暑苦しい男(前)
突然だが、アルフォンスの性格には著しく二面性がある。
その容姿は母親譲りの優しげな顔立ちながら凛々しさも兼ね揃え、上背もあり骨格もしっかりしていて筋肉だって申し分なく装備されている。物腰は柔らかく、自分で言うのもなんだが何事においても粗野な言動が目立つこの俺の弟とは思えないほどに洗練された品のある立ち居振る舞いをする。頭脳に至っては、かつては人々をして天才と言わしめた俺を凌駕するレベルだし、その上体術にも長け、加えて周囲からの人望も厚い。(時々弟に感じよく笑いかけられているのに青くなって震え上がる人間がいるけれど、その辺りの事情は深く考えないようにしている) だが、そこはやはり人間だ。欠点がない人間などこの世にいる訳もなく、チョット見完璧なようなこの男にも、それなりにマズイ箇所がしっかりとある。 それこそが、この性格の二面性なのだ。
「に〜ぃさ〜ぁ〜〜〜〜〜ん」
「・・・・・・・・」
「ねえ〜〜〜〜、もう一回こっち向いてよ〜〜〜〜〜」
「・・・・・・・・・・・・・」
「兄さ〜ん?兄さん兄さん兄さんにいさんにいさ〜〜〜〜〜んん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ねぇ。ねえねえねえねえねえねえねえねえねえったらぁ〜〜〜〜んん」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「あ、そう。無視するの。じゃあ仕方ないからそろそろ禁じ手の必殺エロボイス・・・・・・」 「何か用でも?あるほんす君」 「もう、聞こえてるクセにぃ〜なんでそんなにつれないの兄さんってば〜1時間40分も呼び続けてたのに〜」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 日曜日の今日は初夏の日差しが気持ちよく降り注ぎ風も穏やかな外出するにはもってこいの日和だが、生憎ここ数週間仕事に忙殺され手に取ることさえできなかった新鋭の錬金術師による分厚い研究書の山を前にした俺が、コレを放り出してのんびりダラリンと暢気に散歩なぞするわけがない。平日以上に早起きをし、弟との日課の組み手も早々に切り上げ朝食も腹に入ればそれで十分とばかりに乱暴に詰め込むと、リビングのソファに陣取り早速本を開いた。
今このアメストリスを中心とした国々では、錬金術師達が続々と新たな定説を打ち出しては多くの研究者達の間で論議を沸かせている。15,6年ほど前から始められていた国をあげての錬金術師の育成計画がようやくその実を結び始めたらしく、特に最近では20歳に満たない歳若い優秀な錬金術師の台頭が目立った。そしてその錬金術師達が発表する論文は、よくよく見れば結局過去既にあった研究の焼き直しであったり、理論自体に致命的な矛盾点があったりするものも多くみられたけれど、中には型破りで面白い構築理論や、新たな興味深い定説について書かれたものもあって、俺は砂の中から金の粒を探し出すようにわくわくとページを繰った。
夢中で文字に集中し、様々な理論を頭の中に思い起こし比較、考察を繰り返す。なんという満ち足りたひと時だろうか。錬金術おたくと罵られようが、こうして本の山に埋もれて文字を目で追いながら思考の世界に入り浸る快感は他の何物にも代え難い。しかし、半ば恍惚とさえしはじめた俺の世界をぶち壊すように「兄さん兄さん兄さん兄さん」と甘ったるい猫なで声が延々と聞こえているのはどうにも頂けない。無視をしていればそのうち諦めて一緒に本でも読み出すだろうと、放置したまま先ずはハードカバーの1,341ページの本を読み終える。まだにゃあにゃあと甘え続けるのを更に放置したまま昨日手に入れたばかりの革張りの表紙が無駄に立派な2,015ページの研究論文を読み終える。それでもにゃあにゃあにゃあにゃあいっているのを更に放置して目の前の山の中では一番分厚い2,977ページの本を・・・・・・。
いつまでにゃあにゃあ言っているつもりか。気付かれないように横目でチラリと覗き見れば、端整な顔をだらしなく弛ませて、いつもは甘く張りのある凛々しい声をこれまたみっともなく間延びさせてにこにことシツコク俺に呼びかけ続けている。その見目良い容姿と明晰な頭脳と恰好良い声を、なんでそう無駄にするのか勿体無い。いいから、兄ちゃんに構ってデレデレする暇があれば自分のやりかけの研究を進めるとか、趣味のレース編みで前人未到の大作に挑戦するとか、出来る部下に囲まれて暇を持て余している黒髪の上官に悪戯電話をかけてみるのだっていい。とにかくそのだらけた態度を改めてくれ弟よ。あ、しまった。ばっちり目があってしまった。拾うつもりのない野良猫や野良犬とは絶対に目を合わせてはいけない。こっちの関心が本から逸れたことを悟ったヤツが構ってもらえると勘違いして、更にしつこさ50%増しにエロボイスのオプションまでつけようとするから俺はとうとう声を上げた。
「1時間40分も無駄にしやがってアホじゃねえのかお前・・ぐえ・・・・ッ」 「ふふふ・・・・ッとうとう返事をしたね、兄さん?僕の根気勝ちだよね。もう観念して」 「お、重いっつーの!無駄にデカクなりやがって退きやがれコノヤロウ!」
さっきまでにゃあにゃあ言ってたヤツが、今度は見えないふさふさの尻尾を千切れんばかりに振って馬鹿犬のように俺の上にのしかかってきた。オイ、息が荒いぞ!
