不機嫌な恋情 第4話
梨月の密かな思いも通じず、あの日以来桐吾はちょくちょくコンビにに訪れるようになった。
弁当を買って行く日もあれば、缶コーヒー1本だけの時もある。そんなのそこら辺の自販機で買え、と怒鳴りたくなるのだが、他のバイトの奴らの手前、そうそう客相手に喧嘩もできない。
「よう、今日も元気に働いてるか、梨月」
「うるせえ、梨月言うな」
バイトの誰かが自分を呼んでいるのを聞いて、自分からは絶対に教えていなかった名前も知られてしまった。
「りつきか。めずらしいな、どうやって書くの?」
と聞かれたバイトの女の子は、少し緊張して赤くなりながらもわざわざメモに書いて教えたりするもんだから余計なことすんな、とよっぽど口に出そうになったが、ただ黙って桐吾を睨むまでに留めた。
梨月はそれまで知らなかったが、桐吾はどうやらここのバイトの女の子達に結構人気があるらしい。
たまに弁当を買いに来るかっこいい男の人がいる、と密かに騒がれていたのが、ここのところ何故か毎日のようにやってくる。しかもどうやら梨月と仲が――梨月にとっては不本意極まりないのだが――良いらしい、と知ってこっちにどんな人?何してる人?と聞いてくる始末だ。
確かに、黙って立っているとスラっと背も高く、すっと通った目鼻立ちで、ちょっと見どこかのモデルのようだ。スーツを着こなす姿もぴしっとサマになってる。
だがそれはあくまでも他人から見たら、というだけで、梨月にとってはただの胡散臭いおっさん以外の何者でもない。
「こんばんはぁ、村上さん、今日もお仕事帰りですか?」
バイトの女の子が機嫌よく話しかける。
「お、こんばんは麻奈ちゃん、今日も可愛いね」
なぁにが 今日も可愛いね だ。しかもちゃん付けで名前なんか呼びやがって。
ほんと、言い方がいちいちおっさんなんだよ。
何故かむっとしながら、桐吾の相手は麻奈にまかせて梨月は本棚の整理に向かう。
麻奈の話では桐吾は、以前まではここまで頻繁に顔を出してはいなかったようだ。なのになんだって毎日のようにコンビニ通いしてるんだ。なに考えてるんだほんと……。
とイライラしながら本を整えていく。ただ客として来るだけならまだいい。だが桐吾は、レジに入っていない時でもいちいち梨月にちょっかいをかけていくのだ。それは品出しをしている梨月の頭をわしわしとかきまわしたりする程度の些細なことだったりするのだが、その些細なことが何故かいちいち勘に障るのだ。
今までそんなことなかった。いちいち反応していたら、相手がおもしろがるだけだとわかっているから、そういった事に対しては梨月はとことん冷めた対応をしていたのに、何故こうも過剰反応してしまうのだろう。
「こんばんは」
ムカムカしながら本を整理していたら、不意に声をかけられた。
梨月はすぐに表情を営業モードに切り替えて振り返った。
「あ、いらっしゃいませ、何かお探しですか?」
たまに見かける客だったので、何か探し物でもあるのだろうか? とマニュアル通りの受け答えをする。
「いや、そうじゃなくってさ」
その男は辺りをうかがうような仕草をした。
ああ、と梨月は思った。
ここでバイトを初めてしばらくすると、 学校以外でもたまにこうやって声を掛けられるようになった。
それは女だったり、男だったり、声を掛けるだけでなく、時には性的な接触をしてくる輩もいた。ここはいたって普通のコンビニで、ましてやそういった店でも、そういう時間帯でもないのだが、なぜかセクハラまがいの目に時々会う。
「今日、バイト何時に終わるの?」
「あー、ええと……」
「終わったら、ちょっと話があるんだ、つきあってもらえないかな?」
自分の予想は当たっていたらしい。前触れもなくいきなり肩を抱かれる事もあるので、こうやってちゃんと話掛けてくるのはむしろ好感を持てる方だった。
「んー、今日はあと三十分で上がりだけど……」
今は決まった相手もいないし、まあ、ちょっと付き合うくらいいいかな。
と改めて相手を見る。年齢は二十くらいで、髪は少し長めでクセがある。甘い顔立ちをしていて、優しそうに見える。いつもたしか、タバコを買っていたはずだ。
それ程印象に残っていないが、多分悪い人間でもなさそうだ。
「じゃあ、終わったらそこで……」
「終わったら俺と約束してるんだよな」
最後まで言い終わらないうちに、声が重なる。
なんでいつもいつもこういうタイミングで出て来るんだ。俺は後ろに立つ桐吾を睨みつけた。
