出会いは突然で、その上まるでギャグ漫画のようだった。
バイトをしている中華そば屋の出前中、スーパーカブ・ストロングエドワード号(店長に内緒でひそかに命名)にまたがって信号待ちをしていた時のことだ。
わん!わん!わん!
車のエンジン音に混ざって犬の吠え声がどこからか聞こえ、それが次第に近づいてくる。どうやらそれは俺の後方からのようだと振り向いた途端、金と黒のデカイ何かが俺に体当たりをかましてきた。
「なななななななんだぁ!?」
「スイマセンスイマセン!お願いだから助けてください〜ッ!」
語尾の震えた情けない声を上げながら俺の身体にしがみついてきたのは、いかにも高そうで上品な艶のある生地のスーツをまとった長い腕だった。その本体は俺の背後に回っているから顔は見えない。
そうこうしている内に先ほどの吠え声の主が俺の目の前まで走り寄って来て、周囲をぐるぐると回りながらギャンギャンがなりたてた。
「ひぃ・・・ッ!た、頼むからその犬を向こうにやって!ボクに近づけさせないで!」
俺にしがみついている男が、まるで万力のように俺の身体をギリギリと絞めつけながら悲鳴を上げた。
こんな見も知らない男を助けてやる義理なんざ楊枝の先ほどもないが、このままでは自分の身が危ないと、俺は犬に向かって話しかけた。赤茶色の長毛がフサフサとした、なかなか綺麗なアイリッシュセターだ。
「元気なヤツだなぁ。オイ、お前のウチはどこだよ?勝手に外出て飼い主に怒られんぞ。それにここは車道だ、危険なんだぜ?」
「ワォンッ!」
そのアイリッシュセターは俺の言葉に返事をするように明るく一声吠えると、今度は背後に回り・・・・・つまり、俺の背中にしがみついてる男へと近づき、飛びついたようだった。
「うぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!!」
耳元で断末魔の叫びを喰らった俺はたまらず男の腕を振りほどいてそいつを突き飛ばしたのだが、直後、その男と犬の姿を見てあっけにとられた。
アスファルトの上にうずくまっている金髪で黒いスーツ姿の男に犬が覆いかぶさり、息を荒くして涎をたらしせっせと腰を振っていたからだ。
「・・・・・これは・・・ええと・・・・獣姦、つーのか?でも見たトコこの犬メスだよな?犬相手に逆レイプって・・・・いやー色々とすげぇなお前ら」
「感心してないで助けて!犯される!犯されてる!怖いよ!」
とうとう涙を流しながら訴える男が流石に気の毒になり、俺はおさえきれない笑いを噛み殺しながら犬の首にゆるく巻いてあるチェーンに手をかけて男からひきはがしてやった。
「んん?この犬、目が恍惚として気味悪ぃぞ・・・発情期か?」
異様に(しかもおそらく性的に)興奮している犬をなだめつつ、男にこの犬がどこの家からやってきたのか尋ねた。
「あ・・・・あ・・・・さっき取り立てに行った家に居た犬です。そこに車を置きっぱなしできてしまってるし、あの、申し訳ないんですがその犬を連れてそこまで一緒に来て貰えないでしょうか?僕、犬が怖くて触れないんです」
・・・・取り立て?
