不機嫌な恋情  第6話

 

 

 

 

 

 

 

「どこいってたの?」

夕方家に帰ると、もうすでに楓月がいた。今日は不機嫌な様子を隠しもしないで、むっとして聞いてくるのに、梨月はため息を漏らす。

「どこって、涼平のとこで飯食ったあと、その辺ぶらついてただけだけど」

「ふーん」

口をつん、ととんがらせて、ふい、と顔を逸らしながら言う楓月は、どうやらまだどこか様子がおかしいままだ。

これはこれで、おとなしくしていてくれている分には、身に降りかかる余計な災難が減る点ではいいのだが、家の中の空気が重い。というか、はっきり言って鬱陶しい。

「楓月こそ、こんな時間に家にいるなんてめずらしいじゃん。ずっと真面目にしてるみたいだし、どうしたんだよ、なんか最近へんだぞ」

ついつい聞いてしまう。案の定、楓月は更にむっとした様子で言い返してきた。

「なーに、なんかやな言い方―。なんだよ、ちゃんとしろっつったくせに、家にいたら変だって言うし。」

「そりゃ……そうなんだけど……」

「それに、りっちゅだって変だよ。あのおっさんと……」

「おっさん?」

「バイト帰りに会ったおっさんだよ!りっちゅいつも、誰に対してもちょっと一歩引いて冷めてる感じなのに、あんなに本気になって言い返してるの初めて見たもん。なんか変だよあんなの」

「な……に言って……あんなん、あいつが変なことばっか言うから、ただ言い返してるだけじゃねえか」

なんでここであいつが出て来るんだ。

「それが変だって言ってんの!あんなの、いつものりっちゅなら、相手にもしないし、軽くあしらってたよね?なんでいちいち言い返してんの?へんだよ!」

「へん……って……つか楓月、ずっとそんなこと思ってたのかよ。ここ最近態度が変なのって、それとなんか関係あんのか?」

「しらないよ。なんか気になるんだもん、誰かと遊んでてもなんか気になっちゃうから、家にいるだけだしっ」

確かに、今までの遊びまくっていた頃に比べたら今のほうがいいに決まっている。でも、何度言っても変わらなかったのが、そんな理由でという事のほうが、こういっちゃ悪いがなんだか腑に落ちないし気味が悪い。

お互いそれ以上何も言わないまま、気まずい沈黙がしばらく続く。

休日の終わりにこのまま鬱々とした空気のままでいるのは嫌だったが、楓月の本心がいまいちわからないのでどうすることもできない。

(何だよいったい。なにがそんなに気になるってんだ)

ため息をつきつつ見ていると、急に、楓月がわしわしと自分の頭を掻きむしった。

「…………っもう!!」

「あ?」

 そうして、つかつかと梨月に近づくと、両手を広げたかと思うとそのまま思いっきりぎゅっと抱きつく。

「は?え…ち、ちょっ」

「もう、もうっ!やだやだ! もーだめ、こんなんやっぱやだー!」

 梨月を力いっぱい抱きしめたまま、顔の横でやだやだと叫ぶ。

「な、なんなんだよ楓月、ちょ、痛いってば!」

「もうやだー、ほんとやだ!俺やっぱりっちゅとケンカしたくないもん、こんなんやっぱりやだ!」

何の前触れも無いまま、突然ぎゅうぅっとしがみついて耳元で喚かれて、梨月は展開についていけず面食らう。

やだもなにも、一方的に楓月の態度がおかしかっただけで……そもそも喧嘩だったのかこれは?

「おま……何言って…ふざけんなよ」

「ふざけてなんかないよ!」

 そしてやっと腕を開放すると、両手で梨月の顔を挟み込み、じっと目を見つめて言った。

「ねえりっちゅ、あんなおっさんよりさ、俺のほうがスキだよね?」

「は?」

 ほんとに一体なんなんだ。楓月のいつも以上に一貫性のない行動についていけない。

 しかも言うにことかいて、スキか だと?

