俺が閑古鳥の鳴く映画館に通っては、男相手に痴漢行為を働いているところを、獲物だったはずのアルフォンスに逆に捕獲されて奴の部屋に連行されたのは、今からほんの一ヶ月程前の金曜日の出来事だ。
その後、その部屋に俺は土曜・日曜と軟禁された上、奴の言う処の『恋人の甘くて濃密な時間』とやらをベッドの上で過ごすことを強いられた。
それはもう身体を酷使しまくりながら啼かされまくりながら抵抗らしい抵抗も出来ずに、身体の隅々まであいつを受け入れるのに都合の良いように開拓されたのだ。
ようやく月曜になると、大学生のあいつは身支度を整え、三日三晩裸のままでベッドの中で俺にいやらしい行いの限りを尽くした奴とは思えない爽やかな出で立ちで登校して行った。
「僕は学校に行ってくるから。エドはいい子で僕が帰るのを待ってるんだよ」なんて勝手な事をほざいて行くのも忘れない。
奴が出かけたのを見えなくなるまで窓から見送った後、俺は重い腰を引きずるようにして自分の服を着てすぐにその男の部屋から逃げ出した。
誰がいい子で待っていられるか!こんな目に会って、待ってる訳ねぇだろうが!あいつはアホか?
よれよれの身なりのままで靴をつっかけて奴の部屋を飛び出す。道路の固いアスファルトを早足で歩くと、尻の穴がひりひりした。
しかしとりあえず歩くことも出来たし、ズキズキと内部から痛む程じゃないところから察するに、幸い俺の腸壁には深刻な傷などは出来ていないみたいだ。
ただ物凄く太い何かが未だに俺の中に入れられているような、妙な感覚だけが消えてくれない。
『ほら。ここをこうやって擦られるのが気持ちいいんだろう?エド、君は余所の男のモノをその手で扱いているよりも、やっぱりこうやって僕を受け入れてるのに一番適している身体をしてるんだよ。分かった?』
俺の中に自分の凶悪な程に猛りきったものを埋めこんで、何度も執拗に抜き差しを繰り返しながら、勝手に俺の身体についての属性をえらそうに諭してきた昨夜のあいつの姿が脳内に浮上してくる。
そうすれば、恥ずかしげもなく男に両脚を開かされて、裏返った情けない声を出していた自分の姿も一緒に思い出された。
腹立たしさと、羞恥心で頭のてっぺんから血を噴きそうだ。
実はその時、奴の言うように俺の身体は確かに不本意ながらも快感を感じ取っていたのだから尚更だ。
しかし、そんな出来事などもう全て終わったこと。
この部屋から出れば、もう二度とあいつには会う事もない。早く忘れてしまえばいいだけなんだ。
そう考えてる先から、俺の頭の中では、今度は抱かれていた時に目にしたあの男の憎らしい程に見惚れるような体型が鮮明に甦る。
やつの漲って固く張詰めた身体。
俺の手首をベッドのシーツに押さえつけて俺の身体に跨って圧し掛かって来た時の、あの肩と上腕の筋肉の張り具合。
あの激しくしつこい律動運動を延々と難なくこなす、締まって無駄の無い腹と腰の形。
それに何より、あの隆々と固くそそり勃つ、熱を持って先端を濡らしてはち切れそうだった奴のそれ。
今迄、幾度となく変態的な痴漢行為を繰り返してきた俺は、男の勃起したものなど、もう数え切れないくらい何本も目にしてきた。
太いのも細いのも、長いのも短いのも、固いのもそうじゃないのもと、それはもう色々だ。
しかし、あのアルフォンスの持っているもの程、固くて立派でいやらしい様相を漂わせたモノにお目に掛かったことは無い。
今思い出すだけでも、ごくりと生唾を飲み込んでしまいたくなる。それ程に、奴のそれに俺は酷くそそられた。
しかしそれはあくまでも、奴のナニが形や大きさや固さを増して興奮している姿そのものにそそられるのであって、決してそれを自分の尻の穴に突っ込んで欲しいからではない。断じてない。
『なんだよ。イヤイヤ言いながらそんなに喘いでるじゃない。僕に入れられて気持ちいいんでしょ?』
昨夜のあいつの声が、またしても俺の心の主張を覆そうとする。
ぶんぶんと頭を振って、その記憶を振り払うと、俺は歩調を速めて帰路を急いだ。
自宅に帰るなり、俺は自分のベッドに倒れこんだまま、その日は泥のように眠った。
あの男の部屋にいる間、ほとんどベッドの中で過ごしたと言っても過言ではないが、そこで眠れたわけではないからな。
三日に渡ってずっと無理な格好や激しい運動を強いられて、その合間に眠っていいよと言われたって、あいつの腕の中に抱き込まれてどうやって眠れっていうんだ?
夜中にやつが熟睡してる隙にそっとベッドから抜け出して逃げ出そうと一度試みたけれど、ベッドから這い出て自分の服に手を伸ばした瞬間に見つかって、すごい馬鹿力でベッドに引き戻された。
真っ黒い笑みを浮かべながら「まだ、そんな元気があるなら、僕も遠慮しないでも良かったんだね」とか言い出したあいつに、またしてもヒィヒィと喘がされるという憂き目にまであったのだ。
あの絶倫さ加減に、俺は家に戻った今でも夢に見ては魘されている。
一緒に住んでいる仕事人間の親父でも、さすがに俺が2・3日家を空けていた事には気がついていたらしい。
夜になって親父が帰宅すると、外泊するなら連絡の一つくらい入れろと説教された。
くそっ!誰も好きで家を空けたわけじゃないんだよ。帰りたくても帰れなかったんだ!
ムシャクシャしてるところに、机の上の携帯がまた鳴りだした。
俺が帰ってきた日の夕方から何度もしつこく鳴りやがる。
画面を見れば『あなたのアルフォンス』と表示されているのは、もちろんあいつが勝手に俺の携帯のナンバーをチェックして、ご丁寧にも自分の携帯ナンバーまで登録してくれたお陰だ。
「ああああ!うるせぇな!!」
延々と鳴り続けるその携帯電話に怒鳴りつけながら、乱暴に電源を切った。
幸い住所は知られていないのだ。
この電話には出ない!俺はあいつとは今後一切関わらない!!
自分にそう言い聞かせる。
正直に白状すると、あいつの身体は実に自分好みであったから、もう見られないと思うとちょっとだけ惜しい気もする。が、これ以上関わると色々と危険な予感がするんだ。
・・・・・・つまり、あいつとの行為に慣れきってやみつきになって、男に突っ込まれて喘がされる側の人間に改造させられそうな、そんな危険。
違う!俺はゲイではあるけれど、ネコになんぞならないぞ!!
男の身体をこの俺の手で昂めるのが、ガチガチに興奮させるのが好きなんだ。
相手を快楽と羞恥で顔を真っ赤に歪めて悶えさせるのが大好きなんだ。
いわば気持ち的には攻め側だと自分では思っている。そんなこの俺のアイデンティティを崩壊させるような嗜好の矯正は断じて受け入れる訳にはいかないのだ。
そうこうしているうちに、あの悪夢の週末から一ヶ月程が経ったわけだ。
相変わらず、俺の携帯はアルフォンスからの電話やメールが続いている。これだけ無視してるのに、そのしつこさたるや全く見上げた執念だ。
また一日が過ぎて夜になり、自室のベッドで横になって俺は眠る。
すると、また今日も悪夢が繰り広げられる。閉じた瞼の裏側で。
素っ裸のアルフォンスが現れて、俺をやや見下ろすような視線を向けて微笑んで腕を広げている。
『さあエド、恥ずかしがらないでこっちへおいで』
・・・・・・なぁにがこっちへおいでだ。
そんな春の午後の日差しのような柔らかい笑顔を浮かべるな。すっぽんぽんの全裸のくせに。
ついでにその余裕な表情はなんだ?寧ろお前の方こそ、少し位恥ずかしがったらどうなんだ?
そんな言葉をぶつぶつ言いながらも、夢の中の俺はその男の腕の中へと自分からホイホイと進んでゆく。
やめろ、止まれ。何してる俺!
夢の中の俺は、自分の意思など聞きもせずに、アルフォンスの胸の中に収まると、その程よく厚みのある胸に鼻息も荒く頬ずりをする。
そして、それを見たもう一人の俺が絶望する。
やめろ、やめろ、やめるんだ俺!この馬鹿!!変態が!!
−−−−!!
ガバリとベッドから身体を起こす。
起きたばかりだというのに、心臓は壊れたようにバクバクと跳ね上げているし、背中はじっとりと汗をかいている。
掛け布団をめくって視線を下に向けて、ガックリと肩を落としてまた溜息をもらす。
「・・・・・・ちくしょう!」
熱くなってしまった身体を持て余してバスルームへと向かう。
あいつから逃げ出して来てからというもの、同じような夢を見てバスルームへ行くはめになったのはこれで23回目だぞ、畜生が!
その驚愕の展開は、いくつかの前兆から始まった。
まず一つ目は、ある日を境にぱったりとアルフォンスからの電話もメールも無くなった事だった。
いい加減あいつも諦めたか。また随分としつこかったが、こう静かになると何処か拍子抜けした気分にもさせられる。
・・・・・・なんて最初は俺も暢気に構えていた。
それともう一つは、一緒に暮らしてはいても普段は滅多に俺に声なんてかけてこない親父が、改まって俺に話があると言ってきたことだ。
珍しく照れたように視線を泳がせながら、しどろもどろに次の土曜日の俺の予定を確認してきたりした。
一体なんだと聞いたら会って欲しい人がいるという。
「何?誰?会って欲しい人って」
「お前の母さんだ」
「はぁ?母さんだって?」
俺の両親が離婚したのは、俺が三歳の頃だ。
それから一度も母親には会ったこともない。ついでに弟もいたが、当然そっちの顔なんか更に覚えている訳が無い。
何で今頃母さんと会わなくてはいけないのかとは思ったが、まあ別に拒否する理由もないし、少なからず興味もあったから、週末に家に訪ねてくるという母親と弟に会うのを俺は承諾した。
そうして週末に、この恐るべき事実は露見したのだ。
土曜日の昼になるちょっと前。玄関の呼び鈴が鳴って、約束通り訪れた母親と弟を親父が玄関で出迎えた。
俺は居間で彼らが会話をしながら、こちらの部屋へ向かってくる足音を聞いていた。
俺は何も知らなかったのだが、親父は別れた後も時々母さんとは連絡を取っていたらしい。
そして、手っ取り早く言えば、時間の経過と共に二人のわだかまりも溶解し、親父はまた母さんと再婚する気のようだ。
家族が元あった形に戻り、一つ屋根の下に住むことになるわけだから、これについて咎める問題は何もあるはずは無かった。
俺ももう大人だし、当然そんなのは親父の好きにすればいい位にしか考えていなかった。
−−−−自分のいるこの部屋に母親と共に入ってきた弟の姿を見るまでは。
「なっ!?な、なななななっ!?!!!」
突然俺が座っていた椅子ごとひっくり返って、弟を指差しながらどもった叫び声をあげたら、父親は怪訝そうな顔を浮かべて、母親だというその人は不思議そうに顔を傾げた。
そしてその二人の後ろについて入ってきたそいつは、俺を見てようやく探しものが見つかったとでも言いたげな目を向けてニンマリと笑ったのだ。
その俺の弟のアルフォンスが!
一ヶ月前に俺が逃げ出してきたその相手が!!
