ひかりへと続く扉@〜交差する錬成

 

 




   

その日はとりわけ天気が良いというほどでもないが、そこそこ日差しが降り注ぎ体感温度も適当な過ごしやすい一日だったと思う。毎度朝っぱらから相応しくないスキンシップを仕掛けてくる弟も、その弟に向かって派手に蹴りやパンチを繰り出すもことごとくかわされ終いには怒り出す俺も、まったくいつもと変わらない、ごく普通の朝の風景だった。

 

事の起こりは、出掛けに覗いた玄関ポーチの階段脇の郵便受けの中にあった一通の封書だった。弟の名前宛てに送られてきたそれは、何の変哲もない厚ぼったいクラフト紙の封筒でありながら、イヤミな程の大きさで張り付いている蝋印のその血のような赤色と、そこに押されたあまり目にすることの無い、人物の横顔を模ったどこか不気味さを感じさせる印が妙に目を引いた。送り主の名はタイプライターで打ち込んだらしい文字で“Anthony Storr”と記してあった。


「アンソニー=ストー・・・・?」

 

口に出して確認しても弟の話の中で聞く友人や知り合いの人間たちの中にその名が出たことは一度もなかったのを不審に思い、その手紙の存在を弟に知らせなかった俺の判断は、きっと間違ってはいなかったのだろうけれど。

とにかく、ドアから出てきた弟に見つからないようにとポケットにその手紙を忍ばせたことが、その後の俺たちが辿る道筋を決定づけてしまった事は間違いなかった。

 

 

その後、弟と二人で研究所に向かってポプラ並木の道を歩いていた時だった。

 

ドォーンと、腹の底に響くような爆発音が今まさに出勤するために向かっている方向から響いてきた。並木道には俺達と同じく研究所に所属する人間たちが大勢歩いていたのだが、その音を聞くなりたまたま隣りを歩いていただけの互いに知らない者同士がその顔を見合せて一様に戸惑いの表情を浮かべている。

只ならぬ状況を予感した俺が弟に目を向けると、すべて合点がいった表情でうなずき返してきた。さすがはアルフォンスだ。

 

「まずは現場で状況確認だな。手袋、まさか忘れちゃいねぇだろうな?アル」

「もちろん。誰にそれ聞いてるの、兄さん?」


 にやりと笑いあい、次の瞬間俺達ふたりは研究所にむけて全速力で走りだしていた。

 

 

 

 

 弟の肉体を錬金術によってどうにか取り戻した後、俺は当時大佐であったロイ・マスタングに鋼の“銘”と銀時計をすぐさま返上したのだが、それにいたる経緯には紆余曲折が存在した。


 

肉体を取り戻すために軍から多大な恩恵を受け、ときには越権行為的な便宜を図ってもらうこともたびたびあった俺たちは、せめて大佐がそれ相応の地位に就くまでの間は軍に籍を置き、大佐の下でその手助けをするつもりでいたのだった。しかし、その大佐をはじめとする軍の見知った人達がそれに反対したのだ。
 “もうこれ以上重いものを背負う必要は、君たちにはない”と。そして“もう自由になって”と。


 それまで、根っからの錬金術師的な思考回路でもってその軍の大人たちとの関係を量るような部分を少なからず持っていた俺は、その言葉を聞いて初めて自分がまともな人間的な感情で彼らと向き合っていなかったことに気づき、またそんな思いやりの心情を表には出さずともおそらくはずっと長いこと持ち続けていてくれたであろう彼らに感謝した。だからあえて、それまで受けた恩をすべて返すような行為をやめ、素直にその善意に甘えることにしたのだった。

 と、本来ここでエピソードが終わっていれば物語的にも綺麗に纏まったのだろうが、得てして、現実はそううまくいくものではなく。

 

大総統の入れ替わりに伴い以前ほど軍が政治に介入する力を持たなくなったとはいえ、それまでの近隣諸国とのいざこざまでが一気に解決したわけではなく、抑止力としての軍事力は保持し続ける必要があるとした政府の要請により、今なお、アメストリスの国軍はその規模と力を維持し続けていた。

 そんな折、貴重な戦力である国家錬金術師の資格抹消をその政府や軍の上層部がおいそれと黙認するはずも無く、大佐をはじめとする俺たちとかかわりの深かった多くの士官達がどうにか話し合いへと持ち込み、その議論の末、下された辞令はこういうものだった。