「あのさ、あんなおっさん好きとか嫌いとか以前の問題だろ。楓月と比べる方がおかしい」

はっきりきっぱり断言する。

「……そっか…んー……そうだよね」

 なんとも歯切れの悪い様子が気になるが、ほんとに、好き嫌いどころか知り合いすらでもないあんなやつ、全くの他人だ。と梨月は本気で思っている。

楓月が気にするのは筋違いというものだ。

「そうに決まってんだろ。だいたい楓月、んなことでずっと不機嫌だったのかよ?」

「なぁに、不機嫌って」

(……自覚もなかったっつうことか、それともわかってて言ってんのか)

 楓月のこういう所に振り回されたら損だとわかっていても、毎日一緒にいるのだから無視する事もできない。ましてや血を分けた双子の片割れだ。相手の不安定な精神状態は少なからずこっちに影響するのだ。ぴりぴりした空気のまま傍にいればそれだけこっちも妙にイライラしてしまう。それがわからない楓月ではないだろうに、抑えきれずに不機嫌垂れ流していたという事だ。

「いや、もういいや」

 そもそもが、桐吾とのことを変に勘繰ったことが原因だったのなら、楓月の考えすぎだ。

「うん……ねえねえりっちゅ、またバイト先に遊びに行ってもいい?」

急に元気になった楓月がうきうきと聞いてくる。ここ最近不安定だったってのに、この変わり様はなんだよまったく。

「仕事の邪魔しないんならいいけど」

「えへ、じゃあいつも一緒に帰ろうね」

「は?いつも?」

どんだけ来るつもりだ。

だがまあ、このまま大人しい生活態度になるのは良い事だし、なんの問題もないはずなのだが……何故かすっきりしない。梨月は、心の底からはあ、と深く深くため息をついた。

 

 

*  *  *  

 

 

宣言通り、楓月はほぼ毎日のようにやってきていた。

バイトが終わる時間近くになるとふらっと現れて、麻奈と話していたり梨月と話していたり、あろうことか桐吾とも少しずつ仲良くなっているようなのだ。

しかし最初はそれはもう、険悪な状態だった。

といっても、猫がふーっと毛を逆立てるように威嚇し、相手を警戒していたのは楓月の方だけなのだが……。

楓月の機嫌が回復した次の日。

「あ。でた!」

 桐吾がドアから入ってくるなり、宣言通り遊びに来て、入り口近くの本棚で雑誌を立ち読みしていた楓月は、化け物でも現れたかのように相手を指差し言った。

「ああ?」

 いきなり出た、などと言われた桐吾は一瞬訝しげに声の方を見て楓月を見つけると、ああ、と納得したようににやりと笑う。

「なんだよ、ええと楓月だっけ?出た、は失礼だな」

「うるさいよ、しかも名前呼び捨てしないでよ」

 キッと睨んで、最初から対戦モードの楓月は、雑誌を棚に戻すと桐吾につかつかと詰め寄る。

「あのさおじさん、これからはもう、りっちゅとあんま仲良く話さないでね。りっちゅも迷惑してるんだから」

いきなりの失礼な言い草に、桐吾は怒りもせずにおもしろそうに楓月を見る。

「なんでそんなことおまえに言われなきゃならない?」

「なんでもなにも、俺が、やなの」

「んだそりゃ」

 一瞬呆気にとられて、それからクッと笑い出す。

「おま、おもしれぇな」

「笑うなよ。真剣に話してるんだからな」

 肩を震わせてしばらく笑っていた桐吾は、改めて楓月を見る。

「ふうん、双子だから顔はそっくりだけど、性格はまあそれぞれなんだな」

「そんなのどうでもいいから、いい?わかったの?」

「なにが?」

「だから、りっちゅと仲良くしたらダメって……」

「楓月!」

 振り返ると梨月が仁王立ちしていた。

「あ、りっちゅ」

楓月はぱあっと顔に笑みを浮かべるが、梨月は怒った表情のまま二人を見て、それから楓月にずかずかと詰め寄ると腕を掴んで引き寄せた。

「おう梨月、おまえの兄ちゃんおもしれえな」

 梨月はそれには応えず、楓月を引っ張ると奥に連れて行く。

「痛いよりっちゅ、腕はなしてよー」

「…っ何やってんだ楓月!」

「なにが?」

 梨月が怒鳴るのにも、楓月はきょとんとしてちっとも悪びれた様子がない。

「なにって…何考えてんだよ。なんであいつにあんなこと…」

「だって…りっちゅだって嫌がってたでしょ?だから俺がちゃんと言っとこうと思って」

「はあ?」

 店にやってきて、楓月は梨月に声をかけた後麻奈と話しをしていたのだが、その後時計を見つつそわそわと本棚の辺りで外をうかがうようにしていた。遊びに来たついでに誰かと待ち合わせでもしているのだろうかと思っていたのだが……。

