なんだか雰囲気がおかしいと気がついたときには、もう遅かった。
確かにエドワードは、アラビア語がしゃべれる。ケンブリッジで石油地質学を専攻し、卒論でアラビア・プレートを扱った関係上、多少勉強したのだ。しかし、ペルシャ語はさっぱりだった。しかもティムリスタンで話されているティムル方言ときたら、ロシア語の影響もあって、まったくお手上げだ。外務省め。だいたい、どうして外交アタッシェとはいえ運輸省にいる自分が、こんなところで通訳の代りなぞをしなければならないのかさっぱりわからない。
ともかく、中国と日本、それにロシア・オリガルヒ(新興財閥)どもを出し抜くことは急務だった。ティムリスタンの石油利権は、王家がアメリカと距離をとっているため、5大メジャーも手を出すことができず、まだ手付かずである。エドワードが不満たらたらながらもここにくることを同意したのは、そのためだった。
側近たちと、延々ととんちんかんなやり取りをして、ブチ切れそうになりながら、なんとかこの部屋に通されたのは、つい先ほどだった。昼過ぎにこのホテルのロビーへついたのに、すでに夕刻である。疲労感にぐったりしながら、エドワードはネクタイを締めなおし、ザ・サヴォイの、千夜一夜物語のおとぎの部屋と化した屋上のペントハウスへと導かれた。入ったとたん、上等な乳香の香りがふわりと身体を包んだ。あちこちに飾られた花。敷き詰められた絹のペルシャ絨毯。しつらえられた目の覚めるような青い天幕。そこをめくって中に入ると、床にマジュリス(応接間)がしつらえられていて、一人の青年が水タバコをふかしながらゆったりとクッションにもたれ、座っていた。身につけているカンドーラは黒で、金色の瞳によくうつり、似合っていた。ティムリスタン人には白系ロシアの血も混ざっているので、中にはほとんど西洋人と変らぬ容姿のものもいる。ただ、エドワードは自分と同じ混じりっけなしの金色の瞳の人間を見たのは、初めてだった。
「マーフード4世王子殿下、はじめまして。外務省から参りました、エドワード・エルリックです。これから殿下の滞在中、お世話をさせていただきます」
エドワードは逡巡したが、とりあえずアラビア語で挨拶した。マーフード4世は立ち上がった。彼は背が高かった。エドワードの背はイギリス人としては標準よりかなり小柄なので、ほとんど胸の位置だ。
「こんにちわ。外務省から派遣された世話係っていうのは君?」
言葉は流暢なキングス・イングリッシュだった。エドワードの意外な面持ちに悟ったのだろう。王子は苦笑して続けた。
「僕は、スイスとイギリスで教育を受けたからね」
「す、すみません。無作法でした」
しかも、自分の来た意味が、これで全く無くなった。
「ちっとも」
にこりと王子は笑った。その笑顔は思っていたよりずっと若々しかった。もしかしたらエドワードとさほど年齢は変らないのかもしれない。
「慣れてるからね。ティムリスタンはつい最近まで鎖国政策を取っていたし、いろいろ誤解をしている人が多いんだ。実際、僕たちの慣習はヨーロッパ人たちとは違う。隣国のアラブ人たちとも違うしね……どうぞ。座って」
エドワードは促されるままに座った。手ずからミント・ティをだされ、恐縮しながら口に含む。甘くてすっきりしておいしかった。
「どう?」
「おいしいです。ありがとうございます」
「よかった。宮殿の庭で育ててるんだよ、このミント。持ってきたんだ」
「へえ……」
宮殿の噂は知っている。全盛期のトプカピ宮殿もかなわない、贅をつくした王宮らしい。
「水タバコもどうぞ」
エドワードはタバコを吸わない。しかし、薦められたら断るわけにはいかない。吸い口をくわえて吸った。水がぽこぽこと音を立てた。オレンジとローズの甘い香料の香りが広がった。
「……わ」
「どう?」
「初めての味です」
