不機嫌な恋情 第7話
『ハヤノ』に行くと言ったら、案の定楓月もついてくると言ったので、結局二人でご飯を食べに来ていた。
「最近二人でつるんでるんだって?」
コーヒーを置きながら涼平がからかう表情で尋ねてきた。
なんでここ最近どこでも楓月が梨月にくっついてくることを、あまり会う事のない涼平が知っているのだろう、と思っていたら、楓月も同じことを思っていたようで、
「何それ。そんなのどっから聞いてくんの?」
と不思議そうに言った。
「常連の人が二人のファンでさ」
「なにファン、って」
「たかが高校生に対してファンってなんだよ」
双子が同時に眉をしかめる。
「まあ、言ってみれば目の保養?」
「なんだそれ」
何が目の保養なんだか。梨月は呆れてため息をついた。
「まあまあ。いいじゃない見るくらい。でね、この前そのファンの子達が来た時、今までここで君達に会うのが楽しみだったのに、最近見かけないって話しになって」
「えー、でもなんか知らないところでそうやって話されてるのがいやー」
楓月の反応に梨月も激しく同意する。しかも子達って……一人だけじゃないのか?
「それはもう、諦めるしかないね。いいじゃない、好かれてるんだし……それでその中の誰かがどうやら梨月のバイト先の事も知ってるみたいで」
コンビニで、遊びに来ていた楓月を見かけたらしい。
しかしそのことが、いつのまにやら涼平の耳にまで届いているのがなんだか恐い。
プライバシーって一体なんだろう……それに何より。
「だから、どうして俺のバイト先を見も知らないここの常連が知ってるんだよ」
「さあ?君たち有名だからじゃない?」
「…………」
もはや言葉もない。
やけくそのように、コーヒーを啜りランチのパンにかじりついた。
「あ、そうそう、昨日だったかな、また古賀先輩が来たよ」
「……ふうん」
また通いだしたんだろうか、できれば、アレっきりにして欲しいと思っていたのだが、そううまくいかないらしい。
「何?なんだか懐かしい名前だねー」
楓月にはあの日の事を特に話していなかったから、興味津々に聞いてきた。
「前に梨月がご飯食べに来た時、古賀先輩が会社の先輩を連れてきたんだよ」
「へー、ゼンゼン知らなかったー。なに、めずらしいよね、今までちっともこなかったんでしょ?」
「ここをやめて以来だったからね。それで、一緒にいた村上さんだったかな?その人と梨月が知り合いだったんだよね、だから偶然だねって話しになって……」
「えーなにそれ、村上ってあいつのことでしょ?なんだよりっちゅ、そんなのちっとも話してくれなかったじゃない」
涼平のやつ、何余計なことまで話してるんだ。大体、あの時は楓月は不機嫌な状態だったのだから、話しようがなかったのだ。
そう自分に言い訳してみるが、そもそもいちいち言う必要なんてないだろう、楓月に責められるいわれはない。
「あれ?楓月も村上さんのこと知ってるの?あれから何度かここにも通ってくれてるんだけど、会った事ないよね?」
以前の時はそんな話はしていなかったので、訝しく思った涼平が梨月をちらりと見る。
「……最近楓月が入り浸ってるから……ああもうなんだかややこしいな。ええと、その村上さんもバイト先に来るんだよ。そんで何故だか楓月とも話すようになったみたいで……」
「そうそう、なんかいっつもいるよねあいつ」
いつもというより、楓月がたまたま桐吾が来る時間に居合わせる事が多いだけなのだが。
「つかなに、ここにも通ってんだ?」
「そうだね、何度か来てくれてるんだけど、楓月とは鉢合わせしたことなかったから……でも、へえ…」
