不機嫌な恋情 第14話
その日の夜、珍しく涼平から連絡があった。
これから一人で家にこないか、と誘われたのだが、昼間のことがあったのでなんとなく話の察しはついていた。あまり気乗りはしなかったが、あの後まともに口をきいていない楓月と家で二人でいるのも気まずく、誘いに乗ることにした。
「さて、コーヒーでも飲む?」
迎えてくれた涼平はいつもと何も変わらない様子で、梨月を居間のソファに座らせた。
「いらない、なんか話があったんだろ?大体想像はつくけどさ」
どうせなんであんな態度だったのかとかそういうこと聞かれるに決まってる。
だが梨月にも答えようがなかった。どうしてあそこまで自分が変に意識した態度をとってしまったのか説明できないのだから。
ところが、涼平の言葉は梨月の想像とまったく違っていた。
「話っていうか…いや、どっちかっていうと、梨月の悩み相談のつもりだったんだけど?」
なんだって?
「悩み相談?何言ってんだよ」
「だって、昔はよく何でも話してくれてただろ?色んな相談に乗ってあげてたのに、ここ最近はずっとご無沙汰で、兄代わりの俺としてはちょっと寂しくてさ。話聞いてあげるよ」
胡散臭そうな態度にちらりと涼平を見上げるが、どうやらいたって本気で言っているようだ。悩み相談?確かに悩みはしているが、誰かに相談するとかいう種類のものではない。
それに涼平は……。
「兄代わりってったって、楓月のことは弟と思ってないんだろ」
ぼそりとつい本音を言う。
「まあそれはそれ。今は梨月の兄として話聞いてあげるからさ」
梨月の言葉に否定もせずににこにことしている涼平は、実は相当な曲者だ。
そんな涼平の本気の思いを、楓月も知らない気持ちを梨月は知っていた。
あの楓月相手では、涼平ほどの強者でないと相手できないだろうとも思うが、何人もの相手と関係を持っている楓月を傍で見ていて、平気でいられる涼平の神経の太さにいつも驚かされる。
何かの間違いではないか、と思う時もあるが、かなりもてるはずの涼平には何故か浮いた噂がひとつもないことから、どうやら想いは本気らしい。
しかし今はそんなことを考えてる場合ではなく……。
「聞くもなにも、話すことなんてないけど」
「そうかな?」
「……そんなこと言ってっけどさ、いいのかよ涼平」
「ん?なにが?」
「今回の楓月の相手、今までとはちょっと違うんじゃねえの?」
「相手?それって村上さんのこと?」
「…………」
そうだ……。今までの相手は、誰もが涼平と比べるとてんで子供だった。だが今回は……桐吾はおそらく涼平と同じかもっとクセのあるな相手だ。
楓月など逆に手玉に取られるくらいの相手……かもしれない。
「だったらさ、梨月はどうなの?」
「俺?関係ないじゃん」
なんでそこで俺になるんだ。
「……もしかして本当にわかってないの?」
心底あきれたように言う涼平の視線が居心地悪い。
「……なにがだよ」
涼平ははあ、とため息までついて、それからしょうがないな、と苦笑しながら口を開いた。
「あのさ、いつもがどうか見てたわけじゃないからよくは知らないけど、今日店に来て、ちょっと様子を見ただけでも丸わかりだったんだけど?」
「だから何がだよ」
なんでそんな勿体つけたように言うんだ。あまり聞きたくないような気もしたが、気になってしまうのではっきり言ってほしい。
「だから……ねえ、ちょっと梨月。君そんな天然だったっけ?それともまさか初めての事だったりするとかいう?」
「意味わかんねぇんだけど」
本当に涼平が何を言っているのかがわからない。
何? 初めての事? 天然ってなんだよそれ。
「あのさ梨月、君今日楓月に嫉妬してただろ?」
「…………は?」
嫉妬?
何?何を言いだすんだ涼平は。
思いもしなかったといったように、梨月は固まったままじっと涼平を見返していた。
嫉妬……って。は?なんで?