「まさかおまえ、あいつに一言言う為にここに来たとかじゃねえだろうな?」

 昨日の時点で納得してなさそうなのが少し気になってはいたのだが、まさかこうくるとは予想外だった。

「もちろん一番は、りっちゅに会うためだよ」

 にっこりと言う楓月を、複雑な思いで見つめる。

兄弟なんだから、毎日家でずっと顔をあわせているのに、わざわざ会うもなにもないだろう。つまりはやはり、目的は元々桐吾だったということだ。

「あのな楓月、なんでそんなにこだわってんのか知らないけど、ほんとに何でもないんだって。いちいちあいつにそんな事言わなくたって、ちっとも仲良くしてるわけでもないし、ただの客だろ?」

「その客ほったらかして、こんなところで兄弟喧嘩か?」

 見ると、手に弁当を持った桐吾が面白そうに見ていた。

「うるせえ、おっさんには関係……」

いつもどおりおっさん呼ばわりするが即座に「おっさん?」と桐吾に言われ、りっちゅなどと呼ばれる前に即効訂正する。

「あ、いや……村上サンには関係ねえよ」

「えー、関係あるよー。だから、りっちゅと仲良くするなって事を…」

「だー、もう!楓月は黙ってろ! つか、大体なあ、俺とこいつの、どこを見て仲がいいとか言ってんだおまえ、仲悪いだろどう見ても……っ!」

 こいつ、と桐吾を指差すが、その手をぐいと掴まれた。

「おまえら兄弟揃って、人に指をさすなと教えられなかったのか?ったく、悪いのはこの手か?」

 言ってそのまま掴んだ指にキスされる。

(ぎゃあ!)

「な……なん……っ」

「あ!なにしてんだよばか!りっちゅの手離せ!」

あまりにも驚いてしまい、捕らわれた手をどうすることもできないでいると、横から楓月が桐吾から梨月の手をもぎ取った。

「おまえも指さしたよな。どっちの手だっけなあ」

「うわやだ!ヘンタイ!」

 桐吾相手に兄弟でぎゃーぎゃーと喚いていると、

「あんたたち、いい加減にしてよね……」

 目の据わった麻奈が、腹に響くような低音でつぶやいた。

 大きな声ではないのに、ぴき、とその場の空気が凍りつく。

じろり、とまず梨月をみて、そのあと楓月を呆れたように見た。

「小瀬君…あなた、今仕事中ってのわかってる?楓月も、そうやって小瀬君の邪魔するんだったらここに来ないで」

 ぴしりと言い放つ。それからちらりと桐吾を見て、

「村上さんも、一緒になって遊ばないでください。大人なんだから」

 と厳しい一言。

「ああ、悪かったな」

桐吾も悪ふざけの自覚があるのか、苦笑いを浮かべつつ素直に謝った。

梨月がふと我に返り辺りを見回すと、2、3人周りにいた客がこちらの成り行きを見つめていた。

(うわ、何やってんだろ俺、はずかしい)

「ごめん、仕事に戻るよ」

 そそくさと逃げ出したかったがそうもいかず、麻奈に謝ると楓月を肘で突付いた。

「ええと、ごめんね麻奈。もう仕事の邪魔しないから、また来てもいいでしょ?」

 楓月がしゅんとして言うと、麻奈はしょうがないなというようにその頭をぽんぽんとなでた。

「来るなっていったって、あたしにそこまでの権限なんてないわよ、ただのバイトなんだから。……ったくもう、今日は村上さん来た?なんて聞くから何かと思ってたらいきなり突っかかっちゃって、喧嘩したいなら店の外でやってよね」

「ごめんってばー」

 そういえば、さっき麻奈と話した後からそわそわと誰か待ってるみたいだったけど、そんなこと聞いてたのか。

 行動が突拍子もない楓月のことを気にしていたら疲れるだけだが、今回の事はなぜか気になってしまう。

 楓月が桐吾に対して、かつて自分の付き合う相手を邪魔してきたように、変な意識をもっていないといいのだが……。

そんなことがあった次の日も、楓月はコンビニに現れた桐吾となにやら話し込んでいる。今は混んでいてレジの中にいるから、近くに行って何をしているのか確かめようがないが、どうやらまた揉めているようなのだけはわかった。