「なんだよおっさん、会話の邪魔すんな」
「店の店員が、店の客と不純同姓交遊とは、あまり感心しないなあ」
言いながら声をかけてきた相手をちらっと見る。
「……あんたに関係ないだろ」
「関係あるだろ? 少なくとも、一度は濃厚なキス交わした仲なんだから」
「なっ!」
今まで何度もここに来ている桐吾だったが、あの時のことを口にした事はなかった。
こちらから蒸し返すのもシャクだったので、 もうあれはなかったこととして忘れようとしていたのに、こんな時に持ち出すなんて卑怯だ。
「なんだ、ちゃんと相手いるんじゃん。思わせぶりな態度とんなよな」
桐吾の登場に動揺したのか、男は言って何も買わずに店から出て行ってしまった。
「っ……」
桐吾の言葉もムカついたが、今の言葉の方がショックだった。
梨月は決して、思わせぶりな態度など取っていない、相手が勝手に話しかけてきただけで、こちらからなにか仕掛けたわけでもない。
(なんで俺があんなこと言われなきゃなんないんだ)
その原因を作った桐吾は、呆れたように店から出て行く男を見ていた。
「なんか、似たようなシチュエーションを以前にも体験したな。最近捨て台詞を言われてばっかりだ」
「……っなんなんだよあんたは!なんで俺の邪魔ばっかりするんだ……」
語尾がだんだん力なくなっていく。こいつに会ってから、感情の起伏が激しくて疲れてしまう。
今まであたりまえにしてきた事を、なんでこいつなんかに邪魔されなきゃならないんだ。
「なにが…何が不純同姓交遊だ。俺がいつ誰と付き合おうが、親でも何でもないおっさんにはなんの関係もないだろ。それともあんた、どっかの補導員かよ」
むしろそうだったほうが納得する。いくら家の近くで便利な場所だからといって、そうそう毎日コンビニ通いする事などありえない。
「おまえ…変なとこでどうでもいいって態度だよな」
「は?」
何言ってんだ。
「前も思ったけど、あの時、俺が止めなかったらあのまま抵抗もせず襲われてただろ。会ったばかりの見ず知らずの相手に」
「そ、んなわけあるか、抵抗するに決まってんだろ」
「形ばかりのおざなりな抵抗はな。でも最後にはどうでもいいって感じだった。俺に対しては突っかかってばっかで可愛げねぇのに、今はちょっと顔見知り程度の客にほいほいついて行こうとするし。どうなってんだおまえ」
「そんなの……」
そんなの自分でもわからない。言われてみれば、何故こんなにも桐吾に対して反発的な態度になってしまうのだろう。今まで嫌な相手はいくらでもいた。楓月のおかげで、変な言いがかりや因縁をつけられることだってあった。最初はそれに対して反発するが、最後はどうでもいいと投げやりになるのが常だったのに。
「そんなの知るか…それに、いいいじゃん。好きって思われんの、キライじゃないし。俺がどんな相手とどうつきあおうが俺の自由なんだし」
「まあ、そうだがな」
「それにHなんか男としたってどうせこっちも男なんだから、病気さえ気をつけてたら問題ないし」
「まあ、たしかにそれもそうだ」
「それに……」
考えたくない、めんどくさい。
ただ言える事は、桐吾の前だといつもの自分じゃなくなるということだけだ。こんな引き摺る性格じゃないはずなのに、いつまでも突っかかった話し方しかできない。
なんか、疲れる。
「もういいだろ、どうせさっきのやつはもう来ないだろうし、ほいほいついて行かなかったんだし」
「そこはまあ、どうでもいいっつうか、そうじゃねえっつうか」
「んだよ、わけわかんねえ」
「そうやって俺に突っかかるのをもうちょっと控えてくれると可愛げがあっていいんだがな。まあキャンキャン吠える子犬みたいでそのままでも可愛いがな」
「ばっかじゃねぇの。ほんと、おっさんだよな発言が」
「おっさんついでに言わせて貰うと、Hなんか、って軽く言う割りに、あの時俺とのキスで腰抜けてなかったか梨月」
「っあんたはタイプじゃなかったから、気持ち悪くなっただけだよ!」
なんつうことを言い出すんだこいつ。ほんっとさいてー。
「へえ、ちゃんと覚えてんじゃないか。何も言わないから、すっかり忘れられたと思ってたけどな」
くそ、忘れたっていっときゃよかった。
そう思ってももう遅い。ほんとに、なんで今さらあの忌まわしい出来事を蒸し返されなきゃならないんだ。
突っかかるな、と言うなら、突っかかりたくなるような言動をやめてほしい。
普段ならすぐどうでもよくなる気力を、余計に使わせないで欲しい。
