わんこなアイツ 12

 

 

 









アームストロング軒の暖簾をくぐると、昼時という事もあって店内は満員状態で、カウンター越しに見える厨房では店長が阿修羅のようにオーダーをさばいていた。
フロアでは、最近俺の穴埋めに入った高校生アルバイトのセリムが、これまた独楽鼠のように動き回っている。初心者のわりに、中々悪くない働きぶりだ。

「忙しそうだな店長、俺もヘルプ入っとく?」

「おーエド!じゃあ、この波越えるまでちょっくら頼むわ」

「おっしゃ」

一番奥から二番目のカウンター席で、すでにアム丼得盛り定食をカッ喰らっているハボックの横にアルフォンスを座らせると、黒いズボンとワイシャツの上に店のエプロンをつけて厨房に入る。
いつもの調子で手際よく仕事をやっつけつつ、余った野菜の切れ端やらで中華丼もどきを作りアルフォンスの前に置いてやる。

「これならレンゲで左手だけでも食えんだろ?」

またしても仔犬のように目をウルウルさせて素直に喜びをあらわしたアルフォンスは、早速左手でレンゲを持つと、豪快なのにどこか品の良さが漂う食いっぷりで丼の中身を瞬く間に空にしていく。

「ボス・・・・あんたマジで犬っぽいッスよね」

俺からしてみればやはり犬にしか見えないハボックにまで言われているのが可笑しい。
予想通り二杯おかわりをしてようやく満足したらしいアルフォンスだが、そろそろ客足も落ちついたから件の総括会議をしようと俺がエプロンを外した時だった。
突然椅子から立ち上がると、そのまま床に膝をつき、店長に向かって頭を下げた。そして俺が声をかける間もなく大音量で言いやがった。

「店長さん、お願いです。エドワード君を僕に下さい!!」

「・・・・・アル・・・・それ、セリフちがくねぇか・・・・?」

バイトとはいえ一応アームストロング軒に所属している俺をフラメルデータサーチで正式に雇いたいと言うべきところを、何故かアルフォンスは言葉選びを間違えたようだ。しかし店長は動じることなく、茹であがった麺の湯切りをしながらフム・・・と頷いた。

「やっぱりな。いつ言ってくるかと思ってたよ。しゃーねぇなぁ。ウチの大事なアイドル店員を他所にやるのは打撃だが、その様子じゃエドワードも承諾したんだろ?持ってけドロボー。そのかわり、せめて週に一回はエドワードと一緒に店に顔出してくんな」

「あ・・・・ありがとうございます!約束します!全身全霊をかけて彼を幸せにします!」

「オウ。そうしてやってくれ」

要するにこれは『引き抜き』の交渉のはずなのだが、アルフォンスの不適当な言い回しに店にいる誰もがツッコミを入れてこない。
俺の考え過ぎなのだろうか?だとすればここで俺が下手に訂正する事もなかろうと、アルフォンスの横で一緒に頭を下げた。

「店長悪ぃ・・・!今まであちこちフラフラしてた俺だけど、やっとこれだっていうやり甲斐のある仕事を見つけたんだ。今まで散々世話になっておきながら、こんな事になっちまって・・・」

しかし店長は俺にみなまで言わせず、笑顔で言った。

「気にすんな気にすんな。まぁ俺はお前の親じゃねぇからよ、せいぜい見守ってやる事くらいしかできねぇが、アルフォンスは良い男だ。こいつと一緒にいれば、おめぇも間違いなく幸せになれんだろうよ。でも、アッチの方は相当旺盛だってハナシじゃねぇか?あんまり無体されるようなら俺に言え?きっちり言い聞かせてやっからよ」

「・・・・・・・・・・は?・・・・あの・・・・アッチって・・・・どっち?」

話がまったく見えない俺がぽかんと首を傾げると、土下座をしていたアルフォンスが唸り声を上げた。

「ハボ・・・・・・この口の軽い出歯亀犬め・・・・!」

「だってボス。エドのインカム電源入れっぱなしなんだもんよ。未明からいきなりエドがアンアン言わされてんの聞いて俺だってビックリっすよ」

「ギャ――――――――ッ!!!!」

ハボックのトンデモ発言に、俺はたまらず叫んだ。

そういえば昨夜は作業とアルフォンスの世話にいっぱいいっぱいで、ベッド脇に置きっぱなしだった自分のインカムの電源を切った記憶がない。
とすると、今朝がたのベッドの上でのあれやこれやをハボックに聞かれていたと言うことか!?しかもハボックはその様子をなにやら大袈裟に脚色して店長に話して聞かせたらしい。アルバイトのセリムも客も大勢いるこの店内で・・・・・だ。
いや待て。ではやはり、アルフォンスの『娘さんを僕に下さい』的な発言すらそもそも言葉通りということに・・・。

「うわ――――ッ!うわ―――――ッ!うわ―――――ッ!」

パニックに陥った俺は、とにかくこの場から逃げ出したい一心で店を飛び出した。




店を出て暫くは周囲の目など気にせずただやみくもに商店街を走りまわっていたのだが、走りまわる内に頭が冷えてくるにつれ、その足も遅くなる。やがてゆっくりとした歩調でトボトボ歩く頃になって、これからどこへ向かおうかと考えた。
今、店にはとても戻れない。恥ずかしすぎる。かと言って城の主であるアルフォンスを放置したままひとりで事務所に戻るのも気が引ける。・・・・とすると、向かう先は俺が暮らすあのしみったれたアパートしか思いつかなかった。