「おいエドワード。お前なんでさっきからそんなに不機嫌そうに黙りこくってるんだ?母さんとアルフォンスと一緒に暮らすのに反対なのか?」
「ああ、反対だ」
居間でテーブルを挟んで家族四人向き合って座る。
俺の隣には、あの男。俺を三日間に渡って好き勝手に開発しやがった野獣が俺と同じ金色の目をにこやかにこちらに向けている。
予想通り再婚して皆で一緒に暮らそうと言い出した親父が、俺のまさかの拒否発言に慌てている。母さんの方は酷く困惑した表情だ。
二人とも成人してる俺がこんな子供じみたごね方をするとは思っていなかったんだろう。
俺だって、この優しげな自分の実の母親を悲しませたい訳じゃない。
だけどどうしたって受け入れられないに決まってる。
実の弟だと?この男が?そりゃマズいだろう!?
俺はあれか?ゲイなだけでなく、世間で言うところの近親相姦という更にマイナーな分野にまで、うっかり足を踏み入れちまったってことか?
「何で反対なんだ?お前の本当の母さんと弟だぞ。元の家族に戻るだけじゃないか」
そんな親父の台詞に、目の前のアルフォンスも加担する。
「兄さん、僕達ももう子供じゃないんだ。父さんと母さんがそうしたいって言うんだから、彼らの意思を尊重してあげようよ」
「に、兄さんとか気安く呼ぶなっ!お、お前なんか・・・・・・」
俺がそう言い掛けた耳元で、顔を寄せてきた隣の弟が俺にだけ聞こえるように小声で呟いた。
「僕なんか何?変なこと言うと、兄さんが男に痴漢するような人だってのまで話さなくちゃならなくなるよ?」
その弟の脅迫まがいな言葉にぐっと詰まって固まった俺に、アルフォンスは人好きのする笑顔を向けて「ね?」と俺に同意を求めるように微笑んだ。
結局、それ以降俺は何も言えなくなって、アルフォンスの誘導のもと、両親の再婚話はすんなりと進められていった。
「うわぁ、兄さんの部屋って何だか凄いね。散らかり放題だけど、転がってるのは難しい本ばっかり!」
話が弾んでいる両親を居間に残し、俺の部屋へと一緒にやって来たアルフォンスが、足を踏み入れるなり感心したように口を開く。
いや正確に言うと、俺が自分を落ち着かせる為に一旦部屋へ戻ろうとしたら、こいつが勝手について来ただけなのだが。おまけに既に俺の事はすっかり兄さん呼ばわりだ。
この現実に混乱したままの俺の事などお構いなく、早速弟の腕が俺の首と胸に巻きついてきた。耳のそばから、やや不満気な低音で言葉を吹き込んでくる。
「ねぇ・・・・・・。この前は何で僕の部屋から勝手にいなくなっちゃったの?僕、部屋に帰ってから兄さんがいなくて、かなりショック受けたんだけど」
「はぁ?あんなことされて逃げるのが普通だろうが!それとも何だ?俺がお前の帰りを三つ指突いて待ってるとでも思ったか?」
「うん。だって僕達恋人でしょう?」
「ああぁぁああ?」
「兄さん、あの映画館でそう言ったじゃない。僕の恋人になるって」
恋人になるって言った。確かに俺は言った。
映画館のトイレで言わされたんだ。こいつに俺のナニをきつ〜く締め上げられながらな!
それが有効だと言うつもりなのか?どこまでお目出度いんだ、こいつの頭は!
だいたいこんな状況になってまで、まだそんな事を言うとは思ってなかったぞ。
「あんな脅迫で頷かせといて何言ってやがるんだお前?しかもだぞ、こんなことになって恋人も何も無いだろう?」
「こんなことって?」
「だから・・・俺たち兄弟だったんだぞ?血が繋がってるんだぞ?」
「兄弟より先に恋人になったんだから、僕たちは恋人だよ!」
「いや、そこは兄弟の方が先だろう。どう考えても」
「兄弟だからって怖気づいてるの?男に痴漢しちゃうような兄さんがそんなの気にするなんておかしいよ」
いや、オカシイのはお前の方だから。
痴漢された相手を逆にとっ捕まえて、自分の部屋に持ち帰って食っちゃうようなお前の方だから。
兄弟だって分かっても、全く動じずにまだ恋人だとか言い張るお前の方だから。絶対そうだから。
一人心の中でそんな突っ込みを繰り返しつつ、首に巻きついている腕を解き、やけに朗らかな顔を睨み上げる。
俺と血が繋がっているくせに、髪と目の色以外、その姿形は俺とは全然似ていない。
母親似のこいつは誠実な優男風に整った顔に、筋骨もしっかりとしていて背も高い。
抱きつかれたら、服越しにでもこいつの固い胸の弾力が俺の背中からも伝わってくる。
これ以上それを想像すると、自分がおかしな方向へ行ってしまいそうなので、弟から無理にでも離れるように身じろぎして自分の気持ちを切り替える。
俺に身体を引っ剥がされた弟は、渋々といった感じで今回は大人しく俺から離れると、ベッドの上に腰掛けた。
「ところでアル、お前も自分の兄貴が俺だって今日知ったのか?」
「僕が知ったのは数日前。母さんの再婚話を聞いた時にね、兄さんの事も聞いたんだ。驚いたよ。それがほら、これと全く一致してる人だったから」
そう言って奴が自分の携帯の画面をこちらに向けた。
見せられたそれには、こともあろうに俺の大学の学生証の画像が写っていた。俺の顔写真と名前、大学、学部までしっかりと読み取れる。
「てめぇっ!いつの間にそんな個人情報を盗んでいやがった!?」
「いつって・・・・・・ふふ。そりゃあ僕の部屋で兄さんが感じ過ぎて失神しちゃった時に。だけど、兄さんが大学生だなんて思わなかったな。あんな所で昼間っから痴漢行為を働いているなんて、てっきりプータローか何かかと・・・・・・」
「誰が無職のプーだ!もう四年で出る講義もないし、卒論も終わったも同然だからここしばらく暇だっただけだ!」
そうか分かったぞ。それで俺に警戒されずに今日という日を迎える為、ここ数日はわざと電話をしてこなかったんだな。
「それと、お前!ちょっとその携帯寄越せ!!・・・・・・ぁあ!てめっ!やっぱりこんな写真まで撮りやがって!!」
弟が手に持っていた携帯を奪い取って画像フォルダを見れば、怖れていた通り学生証の写真の他にも俺が全裸で放心している写真まで保存してあった。
怒りに任せてそれらを全て削除する。ついでに『僕のエドワード』と登録されている俺の携帯ナンバーも消してやった。全く油断も隙もない男だ。
「あああ、僕の大事なオカズ・・・・・・でもまぁいいや。また撮ればいいだけだから」
「!!ふ、ふざけるな!!この変態がァァ!!」
・・・そんな訳で、俺はこの悪魔と晴れて同じ屋根の下で暮らすことになった。
***
暇つぶしに入った映画館で偶然捕まえたのは、吸い寄せられる程に魅力溢れる僕の痴漢さん。
その彼が実は自分の兄なのだと知り、今の僕は空を飛べるんじゃないかと思うくらいに浮かれたっている。
嬉しくて楽しくて顔がニヤけて緩まないようにするのが大変だ。
一度は部屋から妖精のように逃げ出してしまった僕の恋人。あの時は流石の僕も失意に打ちひしがれた。
と、言っても身元は割れていたから、妖精さんはいずれ必ず取り戻すつもりではいたけれども。
それが労せずして家族という形で僕の手元に舞い戻り、同じ屋根の下で暮らすことになるんだから、運命の女神はどこまでもこの僕を祝福してくれているのに違いない。
共に暮らすようになった両親は、昼間は仕事で夜まで帰らない。
僕は大学の講義が終わるとさっさと帰宅して、兄であり恋人でもある可愛い人との甘いひと時を過ごすのを日課にしている・・・・・・はずだった。
「ただいま兄さん・・・・・・うん?」
ドアノブはガチャガチャと頑なな音をたてるだけで、兄さんの部屋のドアは開いてはくれない。
「兄さん、また今日もそんなに恥ずかしがって閉じこもってるんだね?」
扉の前でそう声を掛けたら、ドアの向こう側から「アホかお前っ」と返事が飛んでくる。
ドアを締め切っておきながら律儀に呼びかけに応えてくれるところが、またいちいち可愛くて仕方が無い。
僕はドアを何度も軽くノックし続ける。
「ねぇ、ここ開けてよ」
こんな問答がだいたい一緒に暮らすようになってから毎日繰り返されている。
しかし自慢ではないけれど、毎回僕の連戦連勝だ。
頃合いを見計らって、一呼吸置いてから低めのトーンで声を掛ける。
「兄さん。ここを開けないと・・・・・・どうなっても知らないよ?」
−−−−カチャリ。
今日もまた最後は素直に鍵を開ける兄さん。いい加減、無駄な抵抗はやめればいいのに。
胡散臭そうに僕を横目で睨む可愛い人に構わず抱き付いて、頬にただいまのキスを送る。
「うわ!アル、お前やめろよ!顔を寄せてくんなコラ!!」
恥ずかしがる兄さんの頬に挨拶のキスをして、もちろん唇にも直接触れる。
そこで激しい抵抗に遭い、僕の頬が兄さんの掌に押されて歪む。これも毎日の事だが、とりあえず今日は唇も頂戴したので良しとする。
しかし、一つ屋根の下で兄さんと二人きりというこの状況にありながら、あれから僕たちは恋人のまぐわいにまでは至っていない。
どうも恋人であるこの人は、僕たち二人が兄弟であったという事実に酷く臆してしまっているみたいだ。
今も彼の目を覗き込みながら、その滑らかな頬に手を添えた僕から、視線を反らせて俯いている。
「アル・・・お前、一体何考えてるんだよ?俺たちは兄弟なんだぞ?恋人だとか何だとか、いい加減にそんな事言うのはやめろ」
俯いて視線を逸らしながら、兄さんがいつになく僕に諭すような冷静な口調でそんな事を言う。
だけどその魅惑的な唇から零れ出た言葉には、僕はどうしたって同意なんて出来やしないよ。
「やめない。僕は兄さんが本気で好きなんだよ!後から兄弟だって分かったからって、そうですかって止める気は無いよ」
思いの丈をぶつけて僕が少々力を込めて抱きついたら、小柄な兄さんがよろけてベッドの上に倒れこむ。ベッドのスプリングの弾力で二人の身体が僅かに跳ねた。
期せずして僕が兄さんを上から押さえ込んでいる体勢になってしまった。
構わずにそのまま顔を近づけると、その人は慌てたように金色の瞳を大きく見開いて、一瞬で顔中を真っ赤に染め上げる。そんな表情を目にして、僕の心臓の方こそドキリと高鳴った。
僕が弟だったからって、だから何だと言うんだ?そんな些細なことで、折角巡りあった運命的な恋を諦めるなんて馬鹿げている。
だいたい痴漢行為は許されて、兄弟で愛し合う行為はいけないだなんて、その兄さん的可否のボーダーラインの基準も僕には良く分からないよ。
軽くまた一度唇を重ねて味わって、それから兄さんの赤味が差した綺麗な顔を上から鑑賞するように眺め下ろす。
すると視界の中にある彼の唇が、小さく溜息を洩らしてから言葉を発した。
「いやだ・・・・・・やめろアル」
再度落とされた制止の声に、僕は兄さんの顔の両側を挟むように置いていた手をゆっくりと外して、今回は素直に彼の上から身を起こした。
あっけなく退いたものだから、逆に兄さんの方が意表を突かれた顔をしている。
そんな彼へと、困ったような寂しげな笑顔を作って軽く肩を竦めて見せる。僕のこの表情は経験上、今迄全ての女性に有効だったのだが、兄さんにも多少は効いたようだ。
「な、何だよ・・・怒ったのかよ?」
やめろと言われて僕が離れてやれば、今度は顔色を窺うように問いかけてくる。その可愛さに飛び掛かって剥いてしまいたい衝動を必死で抑えて、あえて落ち着いた口調で怒ってないよと返事をした。
