桐吾のマンションの前に、楓月が立っていた。

 制服のままの楓月は、髪型も梨月のようにしてあって、黙って立っていると梨月なのか楓月なのか、友だちにすら判別がつかない。

 それは意図してそうしていたのだが……。

「なにしてんだ楓月」

 肝心の相手に通用しないのだったら意味がないではないか。

「へえ、なぁんだ。間違わないんだ」

 これですんなり騙されるようだったら、いっそ本気で邪魔してやろうかと思ってたのに。

 そう思いながら楓月は、近づいてくる桐吾を複雑な思いで見ていた。

「話、あるんだけど」

 普段の少しおっとりしたようなのとは打って変わった冷たい態度で言って、桐吾の反応すべて見逃さないようにじっと見た。

「……俺もちょうど、お前と話したいと思ってたところだ」

「なにそれ。あんた、俺に用なんかないでしょ?」

「お前に直接用があるわけじゃないけどな……梨月はどうしてる?」

 もっと遠まわしに聞いてくるかと思っていたのに、意外に、というかいかにもなストレートな質問に、楓月は思わず苦笑する。

「あんたほんと、つくづく梨月の周りにいなかったタイプだよね。普通それを俺に聞く?」

 楓月が邪魔をしていたのをわかっていないはずがないのに。

「おまえが一番側にいるだろ?聞くには最適な相手だと思うが?」

「そうなんだけどさ。あ〜もう、ほんとやだ」

 大きくため息をついて、頭をわしわしとかきむしる。

 なんで梨月はこんなやつを……と思うが、それこそ本人にもどうしようもないのだ。

 だから、楓月は今日ここに来たのだから。

「梨月、元気か?」

「元気なんかじゃないよ!梨月がずっと変なの、あんただって知ってるだろ?一体何したんだよ!」

「心当たりがねぇから、お前に聞いてんだろ?……こっちだってお手上げ状態なんだよ」

 前置きもなく楓月に直接聞いてくる事の裏には、桐吾自身どこから手をつけたらいいのかわからないからでもあった。

 捕まえようとしても、どんなことをしても逃げようとする。まともに話をするどころか、声をかける隙すらない。

 何が梨月の態度をあそこまで頑なにしてしまっているのか、さっぱり検討もつかないからどう手を打てばいいのかわからない。すこし時間を置いたら態度も緩和するかとも思ったが、一向に頑なな態度のままで……本当にお手上げだった。

「なに?あんた自分でも何したかわかんないの?梨月があんだけ他人を避けるのってよっぽどなんだよ?」

「不本意ながら…さっぱりわかんねぇ」

「うっわ……」

(サイアク)

 桐吾に何があったかちゃんと聞いて、それから梨月とも話そうかと思っていたのに、当の相手がこれじゃ……。

「ここ来た意味ないじゃん俺」

 なんだよ……とがっかりする楓月を、桐吾はじっと見ていた。

「……なに?」

 鬱陶しそうに見返す楓月に、桐吾はふと笑いを漏らす。

「なにがおかしいんだよ?」

「いや、やっぱ甘ったれた態度は、相手が梨月限定の演技だったんだな、と思ってな」

「わるい?」

 化けの皮がはがれているのは承知の上だ。むしろわざと本性を曝していた。最初からりっちゅとは言わずに、梨月と言う事で。

「悪くねぇよ。それも全部梨月のこと思ってだろ?」

「そうだよ。あたりまえだろ。でもなんだよやっぱりって」

「んなもん、見てりゃ丸わかりだろ。本当に甘ったれたやつってのは、どっか、いつも人に依存してるような部分があるもんだろ?なのに、梨月に甘えるようにしながら、あいつの許容量に合わせて態度を変えて……どっちかっつったら、おまえがうまく梨月の心をコントロールしてやってるって感じだろ?」

「それ、間違ってはないけどさ……でもコントロールとかやめてくれる?やな言い方」

「そりゃ、わるかったな」

桐吾はちっとも悪そうじゃない言い方で言った。

「俺はただ梨月の事が大事なの。できるならずっと傷ついたりして欲しくないだけ」

その思いがだんだん甘えた態度になっていったのだが、今はなんだか、甘ったれた振りをわざとしてるというより、それが楓月の元々の性格になりつつあって、楓月自信どれが本当の自分だとかいう観念がなくなってしまっているのが事実なのだが。

