| 鎮座地: 宗派: 本尊: |
三重県伊勢市岩渕3丁目3-11→ 臨済宗東福寺派 木造阿弥陀如来坐像 |
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| 光明寺 | 結城宗広卿墳墓 |
| 光明寺その他のスナップ | |
| 概 略 |
光明寺は、天平年間(八世紀)に聖武天皇の勅願によって創建され、鎌倉時代末に恵観禅師の中興と伝えられている。 延元三/暦応元年(1338)には、南朝勢力挽回のため、後醍醐天皇の皇子義良親王を奉じて北畠親房父子や結城宗広などが、当寺で東国下りの出帆の準備をしたとされている。 また伊勢神宮周辺では、鐘楼を許可された唯一の寺で、「光明寺の一つ鐘」と呼ばれた。 もともとは吹上町(伊勢市駅前)にあったが、寛文(1670)の大火で被災し、現在地に移転した。 南北朝時代関係の寺宝としては、以下のものがある。 ・光明寺残篇(結城宗広の軍中日記ほか) (鎌倉末期 重要文化財) ・結城宗広夫人書状(南北朝時代 重要文化財) ・結城宗広画像(江戸時代 市指定有形文化財) ・境内の石塔群五基 (南北朝〜室町時代 市指定有形文化財) 出典:光明寺にある説明板 |
| 大 錦 号 の 独 り 言 |
結城宗広の墓所ということで、結城神社とともに南朝ファンなら“行かねばならぬ場所!”の一つですね(笑)。 初めて行った時は、お寺に人の気配を感じなかったので、資料を得ようにもどうにもならず、また時間もなかったので、とにかく「結城宗広の御墓を写真に収めねば!」という気持ちしかなかったです。 そして2度目に行った時は、時間に余裕があったので石塔群を、じっくり見れました。しかし、やっぱりこの時も人の気配を感じなくて・・・ 「顕家様の鎧があの石塔群のどれかの下に埋められているのか!?」→参照 「さあ、帰ろう」と思ったところに、光明寺に到着したタクシーから、ご年配の女性が降りられたのですが、お疲れのご様子でしたので、声をかけずにそのままお寺を後にしました。 石塔群の大きな写真は、上記「光明寺その他のスナップ」にコメントと共に上げております。 |
平成25(2013)7.15
平成29(2017).6.5一部変更