小峰 博之 (43) 2020年2月現在 (移住ツアー対応時のインタビュー回答から)
下川に来る前のこと。(過去)
福岡生まれ、大阪や東京の都市部で育ち、実家は埼玉県川越市。
高校時代、将来を考えたとき、お金に依存した東京の暮らしに疑問を感じた。
お金は取引や支え合いの道具で、それ自体に価値があるわけではないので、
お金を得ることではなく、食糧やエネルギーなど暮らしに必要なものを得られる環境が大切だと思い、
自然豊かな地域で暮らそうと決意。22年前に知人から偶然、マイナス30度まで冷える下川町のことを聞き、興味を持ってちょうど冬だったので善は急げと訪れた。
なぜ下川に決めたのか。(決断) 「便利な暮らしがあるから」
下川町一の橋地区で家なし、仕事なし、お金なしのおしかけ居候生活からスタート。
森林や川に囲まれた自然豊かな地域で、当時は小さな小学校があり、
年配の方も山の恵みや自家野菜などで自給自足の暮らしをしていて、
地域の子どもは自分たちの子ども、地域のじいちゃん、ばあちゃんは自分のじいちゃん、ばあちゃんのような 家族のような地域の暮らしがあり、ここなら自給自足と支え合い、物々交換による持続可能な暮らしができるのではと感じ、そのまま、住民票を移して移住した。<決断>
移住当初の月収は1万円程度。( 自分も300万円ほど借金して畜産エミュー牧場を仲間と共同運営) それでも労働力(できること)と引き換えに食料をもらい、自家野菜、山菜やキノコなども活用して生活。
必要な分は手元に残し、それ以外はすぐに近所へおすそ分け。するとお礼にまた違う食料をいただく。
また必要な分だけ残してそれも配る、するとまたお礼が。結果的にわずかな収入でも生活できた。< 分け与え合う循環 >
12年前に結婚。(当時の収入は夜間のバイト月収10万円で5万円を借金返済に充てていたので)
月5万円で生活していたが、夫婦2人でも十分生活が成り立っていた。
それは自分一人なら山菜でも野菜でも採って食べるだけなのだが、
妻が加工して価値あるものにしてくれる。2人でいることで物の価値を何倍にも高め、有効に利用できるからである。
( 移住前の妻の仕事は国家公務員。 妻も移住前の暮らしより、今の暮らしのほうがずっと豊かと言う。 )
今の暮らし
心にゆとりある生活をしたいので就職の考えはなかったが、
地元新聞社や地域の方々に、下川支局を継いでほしいと相談を受けた。
結婚したこともあり、地域に求められることで自分ができることをしたいとの思いがあったので
記者になることを決意した。地域のことを広い視野で知り、より良い暮らしへのヒントにしたいとの思いもあった。給料は持続可能な暮らしのためにつぎこんでいる。
暮らしに不可欠な森林、薪ストーブ、太陽光発電パネルなど少しずつ基盤を整えていった。
( 薪ストーブを使わない時期は、手作りミニロケットストーブなどを使って
枝や木質系のごみを燃料に、湯沸かし、炊飯、料理をするときもある。 )
北海道の持続可能な暮らしを追求していくうちに、馬のある暮らしへたどり着いた。
馬は雑草やササなど増え過ぎるほどある資源を食べて馬糞として良質な肥料を出す。森に放牧すれば森が豊かになる。自然にあるものをエネルギーにかえ、人や物を乗せて運ぶ動力になる。舗装された道もいらない。将来、エネルギーや物を生み出す資源が少なくなっていったとき、持続可能な暮らしに、馬のある暮らしが不可欠になると感じた。
そのためには、馬の文化を絶やしてはいけないと思い、飼うことを決意した。
馬は人と心を通わせることで動く動物でもある。
乗馬は乗る人の心を前向きにし、全身の筋肉を鍛えることができ、心身の健康に結び付く。
介護予防、リハビリ、うつ病や不登校の人の心の改善など、医学的にも効果が期待されている。
馬と共に人が生きることで、人間社会が抱えるさまざまな課題を解決することができる。
飼う馬は北海道の厳しい冬を自力で生き延びることができる本来の馬、北海道和種馬(ドサンコ)に決めた。
在来馬を守ることが重要と感じている。4年半前から飼い始めた。
馬を通じて、乗馬で移動しながら、町内の幼稚園、老人ホーム、老人クラブ、高齢者サロン、障害者支援施設、小学校の森林環境教育、町内会、地域イベント、さまざまな集落も巡り、あらゆる方々と交流させていただいている。
月1,2回は地元の自転車サークルのサイクリングにも乗馬で参加している。
馬糞はたい肥として、家庭菜園の他、地域の方々との物々交換に活用している。
馬のある暮らしの楽しさ、可能性を多くの方に知っていただき、町内に馬を飼いたい人が増えてくれたらうれしい。
今の暮らしのよいとこ。
四季があり暮らしに めりはりがある。
都会は不便、田舎は便利。都会は何をするにもお金がかかる、どこに行くにも時間に追われる。
下川には身近なところに必要なものがほとんどそろっている。
豊かな自然があり生きていくためのさまざまな恵みを与えてくれる。
自然の食べ物は売っているものと比べ、はるかに美味しく、元気がみなぎってくる。
下川は山や川だけでなく海も近いのが魅力的。必要ならば旭川空港や札幌市にもすぐに行ける。恵まれた地理条件にある。
町民が互いの夢を追う中でゆるくつながり合う関係も好き。互いのできることで地域規模の自給自足ができると実感している。
( 冬は 一番ぜいたくな時間→ 春・夏・秋にためた、燃料や食材を 冬は活用してぜいたくに暮らす 冬を楽しむために 他の季節があるように感じる )
( 春は山菜、夏・秋は野菜、リンゴなど果実、冬はシカ肉…季節ごとの暮らしがある、シカはハンターに年1頭捕獲をお願いして入手、1年分の食肉として活用)(特に妻は薪ストーブでトマトソースを作ったり、みそを作ったり・・・地元小麦でパンを日ごろから焼いたり・・・おやつは寒さや薪ストーブを生かして、地元カボチャのプリンを作ったり、冬は雪の下で食料を保存したり・・・日々を丁寧に生きている)
今後どんな暮らしをしていきたいか。(今後の暮らし)
今は家、森、馬の放牧地が分断されている。
移動手段にもなる馬はまず、馬のところまで、自転車や自動車で自分が移動せねばならない。
森林に残された枝や端材は運び出して利用するのには手間が掛ってしまい利用しきれていない。
普段、自宅庭や周辺に落ちている枯れ枝を、薪ストーブのいらない時期の湯沸かしや炊飯、料理の燃料に利用している。枯れ枝1つでその日のごはんが炊けてしまう。ササはササ茶に活用できるし、タンポポだってコーヒーになる。もっと時間にゆとりを持って丁寧に暮らせれば、身近な、ごみになっているものまであらゆるものが資源になる。そっちへシフトしたい。森の資源を本当に有効に利用していくためには森と住む場所が隣接する必要がある。できれば夏場は森林で暮らせる移動式の家などがあればいいなと思っている。
関連ページ(下川町移住者サイト)での紹介記事
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