ちょっと意外そうに楓月を見て、それから梨月に向き直ると、
「なんかまたややこしいことになってる?」
とコソっと聞いてくる。
「別に」
「そう?……あ、そうそう、古賀先輩は、梨月に会いたかったみたいだよ」
桐吾の話題もあまりしたくないのだが、古賀の話題もあまり楽しいものではない。
「なんで?」
「さあ、特に何も言ってなかったけどね」
何の用があるというのだろう。前ちょっと話したときは、そんな風に何度も来る様子ではなかったのだが。
連絡先を知っているのだから、何か本当に用事があるのなら連絡してくるだろうし、それほど気にすることもないのかもしれない。
「それにしても楓月、どうしたんだい?今までふらふらしていたのに、改心して真面目になる決心でもしたの?」
「あー、何その言い方。改心ってなんだよ」
「だって本当のことでしょ。手当たり次第でふらふらと。この店に来る子に手を出さなかただけマシで、今までちょっといきすぎた感じだったもんね。梨月にも随分と迷惑かけてたみたいだし」
「そんなん、涼平に関係ないでしょ。うるさいよ」
「いいことだよ、って言ってるんでしょ。そのまま普通の高校生してなさい」
「なに普通の高校生って。涼平おやじくさいよ」
「何言ってんだ楓月、涼平の言う通りだろ。このままおとなしく普通に生活してろ」
「あ、りっちゅまでそんなこというー。もう、涼平が余計な事言うからだ。ほんとにうるさいよ」
「うるさくないでしょ。でもまあほんとに、落ち着いてきたんなら良かったよ。かといって梨月のバイト先に邪魔しに行くのもよくないけどね」
「もーう、なんだようるさいよほんとにー」
何でも自由にしているようだが、涼平の前だとまるで親に説教されている子供のようだ。
今までさんざん好き勝手してきてるんだから、たまにはこうやってびしっと言われるくらいがちょうどいい。
「楓月もバイトしたらいいのに」
「やだよ。そしたらりっちゅと一緒にいる時間が減っちゃうだろ」
本気で楓月はそう思っているようだ。
「学校でも家でも毎日飽きるほど一緒にいるだろ。これ以上どうしろってんだ」
今まで夜遊びで家を空けていた楓月の台詞とは思えない。
それにしても、急に四六時中一緒にいたがる理由も、結局何をどうしたいのかすらさっぱりわからない。
「まったく。楓月はほんと梨月一筋だよね……」
そんな一言ですませてしまう涼平もどうかと思うが……ふと見た涼平の様子は少しだけ寂しそうに見えた。
「あ、でもさ、村上さんと楓月って、ちゃんと仲良くやってるの?喧嘩とかしてない?」
やはり涼平にはなんでもお見通しのようで、楓月の性格も良くわかっている。普通に考えて、桐吾と楓月とはとても合いそうにない。
「最初は楓月がすげーつっかかってたけど、あいつが相手にしてないっつうか、なんかうまいことあしらわれてたな」
「そうだよ、なんか本気でつっかかるのがばかみたいになっちゃうの」
「ほんと、なんかすげぇむかつくあいつ」
本心からそう言うと、涼平は肩を竦めて苦笑した。
「そうやってさ、人のことはっきりと嫌ってる梨月ってのも、めずらしいよね」
「なんだよそれ」
俺は普通に好き嫌いがあるつもりだ。それをめずらしいって何だよ一体。
「自分でわかってんの?それってある意味意識して……」
「うるさいよ涼平。余計なこと言わないでいいよ」
涼平が最後まで言うよりも早く楓月が言葉を挟む。涼平は楓月を黙って見つめて、それ以上は何も言わなかった。
……意識してる?梨月が桐吾を?