「無理矢理襲うような真似はもうしないよ。僕なりに複雑な心境ではあるんだよね・・・やっぱり兄さんからは家族としての信頼も得たいし」
「アル・・・・・・」
「でも諦める訳じゃないよ?兄さんの方から僕を求めてくれるのを待つってだけだから」
そう言って頬に触れると、金の瞳をこちらに向けている兄さんは、ほっとしたような、それでいてどこか物足りなさそうな表情を見せる。
本当に気持ちがそのまま顔に出る人だ。
あれやこれや言いながらも、結局僕のことが凄く気になってるってのが手に取る様に分かっちゃうよ。
兄さんを残したまま大人しく彼の部屋から出ると、僕はひっそりと口の端を上げた。
逃がしはしない。
でも家族としての信頼を得たいと思っているのは本当のこと。
弟としての信頼も恋人としての愛情も、僕は全てきっちりと手に入れるつもりだ。
だからこれから先の事も考えれば、目先の欲望に囚われて以前のように無理矢理組み敷くなんてのは得策じゃないだろう。
なに、慌てる必要なんかない。
何と言っても、僕は兄さんの家族という絶好の立場を獲得している上に、彼の嗜癖だって知り尽くしているのだから。
これから同じ屋根の下、慌てずにじっくりゆっくりと彼の性癖に訴えて・・・・・・もっともっとこの身体の虜にしてやる。
僕は自分の部屋に戻ると、更にこれからの作戦を練りながら考える。
だけどそうだ。
そんな持久戦になるのならば、気を付けておかなければならない事が一つあった。
あの人のストレスと欲求不満が溜まった時に、またどこかの男のものを触ろうとフラフラと出歩いたりしないよう、それだけは注意しておかなくては・・・・・・。
***
俺のことを今後襲ったりしない。そう約束してきたアルフォンスは、今のところその言葉を守っている。
だけど四六時中顔を合わせているのに何も起こらない環境というのは、これはこれで俺の精神衛生上、実は大変宜しくなかった。
アルフォンスのやつが約束した以上、確かに俺の尻の穴の無事は当面保証されている。
しかし別に弟は俺への接触を一切止めた訳では無くて、相変わらず恋人のキスだとかハグだとかは頻繁に仕掛けてくる。
これはかなりヤバい。
俺の身体がアルフォンスの腕や胸の中に抱き込まれれば、ダイレクトにやつの体温や、匂いだとか、見た目以上に逞しい筋肉の弾力とかを伝えてくる。
そして、それを俺の五感はフル活動で、もの凄いスピードでもって拾い上げ、それらの情報を一気に脳味噌まで伝達してくる。その脳の許容を超えた痺れるような感覚は、俺の煩悩への刺激へと即変換されてしまうのだ。
うっかり唇なぞを許してしまうと大変だ。
いつの間にか口の中にまで舌を差し込まれて、ねっとりと執拗に俺の舌を舐めあげて吸いあげて、いやらしい気持ち良さに俺の腰はあっけなく砕けて立っていられなくさせられる。
そんな時は、俺のモノはもう悲しい位に反応を示してしまっている。それをアルフォンスには気付かれないように、毎回隠すのに俺は必死だった。
だってこんな格好悪い事、弟には絶対に知られる訳にはいかないだろう?
だから一つ屋根の下にアルフォンスがいるという状況は、俺に相当のストレスを与え続けることになった。
一つは、うっかり気を許すと、尻の穴を掘られてしまいそうな緊張感からくるストレス。
それなのに、アルフォンスの身体の全ての部分が実に俺好みなのが困るのだ。
目に入るだけでムラムラと煩悩が頭をもたげ、以前に抱かれた時に目にした彼の身体の隅々までが詳細に思い出されれば、俺は無条件で興奮させられた。
結果、最近の俺はいつだって燻る欲望を身の内に溜め込んで生活することを強いられている。
その日も弟は講義が終わると夕方頃には帰ってきた。
そして、すぐに汗を流す為にシャワーを浴びに行った。そこまではいい。
バスルームから出ると、俺が本を積み上げて読み耽っている居間へとやつは入ってきた。
しかし、そのアルフォンスは何故だか下着を一枚身につけただけの姿だったのだ。
「わあああ!!」
人の気配がして顔を上げたらいきなり弟のほぼ全裸な姿を目撃して、俺は思わず手元の本を放り出しながら裏返った叫び声を上げてしまった。
「何だよ兄さん、人の姿を見るなり叫ぶなんて」
「だって、お、お前なんでパンツだけの姿でこんな所をウロウロしてるんだよ・・・!」
「えー?別に家の中だしいいじゃない。それとも僕が裸だと何かマズい事でもある?」
アルフォンスは俺の座っているソファーの横にその格好のまま腰掛けると、俺の肩に腕を回しながら顔を覗き込んで問いかけてくる。
しっかりと髪についた水気は取ってきたらしいが、タオルで拭いただけの頭髪はブラシも入っていない洗いざらしで毛先は好き勝手な方向を向いている。その姿がいつも以上に男臭い色気を感じさせた。
こちらへと伸ばされているアルフォンスの上腕の筋が、俺の肩をゆったりと擦る度に僅かに動く。
そんな何でもない筈の事柄一つ一つが俺の心拍数を上げて、体温を上昇させるのだ。
駄目だ。こんな光景は俺の精神には毒にも等しい!
熱くなった自分の顔を見られたくなくて視線を降ろしたら、今度はアルフォンスの胸下から下半身までが視界に飛び込んで来て、脳天に直接その毒物が注入されたような衝撃を受けた。
「ア、アル・・・アルアルッ!頼むから離れてくれーーーっ!!」
大げさに叫んで、アルフォンスの腕を潜り抜けるようにして身を屈めて脱出する。勢い余って、座っていたソファーから転げ落ちた。
「いてっ!」
「ちょっと大丈夫?」
弟から差し伸べられた手を「だっ、大丈夫だから」と避けるように立ち上がると、ソファーに積まれていた大量の本を抱えて慌てて居間から飛び出した。弟から見たら、挙動不審もいいところだろう。
自分の部屋に入るとすかさず鍵を掛けた。有難いことに、その時のアルフォンスはここまでは追いかけては来なかったから助かった。
今見たばかりの光景は、ほんの僅かなものでしかなかったけどしっかり瞼に焼き付いてしまった。
早鐘を打ち続ける心臓はまだ収まらない。
そして改めて思う。
ああ、そうだった。あの身体だったと。
俺が三日間に渡って、受け入れさせられ、慣れさせられたのは、あの身体だった。
俺の足を大きく開かせて貫いていたアルフォンスのそれがフラッシュバックするみたいに鮮明に甦る。
それは、熱くて固くて抵抗しようとする俺をあざ笑うかのように、怖くなる位に快楽の絶頂へと運んで行った。
そんな想像ばかり働かせていたせいで、俺の変態的性癖のスイッチが完全に入ってしまったらしい。
アルフォンスのモノを思い出しては身体が熱くなる。
あれに触ってみたいと思う。しつこいようだが、あくまでも触りたいだけだ。
俺の目の前で段々と大きくなって固くなってゆく過程をじっくりと堪能したい。
しかし、いくら魅力的でもあれは俺の実の弟のもんだ。
手を出してはいけないものだ。
俺はアルフォンスにとっ捕まってからは、今後一切止めるように誓わされた事もあり、あれから一度も痴漢行為をしてはいなかった。
でももう俺の欲求不満は限界に来ている。
このままあの弟に俺の煩悩を刺激され続けるのならば、どこか別の場所で発散しなければ俺はあいつの誘惑に負けてしまう。そして、あいつに情けなくもアンアンと喘がされるネコにされてしまう。
もうこうなったらあそこへまた行くしかない。弟にバレないようにこっそりと・・・・・・獲物を探しに。
−−−−映画館へ。
やると決めたらもう気がはやってしまってどうにもならなくて、思い立った翌日に早速出かけることにした。
明日は日曜日だから、アルフォンスも家にいる。
本来ならばそんな危険な日は避けて、弟が登校していて留守になる平日の昼間にすればいいものだが、変態的スイッチの入ってしまった俺は、そのたった一日二日が待てなかった。
これがアルフォンスにバレた日には、どんな目に会うか分からない。
だが、そこは兄弟だ。越えてはいけない一線(もう越えてるけど)は人として持っておかなくては。
翌日になると、自分の計画通りに、ちょっと近所のコンビニにでも行くような何気ない調子を装って、日曜の昼下がりにそっと家を抜け出した。
弟のアルフォンスは自分の部屋で課題のレポートでもしているようで、運よく出掛けには顔を合わせずに済んだ。
アルフォンスという最初で最大の難関をクリアしたことで、俺は安堵感に胸を撫で下ろすと同時に、それはもうご機嫌な気分で電車へと乗り込んだ。
駅を降りて目的の場所へ向かって繁華街の中を歩いているうちに、俺のテンションというか、ここ最近忘れかけていた感覚が戻ってくる。
これから映画館へ行き、その薄暗い密室の中にいる数人の獲物たちの中から、これだという一匹を見つけ出す。
今日はいい獲物はいるだろうか?
まるでハンターにでもなったみたいな高揚感に包まれて、自然と歩調も呼吸も速くなる。
かつての胸の高鳴るようなそわそわした興奮状態が甦り、無意識に握り拳を作って思わず口からも気合が出る。
「よっし!俺は覚醒してきたぜぇ!」
すれ違った奴に、痛々しい者を見るような目で不審気に振り返られてしまった。
が、今の俺はそんなものは全く意に介さない!
アルフォンスの監視から逃れたこの開放感−−−−半端ない!!
完全に覚醒した今の俺は餓えた獣だ!!誰にも止められないんだぜ!!
獲物を見つけたらこの俺様の手で恥ずかしいくらいに弄り倒してやるんだ!待っていろ!!
そんな調子で鼻息も荒く意気揚々と映画館までやってきた。
その映画館は繁華街の路地を一つ入った突き当たりの奥まった場所にあり、こじんまりとして人影も少ない。
いつも俺が人には言えない例の行為を繰り返し行ってきた場所だ。云わば俺のシマだ。なんだか古巣に戻ってきたような感慨さえ沸いて来る。
前回はアルフォンスという、とんでもない男にうっかり手を出してエライ目に遭ったが、今度は大丈夫だ。
そんなヘマはもうしないように、獲物をよ〜く吟味して見極めようと思う。
そして久しぶりに館内へと足を踏み入れる。
これから狩りをするのかと思えば、俺の体中の血の巡りも早くなった。
館内の三つあるスクリーンは、どれもリバイバルの古い映画を上映している。
どこにしようかとちょっと考えて、一番奥のドアを開けた。それに深い理由なんてない。ただタイトルが俺でも聞いたことがあるというそれだけだ。
上映中の室内へ滑り込むように入る。
ドアを閉めると最後方にしばらく立ったままで、中の客の入りを確認。
大昔のリバイバル映画なのに、数えたら客が10人も入っている。休日だからいつもより多いのか。
しかし、その中には二組のカップルも混ざっているから、こいつらを除外すれば獲物は6匹だった。
なんだ、そう考えればいつもとたいして変らないじゃねぇか。
しかも一組のカップルは映画そっちのけで顔と顔を密着したり、ついでに女の方が自らの唇を男の頬や唇へ摺り寄せている。その光景を後方から目にした俺は、忌々しげに眉を顰めた。
ちっ!俺様の神聖な狩場で何してやがるんだ!!イチャつきたければ、ここの裏手に何軒もあるホテルにでも行きやがれ。
映画館は映画を見る為のところだろうがよ!!
