暑苦しい男(後)

 

 

 

 


 

 

 

自慢じゃないが、僕の恋人は美人だ。それも飛び切りの。あ、やっぱり自慢になってしまうかな。

白磁の肌に、さらさらの金の絹糸の長い髪。同じ金色の瞳は男の支配欲に真っ向から挑戦状を叩きつけるような強い光りを放ち、少し高めの掠れた甘い魅惑的な声は逆に欲情を引き出すかのように艶めいている。小柄ながらバネのようにしなやかな肢体。そしてその桜色の唇から発せられるのは、甘さを一切排除したこの上なくドライな暴言の数々というこのギャップがまた堪らない。天才的な頭脳の持ち主であるのに、それでいて日々努力を怠らない勤勉さも併せ持つ。更にその胸の内には深い優しさが人一倍備わっているのだから、もうケチのつけようがないのだ、この人は。

 

それにしても、幼い頃から誰よりも間近でこの人を見続けてきた僕でさえ、あの利かん気でガラが悪く生意気な子供がこんな風に成長するとはよもや思ってもいなかった。まあ、今でも十分利かん気でガラが悪くて態度が大きいのだけど、あまりに麗しい容姿がそれらを補ってもまだ余り有るのだ。

 

 

 

さて、今日は久しぶりに特に用事もない二人揃っての休日だ。昨夜はここのところ忙しかったせいで疲れている恋人の身体を慮って手を出さずに大人しくしていた僕だけど、今朝になり、すっかり疲れを癒したらしいその人の姿を確認したからには行動あるのみだ。

 

それはもうしつこいったらないシツコサで、本を読みふける兄の横で根気強く延々と声を掛け続ける。始めの内こそ何と馬鹿げた行動だろうかと自分で思っていたけれど、次第に「兄さん」と口に出すこと自体が妙な幸福感を僕にもたらして、思考の世界に熱中する美しい横顔を堪能しながら呼びかけ続けた。

 

 この人の集中力は驚異的だ。一度本を読み出すと、周りの音や声が耳に入っても無意識にシャットアウトをかけているらしく、生命の危機に関わる事態以外には全く反応しなくなるのだ。だから当然相槌を打たない代わりに文句も言わないから、僕は幼い頃からこの兄の特性を利用しては普段堪りに堪った鬱憤を晴らしていた。子供の頃は大抵兄に対する日々の恨みつらみや子供らしい他愛のない暴言を、恋人となった今では普段なら絶対に口にさせてもらえない糖度500%くらいはありそうな甘い睦言を、その耳にタップリと注ぎ込む。

 

 「兄さん。アイシテルよ。綺麗だな。小さくて可愛いな。あとで一杯キスさせてよね」

 

反応はない。僕の睦言はまだ続く。

 

 「昨日はさ、疲れてるかなあって思って我慢したんだよ?だから今日は頑張ってよね。たまにはいつもと違うシチュエーションを試してみようかな。でもそんな事しなくても兄さんって本当にいつまでたっても初々しいんだけどね〜。それでいて異様に感じやすいし。なんでそんなトコまで理想的な恋人なんだろうね。だいたい、そんな感じやすい身体でどうやって女の人を抱いてたのかな、な〜んて余計な事考えちゃったり・・・・」

 

睦言というよりもセクハラじみてきた僕の不穏な発言にも、勿論無反応。

 

「いいのかなあ・・・・。黙っているともっともっと不埒な事言っちゃうよ?兄さん兄さん兄さん兄さんにいさ〜〜〜〜ん?」

 

あ、瞬きの回数が増えてきた。今ほんの一瞬だけど僕の方を見たよね?よしよし、もうすぐこっちの世界に戻ってくる頃かも知れないから、普通の呼びかけに戻そうかな。

 

 

 

「兄さ〜ん?兄さん兄さん兄さんにいさんにいさ〜〜〜〜〜んん」

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「ねぇ。ねえねえねえねえねえねえねえねえねえったらぁ〜〜〜〜んん」

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 

「あ、そう。無視するの。じゃあ仕方ないからそろそろ禁じ手の必殺エロボイス・・・・・・」

 

「何か用でも?あるほんす君」

 

お帰りなさい、兄さん。やっと戻ってきてくれた。

 

 

 