(ありえない)
涼平の言うことはありえなさすぎて、そのときは梨月の中を素通りしていった。
「それより古賀はさ、りっちゅに何の用だったの」
「だからそんなの知らないって言ってるでしょうが。何も聞いてないよ」
できれば何も知らないままで、また忘れてしまいたかった。
古賀が梨月にとって最初の相手であるという事実は、もう今さらどうこうなることでもないのだが、それ以外にもっと梨月の心は複雑なものだった。できることならもう二度と会いたくはない相手だったというのに、今さら何の用があるというのだ。
居心地の良いはずのこの空間が、少しずつ確実に変化してしまっている。しかもそれは梨月の思わぬ方へ。
「なんだより涼平、使えないな。ちゃんと用件聞いておけばいいのに」
無理なことを言う楓月に、涼平は苦笑する。
「他人のプライベートなことにいちいちつっこんでられないでしょ。客商売なんだから」
「えーそうだけどさー。でもなんかやだな。なんなんだろね一体」
「あれ?楓月は古賀先輩苦手だっけ?」
はっとなって楓月を見るが、いつもどうりのほほんとしたままコーヒーを啜っていた。
「そうじゃないけどさー、なぁんかヤなだけ。しばらくここ来るのやめよっかなー」
二人の会話を聞きながら、できれば古賀にも桐吾にも会いたくない梨月は楓月と同じように、しばらくここの出入りは控えようと思っていた。
そのとき、カランと音をたてて客が入ってきた。
「いらっしゃいませ。あ、こんにちは」
知っている人のようだったので何気なく視線を送ると、そこには今まさにあまり会いたくないと願っていた相手がいた。
「よう。今日は双子も揃ってるのか」
「げー、古賀もヤだけど、あんたもやだー」
失礼なことをはっきりと言う楓月に、梨月も激しく賛成だったりする。
「げーってなんだよ。古賀の話してたのか?」
「うるさいよー。関係ないし」
「関係ないってこともないだろ?なんだ、楓月も古賀と知り合いだったのか?まあここの常連だから知っててあたりまえか」
「もー、だから関係ないって言ってるでしょー」
二人が言い合うのを見て、何故かまた胸がちくちくしてくる。
(また……なんだってんだ一体)
ここ最近こんなんばっかりだ。わけのわからない痛みに、イライラする。
「本当に、なんだか仲良くなったんだねぇ」
感心しながら言う涼平を楓月が睨みつける。
「うるさいよもう。仲良くなんかないよ」
ふい、と横を向いてしまった楓月に涼平は肩を竦めた。
その様子を見ていた桐吾は苦笑して「コーヒー頼む」と涼平に言うと、不意にこちらを見た。
「どうした梨月、おとなしいじゃねえか」
「別に」
いちいちこっちに話を振ってこないでほしい。それでなくても自分の感情を持て余しているのに、余計心に波が立つ。
「別に、か。最近そんなんばっかだな。最初の頃みたいに何言っても言い返してきてた元気はどうした?なんかそうやっておとなしいと不気味だぞ」
なんとも失礼な言い草だったが、それでも言い返す気にならなかった。
「不気味ってなに?失礼だよりっちゅに」
代わりのように楓月が言うのを、梨月は他人事のように聞いていた。
「どうしたんだ?」
言って頭にぽんと手をのせられた時、不意にかぁっと熱くなって、
「さわんなよ!」
と手を払いのけてしまった。
「……何だってんだ一体」
さすがに驚いて、桐吾は払われた手と梨月とを見る。手を払った当の梨月も、そこまでしてしまったことに自分で驚いてしまっていた。
「りっちゅ嫌がってんだろー。さわんな」
楓月がそんな梨月を庇うようにしてぎゅっと抱きこむ。
楓月の腕の中で、梨月は何も言えずにじっとだまったままでいた。
(何やってんだ俺……)
そんな梨月を、涼平が何か考え込むように見ていた。
しばらくなんといえない居心地の悪い空気が流れていたが、それを遮るように梨月が楓月をそっと押しのけた。
「俺先に帰るから」
「え?何?俺も一緒に帰るよ」
「いいよ楓月は。まだここにいればいいから」
「何だよ冷たいなー。一緒に帰ろうよー」
もう、どうしてそうなんだ。
今は、一刻も早く帰りたい。ましてや楓月とも、一緒にいたくない。
どうして、これだけイライラしていることがわからないんだ。楓月に。
「……るさいよ…」
「え?」
「一人になりたいんだよ、どうせ家ん中じゃいつだって一緒にいるんだから、いちいちついてくるな」
本気で冷たい声が出た。自分でも驚くくらいに。
それは楓月も感じとったらしく、驚いて梨月を見ている。
そりゃそうだ。今まで一度だって、こうやって楓月に本気で苛立ちをぶつけたことなどないのだから。
どうかしてる、と自分でわかってはいる。楓月に対してこうやって当たるみたいなのは間違っていると、わかっている。
だが、一度出てしまった言葉はもう取り戻せないし、止められなかった。
「おう、兄弟喧嘩もほどほどにしろよ」
今まで黙って見ていた桐吾が、まるで自分とはまったく無関係かのように言ってくる。
「うるせぇっつってんだろ!」
どこまでも動じないその態度に心底腹が立つ。その自分の感情さえもがイラついてしまって……一体自分でどうしたらいいのかすらわからなくなっていた。
後味の悪い思いを抱えつつ、誰の顔も見ずにそのまま店を出た。