  
 一、      国家錬金術師資格及び銘“鋼”の返還についての申請を受理、承諾。
 
 二、      暫定的に軍籍を付与し、その籍の抹消については周辺諸国との国交正常化後、
     協議の上定める。

 
 三、  全ての軍事的な行為は其の任務の範囲外とし、防衛自衛手段として行う場合のみ、
     その戦闘行為を容認する。
 
 四、  直接の命令権限は、中央軍総司令官ロイ=マスタング中将が保有するものとする。

 


 軍という組織に属する身でありながら、ともすれば自らの立場を危くする事も当然視野に入れていただろうに、俺の身を極力軍から遠ざけ擁護しようと尽力してくれた人達のおかげで、俺に与えられたのは国外勢力に対するブラフともいえる名ばかりの“大佐”の階級と、任務の範囲を最小限に留めることでそれさえも便宜上のものとした形ばかりの軍籍だった。

 

要するに今の俺は、事実錬金術研究所に勤務する一般人として過ごしているが、便宜上でありながらも一応軍に籍を置く身として、有事の際には戦闘区域への立ち入りを制限された軍人という立場で、街に常駐する保安官のような責務を負うという中途半端な状態にあるわけだった。
 そしてその辞令が下されたことを知った弟は俺の制止も聞かず、自分にも兄である俺と同じ資格を与えて欲しいと中将に直談判しやがったのだ。勿論それを知った俺がただ黙って事態を傍観していたわけもなく、当然弟の申し出を受けないようにと強く釘をさしたのだったが、俺の知らない所で行われたらしい裏取引の末、まんまと軍籍を手に入れた弟がその辞令書を俺にかざしながら見せた黒い笑みを、俺は一生忘れることはできないだろう。

 

 

 

 

ほどなくしてたどり着いた研究所は当然の如く蜂の巣を突いた様な騒ぎで、煉瓦造りの建物の中から次から次へと外へ避難しようと流れ出てくる関係者達や、出勤するなりこの事態に出くわして右往左往する者達とでその周辺はごった返していた。建物奥の西側辺り、おそらく医療系のセクション内部だろうと思われる位置で爆発があったらしく、それを確認するために建物の西側に回りこんだのだが、なんと今まさにもうもうと黒い煙を吐き出しているのは、いつも弟のいる研究室の窓なのだった。

 

 

 

「ここはいいからお前、自分トコの奴らの状況先に確認して来い」                               

 「でも、兄さん・・・・・」

「いいからとっとと行けっ!!」

 

どのみち軍からの派遣人員が到着しそれと合流するまでは、出来ることはごく限られている。それまでの間、本来の研究室主任としての立場を優先させたところで差し支えはないだろうと俺は判断したのだ。弟も今ここで押し問答をしている時間がないことは十分に分かっていたから、すぐに俺の言葉に従い自分の責務を全うするべく研究所の建物の中へと姿を消した。

 

「さてと、それでは兄ちゃんは犯人の痕跡でも探してみましょうかね」

独り言ちジャケットの内ポケットを探り手袋を取り出すと、今まではめていたものと取り替える。この手袋は甲の部分に国軍の紋章と青い三本のライン上に三つの星がついた階級章が縫い付けられている。これはあくまでも便宜上軍に籍を置いている俺と弟に、いわば軍服の代替として与えられているもので、軍人としての任に就く時は必ず着用するよう義務付けられているのだ。

 

見上げた4階の窓からは、未だに物が燻り続けているらしく、何かが爆ぜるような音が断続的に聞こえていて、地面にはおびただしい数のガラスの破片や、焼け焦げた分厚い資料の綴りらしきものなどが散らばっている。それらの中に爆発物の破片などが混ざってはいないかと、注意深く足元に目線を向けていた俺の視界の隅にほんの一瞬きらりと光るものがかすめ、何気なくそちらに目を向けた。
 その光りの元は、今爆破された本館とそれに隣接する別館をつなぐ渡り廊下の屋根の上にあった。逆光に思わず目を眇めながらも、よく見ればソレは人影で、ライフル銃のようなものを手にしていた。
 そしてその銃口がゆっくりと自分に向けられた瞬間、素早く両手を打ち鳴らしそれを足元の地面へと叩きつけたのだが・・・・・。

 

 