「貴重な休日の時間を無駄に使うな!お前実は馬鹿だろう?そんなに暇なら庭の手入れでもして来いよ」 「あ、酷いんだ。何も僕は暇だから兄さんにちょっかい出してたわけじゃないよ?」 言いながら仰向けに倒された俺の胸にグリグリと押し付けてくる頭を乱暴にかき回してやった。 「仕方ねえな。じゃあ、俺は庭でコイツとコイツと・・・・あとはコイツ。この3冊だけ読んで終わりにするから、お前はその間芝の手入れでもしてな」 「そのあとは?」 「ご随意に」
途端に喜色満面の笑みを俺に向けるからいけない。その笑顔見たさに、いつも結局はこうして弟の好きにさせてしまうのだ。俺もまったく懲りないヤツだと自分で呆れながら本を手に、いそいそと芝刈り機を庭に運び出している弟の後を追った。
この家の南側にある庭には弟のたっての希望により、桜の木が植えられている。年に一度だけほんの数日しか見ることが出来ない、しかし見事な薄桃色の花が一斉に咲き誇る様は確かに美しく、遥か東の国では殊に愛されている木だというのも頷ける。この家を買った当初は殺風景だったこの庭も、弟の手により多種多様な草木が植えられ、所々には俺が錬成したごつくも素晴らしい造形美を持つ大小様々なオブジェが効果的に配置されていて、今ではなかなかのものだ。 俺はその桜の根元に寄りかかり、豊かな新緑が作る程よい日陰で読書の続きを楽しんだ。時折前髪を揺らしていく風が気持ちよく、ふと目をあげれば芝刈り機で丁寧に芝を刈っている弟の横顔が見える。 日の光を浴びて、輝くようにゆれる金の髪。少し汗ばんだ男らしい額や顎や首のライン。ゆったりとした動作がなんとも弟らしく、熱中しているときに必ずする首を少し傾ける仕草に自然に笑いが洩れた。
『イイ男だよなア・・・・・』 そんな事をしみじみ思ったりする自分は、もう手のつけようがない程この恋人に夢中なんだろう。こうしていつも通りに普通にしていれば非のうちようがない色男の癖に、家で俺と二人だけで過ごすこいつといえば、さっきのようにだらしなく締まりのない表情で、発情期の野生動物のように擦り寄ってくるから暑苦しいことこの上ない。クールなモテ男の見本の様な表の顔と、暑苦しく鬱陶しい男の典型の様な家での顔。ここまで極端な二面性もどうだろうか。
「終わった?」 こちらを見ていた様子はなかったのに、俺が本を脇に置いた途端に弟が声を掛けてきた。 「まあな。お前は?」 「まあね」 庭の隅にある水道で手を洗い、汗を拭いながら俺の隣に腰を下ろした弟に、持ち出していた氷の入ったポットからアイスティーを注いだグラスを手渡してやる。 ゴクリと音を立てながらうまそうに飲む男くさい横顔を、また無意識に見てしまう。ヤバイ。目を逸らせ。今コイツと目があったりしたら不埒な展開になることは必至だ・・・・・・!