「小瀬くーん、レジおねがいー」
「あ、はい」
本棚の整理は中途半端なままだったが、麻奈に呼ばれたのを口実に、いらいらした気分のままレジまで向かった。「しっかり働けよー」という桐吾の声は完全に無視する。
「もう、いつまで無駄話してるのよ。小瀬くんばっかるずるいんだから」
言って視線を向けた先には、ドアから出て行こうとしている桐吾がいた。
「なんだよそれ」
どこがどうなってずるいということになるのだろう。
「ほんと、いっつも仲良しでたのしそうなんだから」
さっきの様子のどこを見て仲が良いと思えるのか、ほんと女の考えることは謎だった。
* * *
「なんか気が抜けた顔してるわね」
レジにぼーっと立っていた梨月に、失礼なことを言ってきたのは麻奈だった。
「は?」
「村上さんがいるときは生き生きしてるくせに、来ない日はなんだか生気抜けちゃってるみたい」
「なに言ってんだよ、今日はなんて気分がいいんだ、ってしみじみ実感してたんだ」
ほんと、こいつの感覚はいまいち掴めない、というか、女の子のものの考え方は、時々わからない。
殆ど日を空けずにコンビに通いをする桐吾と、 普段はそれほど人当たりの悪くない梨月との口喧嘩は、ここの所もう既に当たり前の光景になりつつあった。
あまり使うことのないエネルギーでもって対峙する桐吾とのやりとりは、少なからず梨月のストレスになっている。
相手はどうであれ、梨月は全く歓迎していない状況で、生き生き、と称されることは心外だった。
「何言ってんのよ、いっつも楽しそうにしてるくせに」
「いつもって…ちょっと麻奈さん?一体どこを指して楽しそうなんて言ってんでしょうか」
「あら、だって、いつもなんか飼い主にじゃれつく子犬みたいよ」
「子犬って……」
わかんねえ。
どうやったら、いつもの口喧嘩――相手にされていない感もあるのが悔しいがー―がじゃれつく子犬なんぞに見えるんだ。
「もうすぐ梨月君、上がりでしょ?今日村上さん来なくて残念だったわね」
「…………」
もはや言葉もない。
麻奈の言ったように、あと10分でバイトの時間が終わるが、今日はいまだ桐吾が現れていない。ここのところ毎日のように出没していたので、気が抜けたように見えるのならそれは、身構えていたのに余計な体力を使わずに済んでほっとしたからだ。
けっして、残念とかそういう事ではないのだが、言っても無駄な気がして黙っていた。
そのとき、コンビニのドアが開いて、客が入ってきた。
一瞬、仕事時間終わる間際に……とも思ったが、知った相手ではあっても、気を張らなくてもいい相手の方だった。
「楓月君だ。久しぶりー」
「あ、麻奈だー。久しぶり、元気?」
入ってきたのは楓月だった。
よくは知らないが、どうやら楓月と麻奈は過去関係があったらしい。
お互い後腐れない関係で、今は普通に友達としての付き合いのようだが、ほんと、どこで誰に手をだしてるかわからない。
それにしても、楓月が来るのはめずらしい。何か欲しいものがあったら梨月に頼むし、何より家の近くにもう一軒コンビニがあるので一度家に帰ったならここまで来る必要はないのだ。
「どうしたんだよ、ここ来るの、めずらしいな」
「ん〜。どうしてもコンビニスィーツが食べたくなって」
「近所のコンビニで買えよ」
「ここのコンビニスィーツが食べたいんだもん」
「もんって言うな、だいたい、甘いもん食いたきゃ涼平のとこ行けよ」
「だから、コンビニスィーツが食べたいっていってんじゃんかー」
「語尾を延ばすな」
「あっは、楓月あいかわらずだね〜」
同じ顔した二人のやりとりを眺めていた麻奈は、面白そうに言った。
「梨月君も、楓月相手だとなんか雰囲気違うし。ん〜、村上さん相手にぽんぽん言ってるのとも違うよね、やっぱ兄弟だねぇ」
楓月があいかわらずなのはたしかに認める。
でもそこでなんで桐吾の名前が出てくるんだ。
(おっさんは関係ないだろ)
思ったがやはり口にしない。梨月の前で、あまり余計な話はしたくなかった。
「ねーねー、りっちゅもう仕事終わりでしょ?一緒に帰ろうよ」
時計を見て言う楓月は、にっこり、それこそ尻尾があったら思いっきり振っていそうだ。
「……こーいうのを、子犬って言うんじゃないか?」
楓月を指して言うと麻奈はさっぱりした声で言った。
「なに言ってんのよ、楓月はどうみても小悪魔でしょ?」
たしかに。
着替えてから楓月の所に行くと、まだ麻奈と楽しそうに話していた。