少々引っかかる単語ではあるが面倒だからそこはスルーして、俺は男を伴ってその場所を目指した。
血走った目で興奮し隙あらば黒いスーツの男に襲いかかって妊娠させそうな勢いのメス犬を抑えるのに手一杯な俺の代わりに、スーパーカブ・ストロングエドワード号を転がす男と歩くこと数分。辿りついたのは、繁華街のど真ん中にある5階建てのマンションだ。エントランスを除く一階部分はテナントになっていて、小洒落た花屋と一見しただけでは何の店か分かりにくいヘアサロンと、完全予約制ときっぱり表示してある敷居の高そうな歯医者が入っている。
「ちょっと待っててくださいね」
男は俺にニッコリと笑いかけながら手櫛で髪を整え額に落ちていた前髪を後ろに撫でつけ、スーツの胸ポケットから取り出したサングラスをかけ、さらに内ポケットから取り出した煙草を銜えて火を点けた。
―――お、ダンヒルだ・・・と、チラ見する俺に煙草の箱を差し出してくる。軽く手をあげて断ると、もう一度ニッコリ笑った男の顔から次の瞬間、嘘のように表情が消えた。
「・・・・・・・・ッ!?」
インターホンのパネルに数字を打ちこみ訪問先を呼び出している男の背中から、殺気を纏った尋常でないオーラが漂う。さっき犬コロに追いかけられて道端でレイプされて泣いていた男とは、まったく別人のようだ。
『・・・・・はい』
スピーカー越しの相手に男が言った。それまでの気弱そうな声とは一変して、低くて冷酷そうな要所要所にドスを聞かせた声で。
「そろそろお気持ちは決まりましたか。裁判所の支払い命令に従うという言い逃れは、私共には通用しませんよ。それとも、先月あなたが山ほど債務を抱えて計画倒産させた会社の裏帳簿のデータを元に、法的措置を取ってもいいんですがね?あ、それからさっき私についてきてしまったお宅のわんちゃんを預かっています。なんならこの子も何かの足しにはなるかと・・・・」
『サリーは返してくれ!金は払う!払うから!』
「そうですか。平和的な解決が出来てなによりです。では、今すぐ全額返済して頂きましょう。これから取りに伺いますのでロックを解除して下さい」
『そっそそそそんな大金今すぐ出せる訳がないだろう!?今日は帰ってくれ!明日・・・いや今週末。いや、来週の頭には全額必ず・・・』
エントランスの大理石調の壁に寄りかかり、男は煙草を深く吸い込んだ後ゆっくりと細く煙を吐き出した。
なんというか・・・・その間の取り方は、まるで演劇でも観ているかの様だった。
「あなたね・・・今までその言い訳、何度されました?一昨日フルメタル銀行のセントラル第一支店の貸金庫から、アナタが億単位の現金を出してきた事は知っているんですよ。こちらも商売なんですから、これ以上引き延ばすようであれば私共は手を引いて次の業者に回すしかなくなります。そちらさんはウチと違って臓器を高く売るツテをわんさか持っているような札付きなんですが、それでもいいんですか?ええ?」
犬の鎖を短く持って待ちぼうけ中の俺は、さっきの『取り立て』の言葉がそのまんまの意味だったのかと納得した。どうやらこの男は、合法的には回収できない債権を代理で取り立てる業者のようだった。ヤクザとは違う人種らしいが、完全な堅気とも言えない・・・・法の隙間をかいくぐって泳ぎ、時にはこっそり違法な事もやるようなタイプらしい。ヤクザよりもむしろ、こういう人間がある意味一番怖いかもしれない。
結局その後、ゴネる相手を時には脅しながらも宥めすかし上手に強請り、男はまんまとミッションを成功させた。
大量の札束が入ったアタッシュケースを持った男は、オールバックの髪型のままサングラスを外して再びニッコリ笑う。
こうしていると温厚で隙だらけの人間に見えるのになぁ・・・と、自分よりも15cmは高い位置にある顔を上目遣いに見る。よくよく見れば、癪に触る程のイケメンだ。黒いスーツでビシッと決めて、金色の髪を後ろに撫でつけてもまったく嫌味を感じさせないスマートさだ。正直、同じ男としてあまり愉快な気持ちにはなれず、俺の眉間に皺が寄る。でも男はそれに気付いているのかいないのか、人懐っこい笑みを浮かべて頭を下げた。
「やぁ、ありがとうございました。さっき取り立てに行ったらターゲットが犬を飼ってるのを初めて知って、一時退却したのについてきちゃうし・・・・苦手なんですよ、犬。新人に事前の調査を任せきりにしてしまった所為でエライ目に遭ったけど、君のお陰で助かりました。後日改めてお礼がしたいので、もし良ければお名前と連絡先を教えてもらえませんか?あ、失礼。僕、こういう者です」
さっきの堅気離れしたオーラを見た後だけに、差し出された名刺に手を伸ばすのは躊躇われ、俺はスーパーカブ・ストロングエドワード号のエンジンをかけると、さっさと跨り手を振った。
「なんもいらねぇ。それよりアンタ、ここら辺は駐禁取り締まりの強化エリアだぜ。今度ここらで仕事する事があったらパーキング入れるか、そうでなかったらチャリにすれば?じゃあな」
なんでそんな親切なアドバイスをしてしまったのかは謎だ。多分、こんな隙のないイケメンに気の毒になる程の弱点があるのを目の当たりにして、ほんの少し同情心みたいなものが湧いたのかもしれない。
その後戻る途中で『妙なヤツだったなぁ』と思いはしたけれど、店に辿りつく頃には俺の思考からその男の事は綺麗サッパリ忘れ去られていた。
だから、その男とはそれっきりの筈だったのだ。少なくとも、その時の俺はそう思っていた。
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