今年の春一番で屋根のトタンの一部が剥がれてしまったのに、いまだに補修する様子のないオンボロアパートの二階の端が、俺の暮らす部屋だ。とにかく最低限食う以外の金は学費の為の貯蓄に回しているから、俺の部屋にはまともなものがほとんどない。ちゃぶ台もテレビも冷蔵庫も洗濯機も全て、リサイクルショップの片隅でゴミのように置かれていたのをタダ同然の値で買ったものだ。
全財産・・・・つまり財布とキャッシュカードと印鑑はいつでも身につけて歩いているから、基本的に俺は部屋のドアにカギはかけない。
今にもぶっ壊れそうなドアノブを回してドアを開けても、いつものことながら留守中誰が入った形跡もなかった。

腹はさっき店で賄いを作りながら少しつまんだから良いとして、とりあえず昨日入れなかった風呂に入る事にした。
湯船に湯を溜めるのは勿体ないから、シャワーで済ます。粗末なものしかない俺の部屋で唯一値が張りそうなものは、実はこの風呂場にあるボディーソープとシャンプーとトリートメントの三点セットだ。要らないと言ったのに、アルフォンスがどうしてもコレを使えと俺に押し付けてきたのだ。それまではドラッグストアで並んでいる中で一番安くて使い出のあるものを適当に買って使っていたのだが、やはり高いものはそれなりに良いらしく、最近俺の肌はやたらすべすべで、髪も梳かす必要がない程サラサラだ。
カラスの行水で風呂から出て身体を拭いていると、何やら外が騒がしい。男の悲鳴と、小型犬の鳴き声だ。あれはきっと、動物禁止の規定を破って一階のキャバクラ嬢が飼っているチワワだろう。
ジーンズに足を突っ込みながら玄関脇の小窓から外を覗くと、金色の頭が地べたを這いつくばっているのが見える。そしてその金髪男の黒いスーツのケツのあたりにピンクのリボンをつけたチワワがひっついて、せっせと腰を振っていた。

「助けて〜〜助けて〜〜〜〜!犯される!犯されてる!怖いよ・・・・!!」

アルフォンスの特殊なフェロモンは体の小さなチワワには強烈すぎたらしく、引き剥がした犬は腰を振り続けながら失禁していた。アルフォンスのスーツは無残にも犬の小便でびしょ濡れ状態だ。

怖かったよ怖かったよと、ガキのように繰り返す男を人目に晒すのは忍びなく、俺はすぐさまアルフォンスを部屋へと引っ張り込んだ。

「馬鹿アル!そんな体で動き回ってんじゃねえぞ!」

「だって・・・・エドが逃げるから・・・・!」

「逃げるから追ってきたってか?マジで犬かよお前・・・・・」

見ればアルフォンスは汗だくで、体もまだ少し熱があるのか熱い。腕を吊る為に首にかけていた布は薄汚れてヨレヨレで、俺がさっき整えてやった髪も乱れている。どこをどうやってここまで辿りついたのか、くたびれてしまったスーツの片腕で俺を胸に抱き込んで、まだ濡れている髪に顔を埋め、スンスン鼻を鳴らしている。
店では堂々と恥ずかしいセリフを言いやがった癖に、こうして俺を前にすると途端に頼りなげな顔を見せるアルフォンスに、俺はまた自分の中がアルフォンスという男で一杯になっていくのを感じた。

「僕とエドの事、皆に知られてしまって・・・ゴメン・・・・・でも、店長さんも皆も、ちゃんと祝福してくれた。それが嬉しい・・・・嬉しくて・・・ゴメン・・・・」

「いいよ・・・・もう。別に怒ってるわけじゃない。恥ずかしかっただけだ。お前は悪くない。ホラ、それより犬に漏らされてひでぇことンなってるぞ。お前も風呂はいっとけ?」

何故か自分でも意識せず、俺の声音は妙に掠れていた。それに気付いたのか、アルフォンスの俺を見る目に熱が加わった。
アルフォンスのネクタイを解き、シャツのボタンをひとつずつ外し、ベルトのバックルを外し、ファスナーを・・・・
その俺の手に、アルフォンスの左手が重ねられた。熱くて力強い、大きな手が。
俺は今度こそ本当に・・・・・・・・・・本当に、観念した。

「・・・・もう無理だ・・・・・!何度も言っちまうが、俺はお前が可愛くて可愛くてしょうがねぇんだ・・・・・この先ずっと、お前が何と言ったって絶対に放してなんかやれねぇ」

「じゃあ僕を最後まで責任もって飼ってくれるの?」

アルフォンスの声も俺と同じに掠れている。

「狂犬病の注射は?ジステンバーとパルボウィルス感染症の予防接種もしっかりやってるんだろうな?」

今にも熱に飲みこまれそうな自分を踏みとどまらせる為に、わざと揶揄して言ってやれば、アルフォンスもそれに同調して応じた。

「大丈夫。これでも身持ちは堅いし注意深いから、性病は持ってないよ!」

「ば・・・・・ッ!?・・・お前なんか、いっそ去勢しろ!」

「それは絶対嫌だワン」

大きな金色の犬が、全身で俺にじゃれついて、俺の口を・・・・・・食べた。








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