「帰るぞ」
「あ、はーい。じゃあね、麻奈」
「うん、また買いにおいでー」
また会おうね、とは言わず、あくまでも義務的な言い方しかしない麻奈は、ある意味賢いかもしれない。楓月はべたべたするのは好きでも、されるのはあまり好きではないらしい。
梨月に関してはそれは当てはまらないようで、するのもされるのも大歓迎な意思を隠しもしないのだが。他人に構われるのはいいが、干渉されるのを嫌う楓月は、麻奈のようなさっぱりした相手にはとても優しい。お似合いなんだから、つまみ食いしてないで普通に付き合えばいいのに、とも思うが、俺が口を出すことでもないし。
そんな事を考えながら見ていると、それに楓月が気づいた。
「ちゃんとりっちゅの分もげっとしたよん」
その手には目当てのスィーツが入ったビニールが提げられていた。
「このまま帰るのかよ」
ドアをくぐって楓月に聞く。梨月のバイトは9時に終わるのだが、いつもこの時間、楓月は家にいたためしがない。寄ったのだって、どうせ何処かに行くついでだろうと思っていたので、本当にこのままいっしょに家まで帰るのか、といぶかしく思ったのだ。
「なに?りっちゅは、おにいちゃんといっしょに帰るのがそんなにいやなの?」
「そうじゃなくてさ、つうか、めずらしいじゃん。バイト先にも滅多に来ることないのに、その上一緒に帰るなんて」
過去に関係のあった麻奈に会うのを避けているのかな、と思ったこともあったが、さっきの様子からすると、そんなこともないようだし。
「たまにはいいじゃん」
「まあ、いいけどさ」
別にいやなわけではないのだ。めずらしいな、と思っただけで。
何気ない会話をしながら二人並んで歩く。9時過ぎのこの時間、まばらだがまだ人通りはある。その誰もが、あからさまではないにしろ、この二人を振り返る。1人でいてもその整った顔立ちが目立つのだが、二人揃うとその効力は増し、目を奪われる。
楓月はそれを知っていて、わざと梨月にじゃれついたりする。結果、更に余計な視線を集めてしまうことになる。
他人を気にすることのない梨月は、そういった視線も全く気づかずに無関心なのだが。
気にはなるが、なにやら声を掛けにくい雰囲気の二人に、誰もが視線だけを送っていたのだが、
「なんだか随分と目立つ組み合わせだな」
平気で声をかける者がいた。
「もうバイト終わりなのか」
これから弁当買いに行くところなんだ、と聞いてもいないのに言う桐吾を見ると、梨月は肩をがっくりと落とす。せっかく今日は店に来なかったからほっとしていたのに、最後の最後で結局顔を会わせてしまった。
いちいち声かけてくんな、あんたの顔を見ないでいい気分だったのに。
と言おうと口を開きかけた時、
「あんた誰?」
と、何故かとっても不機嫌な声で楓月が言った。
「楓月?」
「んー、俺はしがない通りすがりのサラリーマンだけど……」
言いながら、同じ顔した二人を見て少し驚く。
「梨月双子だったのか?……へえ、双子って間近で見るの初めてだが、ほんっとそっくりなんだな」
「うっさいな。弁当買うんだろ?さっさと行けよ」
傍に来てしげしげと見比べられ、うっとおしくなった桐吾の肩を押しのけて、用はない、と行こうとしたのだが、
「りっちゅ、コレ誰?」
コレ、と桐吾を指差して、むっつりした楓月が説明を求めた。
「通りすがりのサラリーマンだろ」
実際梨月とは何の関係もないのだから、桐吾の存在はそれで全てだ。しかし、当の桐吾はその説明よりも、別のところに反応したらしい。
「りっちゅう?なんじゃそりゃ」
ったく、だからその呼び方はやめろって言ってるのに。よりにもよってこいつに聞かれるなんてサイアクだ。
「なんでもねえよ。行くぞ楓月」
むぅ。と桐吾を睨んでいる楓月を引っ張っていこうとするのだが動こうとしない。
「りっちゅはりっちゅだよ、おれの弟のりっちゅ。なにあんた?りっちゅのこと呼び捨てにして」
だから、余計なこと説明してんじゃねえよばか。
俺はあーあ、と天を見上げた。
「はあ、梨月だからりっちゅね。なんつうか。まあ……」
桐吾は何ともいえない様子で頭を掻く。何かもの言いたげな様子がシャクに触る。
「どうでもいいだろそんなの、おっさんには関係ねえよ。ほら、先行くぞ楓月」
今度はもう、納得いかなげな楓月をそのままほっといて行こうとした。
「おっさんって言うなよ、りっちゅ」
「……はあ?」
こめかみがぴきと動いた。
今、なんつった?