そのくっついたふたつの頭へ向けて心の中だけで毒づいてから、気を取り直して再度他の客ひとりひとりに目を向ける。
俺のターゲットの理想は若い男で体躯もしっかりした感じ・・・・・・でも筋肉ばかりの男はあまり趣味じゃない。
髪は薄いのはNGだ。俺は見た目にもとことん拘るんだ。
当然顔だって、整っているに越したことはないな。
貧相な顔や体ではいくらナニが素晴らしくても、まず触わりたい気持ちすら起きない。
自分で言うのもなんだが、これに関しては俺はどこまでも美食家の獣でありたいと常々思っている。
暗闇で鋭く目を光らせて、俺は自分的基準に合格しそうなターゲットの選別を静かに開始した。
そんな俺の御眼鏡に最初に適った奴は、真ん中にある通路側に座っている若い男。
身長は認めたくないが俺よりかなりありそうだ。アルフォンスと同じくらいだろうか?
少し近づいた距離から、よく目を凝らしてその男を品定めする。
アルフォンスと同じ様な体格かと思ったが、近くで見たらもっとひょろりとした印象だ。
ちっ、何だよ期待させやがって!全然ダメじゃねぇか!!その半袖シャツから覗く貧相な二の腕は何だ?
俺の理想はもっとこう、一見スラリとした印象なのに、間近で見れば腕や肩に無駄のない筋肉がごく自然についているような・・・・・・
と、無意識にアルフォンスの裸を思い浮かべて、その腕と比べている自分にはたと気がついた。慌ててその考えを振り払う。
とにかく、このヒョロ男は却下だ。こんな奴のナニはやっぱりヒョロってる可能性が高い。
勝手にそう結論を出すと、次はその男の五つ後方の通路側に座っている奴に目をつけた。
スーツ姿の男で、上着を膝に置いて長袖のワイシャツなので腕は見えないが、さっきの男のようにひ弱そうな体型でもない。
目に付くのは、髪がくせのあるやや伸びた感じの黒髪な点くらいか。
まあまあといったところだ。
出来ればあのくせっ毛の黒髪がもうちょっと違えば良かったのだが。
俺の好みで言わせてもらえば、例えばもっと清潔そうに整えられた短髪なら・・・・・・
と、また無意識に金色の短髪頭を思い浮かべた。そんな自分にイラついて自分自身に舌打ちをする。
そして再び気持ちを仕切り直すと、俺は本日のターゲットをそのスーツの男にすることに決定した。かなり妥協しての結果である。
そうそう顔も体型もアッチもと、三拍子も四拍子も揃ってるアルフォンスのような奴には滅多にお目にかかれるもんじゃないのだ。ある程度の妥協は致し方ない。
俺はそっとその獲物へと近づいて、隣の座席に座る。さり気無く隣に座っても、大抵の人間はその瞬間に俺の事をちらりと横目で見ることが多い。
ガラガラの座席の中でわざわざ隣接して座ってくるんだから、まぁ当然といえば当然の反応だろうとは俺も思う。
しかし、だからと言って、今迄誰もそんな俺から離れて座り直すような奴はいなかった。今回の男も然り。
まずはスクリーンを見つめているふうを装って、隣の男の様子をつぶさに観察する。
今日の獲物は顔はごく平凡でこれといって特徴もない。
膝に背広の上着をかけるようにして置いている。これは俺にとっては願ったりだ。
外からは見えないのだから、これならば触り放題ってもんだ。
俺はいつもの手順通りに、相手と自分の席の間にある肘掛に腕を乗せると、映画を見ながら狸寝入りして舟を漕ぐふりを始める。
そしてしばらくしてから、相手の男の上着の上にぱたりとその手を落とした。
それからそろそろと、その上着の下の腿の部分へと手を潜り込ませ、じわりと左右に動かしてみる。
・・・・・・・・・・・・。
いつもの様に男の大腿部の上をゆっくりと触り始めたはいいのだが、どうした訳かそれを始めた途端、俺の気持ちは急速に萎えていった。
隣の男は自分に起きている異変に気がついているのに、平静を装いながら前を向いている。以前はそんな態度を快感と羞恥で崩してやろうと、更に俺の手に熱が篭っていったものだが、今触れている掌からは何の高揚感も得られない。
違うんだ、これは。こんな感触は違う。
この手触りは平凡過ぎるんだ。俺が欲しいのはもっと若々しくて引き締まっていて、でも骨ばっている訳でもなく、もっと固い弾力の・・・・・・。
以前までの俺ならば、同じ奴相手でも十分にこちらも興奮できた筈だと思うのだが、今の俺にはこれじゃあ物足り無さ過ぎて、全く気持ちが乗ってこない。
この映画館でアルフォンスに同じ事をした時は、あんなにドキドキと体中に恍惚となる程の電流が駆け抜けたというのに、今は微塵もそんなものは沸いては来ない。
それよりか、アルフォンスと約束したのにも関わらず、またこの場所でこんな行為をしているのが、もし奴に知れてしまったらと、ここまで来ておきながら考え出すと、恐怖心から別の意味で心臓がドキドキしてきた。
白け切った気持ちでこれ以上、男の下半身を昂める為に掌を動かす気分にもなれず、動きを止めるとしばらくその手のやり場に躊躇する。
折角ここまで来けれど、気分が乗らないんじゃ仕方ない。俺は隣の男の上着の下にある手をそっと自分の方へと引き戻そうとした。
と、その時。
いきなり隣の男が、戻ろうとする俺の手の甲に上から自分の掌を重ねてきたのだ。
重ねられた掌はじっとりと熱を持ち、汗ばんでいて気色が悪い。
俺が反射的に自分の側へ引っ込めようとしたら、男が手に力を込めて握ってきやがった。
そして男の腿の上に俺の手を押さえつけるようにしながら、そのまま手前に引き寄せられる。否応なしに男の股間付近まで。
俺の手の端がちょっと触れただけで、服の上からでもその部分が固さを持ち始めているのが感じられた。
今迄自分から進んで触っていたものが、どうした事か今はただただ気味悪くておぞましい!
背筋に悪寒を感じると同時に、瞬間的に俺は一気に怒りを爆発させた。
「てめぇ!ふざけるなっ!!」
座席から勢い良く立ち上がると、力一杯その男の手を振り払い、相手に向かって大声で怒鳴りつけた。どちらが先に手を出したかなど、すっかり頭から消え失せている。
暗い密室の映画館の中に俺の怒声がやかましく反響する。
突然の大声に他の観客達がぎょっとしてこちらを振り返り、俺はその視線を背中に受けながら、そのまま近くのドアから退出した。
握られた手の感触がまだ残ってるような不快感に耐えられず、通路の一番奥にある洗面所で手を洗おうと、そちらへと向かい始めたその時に今度は背後から腕を取られた。
振り返ってみれば、さっき隣に座っていた男。出てきた俺の後を尾けて来やがったのか!
「何だよ!何でついてくるんだよ!!放しやがれっこの・・・・・・!!」
「君にあんなに大声で騒がれて、あそこに私だけ残って居られる訳無いだろう!ちょっとこっちに来るんだ!」
掴んだ腕を力任せに引っ張られて、通路の洗面所手前にある非常通用口の扉を男が開けると、そこへ引っ張り込まれる。
非常階段の踊り場のそこの周辺一帯はホテル街の裏手に面していて、休日の昼間のこの時間でも誰一人歩いてもいない、変に静まり返っている場所だった。
そんな所に連れて来られ、腕を引かれて乱暴に非常階段の柵に体を打ち付けられて体勢を崩す。
男は尻餅をついた格好になった俺の両足の上に膝を置き、こっちの身動きを取れなくすると、片方の手で俺の括った髪の束を乱暴に掴み上げた。
髪が攣れる痛みと、両脚を男の体重で圧迫される痛みに、自然と顔が苦しさで歪んでしまう。
男の平凡な特徴のない顔が、動かせない俺の首筋に寄せられる。身を固くした俺の耳の下に鼻先を押し付けてくる。
スー、ハー、と息を吸い込んで臭いを嗅いでいるらしい男の荒い息が、俺の耳に当たって気持ち悪いなんてもんじゃない。
「や、やめろ!俺に・・・・・・触るなっ!!」
「よくもそんな事が言えたもんだな。先に触ってきたのは君の方じゃないか」
耳元の至近距離からそんな言葉を変に熱い息と共に吹き込まれて、全身に鳥肌が立つような震えが広がってゆく。
睨み上げた男の目は血走っていた。明らかに理性の欠片も失っている表情だ。背中の毛穴が総毛立つ。
「触りたいのならもっと触らせてあげるよ。君みたいな綺麗な人だったら、例え相手が男でも我慢するよ、ほら・・・・・・」
そんな事を言いながら、掴まれている俺の手が無理矢理に男の股間へと誘導される。
さっきよりも熱さも固さも増したようなその部分に、今度はダイレクトに手を置かされた。あまりの嫌悪感に背中を仰け反らせて、勢い余って背後の柵に頭をぶつけた。後頭部に鈍い金属音と衝撃。
「ひっ・・・・・・!ば、馬鹿野郎!!きたねぇモン俺に触らせるな!!」
「痴漢の分際で随分な言い草じゃないか?うん?手では触ってくれないのかい?じゃあその可愛い口でしてもらうのでもいいんだよ」
「マジふざけんなお前!!」
「君に反抗する権利なんて無いんだよ。それとも男への痴漢行為で警察に突き出されたいのかい?」
警察という言葉を聞いて、流石の俺も今日の出来事が表沙汰になることに対して一瞬怯んでしまった。
と言っても、脳裏に思い浮かべて身を縮みこませたのは、お巡りの姿じゃなく黒い笑顔を浮かべたアルフォンスの姿のせいだ。
一瞬動きの止まった俺が、警察を怖れて抵抗を止める気になったとでも思ったのだろう。
俺を膝で押さえつけてる男の行動は更にエスカレートして、自分のベルトを外しだし、挙句の果てに下半身を露出させた。
男のソレは完全に勃ち上がり、興奮しているのか外気に触れたせいか、脈を打って揺れている。
俺は思い切り眉間に皺を寄せ、侮蔑の目でそれを眺める。俺は今、心の底から嫌悪感で一杯だ。
男が興奮して勃起してる姿・・・・・・それは、今迄の俺が大好きだった光景のはず。
なのに、今の俺は微塵の昂揚も感じられずに、やけに冷めた目でそれを査定した。
・・・・・・アルフォンスのより全然小さい。
しかし、そんな冷静になってる場合ではないのだ!
