わんこなアイツ 11

 

 

 










目を覚ますと、俺はやっぱり泣いていて、その俺のすぐ横で同時に目を覚ましたらしいアルフォンスの頬も涙で濡れていた。
知らない間アルフォンスの胸の上で指を絡めて繋がれていた俺の右手に、ギュッと力が込められる。

「また、泣きやがって・・・・・」

「エドも泣いてるよ・・・大丈夫?」

暫くそのままぼんやりと互いの顔を見ていたら、ポツリとアルフォンスが言った。

「キャッシーが、夢にいた・・・・でも僕は泣いてるだけで、キャッシーが傍にいてくれてる事に気付かないんだ・・・・・・もし気づいてたら、あの子の身体にもう一度触れられたのかな・・・・」

普段の俺なら思いもしない事だが、どうやらさっきの夢では俺とアルフォンスがリンクしていたらしい。霊とか魂とか世間一般で非科学的と言われるものに俺は昔から否定的な人間だったのに、不思議とこの夢は、俺とアルフォンスとキャッシーの間で共有されていたのだと当たり前のように感じていた。
ズボンの布越しに感じたキャッシーの感触。俺を見上げてくる黒々とした円らな目。小さく鼻を鳴らしては首を傾げる仕草。そしてなにより、アルフォンスを何度も振り返って見ていたあの表情。
それらを見て、ただの夢だと捨ておける程には、俺の神経は鈍くないつもりだ。

「・・・・俺も、そこに居た」

目を見開くアルフォンスの手を握り返しながら、まだ泣きやんだばかりのみっともない顔で笑いかけてやる。

「キャッシーは俺にアルの事を頼んでったよ。いつまでもメソメソしてる情けない飼い主に、鼻鳴らして困り顔で首かしげてたぜ?」

「・・・・エド・・・・・・」

「可愛い犬だな、キャッシー」

「うん・・・・うん・・・・・可愛かった。繊細で優しくて、ちょっとドンくさくて、怖がりで、スキンシップが大好きでいつも僕の足に身体を擦りつけて回るのが癖だった・・・・・僕は、あの子を愛してた」

そう言ってまた泣くアルフォンスが可愛くて、俺は涙で濡れた唇にキスをした。

「お前が自分を責める気持ちは分かる。でも・・・・だから、キャッシーの死に際の場面は思い出すのがどんなに苦しくても、一生そのまま忘れんな。そのかわり、キャッシーが幸せだった事も全部ひとつ残らず覚えといてやんな。それを生きてるお前が覚えてやンねェでどうするよ?俺はとりあえずいつでもお前の傍にいてやるから、泣きたくなったら怖がらねぇで好きなように泣けばいい」

「・・・いつまで、僕の傍に居てくれるの?」

「さぁな?お前がいらねって言うまでは居てやるつもりだ」

「じゃあ、死ぬまででも?」

涙で濡れたまつ毛を瞬いて、アルフォンスが真剣な・・・・祈るようなまなざしを向けてきた。

「キャッシーに頼まれちまったからなぁ・・・・・それに」

甘え盛りの子犬に戻ったアルフォンスを見ると、ついつい度を越して甘やかしたくなるのが困りものだ。でも、それもいいかと笑いが零れた。俺の胸の内は、温かなもので一杯に満たされていた。これはきっと多分、アルフォンスに与える為にキャッシーが俺に託してくれたものに違いない。

「俺も、お前の傍にいたいしな。とりあえず末長くヨロシクな」

俺の言葉に、子供のように無邪気な笑顔で嬉しそうにするアルフォンスにすっかり満たされた俺は、刹那的な衝動で動物を飼ってはいけないという大前提を失念していた。自分がその後、どんな苦難を背負う事になるかなんて、全く考えもしないままで。








今日は日曜日だったから、俺とアルフォンスはそのまま昼近くまでベッドの中に居て、微睡んだり時々言葉を交わしたりして過ごした。
昼前に、いつの間にかアームストロング軒の常連客になっていたハボックが店から様子うかがいの電話をくれて、それならば俺とアルフォンスも其処に出向いて食事をしながら三人で昨日の調査の総括会議をしようという事になった。
右腕の使えないアルフォンスに代わり、俺が全ての資料を揃え、ノートパソコンをケースに入れ、アルフォンスの服の着替えも手伝ってやる。

「あ、そっちじゃなく、いつもの黒いスーツ・・・・・そう。それで」

アルフォンスの着替えが入っているロッカーにはいつもの仕事で着ているスーツが二着の他に、まだ着ている姿を見たことがないジーンズとラフなコットンシャツがあった。今日はミーティングとはいえ顧客と接触することはないから普通の服を手に取ったのだが、アルフォンスはいつもの堅苦しいスーツを着せてくれと言う。
首をかしげながらも頼まれるままにスーツの着替えを手伝い、最後にネクタイを絞めてやれば、あっという間にケチのつけようがない美丈夫の出来上がりだ。

車ではなく自転車で行きたいと我儘を言う男を後ろに乗せ、俺は前かごにノートパソコンと書類なんかを突っ込んだ自転車のペダルをウンウンこいだ。
アルフォンスに振動を与えるのは良くないから、段差の多い街中を避け、川沿いの土手を真っすぐ走るサイクリングロードを走る。
なるほど。アルフォンスが自転車で行きたがった気持ちが分かる。
強い日差しにやや冷たい風が気持ちよく、景気良く晴れた空には雲ひとつない。
すっかり良い気分になった俺は、歌詞も良く知らないメロディーすら合っているかどうか怪しい曲を口笛で吹きながら、ご機嫌で自転車を走らせていた。
すると、突然アルフォンスが言った。

