高 師直 こうもろなお <?〜観応2=正平6>(?〜1351)
南北朝時代の武将。足利尊氏の執事。父は高師重。高氏(こうし=一族)は平安時代以来源氏に仕えていたが、やがて足利氏の従者としての立場を固める。師直の曽祖父に当たる重氏(しげうじ)の頃には高氏(こうし)の惣領が足利氏の家政全般を取り仕切るようになる。
鎌倉幕府滅亡後、建武政権ができると師直は三河権守に任じられ、窪所の衆中となる。建武元年(1334)8月には再編された雑訴決断所において東山道の訴訟を扱う三番方の奉行となる。
師直の戦功はめざましく、特に暦応元年=延元3年(1338)2月に北畠顕家の軍を奈良で破り、同年5月に顕家を討ったことや、貞和4年=正平3年(1348)1月に四条畷で楠木正行を討ったことは名高い。
こうした戦功と足利尊氏の執事と言う地位により、高氏(こうし)の権勢は非常に強まるが、やがて足利尊氏の弟 直義を中心とする勢力と対立。これが発展して尊氏(師直)VS直義の争いになるが(観応の擾乱)、その最中の観応2=正平6(1351)に師直は、直義派の上杉能憲らの軍勢に討たれる。


南朝ファンにとっては、「憎き仇」と言えるであろう高師直です。特に顕家様ファン、楠木正行ファンにとっては “許すまじ!” という相手ではないでしょうか(笑)
ちなみに私は、例え顕家様ファンでなかったとしても、好きになれないであろうタイプの人です(笑)

『仮名手本忠臣蔵』の影響もあるでしょうが、師直やその弟の師泰と言えば、「悪人」のイメージが強いですよね。師直の悪行の数々と言えば・・・

・伝統的な権威や秩序を徹底的に無視する。
・美人で有名な塩冶高貞の妻に横恋慕した挙句、塩冶高貞を自害に追い込む。
・寺社や行宮、聖徳太子廟を焼き払う。
・所領が少なくて不満を持つ者に寺社領の横領を勧める。
・護良親王の母 宣旨の三位殿の古御所を没収して自分の邸宅として贅沢の限りを尽くす。
・皇族や公卿などの子女に次々と手を出す。

とまあ、「不埒な悪行三昧」(笑)ですね。
誇張された面もあるのかもしれませんが、こういったタイプの方はどうも好きになれません。

顕家様ファンの立場としては、「この人に負けたなら仕方がない」と思える人であって欲しいんです!!
戦が上手いとか、弓や剣の達人とかだけでなく、人格的にも優れた人であれば、ファンとしては諦めがつくのにぃ〜!!

師直の曽祖父の代から、足利家の執事を務めているのですから、事務処理能力も高かったのではないかと思いますし、戦上手と言う点に異論を唱える人は少ないと思います。
戦上手であることに関しては「仕方がない」と思えるのですが、やりたい放題していた感じが強いので、どうしても

「なんで、こんな奴にわ・た・し・の!顕家様が負けなきゃいけないの〜(~_~メ)」と思ってしまいます(^^ゞ

資料:「鎌倉・室町人名事典」(新人物往来社)、「太平記の群像」(角川選書)ほか

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