目の前に下半身を曝け出して、こともあろうにこの俺の顔面にソレをブラブラと近づけて迫ってくる奴がいるんだから。
「ああ、君みたいな綺麗な人に口でして貰えるなんて光栄だなぁ」
「だ、誰がそんな事するって言った!?しまえ!その貧相なモンを今すぐしまえよ、このヘンタイ!!」
喚く俺の髪を、もう一度男がぐいと下方に引っ張るから、俺は強制的に顎を上げる格好にさせられた。
いよいよ男が中腰の姿勢になって、俺の鼻先まで固くなった欲望の塊を持ってくる。生々しく濡れていて、吐き気がする程に気持ちが悪いそれから顔を背けたいのに、髪を掴まれてるせいで顔を動かせない。
−−−−や、やめろ!やめろ、やめろぉ!!
口を固く閉じている為に、心の中でだけそう叫ぶ。口を開く訳には行かない。そんなことしたら超危険な状況だ!
身動きが取れないなりに、持てる力で精一杯暴れて抵抗する。
こんなモンを口に入れられたら、俺のこれから先の人生、このショックをトラウマとして抱えて生きていかねばならなくなる。冗談じゃない!
さっきより更に鼻息の荒くなった男は、きつく俺の鼻を摘み上げてきた。口を閉じている俺は鼻からの呼吸を遮られて、窒息させられるその苦しさに呻き声を洩らしながら足掻く。
それでも尚、しばらくは口を開けずに頑張りはしてみたが、すぐに限界は訪れて視界が白くなり掛けた。
堪らずに口を開いて大きく息を吸っては吐き出すを繰り返す。すると、いよいよ男のソレが口元付近に迫ってきた。
−−−−やばい、入れられる!
流石の俺も蒼白になる。
見開いた両目からはしょっぱい体液が勝手に出てきて、鼻先にある男のブツが滲んで見え出す。
その時の俺も相手の男も、自分の事で手一杯で周囲の変化には全く気がついていなかった。
丁度その時に、俺たちが入ってきた扉が静かにまた開かれて、もう一人の人物が男の背後に立ったことを。
−−−−ドカッ!!!
「ガッ!」という変な声と金属音と共に、背中を斜め前方へと蹴り倒された男は俺の横の柵に頭をしたたかにぶつけて、俺の体の上につんのめるように倒れこんだ。
何事が起こったのかと俺が顔を上げれば、男の背後にもう一人別の人物が仁王立ちしている。
「ア・・・・・・アルッ!!なんでここに・・・・・・!?」
そこに立っていたのは、驚くべきことに今はここにいる筈の無い弟、アルフォンスだ。
眉を吊り上げ、まさに鬼の形相というに相応しい顔で、下半身を露出している男を睨み下ろしている。
続いて、彼は何も言わずに俺の上に倒れこんでいる男の体を、まるで俺から汚いものでも剥がし落とすかのように、もう一度爪先に力を込めて引っくり返すように蹴り上げた。
された男は、ガランガランと金属製の非常階段を何段も転がって落ちると、またそこで倒れこんでしまう。
そしてアルフォンスの視線が移動して、今度はその金の目が男から俺の方へと向けられる。
「兄さん。こんな所で何やってるの?」
口調は無駄に穏やかで、今度は口元に僅かだが笑顔まで浮かべている。
しかしそれが怖い。とても怖い!!
「え・・・え、えー・・・・・・映画を見に?」
「そんな言い訳が通用すると本気で思ってるわけじゃ無いよね?」
瞳を細めて笑顔を顔に貼り付けた弟は、俺の苦し紛れの言い訳を軽く一蹴した。
一難去って、また一難。
***
兄さんが出掛けたのを確認すると、それを待ち構えていた僕もすぐに後を追って家を出た。
昨日の様子から、兄さんの欲求不満の溜まり具合は相当なものだと踏んでいたけれど、案の定、翌日に早速行動に移すとは。
今日は朝からさり気無くチラチラと僕の動向を窺ってるみたいだったし、普段はコンビニになんか何も言わずに黙って出掛けるくせに、今日に限って「ちょっとコンビニでも行ってくるかなぁ」とか呟いてみたり。
分かり易過ぎるにも程があるよ兄さん。
大学では全ての単位をS評価でさっさと取得してしまったような天才だって話なのに、私生活では痴漢はするわ、考えてることが顔や態度から駄々漏れだったりと、実に色んな意外性に富んだ顔を持っていて僕を飽きさせない人だ。
そんな兄さんは、家を出た直後は警戒して後ろを振り返る素振りを見せていたけれど、駅から電車に乗ったら完全に安心したらしい。背中からも浮き足立っている様子が見て取れた。
目的地は例の映画館のようで、最寄り駅に降り立つとやけに歩調が足早になった。その速度たるや、後ろから尾行するのも一苦労だ。
追跡する後姿の金髪の束が人波の中で小気味良く縦に横にと揺れている。全く、一体どれだけ浮かれてるんだよ。これは後できつ〜くお灸を据えなくちゃいけないな。
そんなご機嫌な調子の兄さんの背中が映画館の入り口に吸い込まれるように消えて行く。僕も慌てて小走りでそこまで行くと、チケットを買って中に入った。
が、既に館内のロビーにはその姿はない。
慌てて何度も周囲を見回してから、自分のしくじりに舌打ちをする。
チッ、しまった。見失った!
何て素早さだ。まさに、水を得た魚とはこの事だ。
この映画館の三つあるスクリーンのどこに入っていったんだ?
予定としては、兄さんが痴漢をしようとどこかの男に手を伸ばした瞬間に、現場を押さえて現行犯逮捕しようと思ってたのに。
それよりも何よりも、あの人を野放しにしておくのには、別の危険だって孕んでいる。
兄さんは、自分の容貌が知らずに醸し出している魅力には全く無頓着だ。
見知らぬ男のものを触って刺激したりして、今迄僕以外の男相手に無事でいられた事の方が奇跡に近いって言うのに!
兄さんは自分の事を知らな過ぎるし、それ故に危機意識もまるで持っていないんだから困りものだ。
捕まえたら、今度こそ二度とこんな馬鹿な真似はさせはしない。
「仕方ないな、一つずつ入って探すしかないか」
悩んでる時間も惜しくて、早速僕は手前のスクリーンの扉を開けて中に入った。
薄暗い中で特定の人物を探すのは骨が折れるかとも思ったけれど、観客も少ないし、後ろから眺めるそれぞれのシルエットでだいたい見当はつけられた。
しかし最初に入った所にも、その次の部屋にも兄らしき人物は見当たらない。
最後の場所にいるのかと、一番奥のスクリーンの扉を開こうとしたところで、ロビーの通路の更に奥の方から人が言い争うような声がした。
その聞き覚えのある声に、僕は急いでそちらへと足を向けた。
声のした通路の奥までやってきたのに、どこにもそれらしき人影が無い。
通路の突き当たりの角を曲がるとその先にはトイレがあるだけだ。このトイレにいるのか?
そこは前に来た時に僕が兄さんと出会い、愛を深め合って恋人にまでなった思い出の場所だ。
しかし、ドアを開けて洗面所を見れば、やっぱり何も声など聞こえてこないし、誰の姿も認められない。個室の扉も一つ一つ見て廻ったが、やはり何もない。
一体何処に行ってしまったんだ?
と、トイレのすぐ手前の厚い非常扉の向こうから僅かに声が漏れてくるのに気が付いて、僕は迷わずにその扉を静かに開いた。
扉を開くなり視界に飛び込んできた光景に、僕の頭は瞬間的に殺気立ち真っ赤に染まった。
考えるよりも先に体が動いた。
あと数秒僕が来るのが遅かったら、この男の命はあったかどうか責任は持てなくなるところだっただろう。
僕が目の前にある背中を斜め前方へ思い切り蹴り飛ばしたら、額を鉄製の柵にぶつけた男はその一発で伸びてしまった。
下半身を出したままの格好で、兄さんの上に被さる男をもう一度蹴って階段へ向かって転がす。
僕のものに不逞を働こうとした罰にしては軽すぎるが、僕にはまだこれからこの奔放な妖精さんを完全に更生させるという仕事も残っているし、これ以上はこいつに構ってはいられない。
この程度の制裁で済んだ幸運を、神と僕に感謝するがいい。
***
「取りあえず話は後だ。ほら行くよ」
男を『瞬殺』と言うに相応しい手際で始末してしまったアルフォンスに腕を掴まれて立たされると、俺は弟に引かれるまま、共に非常階段を降りてゆく。
階段の途中には、気を失った男が無様な格好で倒れている。
男が転がっているところまで降りて来ると、弟はまたその尻を晒したままの姿を足で小突いて、されるがまま男は更に階段を数段転がって仰向けになった。
露出されたままの男の一物は、まだ濡れているが今は萎びたように力無く縮こまっている。あんなモノが俺の口に入れられていたら、マジで立ち直れなくなるところだった。それだけはアルフォンスに素直に感謝したいと思う。
俺とアルフォンスはその男の脇をすり抜けて階段を降りきると、二人で映画館を後にした。
相変わらずアルフォンスにがっしりと腕を掴まれたままで、他に誰も通らないようなホテル街の裏道を歩いてゆく。
それにしても気になるのは、何でアルフォンスが都合よくあの場に現れたんだろうかという事。
「ア、アル。お前ひょっとして俺の事、尾行してたとか・・・・・・?」
「うん。兄さんがまたおかしな事をやらかしそうな気配がプンプンしてたからね。・・・・・・そしたら、この有様だ」
アルフォンスの口調から、やっぱり怒ってるらしい事が俺にも伝わってきた。
ヤバイ。これは逆らったらどうなるか分からない。
ここしばらくは、出来るだけこいつの前ではしおらしくしてないと・・・・・・
そんなふうに考えていたのだが、アルフォンスに腕を引かれて連れて来られた先の目的の場所に気付くなり、俺はすかさず抵抗する事になった。
「おい!ちょっと待てよ!!こんな場所に俺を引っ張り込もうとするな!!」
アルフォンスが俺の腕を掴んだまま連れ込もうとしてるのは、ホテルの入り口。
焦げ茶色の壁に囲まれたひっそりとした入り口が、いかにもな淫靡な雰囲気を漂わせている。
ここで『ご休憩』するつもりなのか?俺はこんなところに入った事は一度もないんだ。ましてや男と二人で腕を組んで入るなんて!
そんな俺の抵抗をものともせずに、アルフォンスは俺をちらりと流し見て不機嫌な色を滲ませた声を出す。
「今回の件では、兄さんにはよ〜く話して聞かせる必要がある。だけど、今日は父さんも母さんも家にいるんだから、自宅じゃない方がいいだろ?万が一聞かれたりしたら、困るのは兄さんだよ?」
「しかしだからって・・・・・・うわっ!」
入り口付近で足を踏ん張ってごねる俺の腕を自分の方へと強く引き寄せると、弟は低い声で「兄さんは僕との約束を破ったんだから、今日は拒否する権利は無いんだよ」と有無を言わさぬ口調で俺の抵抗を切り捨てた。
結局、俺は同性の男と、しかも実の弟である人間と連れ立って、ホテルの入り口の自動ドアをくぐる羽目になってしまったのだ。
初めて足を踏み入れた場所で、恥ずかしさの余り俯き加減でオドオドしてる俺の傍らで、弟の方はと言えばフロントの前にある空室ランプのついた部屋のボタンの一つを迷わず押すと、フロントで鍵を受け取り、スタスタと俺の腕を組んでその鍵の番号の部屋へと向かう。
なんだか慣れてないかコイツ?絶対初めてじゃないよな?
