいながら額に汗を浮かべている男からさりげなく間合いをあけた。
どうもこの男。非の打ちどころがない常識人を巧妙に装いつつも、時々挙動が不審で油断ならない。
とはいえこれも正規の社員が見つかるまでの期限付きだ。そう長く続く関係だとは思えない。この契約が終われば今度こそ、アルフォンスとはそれっきりになる筈なのだ。少なくとも、その時の俺はそう思っていた。








 **************************


230428UP

 

 


テキストTOPへ    わんこなアイツ4へ