「・・・・・・な・・・・っ!?」

 

 

 いつもの練成反応を示す青白い光りは発せられず、今頭の中で思い描いていた構築式にそって現れるはずだった分厚い岩の壁が出現することはなかった。

 

俺が驚愕し目を見開くのと同時に、その衝撃はやってきた。

 

 

    ン タ      ン   タ        ンン・・・・

 

 

 

音は三つ、衝撃は2箇所にあった。

俺がどさりと倒れこんだその直後に、すぐ傍で銃声がした。そしてざわざわと複数の人間達の気配も。

 

「下に落ちた!身柄確保!」

 

「エドワード君っ!・・・・・救護班を回して!早く!」

 

 切羽詰ったその声には覚えがあった。

 

「しっかり意識を持って!今アルフォンス君が来るから!エドワード君!エドワード君っ!!」

 

ホークアイ中尉・・・・・いや、今は中佐だっけ・・・?あ、ヤバイ。猛烈に眠くなってきた・・・・・。

 

「兄さん!!」

 

アルフォンス・・・・・兄ちゃん、ヘマやっちまった。ごめんな・・・・。

 

弟に声を掛けようと息を吸い込んだ途端、ごぼりと生暖かいものがせり上がり、ソレが口の中に溢れて流れ出した。血液が肺の中に溜まっているんだろうと変に冷静に考えていると、満足に呼吸をすることも出来なくなった自分の体が勝手に痙攣を始める。

 

「兄さん!にいさん!駄目だ!目を開けて!」

 

 

アルフォンス。ごめんな・・・・ごめん。そんな、泣きそうな声出すなよ。

 兄ちゃん、眠っちまわないように、ガンバるから・・・・・。

 

 

頬と頭の周りが不意に暖かくなった。ああ、アルフォンスが俺の頭を抱きこんだんだ、と分かる。

手足の指先から冷気がざわりとせりあがってくるのを感じて・・・・ヤバイな。

辞世のセリフが、頭に浮かんできそうだ・・・・・。


「兄さん。時間が無い。これから僕がいう事をよく聞いて?」

 

耳元に暖かい唇と吐息の感触があった。

 

「医療錬金術の再生ではもう間に合わない。だから、これから僕は兄さんを錬成する。兄さんは僕を錬成して。いいね?」

 

弟が、どんな理論を組み立てそれをしようとしているのか、その時の俺には分からなかったけれど、次第に遠退いていく意識に、もう僅かな猶予も残されていないのだと悟った。
 大丈夫。
 アルフォンスを信じて俺はありったけの力を振り絞り、両手の指先を動かした。弟の手が、俺の両手の平をあわせてくれる感覚を意識しながら、頭の中で構築式を組み立て、イメージする。



 

アルフォンスを構成するものと、俺を構成するもの。そのすべてがバラバラに分解され、そして真理の扉が開かれる。分解された俺たちは一度混ざり合い、ひとつになる。そしてアルフォンスは“俺”を創り、俺が“アルフォンス”を創る。

 

 

弟を。

 

アルフォンスを、頭の中に思い描く。


 その髪の色。感触。瞳の色。

美しい唇の形。

その繊細な動きに似合わない、意外に無骨な手指の形。その爪の形。

肩の線。鎖骨が創る陰影。

しなやかな筋肉で構成される肢体。

すべて。

 

俺の中にアルフォンスのすべてはある。少しも違えることなくその姿を覚え込んでいる。

 

あとはただ、遺伝子から拾った設計図どおりにそれぞれの物質を導いてやるだけだ。

 

 

 

 

ぱん・・・・・!と、手のひらをあわせる音がした、次の瞬間。

 

 

光りが、満ちる           

 

 

そして、あの扉が開いて・・・・・・。

 

 

闇に落ちる瞬間に思ったのは、母さんのことだったのか、それとも、アルフォンスのことだったのか・・・・・よくは憶えていない。

 

 

 

そして、出血の為に意識が混濁していたその時の俺は、なぜアルフォンスまでもが、俺に錬成し直してもらわなければならなかったのかという疑問を完全に失念していた。

 

 

そう、俺は後になってからようやく気がついたのだ。アルフォンスは、俺の肉体を完全に復元するための代価を肩代わりしようとしたのではなかったか         ということに。

 

 

 

 

 

                        *** 191019 ***

 

 

 

 

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