自分の置かれてる状況にも関わらず、何故かそんな事が気になってしまう。
アルフォンスが鍵を差込み、ドアを開ける。俺は弟に腕をホールドされながら二人で室内に入った。
部屋の中は若草色の絨毯に、緑と黄緑色の木の葉の模様のカーテン。白い壁にはパステルカラーでいくつもの野花の絵が描かれ、どでかいベッドは天蓋付きで真っ白いレースまでついている。家具は全て木製で、ベッドサイドにはアール・ヌーヴォー調のキノコを模ったランプまで置かれていた。
「なんだこりゃぁ?」
「森のイメージか何かじゃない?」
男二人が使う部屋にしては、あまりにもメルヘンチックな世界がそこには展開されていた。
その部屋の少女趣味な装飾に魂を抜かれたみたいに脱力してた俺に、アルフォンスの両腕が背後から腰の周辺に伸びてきて、がっしりと抱きしめられる。
「まさに森の妖精さんだね」と、訳の分からない謎の台詞を耳元で囁かれ、俺は一瞬忘れかけていた今の自分の置かれている立場を思い出して、もう一度身を竦ませた。
「さぁ、ここに座って」
「な、何だよ・・・・・・っ!そんなに俺に密着してこないでくれって!」
アルフォンスの腕の中に拘束されながら腰掛けさせられる。こんないかがわしくもメルヘンチックなホテルのベッドの上でだ。
何かされた訳じゃないのに、この状況だけで俺の心臓はもう壊れてるんじゃないかという位にバクバクと暴れだしている。
これから俺は何されちゃうんだろ?
やっぱりあんなコトやこんなコトとか?
アルフォンスの体温を感じつつそんなことをワタワタと考えてたら、体中のそこかしこから疼くような痺れたような感覚が湧き上がって、次第に下半身に熱が集まりだす。
これじゃあまるで俺がそうされるのを期待してドキドキしてるみたいな反応じゃないか。
違う!俺のドキドキは期待からじゃない!そ、そんなはずはない!そんなはずは・・・・・・!
俺が一人で勝手な方向にテンパってると、アルフォンスは俺と向かい合う体勢になって、俺の両手の指に自分の指を絡めてきた。
それで両手を握り合ったまま、俺より体格のいい弟がこちらに体重をかけてくるから、不可抗力的に俺はベッドの上に仰向けで倒された格好になる。
この体勢はやっぱりあれか?いよいよされちゃうのか?
そう思ったら、顔が自然と熱くなってきてしまう。
「ア、アル・・・・・・?」
「そんな真っ赤に頬を染めてるところ悪いんだけど。−−−−ここからは尋問の時間だ兄さん」
両手を繋いで俺をベッドの上に貼り付けにして真上から見下ろしてくる弟は、鋭い金の視線を突き刺しながらそう宣告した。
そうされれば、俺の顔にまで昇っていた大量の血液が今度は一気に下がっていく。
やっぱりそっちだったのか!いや、どちらにしても俺のピンチは変らない!
容疑者をベッドに縫い付けた格好で、アルフォンスの尋問が開始される。
「それで兄さんは、何でまた僕との約束を破って迷惑防止条例違反なことをしようと思っちゃったのかな?」
「・・・・・・・・・・・・。」
しっかりと絡めている手をもっと強く握り直しながら、アルフォンスに問われる。口調だけはやけに柔らかい調子で。
お前の身体に日々ムラムラしちゃったからだとは答えられないから、弟の痛い程の視線から逃げる為に、俺は口を閉ざしたまま顔を横に逸らせた。
するとアルフォンスは顔を更に近づけてきて、俺の耳の中をざらりと一度舌で撫でた。
「ぎゃああああ!てめっ何すんだ!」
「兄さんがちゃんと答えないからだよ。ほら、素直に言わないともっとするよ?」
「い・・・・・・言いたくないっ!」
「なんだ。もっとして欲しいってことか」
「うわぁーーー!やめっ!!」
アルフォンスの温かで柔らかな唇の感触が、俺の耳だけでなく頬、瞼、額と至るところに落とされる。当たり前のように唇にまで触れてくると、俺の唇の上を舌でゆっくりと味わうように舐め上げてくる。
騒いでいた俺の口の中にも弟の舌は難なく滑りこんでくると、口内の奥に引っ込めていた舌を絡め取られた。
「んんーーーっ!んっ・・・・・・ふ・・・」
甘く弄るようなアルフォンスのキスがやたらと気持ち良くて、俺の身体から力が抜ける。そうなれば、もうアルフォンスに抵抗することは不可能に近い。
「ほら、何で今日は僕の目を盗んでまで痴漢なんかしようと思った?ちゃんと答えるんだよ」
「あ・・・・・・や・・・・・・っ」
俺が尚も抵抗を見せて弟の質問に口を閉ざそうとすると、アルフォンスの手が俺の胸の付近へと伸ばされた。
そして指がシャツの上から乳首を捕らえると、薄い生地越しに細かく押すように擦られる。
「あぁっ・・・・・・!」
「兄さんのここ僕が触る前から立ち上がってるよ。これくらいでもう感じてるの?」
妖しさを潜ませた声で囁きながら、弟の指に服の上から更に摘み上げるようにされて、俺は堪らずに背中を仰け反らせて白旗を掲げた。
「うぁ・・・・・・やめっ・・・・・・い、言うから!お、お前・・・おまえが・・・・・・」
「僕が?」
「お前が、お前のカラダが・・・・・・ヤラシイからっ!俺がおかしくなっちまうんだろ・・・!」
「僕の身体が兄さんをおかしな気分にさせちゃうってこと?じゃあ恋人の僕のことだけ触ってればいいんだよ。なのに、それで見知らぬ男のもの触りに行って、自分が危ない目に遭ってちゃ世話無いよ。僕がいなかったら、自分の身がどうなってたと思ってるんだよ」
いつの間にかシャツの下から直接アルフォンスの指が俺の胸元付近の肌を辿っている。
滑るような圧すようなその動きに、俺は腰から湧き上がる感覚に抗いながら眉を寄せる。
「兄さんはもっと自分の事を知らなくちゃ駄目だ。ただ黙って立っているだけでも人の興味をそそるんだよ、あなたの外見は。そんな人間が、誰かれ構わずに男のものを触るだなんて、どれだけ危ないか分かってる?それに恋人の僕からは逃げ回るくせに、余所の男には痴漢を働くだなんて・・・・・・少しはこっちの気持ちにもなってみてよ」
「ぁ、っふぁ・・・・・・こ、恋人って言ったって・・・・・・俺たちは・・・兄弟だっ」
「兄弟同士だって誰に迷惑かけるでもないし構いやしないだろ」
一旦、閉じていた口を開いてしまえば、後は比較的抵抗も無く俺の口からは言葉が零れてしまう。
と言うよりも、正確にはアルフォンスの掌からもたらされる刺激の方に神経が集中してしまい、頭と口の蛇口が緩くなってるからだ。
そのせいで、普段から俺の心に引っ掛かっている事までが次々と唇から漏れ落ちてゆく。
「それに・・・俺は男だぞ。お前、元々男でもいける人間なのか?・・・・・・っんぁ!」
こいつもやはりゲイだったのだろうか?そうは見えないんだけど。確かにだとしても、俺と血が繋がってるんだから不思議はないけど。
そんな、アルフォンスについて以前から気になっていたその疑問をぶつける。・・・・・・喘ぎ声交じりで。
「僕、今迄は女の子にしか興味なかったよ。兄さん以外の男なんて胸糞悪いだけだ。でも最近はね、女の子にも興味が無くなったよ。今はもう、兄さんにしか欲情できないんだ僕」
「あ?」
手はさっきから俺の胸の周辺の皮膚や乳首を緩く強く刺激しながら、俺の唇を何度も掠めるようにキスを繰り返してるアルフォンスが、ちょっと自嘲混じりっぽい吐息を洩らしながら話を続ける。
「ホントだよ。この前大学の研究室で同級生の女の子にね、服脱いで迫られたんだよ。でも自分でも驚いたんだけどさ、僕ちっとも反応しなかったんだ」
「なに!?何だそれ!どういうことだ!?どこの女だ!!」
その聞き捨てならない話の内容に、俺は反射的にアルフォンスに喰いついた。
それまでアルフォンスの手や唇に息を乱していた俺が、突然起き上がりかけてアルフォンスの腕に掴みかかったせいで、奴の方が驚いて小さく身を引いた。
「うわ、びっくりさせないでよ」
「大学で迫られるって、どうしてそうなった?そんな事しょっちゅうあるのか?相手の女はどんなやつだ!!」
「どうしてって・・・・・・たまたま研究室に二人で残ってた時にだよ。相手の女の子は・・・以前にちょっと付き合ってたことがあったんだ。それで、最近僕が相手をしてくれないとか何とか言ってきて」
いつの間にか、尋問する側とされる側が入れ替わる。
俺はアルフォンスの腕を押しのけるようにして身を起こすと、その出来過ぎな程に整った男前の弟の顔を見る。今、その顔は突然の俺の剣幕にちょっと困ったような表情をしている。
そうだよな、こいつが女にモテない訳がない。
さっきホテルに入った時だって、場馴れしてるみたいだったじゃないか。
そう思えば、何だか無性に腹の底から不愉快さが込み上げた。
「何だよお前。俺には恋人だとか言ってきておきながら、一方では女に迫られて宜しくやってるって訳か!」
思い切り不機嫌な顔をして、刺々しく吐き出す。
俺がこんな事言うこと自体、とっても格好悪いのは頭では分かっている。けど言わずにはいられない。
なのに責められてる筈のアルフォンスの方は、俺の台詞を聞くと何故か嬉しそうに笑みを零した。
「そんな不満そうな顔しなくても彼女とは今はもう何でもないし。だから迫られても僕の身体はちっとも反応しなかったんだってば」
「口先では何とでも言えるだろっ----わぁ!ちょっと待て、俺に覆い被さってくるな!シャツを捲るな、ベルトを緩めるな!・・・・・・んぁっ!」
再び勢いづいたアルフォンスにベッドへと倒される。
続いて荒っぽい手つきで俺の着衣を乱しに掛かるアルフォンスを止めることも適わずに、胸の先端をいきなり吸われて裏返った声を上げてしまった。
「はぁ・・・・・・んぁ・・・・・アル・・・やめっ・・・・・・」
「彼女のことは本当に何でもないんだけど。でも、兄さんがそんなふうに妬いてくれるなんて嬉しいよ」
「や、妬いてなんか・・・・・・ないっ!・・・・・・はっ・・・・・・ぁ・・・」
「強がったことばっかり言ってても、気持ちが素直に顔と態度に出てるんだよ兄さんは。そんなところがまた可愛いんだけどね」
そして再び形勢は逆転して元に戻る。
アルフォンスにシャツを剥ぎ取られて上半身の素肌を晒して、下の衣服も半分脱がされかけている状態にされた上、そんな俺の身体に弟はぴったりと身体を密着させてくる。
この体勢は俺的にいよいよマズい。
半裸の状態でアルフォンスの身体にぴったりと寄り添われて、肌の上を弟の手が這い回っている。
首筋にまで唇の感触を感じれば、もう俺の身体は熱くなるばかりで自分の思うようには動いてはくれない。
正直、こうされるのは溶けてしまいそうなほど気持ちがいい。
ただ相手が血の繋がった兄弟だということと、男に生まれてきたというのに尻の穴を掘られる側にさせられそうだというのが俺にとっては双璧の難題だ。
アルフォンスの奴は、俺の身体をきつく抱きしめながら、しつこい位に俺の唇と首筋にキスを繰り返している。
そして、その密着した弟の下半身が既に硬さと大きさを増してるのが、ジーンズの上からでもはっきりと伝わってきた。
アルフォンスの身体が興奮している。
それを感じると、俺の心臓は慄いてまた尋常でない程に跳ねてしまう。
「ア、アル・・・お前、無理矢理襲ったりしないって・・・・・・言ってたじゃないかっ」
「襲うなんてつもりないよ。僕達はもう恋人なんだから、もちろん同意を得ようと思ってる。でも身体の反応は僕の本心だから仕方ないでしょ」
「ば、ばかやろっ・・・俺が同意なんて・・・・・・っあぁ!」
俺は苦し紛れの悪態をつくのが精一杯。
アルフォンスの身体の感触ばかりに意識が集中すると、こちらまで淫猥な気持ちが止め処無く沸きあがってくる。
それではまずいと、気を逸らす為に視界から弟の姿を追い出して視線を逸らすと、メルヘンな部屋の壁と自分の組み敷かれているベッドの天蓋から垂れ下がる真っ白なレースが目に映る。
一体、俺はこんな処で、自分の弟と何をやってるんだ?