絶句したまま二の句も告げられずにいる梨月を見ながら、涼平は一人考えていた。
本当は、初めて店に来た桐吾と梨月を見た時までは、こうやって口を出す気もなかったし、いつものように見守ろうと思っていた。
どうせ桐吾は梨月なんかが手に負えるような相手でもないし、そのうちどうにかなるだろうと思っていたからだ。
まだ未発達な心を持っていながら、大人ぶってしまう大切な幼馴染みの片割れ。
その頑な心が少しずつ変化していくのを、もどかしくも黙って見ていくつもりではいた。
しかし、今日店での桐吾と楓月との会話と、梨月の様子を見ていて、気が変わった。
楓月の意図する事はすぐにわかった。大方梨月にちょっかい出す桐吾が気に入らなくて、引っ掻き回そうとしているだけだろう。だが今回の相手は、今まで邪魔してきたようにはいかない。相手が何枚も上手だ。
本心を言えば、双子とも大切には変わりないのだが、より愛しく思う楓月があまり傷ついてほしくはないのだ。桐吾相手では、楓月とはいえ軽くあしらわれるだろうし、それだけならまだしも傷つくような事にはなって欲しくない。
それに何より、今日見て確信していた。
おそらく絶対に本人は認めたくないという先入観から気づく事はないだろう。だが、確実に梨月の心は変化しているのがわかる。
他人がどうこう言う問題ではないのはわかっているのだが、このまま楓月が振り回されるのも見ていたくはなくて……。
おそらくキッカケさえあれば……。
「何…言ってんの?嫉妬って、楓月に?さっぱり意味わかんねえんだけど」
やっとのことで言った梨月を、涼平はいたわるような瞳で見ていた。
「そうやって、いくつかあるはずの選択肢を隠して、見ない振りをするのはなんでだい?」
「な……に言って……」
「最初村上さんに食って掛かる梨月を見てさ、驚いたけど、なんか今までの梨月とは違っていて、でもいい事だと思ったんだよね。それで今日、楓月に対する態度見てて、わかっちゃったんだ。だって今まで楓月に彼女取られたりしても、あんなふうに楓月に感情ぶつけた事あった?」
「それは……」
確かに今までとは何かが違っている。邪魔されたわけでもなんでもないというのに、なぜここまで勘に触ってしまうのだろう。だが、
「そもそも、桐吾は付き合ってる相手でもないだろ?それがどうして嫉妬とかいうことになるんだよ」
「確かに付き合っている相手ではないけど……ねえ梨月、本当は理解っているんだろ?」
ゆっくりと言い聞かせるように言う涼平を、梨月はうろたえた様子で見る。
「な……にが、だよ…」
「そうやってさ、いろいろ理由つけて否定しなきゃならないような、どこかおかしいって思うことの、本当の意味を、さ」
何もかもを見通しているような涼平の言葉に、梨月は俯いて唇を噛む。
「ちょっと見ただけの俺がわかったんだから、いつも一緒の楓月が気づいて当たり前だしね。だからこそのバイト先通いだろ?そうやって、いつも以上にひっついていたがる楓月の意図とか、ちゃんとわかってるんだろ?」
じっと洞察されるように見られて、居心地の悪さに俯いたまま顔を上げられずにいた。
確かに、ここ最近の楓月のひっつきようは今までにないくらいだ。付き合っている相手に何かちょっかい出すときも、あんな風に四六時中梨月にくっついている事はない。その楓月の意図が、本当はなんなのか、まったく気づかなかったわけではない。
「認めたくないって梨月の気持ちも、わからなくはないけどね。今までにはなかったタイプだし村上さんって」
「認めるもなにも……」
今だって認めているわけではない……。
そのとき、部屋の電話が鳴った。
ちょっとごめん、と言い置いて、涼平が出ると途端に受話器から耳を遠ざけた。
「ちょっと楓月、そんな大声ださなくても聞こえるよ!」
どうやら電話の相手は楓月らしい、しかもかなりの大声で怒鳴っているらしかった。
「わかったわかった。もう梨月は家に帰すから、ちょっと落ち付きなって」
言い終わる前に切れた受話器を、苦笑しながら涼平が置く。こちらを振り返って、
「楓月が、何二人でコソコソしてんだ、早く梨月返せ。だって」
と肩をすくめて言った。
梨月も苦笑して、じゃあそろそろ帰るよ、と腰を上げる。
「ほんとはさ、こういうのってあんま他人が口出すことじゃないんだけど」
「わかってるよ、どうせ楓月が心配になったんだろ」
「……なんか、その辺のことだけ梨月には何もかもお見通しって感じだね」
「自分自身のことはよくわかんねぇけどな」
他人のことならこうやって考えなくても分るのに、人の心って難しい。