 

 

家での僕がいつでもこんなやに下がっただらしの無い状態なのかといえば、実は全くもってその通りだ。僕自身でさえ、こんな恰好の悪い男が自分の何処に隠れていたのかと不思議に思うくらいに別の人格が表出してきて、初めの内はかなり困惑したものだった。過去散々多種多様な相手と恋人らしき関係を結んできた僕だけど、一度としてこんな風に崩れたことはなかった。会っているとき以外に恋人の事を考えることは殆どなかったし、情事のあとなどには逆に冷めた気持ちにさえなっていたように思う。そのときにはそれなりに好きだと思って付き合ったはずの相手なのに、だ。

ところが、この人と恋人の関係を結んでからというもの、僕の世界はガラリと変わった。信じられないことに、僕の頭の中には常にこの人がいる。何時何処で誰と何をしていても、必ずだ。散々身体を繋げて欲求が満たされた後も、いつまでもケジメ無くその人の身体を放してあげられない僕は、優しい恋人から向う脛や鳩尾にピンポイント攻撃を貰うこともしばしばだった。その痛みに思わず涙ぐみながら、コレが本当の恋というものかとありきたりな台詞が脳裏に浮かび、これが愛というものだったのだとあまりにも使い古された言葉の意味を心の奥底で噛み締めた。

 

そんなわけで、その恋人の近くに身を置いて暮らす僕の日常は、もういつでも一大事だ。アドレナリンが大量に分泌されて、気をつけていないと呼吸は荒くなるし、汗は噴出すし、瞳孔は絶対に目一杯開いているに違いない。恋人から口癖のように言われるし、自分でもそう思う。この人と一緒にいる時の僕ほど暑苦しい男もいないだろうと。

それだから、僕がどんなに表面上穏やかな笑みを湛えていても、本能的に身の危険を察知した恋人が僕の間合いに近づいてくることは殆どない。

甘い台詞で堕とそうと思っても乱暴な言葉ではぐらかされ、その身体を捕らえようとしてもヒラリと身をかわされ、僕の幸福なはずの恋の日々は切なさとの壮絶な闘いでもあるのだった。それでいてふとした拍子に此方を窺うように見るその人の表情や仕草といったらそれはもうこの世のものとは思えない艶っぽさで、これでは襲うなという方がどだい無理な注文だろう。

 

 

 

 

母さん・・・・・貴女はなんという魅惑的な天使をこの世に産み落とし賜うたのか。兄は今、世の雄達から欲望の対象とみなされ卑猥な視線を日々浴び続けています。僕は気が気でなりません。アーメン。

 

「お前さ、エッチな事する度、食前の祈り風に天国の母さんに話しかけんのよせよ。大体『雄達から欲望の対象云々』とかほざいてんじゃねえ!俺みたいな野郎なんぞに欲情する変態はお前くらいなモンだろうが!こんのアホタレ!」

「痛ぁい〜イタイヨ〜耳引っ張らないでよ〜」

 

ここは庭の植え込みの影。今は日曜の正午前。そんな中、ほぼ全裸で組み敷かれながらも口汚く罵りつつ僕の耳を容赦なく引っ張り上げてくる強気な恋人に、もうメロメロな僕だ。   

毎度毎度、こんな風に至って健康的な雰囲気で僕たちの愛の営みは始まる。本当はもっとこう・・・・雰囲気が盛り上がって、視線を絡ませて、うっとりとキスをして・・・・なんていうシーンが僕の理想なんだけど、この人相手にロマンスを求めるのは無謀というもの。

 

僕の台詞が余程勘に触ったらしく、いつまでも耳を引っ張り続けることを止めようとしない恋人の胸と耳の裏側をそろりと撫で上げる。これでスイッチが切り替わるはずなのだ。

 

 「ん・・・・・・・っ!」

 

 ほら、ね。びくりと全身を震わせて、僕の両耳から離れた手が今度は胸を押し返すような動きをする。いつもの強気な瞳が途端に潤んで、眉をひそませて、唇をわななかせ、瞬く間に全身を桜色に染めあげる。なんて愛おしい。

 堪らないという表情で顔を逸らしている恋人の胸の飾りを片方ずつ舐ると、もうそれだけで身体中を大きく震わせて抑えきれない啼き声を僕に聴かせてくれる。

 