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
「エロい顔」
「な、なななななにぃ〜〜〜〜〜ッ!?」
うっかり逸らせないまま此方を向いた弟と目があった途端、ぼそりと失礼なコメントが寄越されて俺は飛び上がった。よりによって『エロい顔』とは一体どういう了見だ!?
「何って・・・・・・・まずは、そのもの欲しそうな目つきがエロい」
「妙な言いがかりつけてんじゃね・・・・・・」 「二つ目は、その少し開いた唇」 健康的な日差しの下で口にするには不似合いな台詞にカッとなる俺の唇に親指で触れながら、金の射貫くような目を向けてくる。ついさっきまでの、あの締まりのない男は一体何処にいっちまったんだ!?
「三つ目は、その唇の隙間から覗いてる舌・・・・・気付いてないみたいだから教えてあげる」 そのままヤツの親指が俺の唇の隙間を掻い潜って咥内に侵入し、舌先を弄りだした。 「ふ・・・・・・う・・・・・・」 「さっきみたいに僕を盗み見るときのアナタ、舌先で上唇を舐めてるんだよ・・・・・・いつもね」 「ふ・・・・・・・・フホハ・・・・・ッ!!」
まさかそんな馬鹿な!!!この俺がそんなエロくさい事するもんか!それはお前の願望が見せる幻覚だ!
そう言いたいのに、そのままぐいと引き寄せられてあっという間に俺はヤツの腕の中。もみくちゃに抱きしめられながら真昼間の庭先でありえないくらいディープなキスを仕掛けられ、瞬く間に抗議することを忘れさせられた。
何がやばいって。
この状況下で、その腕から逃れることすらすぐには思いつかない自分がヤバイ。 待て待て待て待て待て待ってくれあるほんす。ここが何処だか分かってるのか!?・・・・・・分かってるよな。ああそういう奴だよお前は!
「そ・・・・・そんな、トコ触ンじゃねえッ」 「そんな事云ってしっかり起ってるよ?素直で可愛いよねぇコッチの兄さんは」 「ただの生理的な反応だ!条件反射だ!俺はこれっぽっちもエロい気分になんかなっちゃいねえかんな!」 「はいはい。じゃあこれからそういう気分になろうね」 軽くあしらわれ、そのまま芝生に引き倒されて圧し掛かられる俺。絶体絶命の大ピンチだ。またいつかのように、隣家のオヤジにこんなトコ目撃されてみろ。(そん時はキスだったけど)今度こそ、この界隈では暮らせなくなっちまう。※続ふたりだけの真理・誓約参照
「アル・・・・・アル。頼むよ。マジで嫌だ、ここじゃダメだって」 演技したわけでもないのに、上手い具合になんとも情けない声が俺の口から飛び出した。しかし予想外にその効果はテキメンだったらしく、動きを止めた弟はすぐさま俺を抱き上げて場所を変えるべく移動を始めた。これで何とかピンチを脱したかと思いきや、弟が足を止め俺を下ろした場所は家の外壁と庭の植え込みの間にある1メートルほどの隙間だった。
「・・・・・・?」 「ここなら絶対安全。ね?」
「ね?」じゃねえよ!「ね?」じゃあ!!!!ここまできたら、あと数歩で家の中じゃねえか。それを何ゆえにわざわざここで致そうとする?あくまで『外』に拘るつもりか今日の奴は。どっかで誰かにヘンな官能小説でも読まされたんだろうか。・・・・・などと考え事をしている間にも、恐るべき器用さでもってヤツは俺のズボンと下着を纏めて引き下ろし、シャツのボタンなどはいつの間にかひとつ残らず外し終えている。ありえねえ早業だ。なんて無駄な特技だろうか。 しかしこれで俺の避難経路は完全に封鎖されてしまった。何故なら、この植え込みから部屋へと行くには否が応でも一度は隣家から見える5メートル程のデンジャラスゾーンを、いかにも「たった今、私ゴーカンされてました」的スタイルで駆け抜けなければならないのだ。服を着直していけばいいのでは、などと浅はかな事を云ってはいけない。服を直している間に無防備になるところを一気に攻め込まれる事は必至だし、たとえ上手く服を着たところで、その倍の速さで再び剥かれる事もまた必至なのだ。 こうなったら俺に出来る事はただ二つ。ひとつは協力的に行為に没頭し少しでも早くこの野獣を満足させる事。そしてもうひとつはその間、決して怪しげな声をご近所様に聞かれないよう堪える事だ。
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