「ねぇ、エド。お願いがあるんだ」

「あん?なんだよ?」

こいつにはしょっちゅう『お願い』されてんなぁと思いながらも、どうせ何を言われたところで自分は結局コイツの我儘を聞いちまうんだと諦め半分に聞けば、アルフォンスは遠慮がちな癖にやたら気合の入った口調で『お願い』してきた。

「アームストロング軒のバイトを辞めて、フラメルデータサーチで正社員として働いて貰えないだろうか・・・?勿論給料は今みたいなざっくり計算じゃなく、時間外手当もきちんと出すし、週休二日はちょっと無理だけどできるだけエドの希望に沿うようにシフトを組むし、交通費は全額支給するし、社会保険もあるし、法定外労災も加入してるし・・・・」

俺の気持ちは既に決まっていた。逆に自分の方から正社員として雇ってもらえないかと聞くつもりでいたくらいなのだから。だがしかし、それに返事をするには、この矢継ぎ早にいつまでもまくしたて続けそうなアルフォンスを、「待て。いいから落ち着け」と一度黙らせる必要があった。
しかしこの男がそう簡単に静かになる訳もなく、今度は『お願い』の仕方を変えてきた。

「エド・・・・エド・・・・・・僕が可愛くて仕方ないんでしょ?だったら僕のお願い聞いてくれるよね?ね?聞いてくれるでしょ?」

「・・・・・ブハッ!おま・・・・スーパーのお菓子売り場でおねだりするガキかよ・・・・・!」

右腕を吊ってはいるものの、ビシッと黒いスーツで決めている大の男が可愛らしく駄々をこねてみせるものだから、俺は噴き出さざるをえない。しかし、アルフォンスは至って大真面目なのだ。

「エド・・・・・・お願いだよ・・・・・・エドと一緒に居たいという気持ちもあるけど、この二か月の間君と一緒に仕事をして、エドがこの会社に必要な存在だっていうのが良く分った」

そのセリフにお世辞のようなニュアンスは感じられなかったが、それはアルフォンスの俺に対する評価に惚れた欲目が入ってるのだと思えた。黙っている俺の内心を敏感に察して、アルフォンスは続けた。

「最初エドの履歴書を見てね、学歴の欄がビッシリで驚いた。大学も専門学校も全然関連性のないところが複数あって、そのどれも卒業までいないでしょ?好奇心の強い人なんだなぁって思った」

確かに。俺は高校は音楽科を卒業し、最初に入学した大学は経済学部で、それを中途退学して工業大の建築科に入り、次いで美術、法律、医学、ドッグトレーナー、デザイン・・・・・と落ち着きなく興味の赴くまま大学や専門学校を転々とした。高校卒業以降は独立すべしという家訓に沿い家を出て一人立ちしていたから、それらの学費は全て自分持ちだ。だから学費を払う為の金が無くなると休学して働き、働いている内に別のものに興味が出て学校を替え、また学費が足りなくなると再び休学し働く・・・・・・と、そんな事を繰り返して今に至っている。
分野は多岐にわたるものの、所詮どれもが中途半端な知識ばかりというどうしようもない俺を、飽きっぽくて根気がない人間だと周囲は評するし事実自分でもそう思う。だから、これを『好奇心の強い人』と肯定的に評価したのは多分アルフォンスが初めてだ。

「途中までとはいえ、沢山の分野の事をある程度は知っている。それはこの仕事にはとても強みだ。それに、僕はこれまで一緒に仕事をしてきた中で、エドほど飲みこみが早くて機転がきく人を他に知らない。それだけじゃないよ。最初約束した業務は簡単な雑務と僕を犬から守ってくれる事だけだった筈なのに、今、エドができない仕事は殆どない。勤めてまだ二カ月なのに・・・・だよ?お陰で僕の仕事が減って、今はもう会社に泊りこむ必要もなくなった。だから、君に居なくなられるのは困るんだよ。正式に・・・・ウチの社員に・・・・なって欲しいんだ」

最後の方は次第に小さな声になっている不安そうな様子は手管ではないのだろうが、たまらなく俺の心を刺激した。今朝がたベッドの上で見せたあの獰猛な肉食獣っぷりは一体どこへ行ってしまったのか、ただひたすら可愛い男がここにいる。

「あのなーアル。俺さっき言ったと思うんだけどな」

「はい」

何故か丁寧語になっているアルフォンスにまた小さく噴き出しながら続けた。

「キャッシーからお前の事を任されちまったし、何より俺自身がお前の傍に居たいんだ。で、フラメルデータサーチには俺の方から正式に社員にして欲しいと頼もうと思ってた」

「エド・・・・・!」

「うぎゃ・・・・・!」

俺の胴に回していたアルフォンスの腕が、初めて会った時と同じに万力のような馬鹿力でギリギリと締めあげてきて、悲鳴を上げた。

「く・・・・苦し・・・・アルッ!この馬鹿犬が〜っ!ちっとは力加減ってものをだな・・・」

しかし、俺の苦情をまったく無視する形で、爽やかな風が吹く土手に、アルフォンスの遠吠えが響いた。


「ばんざ〜〜〜い!!エド〜〜〜〜〜ッ!愛してるよ〜〜〜〜〜〜ッ!!」






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230516UP

 

 


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