一瞬、素に戻りかけたところで、またアルフォンスに引き戻される。
「兄さん、余所見なんてする余裕がまだあるんだ?もっと僕の事で一杯になってくれないと困るな」
俺の目の前で、アルフォンスが自分の着ていたシャツを捲り上げて脱ぎ捨てる。露わになった肩と腕がこっちに伸びてきて、弟の胸の中に頭を抱き込まれた。
「アルっ・・・・・・ふっ、んむっ・・・・・・!!」
温かな体温と、しっとりとした肌。弟の胸が、表層にだけ薄く柔らかな皮膚とその奥の硬い筋肉で出来ているのが、くっつけた頬の感触から窺い知れた。
情けないことに、これだけで俺はもう陥落寸前だ。
アルフォンスの身体の少しだけ早い鼓動と匂いにまでも溺れかけながら、それでも俺は最後の抵抗を試みる。
「んぁ・・・・・・あ・・・俺・・・・・・でも・・・・・・」
「この身体好きなんでしょ?兄さんの為にこっそり筋トレまでしたんだよ」
俺の僅かな抵抗は、腕に力を入れて抱き寄せてくるアルフォンスの前では風前の灯に等しい。
更にこいつは、腰を押し付けるようにしながら、俺の耳にぞくりとするような低めの声でとどめの一撃を囁いてきた。
「ほら兄さん−−−−発情しなよ」
「・・・・・・っ!」
弟の壮絶な色気を含んだ声が、俺の耳元から下半身を直撃する。
そうされれば、俺が必死で抑えていた変態的性癖が完全に頭をもたげてしまい、言われるままにアルフォンスの身体に欲情した。
アルフォンスの手が俺の手を取り、導くように奴の胸まで持ってくれば、俺は自分からその胸や背中の上に手を這わせ始めてしまう。
次いで、俺よりも広い背中を肩甲骨のあたりから下へと移動して腰までのラインを掌で辿る。やばい。ゾクゾクが止まらない!
アルフォンスがまだ穿いているジーンズが邪魔で、俺は息を荒くさせながら無心になってそのボタンを外してファスナーを下げると、急いたようにその下に手を忍ばして締まった尻の盛り上がり具合を堪能する。
ああ。俺ときたら、どこまで変態なんだ。
自分でそう思っても、アルフォンスの身体を触るとムラムラと興奮して手が勝手に動くのだから仕方が無い。
ジーンズを乱雑な手つきで俺が下げてしまおうと頑張ってたら、弟がお返しとばかりに俺の穿いているものまで脱がしにかかった。
気がつけばどちらも何も身につけていない身体になって、それぞれがお互いの身体を触り合っている。
俺はアルフォンスの下肢へと手を持ってゆくと、その昂ぶりに指先で触れた。
触れた瞬間にまた血液が集まって、俺の手の中でドクリと質量を増すアルフォンスのそれ。
ハァハァと息が荒くなってしまうのを隠すこともせずに、俺は掌と五本の指の全てを使って、それの形を吟味するように何度もなぞった。
「んっ!に、いさん・・・・・・」
いつも余裕をかましてるアルフォンスが眉を寄せて掠れた声を出すもんだから、俺の興奮は益々止まらない。
こんなこと駄目なのに、本当は駄目なのに。
でも、やっぱりこいつの身体・・・・・・最高なんだよ!
しかしやはりと言うか、このアルフォンスがいつまでも俺の手に翻弄されてばかりでいる訳がなかった。
弟の大きい手が俺の中心を握りこんでくると、先端を刺激しながらゆったりと扱いてくる。
「あ、ふっ・・・・・・んんっ!」
背筋が勝手に仰け反って、思わず口から声が出てしまう。
そのまま動きを早めてくる手に、俺のものはみるみる硬さを増して湿り気を帯びてくる。
悔しいことに、あっという間にアルフォンスに翻弄される側に逆戻りさせられてしまった。
「僕を触ってくれるのは嬉しいけどさ、やっぱり兄さんはこうして触られてる時が一番色っぽいよ」
「そ、そん・・・・・・な、ぁ!」
アルフォンスの指は俺の硬く熱をもったそれを刺激する一方で、もう片方で胸の先端を人差し指で愛撫してくる。
二箇所からの同時に寄せる快感に、身体を捩って身悶えさせられる。弟のものを握っていた俺の手は、いつの間にかベッドのシーツを掴んでいた。
「ほら、気持ちいいんでしょう?触られてもうこんなに濡れちゃってるじゃない。もう素直に僕のものになりなよ」
「ん・・・・・・あああっ・・・・・・でもっ、お前は俺のおとっ・・・・・・」
それでも思い通りにならない俺に、アルフォンスの手の動きが速くなって更に言い募ってくる。
「兄さんは男しか好きになれない人なんでしょう?じゃあ僕にしておけばいいんだよ。外で余所の男に痴漢行為を働くほうががよっぽど世間的には問題だよ。家族としてそれは見過ごせない。だから兄さんは僕だけ見て、僕の身体にだけ興奮してれば全て丸く収まる」
「あ・・・・・・あ・・・・・・んっ・・・・・・」
追い上げられながら飛びかけた思考の中に、説得力があるのか無いのか分からないような弟の言葉が入り込んでくる。
快感の波に流されかけながらも、自分でもさっきから考えていた。
さっきの映画館でのこと。
今迄のように俺は他人の男に触れてもちっとも興奮出来なくなっていた。寧ろ不快感さえ感じていたと思う。
なのに、相変わらずアルフォンスの身体には眩暈がしそうなほどにやられちまってる。
そして、俺にしか欲情できないと言うアルフォンス。
結局、今の俺たちは互いの身体でなくては、もう満たされなくなってしまっているのか。
自分でその結論に辿り着き絶句する。状況は益々抜けられない袋小路に入り込んでいるじゃないか。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、アルフォンスの言葉が俺の心を揺さぶりにかかる。
「素直にうんって言いなよ。そうすれば、一生この兄さんの大好きな身体が貴方のものになるよ?」
アルフォンスの身体が俺のものに・・・・・・。
その甘すぎる誘惑に、胸の奥深い何処かでごくりと唾を飲み込んだ。
そして心だけでなく、身体の方も現状は殆どアルフォンスの手に堕ちている。
握られている俺のそこは、達してもいないのに既にすっかりはしたない位に濡れていて、アルフォンスの指が上下される度に、あまりにも卑猥な水気のある音を出す。
恥ずかしいその場所が自分の視界に入らないようにと喉を反らせたら、更に俺に身体を寄せるように屈んできたアルフォンスの顔が目の前にやってくる。
そのアルフォンスは、片手で滾りきった俺の熱を握ったままで手の動きを止めると、もう片方の手で俺の膝を掬って押し広げ、その間に自分の腰を置く。
まずい。この体勢はとてもまずい、まず過ぎるぞ!
とは思っても、極限まで昂められた状態で動きを止められてしまった俺の身体は、やり場の無い鬱積した熱に悶えて身体を捩る。
「ぁ・・・・・・あぁ・・・・・・ふ・・・・・・」
ただ首を左右に振りながら、体内に残されたままになって燻る欲望を持て余す俺の耳に弟の唇が降りてくる。
「・・・・・・兄さん」
腰が戦慄くような濡れた声音で弟が俺を呼んだ。
それから、俺の熱く濡れそぼった中心を握っていた手を解くと、人差し指の腹でその先端から裏筋を下方へとゆっくりとした動きでなぞって伝い降ろされてゆく。
そのままさらに下へ。
袋のその下まで、すっかり俺の先走りでぬめりを増して滑らかになった指の運びで、最後にその奥にある秘部にまで到達した。
アルフォンスの指は、その入り口の周辺で何回も小さく円を描く。
俺の耳に密着したままの唇から、掠れた声で強請られる。
「ここで・・・・・・繋がりたいよ。兄さんと」
熱い吐息混じりの囁きを、耳の奥へと直接吹き込まれた。
その瞬間、俺は心臓から感電したような震えを全身に走らせて、息が止まった。
こいつは。
何て言葉を、何て声で言いやがるんだ。
危うく触られてもいないのに、イキそうになっちまったじゃねぇか!
それをなんとか堪えると、この窮地を乗り切るべく俺は残された力を振り絞るようにしてかぶりを振った。
「・・・ぁ・・・そこは、駄目だっ・・・ぁ・・・お、俺がっ・・・・・・」
自分も弟の腹の下に手を伸ばしてガチガチに猛ったそれに指を絡めた。
俺が手でイカせれやれば、アルフォンスも尻の穴に突っ込むのだけは勘弁してくれるんじゃないかと都合のいいことを期待して。
握りこんだ弟のそれは、この俺でもびっくりするようなサイズにまで成長を遂げている。
指を上下させて擦ったら、申し分ない硬さでもって、ぬちゃぬちゃと音を立てた。
このいやらしさにまた俺は酩酊させられる。
ちょっと触っただけでこっちの脳髄まで快感で痺れさせるようなモノは、今迄もこれからも多分こいつしか持ってはいないだろう。
しかし同時に尻の入り口を、アルフォンスの指の先が入りたそうにつついたり擦ったりしてくるせいで、俺の思惑通りには事は進めさせてもらえない。
アルフォンスは執拗にその場所を指先で刺激しながら、また甘い声を出して俺を惑わす。
「僕、中でイキたいよ。だって僕のコレはね、兄さんの中に入りたくてこんなに硬くなってるんだよ?」
先程までの余裕の口調と打って変わって、甘えたような口調と上目遣いに窺ってくるような表情で強請られた途端、俺の心はぐらぐらと揺れた。
くそ!そんないかにも弟みたいに。
一心に健気そうな瞳で俺を見るな。
俺は昔からそういう態度に出られると嫌とはいえねぇんだ畜生!
「ア、アル・・・・・・でも・・・・・・っ・・・」
「好きなんだよ兄さんのことが。絶対酷いことなんてしないから。兄さんの中に入りたいよ、お願い」
俺の目を真っ直ぐに覗き込みながら、もの欲しそうに俺の奥の隠れた部分を指でなぞりながら懇願される。
こう言われれば単純な俺は、もう普段の恐ろしい弟のイメージがいっぺんに払拭されて、何だかどうしようもなくアルフォンスが可愛く思えてきてしまう。
これが弟の策略なのかもしれないと心の片隅で思っても、やっぱり可愛く思えるのだ。
ああ、くそ!そんな可愛らしくお願いしてくるな!