「だろうね」
「これ、すごくいいです……俺、タバコ苦手なんですけど、ほんとは」
「正直だね。……かわいい」
くすくすと王子は笑った。
「よかったらもっとどうぞ。気がラクになるからね」
「はい。……ええと」
カワイイだと!? いやいや、怒っている場合ではない。それにくつろいでいる場合でもない。こちらは仕事できたのだ。
「その、バーディ外務次官補との明日の会談ですが、もしよろしければ、当方でその前にヘリテージ・オイルなりロイヤル・ダッチ・シェルなりの資料をご用意します。これまでの実績について、もちろん両社とも、すでにお調べとは思いますが……」
「そう、ありがとう。でも今はもっと君の話が聞きたいな。学校はどこ? 出身は?」
「は? あの、生まれたのはコッツウォルズのボートン・オン・ザ・ウォーターです……学校はケンブリッジですが」
「へえ、どのコレッジ?」
気がつくと、王子はぴったりとエドワードによりそっていた。なんだかこの距離はおかしくないだろうか。
「その……ダ、ダーウィン……」
「ほんとに? 僕はトリニティ・コレッジだよ」
トリニティ。さもありなん。あそこは名門だし上流師弟ばかりだ。むしろイギリス人のほうが入るのが難しいかもしれない。などと思っていたら、指先が手の甲をついとさすった。ぞわっと鳥肌が立った。
「君はかわいい顔なだけじゃなく、手もきれいだね」
「その、殿下。あまり私は、その、ア、アラブ風の接触に慣れていないもので……」
「ティムリスタンはペルシャ文化圏だから、アラブではないんだけどね」
「は、はい、失礼しました。ですが」
「それに」
王子は耳元に唇を寄せてささやいた。
「僕の世話係なんだろ? エドワード。夜伽のために来てくれたなら、じらさないで欲しいな」
エドワードは聞いた台詞が信じられず、固まった。その隙に、ちゅ、と頬に口付けされた。
「――――ふ、ふふふふふ、ふざけんなあああああああ!!!!」
仁王立ちになって絶叫する。エドワードはわめきちらした。
「だ、誰が夜伽だ! 俺は女じゃねえ、男だ! ていうか、俺はプロ(売春婦)じゃなく公務員だ! ふざけやがって、てんめー、王子様だかなんだか知らねえが、ぶちのめされてえのかよ!」
目を丸くする王子に背を向け、ごしごし頬をこすりながら、エドワードは部屋を出ようとした。これほど腹が立ったのは、ロンドンのクラブのトイレで、ハード・ゲイのフーリガン兄ちゃんに強姦されそうになって、イチモツを蹴りつぶしてやった時以来だ。後腐れがないなら、こいつもそうしてやるのに。
そのとき、きらりと光るものが視界の端に入った。自分の身体の前に、銀色の刃がすべるようにきらめいた。
ぎょっとして身体をひねる。王子は半月刀をすらりと抜き放ち、自分の背後に立っていた。
「すてきなタンカだね。ますます気に入った。僕に対してそんなに恐れ気なく立ち向かってきたのは、君が初めてだよ」
すい、と王子は刀を一閃させた。エドワードは硬直し、目をつぶった。一瞬の刃風ののち、ネクタイを締めていた上着から、ベルトをしめていたボトムまで、一気に衣服が切り裂かれた。
「な…――――!」
「傷一つつけちゃいないよ」
にこりと笑い、王子はずたずたになった布をまとって、半裸になったエドワードの身体を引き寄せた。
「きれいな身体だね。すごくすてきだ」
エドワードは抵抗した。めちゃくちゃに暴れようとする。掴んだ手がクフィーヤを王子の頭から剥ぎ取った。金色の短い頭髪があらわになった。しかし、そこで急に力がぬけた。くたり、とする身体を王子は支えた。
「どし……て……いったい……」
「効いてきた? せっかくイギリス外務省からわざわざ夜伽を寄こしてくれたっていうんでね。リラックスしてもらおうと思って。あの水タバコ、ハッシシをいれておいた」
「ばかやろ……大麻所持は……違法じゃねえか!」