すっきりしない気分のまま家に帰ると、玄関先で楓月が立って待ち構えていた。
「ほんと、涼平は余計な事してくれるよね、ほっときゃいいのにさ」
「楓月……」
楓月は、涼平の家で何を話していたのか全てわかっているようだ。
「言っとくけどさ、俺、あーんな年上タイプじゃないからね、梨月絡みじゃなきゃ傍にも寄らないもん。でもそうやっておっさんにちょっかい出してる事で梨月に嫌われちゃったら、それこそ本末転倒だし……」
つんと横を向いてふくれっ面をする。
今日梨月に冷たく言われた事が少なからずショックだったようだ。
「でもこれからもバイト先には遊びにいくから、一緒に帰るんだからね!」
駄々っ子のような言い草に思わず笑ってしまう。
兄のくせに、ちっとも兄っぽい所のない楓月の態度が、かえって愛しく思う。
それにしても……。
「なんかみんなして人の気持ちを勝手に決めてるけど、俺まだ一言も何も言ってないんだけど」
自分でなにがどうなのか、いまだに深く考えがまとまっていないのに、周りだけが先にどんどん進んでいってしまっているようだ。
取り残されたまま、どこにあるか解らない自分の心。
「りっちゅはそのままでいいの。わからないほうがいいんだから。俺は俺のしたいようにしているだけなんだから、この先もずっとそうやってくだけなの」
まるで梨月の考えている事がわかるかのように楓月が言った。
「そんなむちゃくちゃな…」
あまりの勝手な言い草にあきれてしまう。
「いいんだよ!」
言っていつものごとくぎゅっと梨月に抱きついてくる。
「ずっとそのままでいてほしいんだから……」
どこか切なげにぎゅっと抱きついてくる楓月に困惑してしまう。そんな様子の楓月はいままで見た事なくて、驚きと戸惑いのまじった複雑な気持ちのまま何も言えず、そのままじっと抱かれるままにしていた。
ほんとうはわかっているんだろ?
涼平に言われた言葉が何度も心によぎる。
わかる…何を? 俺が桐吾を? そんなの、ありえない。
ありえない、と思うそばから、じゃあ俺が楓月に抱いた感情は何だったのだ。それがもし嫉妬というものだとしたら、いろいろと説明がつく、ついてしまう。
(ああ、でもそんなんやっぱありえねぇよ)
さんざんあれだけ反発していた相手が、実は好きでした。なんて、うまく相手に気持ちを伝えられずについつい意地悪をしてしまう小学生以下だ。かまって欲しかったから反発して、ほかに意識がいったらそっちにも嫉妬して……って?
うわなんか、そんなんサイテーじゃん。
そんなことをぐるぐる考えていたら眠れなくなってしまった。
そのことに、またイライラとして、そんな気持ちを結局桐吾のせいにしてしまう。
(こんなに俺が余計な事で悩まなきゃなんないのはあいつのせいだ)
こんな感情が、好きだという事のはずがない。
それにだからといって、急にどうこうなるわけでもなく、結局は何も変わることなんてないんだから。
そうやって自分の中のもやもやを締めくくった。
* * *
それから、少しだけ自分の中で何かが変わったことは確かなのだが、表向きはそれほど変わることなく過ぎていった。
相変わらず、店に来る桐吾に少し突っかかるように会話するし、そんな桐吾と梨月を一緒にしたくないかのように楓月も飽きずにやってくる。
そして何日かが過ぎ、あの日涼平と話した事が、自分の中で消化しきれないまま過去の事になろうかとしていたある日。
いつものようにバイトを終えて楓月と帰りながら、今日桐吾が現れなかった事に何故かほっとしていたのだが……「梨月」と思わぬ人物に呼び止められた。
「……尚斗」
なんで尚斗がこんなとこに……。振り返ってみたそこには、『ハヤノ』に久しぶりに来て以来連絡もなく、もう会った事すら忘れかけていた古賀尚斗がいた。
驚きを隠せないでいると、尚斗は楓月をちらりと見てから、こちらに軽く挨拶するように手をあげて近づいてきた。
「今バイト帰りだろ?これからなんか用事とかある?」
「別に、もう帰るだけだからなんもないけど」
「じゃあちょっと、いいかな。その、梨月に話あるんだけど」
楓月を少し気まずそうに見る様子から、あまり他人に聞かれたくない内容のようだ。
「いいけど……じゃあ楓月、悪いけど先帰ってて」
「……わかった」
何か言いたそうにしていたが、楓月はそのまま黙って珍しく素直に帰っていった。
この辺りの場所は、俺にとって鬼門ではないだろうか。
なんだってこう、トラブルになりそうなことばかりに遭遇するのだ。多分、あのマンションとの相性がサイアクなんだな。
そんなことを考えながら、近くの公園で話そうという尚斗の後をついて行った。