「てめ…」
「りっちゅ言うな。俺しか呼んじゃだめなんだよ」
楓月が余計な口出しをしたおかげで、怒鳴るタイミングを逃してしまった。
「りっちゅって呼ばれるのが嫌だったら、おまえも俺のことおっさん呼ばわりすんなよな」
にやにやと笑いを浮かべて言う桐吾を心底恨めしく思う。
くそ、ほんとやな奴に知られた。楓月の、梨月をりっちゅと呼ぶ言い方は別に隠しているものでもなんでもないし、友達もみんな知っていることなのだが、こいつにだけは知られたくなかった。弱みを握られたみたいで嫌なかんじがする。
どうせ桐吾だって、おっさんと呼ばれることに対して何とも思っていないに違いない。なのにわざわざ引き合いに出してくるなんて、しかも意地悪そうに笑いやがって、からかってるとしか言いようがない。
「ああ、でもいいな、今度からりっちゅって呼んでやる。可愛くて似合ってるぞ」
「う……」
……っきしょー。こいつにりっちゅ呼ばわりされるなんて死んでもごめんだ。鳥肌が立つ。
「可愛いっててなんだよあんた、きもちわるいな」
楓月が言うのにも肩を軽くすくめるだけで、ちっとも堪えた様子はない。
「ああ、もういいわかったよ……村上」
これでいいんだろ、と投げ捨てるように言う。
「村上サン。だろ、仮にも年上なんだからな」
「っ……!帰るぞ楓月!」
もう、もうっ。
ほんっとやだ、ほんっとさいてー。 なんだよあれ、いっつも余裕な態度で人のことばかにしやがって。ああ、もうムカつくっ。
なにが村上サン、だ、一生てめえなんかおっさんで十分だ。
ああ、もう、なんであいつといるとこんなにムカつくんだ。こんなこと今までなかったのに。こんなに気に障る人間は、初めてだ。
むかむかむか、と肩を怒らせて歩いていく。もう少しで家につく、というとき。
「さっきのが、麻奈が言ってた奴なんだ」
ぽつり、と楓月が言ったが、よく聞き取れなくて振り返る。
「なに?なんか言った?」
「んー、さっきの奴が、りっちゅがいっつもじゃれてる相手?」
「はあ?」
なんだって?いっつもじゃれてる?
「りっちゅが着替えてる時、麻奈に聞いたんだ。ここ最近、ずっと来てるんでしょ?んでいつもりっちゅとじゃれあってるって言ってた」
「じゃれて…って、んなわけねぇだろ。つかさっきのやりとり聞いてただろ?どう見ても、人のことからって遊ぶばかなオヤジだろあれは」
「でもなんか、たのしそうだったよ。あんなりっちゅも初めて見た」
タノシソウ。
最も合わない表現だ。
「あのさ、それは楓月のはげしい見間違い」
いくらなんでもありえない。たしかにああやって、ついつい反抗的な言い方をしてしまう俺はいつもの俺と違うかもしれないが、それを楽しんでいるのでは全く無い。
「ふうん、そうかな……」
「そうかな、じゃなくてそうなんだよ」
気味悪いこと言うな。
それでも納得していないようだったが、楓月がどう思おうが、桐吾といて梨月が楽しく思った事は一切無かった。
その日から、なんとなく楓月が不機嫌な気がする。
気がする、と言うのも、実際なにか言ってきたり、そう、とわかる態度を示しているのではないのだが、そこはやはり双子だ、あくまでも様子がおかしい、としかいえないのだがなんとなくわかる。
「どうしたんだよ」
「梨月こそ、どうしたの?」
いや、だからそれは俺が聞いていることであって……。
あれからりっちゅともあまり呼ばないで。梨月、と言う。
自分から散々呼ぶなと言ってはいたのだが、急に変えられると逆に違和感を感じる。
(やっぱ、おかしい)
最近は、以前あんなに毎日のように遊び歩いてたのに、夜家にいることが増えた。
梨月がバイトから帰ってきても、普通に家にいたりする。いままでこんなことなかった。
「いや……べつになんでもない」
何がどう、というわけではない、だけど、なにか嫌な変化が起こりつつあった。