「のわりに、随分色々迷惑かけてるみたいだけどなぁ?」

たしかに楓月のとばっちりで迷惑をかけていることもまた事実なのだが、

「あれはだってしょうがないんだよ。だって、俺のこともっと構って欲しいのがほんとの気持ちだし」

 梨月に怒られる事さえ嬉しく思うのだから、どうしようもない。

「ったく、そのへんやっぱ小悪魔っつのも当たってるよな」

「うるさいよ」

だが、桐吾の言うことは本当に的を射ていた。

梨月の不安定な心を、誰よりもよく知っているのは楓月だった。

誰のことも拒むことなく受け入れるかわりに、心の深くまでは絶対に踏み込ませない。寛容なのかと思えば、妙なところで臆病で、無意識に一線を引いてしまっている梨月。

その一線を、楓月には引かずにいてくれるのは、双子の兄弟だからというのももちろんだが、なにより楓月が甘える側にいる、というのが大きかった。

自分が甘えられる相手を、無意識に作らない、作れない梨月。

それが何故か、楓月にも理由はわからなかったが、本能でそんな梨月を理解し、だからこそ梨月の前では兄でありながらも常に甘える事を選んでいた。

「あんたの事俺、ほんとは認めたくないんだよね。梨月の精神衛生上あんた、今のところサイアクの相手みたいだし」

「それに関しては、返す言葉もないな」

楓月は梨月の事を想っているからこそ、悩んでどんどん元気のなくなっていく梨月を見ていたくない。できることなら、自分がなんとかしてやりたいが、それが無理なのもわかっている。

 一番頼みたくない相手だが、桐吾しか、きっともうどうする事もできないのだろう。

あれほど反発しているのは逆に言えば、それほど欲しているからなのだ。一線を引く裏にある臆病さに気づかずに、離れていった過去の相手と違って、桐吾は梨月を理解していた。

だから、梨月もそんな桐吾に惹かれたのかもしれない。

「ちょっとしたことでもあからさまに反発する梨月って、今まで見た事なかったから、本気で驚いたんだ。でもさ、あんたと本気で言い合ってる梨月、なんだか生き生きしててさ……なんか楽しそうでもあるんだよね、悔しいけど。最初は邪魔したりしたけど、少しずつ認めようかな、って思ってのにさ」

 本当にしょうがないから、仕方なく、認めよう、そう思った矢先に、梨月の態度が急変してしまったのだ。

 何かあったのだろう事はどう見てもわかるが、梨月は意地でも話してくれないだろう。

 そう思ったのだが。

「まあ俺だって、十四も年下のやつ相手に遊びで手を出したわけじゃねえよ」

 と、またもや何の前触れもなく爆弾発言をかましてくれて、楓月でさえぎょっとしてしまった。

「え……」

 なに、ちょっとまって。

「うっわ……まさかもう手を出しちゃってたの?!」

 これ以上ないくらい驚く楓月に逆に桐吾が驚いた。

「なんだ、知らなかったのか?」

「……」

 知らないも何も、その辺りの事を一切話してくれないのだ。だからわざわざこんなとこまで来たというのに、まさかそんなことになっているとは思いもしなかった。

「え、だって……いつ?……って、あの日だよね……え?なんでそんな……」

 尚斗と会った日、何故か桐吾の家に泊まったらしい事はわかったが、もしかして、と思いもしなかったといえば嘘になるが、でもまさかほんとにそんな事になっているとは……。

「ああ、まあ、とにかく、その事は別にお互い合意の上だったし……だから俺にも、なんで梨月が急にああいう態度になったか本当にわかんねぇんだよ。っとに、こんだけ誰かに振り回されたことはねえぞ俺は」

 はあ、と深くため息をつく桐吾は、本当にお手上げ状態のようだ。

「梨月と話そうにも、何がそんなに引っ掛かってんだか、意地でも聞く耳持たねぇだろ?」

「そ……っか」

 桐吾が本当にわからないのだとしたら、梨月に聞くしかない。

 だが楓月には何が何でも話すつもりはないようだし……。

「だからって今は無理でも、ずっとこのままにしとくつもりはねぇけどな」

「だったらさ、荒療治かもしれないけど……」

 楓月が持ちかけた話を、桐吾はすんなり承諾した。

どんな結果になるかわからないが、今の状態のままでいいわけがないのも事実だ。

 次に進むために、向き合わなきゃね。

 

逃げちゃだめだよ、梨月。








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