そんな目で好きだなんて言い出すな!
なんでも許してやりたい気分になるだろうが!
そんな俺のぐらつきまくった心の内を読んだのか、アルフォンスは畳み掛けるように懇願攻撃を仕掛けてきた。
「大好きな兄さんと身も心も繋がりたいよ。ねぇ、中に挿れてもいいでしょう?」
駄目だ、駄目だと頭の中で何度も唱えながらも。
−−−−弟の完璧な攻略術に嵌りきってしまった俺は、とうとう首を縦に振った。
「うぁあ・・・ぁんんんっ!・・・アルッ、もうやめっ・・・・・・!!」
「何だよ兄さんだって止めたら困るだろ?ココこんなにしといて」
最奥の最も敏感な部分を何度も執拗に擦るように貫かれ、もう何度イカされたか分からない。
それでも許されずにアルフォンスに腰をがっちりと支えられて、その猛ったもので俺の内部をぐるりと掻き回されてまた啼かされる。
「あぁ・・・・・・っンン・・・・・・!!」
「本当は好きなんだろ?僕にこうされて喘がされるの。もう認めればいいんだよ」
容赦の無い言葉と共に弄られて、また一段高みへと昇りかける。
アルフォンスの奴ときたら、俺から尻の穴に入れる許可を得て中に侵入してきた途端、可愛い弟の仮面をさっさと脱ぎ捨てていつものアルフォンスに逆戻りときた。
くそ!なんだよなんだよ!騙された!悔しい!!
お願いしてくるときだけ、可愛いこぶりやがって!
いつの間にそんな裏技まで身につけたんだ。なんて恐ろしい奴なんだアルフォンス!!
そんな腹の底から生まれた罵りの数々は、俺の口から外に出る頃には、何故か女みたいな喘ぎ声に変っている。
そしてそれがまた弟を喜ばせて調子付かせるんだ。ああ、くそ腹立たしい。
「っく!すごい締め付けだね。そんなに僕のってイイ?」
そんな言葉をかけられて怒り心頭の筈の俺は、身体の奥から悦びに浸りきって弟のものを締め付けている。
そうしたらアルフォンスの欲望の塊が、俺の中でまた一回り大きさを増した。
とうとう尻の穴を守りきれなかった敗北感のような気持ちと同時に、あの最高にいやらしくも逞しいアルフォンスのそれが、俺に感じて更に怒張したのかと考えれば、悔しかったりいい気分だったり、消沈したり昂揚したりと我ながら複雑怪奇な心境だ。はっきりしているのは、とんでもなく気持ちが良いという事。
以前の軟禁ですっかりこいつに開発されちまった俺の身体は、アルフォンスのものを受け入れても苦痛などなく、あまりにも感じすぎて苦しいだけだ。
繋がる部分からもたらされる快感と、目を開けば俺の上から少しだけ苦しそうに眉間を寄せて、うっすらと額に汗を浮かべる男の顔。
認めたくないが、そのどちらにも完全に陥落している自分がいる。
ほんの今まで激しく腰を打ち付けていた動きが緩くなったと思ったら、今度は息も絶え絶えの俺の顔にゆっくりと手を伸ばすアルフォンス。
俺の額と頬に汗で張り付く髪を、優しく指先で払いながら甘ったるい眼差しで俺を見つめる。
たったそれだけの事にまで、俺の心臓がきゅうと音を立てたみたいに反応する。
急にまた、そんな目で見つめられたらこっちは戸惑う。
俺は何で、毎度毎度こんなにこいつには振り回されっぱなしなんだ?
繋がったままで、アルフォンスが唇を合わせてくる。俺はそのまま受け入れる。
唾液の音を立てながら緩慢なくらいの動きで舌と唇を一通り絡ませ合い、またゆっくりと離されていった唇が、俺に向けて言葉を紡ぐ。
「好きだよ・・・本気で兄さんだけが。だからお願い。兄さんも僕だけを見て・・・・・・」
「・・・・・・っ」
またしても弟モードを発動させて、やけに熱の篭った声音で俺を口説きにかかる。
そのせいで、アルフォンスと繋がっている部分にまで身体の痺れが及んでしまい、締め付けてしまった弟のモノも俺の中でびくりと動く。
駄目なんだって!俺ってこういうのにやっぱ弱いんだよ、勘弁してくれよ。
アルフォンスに「僕だけを見て」と言われても、実際のところ俺は弟以外の特定の誰かに目を向けてる事なんてあっただろうかと頭を捻る。
改めてその他の対象者を考えてみて、やっぱり誰もいないことに思い至った。
「ねぇ、兄さん。好きだよ、好き−−−−」
俺が返事をしないのに焦れたのか、何度も自分の気持ちを訴えながら、再び腰を動かし始めるアルフォンス。
「あっ、あっ・・・・・・ん・・・・・・ぁあっ!」
下半身からの直接的な快感と耳に流れてくる熱い息遣いと甘い言葉に、いとも簡単に自分の身体も高められてゆく。
背中がざわざわと震えるように沸き立って身体の隅々までが溶かされてゆく。
そんな感覚に流されそうになり、いつの間にか俺は必死でアルフォンスの背中に腕を回してしがみついていた。
・・・・・・ああ、だから俺は駄目だって言ってたんだ。
こいつに後ろを貫かれると、畏れも戸惑いも何もかも蕩けてしまって、全て許して受け入れてしまいたくなるのが分かってたから。
アルフォンスにますます激しく突き上げられて、ひたすらその背中に縋りつきながら絶頂の際まで導かれ、ただ悦びの声だけを上げ続ける。
そんな俺に焦れきった弟が、また必死な様子で俺の心を強請ってくる。
「ねぇ、お願いだから兄さんも僕を好きになって。兄さんも僕の事好きだよね?この気持ち、僕だけの一方通行じゃないよね?」
もう、反則だぞこらアルフォンス。
こんなに身体を激しく攻め続けておきながら、耳にそんな言葉を送り込んでくるなんて。
何だよその可愛い言い草は!
俺はもう完敗だよ。そんなふうにお前に言われて、まだこの本心を押し殺して自分の気持ちに蓋をしておくなんて出来る訳ないだろ!
「頼むから兄さんも僕を好きって言ってよ」
「ア・・・・・・アルッ!お、俺・・・す、好っ−−−−あああぁぁぁ!!」
結局俺は、返事の代わりに白濁を吐き出して恥ずかしくも悦びを表した。
そしてこの日。
男相手に痴漢をするような変態だった俺は、
実の弟に貫かれながら愛を囁かれて、精液を腹に撒き散らして悦んでしまうような、更なるド変態にグレードアップしたのだった。
***
あの映画館とホテルでの一件以来、それまでも僕の毎日は楽しいものだったけれど、今は更なる悦びに満ち溢れた日々を送っている。
映画館で運命的に可愛い痴漢さんと出会ってからというもの、僕の人生は今まさに真っ盛りのバラ色だ。
階下で玄関の鍵が差し込まれて回される音を聞きつけ、僕は主人の帰りを待っていた飼い犬よろしくいそいそと玄関へと足を向ける。
「兄さんお帰り」
「おぉ」
先に帰宅していた僕の方が、珍しく玄関で兄さんの帰りを出迎える。
来春からは大学院へ進む事が決まっている兄さんは、今日はそこへ挨拶に出掛けていたのだ。
茶色のジャケットに襟のボタンを一つだけ開けた白いシャツを着て鞄を脇に抱えるその姿は、一分の隙も無く清潔で知的な佇まいだ。
まさかこの人が実は男の身体に興奮して鼻息をハァハァと荒げながら痴漢行為を繰り返すのが趣味(だった)なんて誰も夢にも思いやしないだろう。もっとも最近は、その趣味が表に出るのは弟の僕相手と限定されているけれど。
そんな兄さんの真の顔を知ってるのは自分だけだ。
玄関で僕がおかえりのキスを頬に軽くしたら、お返しのように兄さんも掠るくらいにそっと唇を僕に寄せた。
それに気を良くした僕が抱きしめて本格的に深く唇を重ねようとしたら、今度は慌てたように距離を取ろうとする。
「お、おい!ここ玄関だぞっ。・・・母さんは家にいないのか?」
「今日は仕事で遅くなるって言ってたから今はいないよ」
小さな声で慌てる兄さんに軽く笑って返してから、もう一度僕が唇を深くして重ねると、頬をほんのり染めながらも応えてくれる。
僕の猛烈な押しにとうとう降参した兄さんは、ようやく弟の僕を恋人としても認めてくれたらしい。
とは言っても、やはり元々の天邪鬼さからなのか恥ずかしさからなのか、強がったり素直じゃない部分は相変わらずだ。
だけど兄さん。
僕にはもう、あなたのことは全て手に取る様に分かっているんだよ。
僕の身体が大好きで、僕が抱きしめちゃうだけで身体が反応しちゃうんだよね?
それに、弟らしく強請られるのに弱い。まっすぐにお願いすれば、絶対に兄さんは嫌とは言えない。
そんな彼の特徴をフルに活用して、僕は愛する恋人との甘くて楽しい日々を存分に享受している。
両親が帰宅して食事も済んだ後に兄さんの部屋へと顔を出す。今日はその部屋の主は熱心に机に向かっていた。
「何読んでるの?」
「今日挨拶がてら行った大学院の教授と先輩の論文。これ今のうちに全部読んどかなくちゃならねぇんだ」
要するに今夜は僕の相手をしてる暇はないと言う事か。面白くない僕は本にまっすぐ視線を落としたままの兄さんの首に回した腕にちょっと力を込めて、頬と頬が密着する位に接近する。
「おいアル。ちょっとやめてくれって」
「やだ」
「やだじゃ無くっておい!俺、今日はマジでこれ全部読んじまいたいんだってばっ」
どうやら本気で僕よりも論文を優先させたいつもりみたいだ。
だけど、こんな時だって兄さんの事を知り尽くした僕には盲点など無いんだよ。
「折角、今日友達から面白いDVD借りてきたから、兄さんと一緒に見ようと思って楽しみにしてたのに・・・・・・」
いかにも「淋しいです」といった調子で僕がそう独り言のように呟けば、困ったように眉を下げて兄さんがこちらに目を向けた。
実はとても兄としての気質が強いらしいこの人は、こんな言い方にめっぽう弱い。そこをくすぐるようにお願いすれば成功率は100%だ。
今夜もまた仕方が無いなぁと言いながら、机の本を閉じて僕に向き直った。
「じゃあ、それ一緒に見るだけだからな?そしたら俺、また続き読みたいんだから」
「うん!いいよ。ありがとう兄さん」
明るく返事をしてから、部屋の照明を落としてテレビの前に並んで座る。ここで重要なのは、部屋を薄暗くすることだ。
暗い部屋でテレビからの音声と明かりだけの中。
そう、まるで映画館で見ているように演出する。これが重要。
そうすれば勝手に兄さんの変態スイッチはオンになる。
ほら。
まだ10分も経っていないのに、もう隣に座るその様子に変化が表われ始めた。
「ア、アル・・・・・・」
息を荒くさせた兄さんが僕の膝に手を置いてくると、その周辺を上下左右にと撫で擦り始める。
本当に単純過ぎて可愛いよ。
そして、
昂められた僕の姿に興奮しているこの綺麗な痴漢さんを、今日はどうやって美味しく戴こうかと考えながら、僕はその身体を抱き寄せて押し倒した。
END