「外交特権があるから免除だよ。それに僕の国では個人で所持するのはOK。ところでエドと呼んでもいい?」
「クソ王子め……!」
「僕のことは、アルって呼んで欲しいな」
半月刀を鞘に収め、王子――ドイツ人の母親からつけられた名前は、アルフォンス――は軽々とエドワードの身体を抱き上げた。力の抜けた指から、クフィーヤが落ちた。
高い悲鳴が濡れて長く尾を引いた。
痙攣しながらエドワードは大きくのけぞった。とろけるような快感が腰を走る。唇が馴れた仕種で、その部分に吸いつき、舐めあげていた。そのまま熱い口中へみちびかれ、何度も優しく扱かれる。そのたびにあ、あ、とエドワードは震える声を上げて首を振った。散々じらされ、いきそうになっては放り出されていたそれは、やっと与えられた愉悦に、耐えかねたように震えていた。力なく金の髪がシーツの上で波打った。枕は頭でなく下に入れられ、高く腰をかかげられている。
「いや、だめ……やだ、やめろよぉ……もう、許して……」
「やめるの? そう?」
アルフォンスは、エドワードを開放した。切ない泣き声をあげて、エドワードがいやいやと頭を振る。左の指先で雫をこぼす先端を撫で回しながら、薔薇の香りのオイルで散々揉み解され、柔らかくなっている後ろに触れた。
「うぅ――――ぅん!」
「やめるんでしょう?」
ゆっくりと押し込む。まるで生き物のようにひくひくと震え、そこは指を受け入れた。
「はっ……ああ……」
しめつける肉の波打ちとともに喘ぎがこぼれる。アルフォンスは留めようとする力に逆らい、指をまた抜き出した。それからほんの少しだけ指を戻し、まわりを撫で回す。
「や……ゃ……」
「どうするの? ほんとにやめるの?」
「いやぁ……」
「ねえ、どうする?」
アルフォンスはエドワードの顔を覗き込んだ。ぽろぽろこぼしている涙を、優しく吸い取ってやる。口付けでなだめてやりながら、熱い吐息をついた。こちらもみかけほど余裕があるわけではない。白い首筋にきつく吸い付き、跡をつけてから、乳輪ごと乳首を嘗め回した。
あえいで、ふ、ふ、と息を2、3度呑み込み、エドワードはためらい、すすり泣きそうになり、それから屈服し、小さくささやいた。
「やめないで……」
アルフォンスは大きくため息をつき、「降参するのはこっちだよ」と呟いて、身体を進めた。下にいるエドワードが必死でしがみついてくるのを感じ、なだめながら一つになった。吸い付くように締め付ける、濡れたびろうどの感触に、危うくめちゃくちゃに突き上げそうになる。耐えて小さな身体を手中に納めると、そのまま小刻みに動き始めた。エドワードはあたりをはばからぬ声で、甘く、切なく、淫蕩な快楽の旋律を奏ではじめた。
ティムリスタンの油田の権益は無事にイギリスのものとなった。正確には、その油田をもつ次期王位継承者が、権利を婚資として、婚約者に譲渡したのである。婚約者はイギリスの国家公務員だったので、それは自動的にイギリスの管理下に置かれることになった。
「誰がお前の婚約者だ!」
「仕方ないでしょう、一目ぼれだったんだもの。まあ、夜伽の相手っていうのは、僕の付き添いたちのカンチガイだってすぐわかったけどさ」
「だったら、とっとと間違いを正せよ、この強姦魔!」
「どこが強姦? 同意してたでしょ?」
「してねえ!」
「したも同然だよ。だってあの夜エドは何回『やめないで、もっと』って……」
「わー! わー! わー!!!」
「とにかくティムリスタンでは、同性でも結婚できるんだ。だからエドは僕のお妃だよ。イギリス政府も全面的に後押ししてくれるっていうしね。はい、決定!」
「ふーざーけーんーなぁああああ!」
《おわり》
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