「アル・・・・・ッ!や、あ、ああ・・・・・やっぱここじゃヤバイ・・・って・・・!」

確かに。庭木の手入れをするにはおあつらえ向きの今日の天気。そして隣家のご主人の趣味は、庭の草木の手入れをしながらそれらをのんびりと愛でる事なのだ。以前玄関先でキスをしている現場を目撃された時には寛容にも見ぬ振りをしてくれたようだけど、流石に情事の最中の声を聞かれるのはマズイだろう。しかし困ったことに、僕の中にいるもう一人の僕がその良識を隅に追いやってしまうのだ。

羞恥に震えながら逐情する兄の姿を見たくはないかと、悪魔のような囁きが問いかけてくる。

 

勿論見たい。そんなの見たいに決まっている。

 

自分でもこんなに欲望に忠実でいいのだろうかと不安になるけれど、僕がこの恋人を前にしてしまえばどんな我慢もできよう筈がないのだ。

 

「ごめんネ。これ、噛んでて」

そう言いながら恋人の口元に脱いだ自分のシャツを持っていくと、意外にも素直にそれを口に含んで顎を引き、声を漏らすまいと覚悟を決めたようだった。閉じた瞼の金の睫は濡れて震えていて、生身の左腕だけを僕の肩にまわし、機械鎧の右腕は不用意に動かして僕を傷つけない為の配慮だろう、硬く拳を結んで折りたたんだそれを自分の身体にぎゅっと引きつけている。

 

その健気な姿を目にした途端、僕の中の悪魔が急激に覇気を失った。

 

力を込めるあまり、小さく震えている機械鎧の腕にそっと指で触れた。機械の腕には当然触覚などないから、兄はまだ気がつかずにそのまま身を硬くしている。両腕でその折りたたまれた機械の腕を身体から引き離してみると、押し付けられていた右の胸に痛々しい赤い痕を残していた。

 

「ごめん・・・・・兄さん。僕は時々、自分が酷く嫌になる」

 

その赤い痕を唇でなぞる。どうしようもなく自分勝手で我が侭な僕を傷つけない為に、自分の身体を痛めることも厭わない兄。敵わないなあ、とその愛の深さに自分の矮小さを思い知らされ泣きたい気持ちで苦笑をもらした。

 

「アル?何急に萎えてんのお前?・・・・ああ、やっぱり。明るいトコでまともに見たらそうイイモンでもなかったろ俺のカラダ?」

 

何を見当違いな事を言っているのか、この馬鹿兄は。

 

「何言ってるの?アナタみたいな綺麗でエロい身体、僕は他に知らないよ。萎えたのはただ単に自己嫌悪の結果」

「き・・・・・ッ!?エ・・・・・エロ・・・・・ッ!?てめえ!さっきから大人しく黙って聞いてりゃヒトの事エロいエロい言いやがって・・・・」

 

ううん。ちっとも大人しくなんかなかったし、黙って聞いてもいなかったけどね。

 

心の中でそう突っ込みを入れながら、その唇に優しい優しいキスで蓋をした。兄はされるがまま、やがて静かに目を閉じた。

 

 

 

 

長いキスの後、僕はそっと兄の上から身を起こしてその目を見つめながらゆっくりと服を着せ直した。

 

「アル?マジでどうした?俺、何か気に障ることでもしちまったか?」

 

心配顔でそんな事を聞いてくるその人の言葉に、僕は胸に締め付けられるような圧迫感を覚え、無意識にまだボタンを留めていない自分のシャツの胸元を握り絞めた。

 

「オイ、どうかしたか?胸か?苦しいのか?アル・・・・!?」

 

「苦しい・・・・・・痛い・・・・・・・助けてよ、兄さん」

 

「アル・・・・・?」

 

思い切り力任せに抱き潰してしまいたかったけど、ぐっとこらえて兄の小さな身体を胸に優しく抱きこんだ。

 

「兄さん、兄さん、兄さん・・・・・・・・」

 

ただただこの人が愛おしくて、とてつもなく切なくて、何よりこんな自分が申し訳なくて、僕は夢中で兄の身体を抱きしめながら、その首筋に顔を埋めた。兄は子供を寝かしつけるような仕草で、ぽんぽんと僕の背を手のひらで優しく叩きながら言った。

 

「分かった分かった。男は結構デリケートなんだよな?気にすんな。まだ若いんだから、そんな心配しなくてもまたすぐちゃんと起つようになるって」

 

・・・・・・・いや兄さん、それはあまりにも酷い勘違いだよ?