かといって、険悪な雰囲気でもなく、例の如く、一方的につっかかっている楓月を桐吾がおもしろそうに軽く相手しているかんじだ。

むっと口をへの字ににしている楓月の頭を、桐吾が笑ってなでる。それを楓月が鬱陶しそうに払ってまた何か言うが、桐吾は肩を竦めて苦笑する。

傍から見ていると、仲良くじゃれあっているように見えて、梨月はどうにも落ち着かなかった。近くで品出しをしていた麻奈がそれに加わり、一言二言交わした後レジに戻ってきたのでそれとなく聞いてみた。

「楓月のやつ、またあいつに変なこと言ってなかった?」

すると麻奈はそんなことないよ、と笑って言った。

「今日は大丈夫みたいよ、なんか村上さんにうまくかわされてるっていうか、さすがの楓月も村上さん相手じゃ荷が重いみたいね。やっぱ大人、あっちのが全然上手だもん」

「ふうん……」

 さすがの楓月でも、桐吾相手ではからかわれて終わるのがオチのようだ。

「でもさ、やっぱ双子だよね。あれってちょっと前の小瀬君と村上さんとのやりとりそっくりだもん」

「…………」

 どう答えたらいいのか迷って、そのまま何気なく楓月たちの方を見ると、つんとそっぽを向いた楓月に、桐吾が肩を竦めて何か言っている。

 ほんの少し前、楓月の位置にいたのが梨月だった。

 自分は、周りから見てあんな風だったのだろうか。

 むっとしてはいるのだが、仲の良い二人がふざけあっているような、微笑ましくさえある様子でじゃれているように見える。

「楓月のことだから、このままつきあっちゃったりしてね」

 おどけて言う麻奈の言葉に、何故か胸がどきりとした。

 楓月のことだから……確かに、あながち無いとは言い切れない。

もしそんな事にでもなったら……なったら、どうだっていうんだ。

 今までだって、楓月がどんな相手とつきあおうが、梨月は気にしたことなどなかったはずだ。その相手が、今回桐吾だったとしてもやはり、関係ない。桐吾がこちらに構わなくなるんだから、むしろありがたいくらいだ。

 そのはずなのに……。

「何仕事中にぼうっとしてんだ」

 自分の考えに没頭してしまっていた梨月は、その声にはっとなる。

 見ると、桐吾がレジ前にカゴを置いたところだった。

「別に……」

 特に反発もしないでレジを打ち始める梨月を、桐吾が訝しげに見た。

「なんだ、おとなしいな。なんかあったのか?」

「え?なになに?りっちゅどうしたの?」

 桐吾の後ろから楓月が覗き込んできた。なんだかその無邪気な様子に妙にイライラしてしまうのは、何故だろう。

「何でもねぇよ。つうか楓月、用もないのにいつもいつも遊びに来んなよ」

「何だよいじわる。いつも一緒にかえろうって言ってあるじゃんー」

 聞いた、聞いたが、まさかほんとの本気だったのか?本気でこれからも毎日いちいちここに通うつもりなのか?

「それならいっそ楓月もここでバイトしちゃえばいいじゃない。今募集してるわよ」

「バイトだとこうやって好きな時に、りっちゅと話してらんないでしょ」

「なんだおまえ、なんも考えてないのかと思ったら、一応考えてるんだな」

「でも、小瀬君はバイト中なんだから、邪魔しちゃだめじゃないの」

 梨月を置いて、どんどん会話が続いていく。

 なんだろうコレ、今のこの状況って何?

 梨月だけ、ここにいることに違和感を覚える。

 今まで桐吾にちょっかいかけられるのがあれほどイヤだったのに、やっとそれがなくなったのに、今こんなにモヤモヤしているのは何故なんだろう。

いや、だってそれは、自分相手ではなくなったとしても、身内と桐吾とが関わっているのだから今までと大して変わらないからだ。だから、こんなにもすっきりしないんだ。

それだけだ……。

 

 

 

 

 

 

 

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