以前掲示板で、顕家様がが着られていた鎧の色についての話題が挙がったことがあり(下記参照)、その時には、「おそらく紅とか赤ではないか」と、いうところに落ち着きました。

〜掲示板での鎧の色に関する話の流れ〜

甲斐二郎様より 親房卿、並びに顕家卿が着られていた鎧の色を今調べています。もし何かご存知のことがあればお教えいただけると大変助かります。(2005/07/11)
阿倍野様より 顕家公の鎧についてですが、残念ながら色などはわたしも存じあげないのですが、三重県伊勢市の光明寺というお寺に結城宗広公のお墓がありまして、その傍らに顕家公が戦死された際につけておられた鎧を納めたといわれる供養塔が建っているのを見たことがあります。一度そのお寺のご住職に聞かれてみると何か分かるかもしれません。親房公も恐らく戦場に幾度と無くその身を置かれていたでしょうから、甲冑をつけられていたでしょうが、その詳細は分かりませんね・・・(2005/07/11)
天童丸様より 話題になった鎧の件ですが、根城(現・八戸市)にある神社に、"紅(赤?)鎧"があるらそうですが、これが顕家公の鎧かもしれない、との噂を聞いたような気が…。不正確な記憶で申し訳ありませんが。そう言えば、黒石市の、浪岡北畠氏の末裔の家には、北畠勢の、軍旗が伝わっているそうです。(2005/07/13)
甲斐二郎様より 鎧の情報ありがとうございました。皆様の情報などを頼りに調べていったところ、顕家卿の鎧は赤系統である可能性が高いという事がわかりました。新参者の私に皆様親切に情報を下さりありがとうございました。(2005/07/14)


阿倍野様が書かれているのは、下の写真のことと思いますが、私が訪ねた時には、どの塔が結城宗広のお墓なのか分かりませんでしたし、顕家様の供養塔まであるとは知らなかったので、ろくにお参りもせずに写真だけ撮って帰ってしまったのが、今更ながらに恨めしいです。

(この後光明寺には、平成25年に再訪したのですが、やはりわかりませんでした。→参照

                           ↑
上記の塔の配置は、伊勢市観光協会のホームページを見て当てはめたのです。
http://archive.fo/6K9Hh

なので、配置は違うかもしれません。いつかもう一度光明寺に行って、確認できたら良いなと思っています。

『伊勢 北畠一族』には、左から

     和泉式部供養塔、後白河法皇の墓、恵観の墓、結城宗広の墓

と、なっています。

 なお、伊勢市観光協会の記述からすると、現在の光明寺は寛文10年(1670)に厄災したのを機に吹上町から現在地に移り、供養塔は昭和23年に移されたそうです。
 となると、もし、供養塔に顕家様の鎧が納められていたとしたら、おそらく塔の下に埋められたのでしょうから、それはそのまま前の場所に残っているかもしれませんね。
天童丸様から情報提供があった赤い鎧は、こちらのことかどうかは定かではありませんが、根城の近くに櫛引八幡宮という神社がありまして、そこに国宝の鎧があります。
http://www.kushihikihachimangu.com/kokuhou.html
赤い方が鎌倉時代の物です。白い方が南北朝時代の物で、南部信光が後村上天皇から拝領した物と伝えられているそうです。
顕家様の肖像画では、赤色系統の鎧をお召しなので、鎌倉時代の赤糸威鎧がイメージ的に近いのではないかと思います。(下記参照)


白から赤のグラデーションになっているので、
「色々威鎧(いろいろおどしよろい)」という名称に
なるかもしれませんが・・・


さて、持っている資料を見直していると、顕家様ではないのですが、鎧に関する記述がありましたので、何かの参考になるかも・・・と思い、ご紹介いたします。
『霊山町史』に、『霊山軍記』の抜粋として、“塚の目合戦のこと竝(ならびに)北畠正教討死の事”の段が記載されていました。
この北畠正教については、『鎌倉・室町人物事典』に載っていませんし、ネットで検索しても、『月舘町の歴史』の一部にチラッと記載が見られるだけなので、どういう方か分かりませんが、北畠顕信(顕家様の弟ですね)が奥州統治をしていた頃の方のようです。
そこには正教が討死した日の装束について、

「赤地の錦の無衣に黒糸縅(おどし)の胴丸し、竜頭に鍬形打たる五枚兜を猪首に着なし、芦毛の馬に青地の具足を置き、燃え立つばかりの紅の厚ふさ懸朱に染なす大長刀を馬のひら首に引付」

と、記載されています。
『霊山城跡・霊山寺跡』(霊山町教育委員会)には、 “『霊山軍記』『霊山武艦』は近世に編纂された偽書で、史料価値は少なく、これらの雑記から記述された霊山城史は信がおけない” と、あります。
結局、実際に見た人が記録していたわけではないし、しかも近世の人間が書いているわけですので、想像でしかないわけですよね。

とはいえ、現代のように次々に新素材や技術が開発されていた時代ではないので、それなりの身分の方が身に着ける装束の装飾は、そんなにかけ離れてはいないのではないかと思います。
と、いうことで、顕家様の鎧の色ではありませんが、これに近いものを身に着けていた可能性があるということで、馬に跨り、颯爽と駆け抜ける顕家様の姿をご想像下さい。

なお、「いろいろと鎧を見てみたい!」という方は、「文化遺産オンライン」などをご覧になると、楽しいかもしれません。

平成20(2008)7.6
平成25(2013)7.15、平成29(2017).6.5一部変更