 

 

 

「フ・・・・ッ!ふふふふっ。もう、本当に聡いんだか鈍いんだか分からない人だよね、アナタって人は」

 

 「お前もワケ分かんねェ。何勝手にひとりで落ち込んでんだよ?」

「ごめんね、兄さん。ウィンリィと約束したのに。あなたを大事にするって。絶対に泣かせないって。僕はなんだか反対のことばかりしてしまう」

 

 つい今まで無理やりこの人が嫌がることをしようとしていたのに、今度はこんな愚痴まがいなセリフを吐いている自分にますます嫌気がさしてくる。兄もきっと呆れているだろう。もしかしたら愛想を尽かされてしまうかもしれないな。

 

 「あのな、アルフォンス」

 

 兄が僕の名を略さないで呼ぶのは、決まって大事な話をするときだ。だから僕は黙って次の言葉を待った。

 

 「言っとく。この世でただひとり、お前だけが、この俺を自由にする権利を持ってるんだぞ。さっきみたいなことだって、俺はもう生涯お前としかしねぇ・・・つか、出来ねえ。だからさ、そんなカオすんな?俺は十分大事にして貰ってるし、例えそうでなくたってお前の我が侭だったら、兄ちゃん何だって聞いてやる気でいるんだぜ?」

 

 何という殺し文句だろう。この人はいつだって、僕が必要としているときに一番欲しかった言葉を当たり前のように与えてくれるのだ。

 

 胸が苦しくて、痛い。でもそれらが残す余韻はただひたすらに甘く、僕の心に刺さっていた小さな棘を魔法のように取り去っていく。

 

「僕だって、もう一生あなた以外の相手をこんな風に愛したりする事なんて出来ないよ。だから・・・・・・だから、本当はもっともっと大事にしたいんだ。いつもそう思ってるのに、何でかな。本当にごめん」

 

 

しかし無情にも次の瞬間、腕の中で大人しくしていた人がひょいと顔を僕に向け言った一言が、それまでの感動を全て台無しにした。

 

 

「だってお前、超サドだもんなあ。それは仕方ねえんじゃね?」

 

「・・・・・・・・・・・」

 

確かに僕は、この人との間にロマンスや情緒を絶対に求めないと肝に命じていた。

だけどさ、これはあんまりだと思わない!?僕はこれ以上なく真剣に、如何にして愛する人を幸せにできるかと思い悩んでいたのに、その僕の懊悩煩悶を「超サドだから仕方ない」とのシンプルで残酷な一言で括られ強制終了されてしまう理不尽ってどうなの。ここで多少自棄っぱち的心境のままにお茶目な行動に走ったからといって、誰も僕を責める事は出来ない筈だ。

 

「そう。じゃあ僕たちの性生活の明るい未来の為に、兄さんにはぜひともマゾヒストになって頂かなくては・・・・・ね?」

 

「あ、またお前、そういう物騒な目をする・・・・・よせよッ!!!」

 

今日は日曜日。腕の中からするりと抜け出し家の中へと逃げ込んだ恋人をゆっくりと追い詰めて時間をかけて蕩けさせ、今までとは違った趣向の快楽を教え込む余裕はたっぷりとある。僕のお願いとあらばどんな無茶でも聞いてくれるという事だし、折角だからそのお言葉に暑苦しく甘えてみようか。

 

僕は兄が脱ぎ散らかしたままの靴や、分厚い研究書、陶器製のポットなどを一纏めに両腕に抱え込み、うきうきと兄の後を追った。

 

 

 その後僕と兄がどんな一日を過ごしたのかは秘密だけれど、何故これ程までに恋人とのベッドでの相性が良好だったのかその『明確な理由』を、僕がこの日認識したという事だけは明言しておく。 

 

 

 

 

 

 

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お兄様は、マゾだったのです・・・!!!なんてな〜。しかし頂いたリクは「野外プレイ」だったんだけどにゃ〜・・・・

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