顕家様関連年表 その2

注)日付については、資料によって違っている場合もありますので、参考程度にとどめられるようお願いいたします。

年(西暦) 西暦月日 出来事
建武元年(1334) 1月18日 2月22日 顕家 結城宗広を結城氏の惣領とする。
顕家 宗広・親朝を奥州の式評定衆に挙げる。
1月 2月5〜3月5日 大内裏造営費として、全国の地頭・御家人への20分の1課税と紙幣の発行を計る
3月18日 4月22日 顕家 陸奥の依上の保を賞賜される。
5月 6月3〜7月1日 義良親王に親王の宣下
結城親光 東海道東山両道の恩賞方に補せられる。
8月 8月30〜9月28日 顕家 北条氏の残党を討つため、津軽へ自らの出陣を目指し、南部師行に下向の雑事の用意を命じる。(しかし、出陣は実現しなかった)
二条河原落書が掲げられる
10月 10月29〜11月26日 護良親王の足利尊氏暗殺計画が発覚し、後醍醐天皇の命により親王が捕らえられる。
11月 11月27日〜12月26日 後醍醐天皇 護良親王を鎌倉へ配流、幽閉
12月17日 12月27〜1月25日 顕家 津軽平定の賞として従二位に叙せられる
建武2年(1335) 1月 1月26日〜2月23日 足利尊氏 正三位参議
3月16日 4月10日 顕家 鯨岡孫太郎入道に国宣を下し、路地の警固をし、疑わしい者を捕らえさせた。
6月 6月21〜7月20日 西園寺公宗の建武政権転覆計画を企て、捕らえられる。
7月 7月21〜8月18日 北条時行 信濃で挙兵し、鎌倉を攻略(中先代の乱)
足利直義 護良親王を殺害
8月13,15日 8月31日、9月2日 伊達行朝が伊達為顕とともに長倉城を落とす。
8月30日 9月17日 尊氏 斯波家長を奥州管領とし、顕家を牽制する。
8月 8月19〜9月17日 足利尊氏 北条時行を破り、鎌倉を奪還
尊氏 従二位
10月 10月18〜11月15日 尊氏 後醍醐天皇の上洛命令を拒否
11月 12月15〜1月13日 顕家 鎮守府将軍に任じられる
新田義貞 尊氏討伐のため京を出発
赤松則村 尊氏方につき、挙兵
12月 1336年
1月14〜2月12日
尊氏軍 義貞軍を破り西上
顕家 尊氏討伐のため、義良親王を奉じて陸奥を出発
顕家 上洛の途、常陸三箇原に佐竹貞義の兵を破る
12月28日 1336年
2月10日
佐竹氏 伊賀盛光に対し、義良親王を奪い、顕家を追伐するよう命じる。
沙弥行円 顕家追討のため、伊賀盛光の兵を催す
12月29日 1336年2月11日 顕家 義良親王の令旨を結城親朝に伝えて侍大将となす
延元元/建武3年
(1336)
1月1日 2月13日 千種忠顕、名和長年、結城親光ら、勢多を守る。
この日、足利直義・高師泰来り犯し、連日兵を交わう
1月2日 2月14日 顕家 兵50万を以って鎌倉を攻める。
桃井直常 足利義詮に従ってこれを防ぎ、大敗して箱根に走る
顕家 鎌倉を無血占領
1月5日 2月17日 佐竹貞義 顕家追撃を声明
1月10日 2月22日 後醍醐天皇 近江坂本へ
1月11日 2月23日 尊氏軍が入京
尊氏 洞院公賢の第に居る。結城親光・益戸顕助伴り降って、大友貞載と闘い死ぬ
1月12日 2月24日 結城宗弘に令して速に行在にいたらしめる
宗弘 義良親王より御輿警固を命ぜられる
顕家 結城・伊達・白川・南部・下山・信夫の一族5万余騎を率いて、江州愛智川駅に着き、大館幸氏に佐々木氏頼の観音寺山城を攻めさせてこれを陥れる
1月12日頃 2月24日頃 顕家 坂本の行宮に伺候
1月13日 2月25日 親房・顕家 義良親王を奉じて行在にいたる
親房 書を結城宗弘に与えて速やかに坂本に参着するよう告げ、かつ、子 親光の忠節を褒する
1月15日 2月27日 結城親朝 顕家に協議して陸奥の兵を督する
1月16日 2月28日 尊氏 細川定禅らを遣って園城寺を援けさせる
この日、義貞・顕家 園城寺を攻めてこれを破り、高師直を関山で戦う
1月27日頃 3月10日頃 顕家・義貞軍 京で尊氏を破る
2月4日 3月17日 顕家 右衛門督に任じられ、検非違使別当を兼任
2月5日 3月18日 顕家 尊氏を追撃
顕家 鎮守府大将軍となる(日付に関しては諸説あり)
顕家・義貞 尊氏・直義追討のため京都を進発
2月6日 3月19日 顕家 尊氏を豊島河原で破る
    以後、各地で転戦
2月7日 3月20日 顕家 尊氏追討のため京師を進発西下する
2月12日 3月25日 尊氏 九州へ敗走
2月14日 3月27日 顕家・義貞ら 凱旋
2月15日 3月28日 尊氏 院宣を奉じて西下の旨を大友氏泰に告げる
3月2日 4月13日 顕家 権中納言に任じられる
3月10日 4月21日 義良親王 元服
顕家 陸奥大介となる
3月20日 5月1日 顕家 陸奥に戻る(3月24日の説もあり)
結城宗弘を召見し、優詔して陸奥に還らせ、かつ宝刀を賜う
4月 5月12〜6月9日 顕家 斯波家長を破る
尊氏が九州より東上
5月 6月10〜7月8日 顕家 相馬一族を破る
楠木正成 湊川の合戦で敗れ自害
8月 9月6〜10月5日 尊氏 光明天皇を擁立
10月 11月4〜12月3日 顕家 藤原清衡の中尊寺供養願文を改書し、奉納
11月 12月4〜1月2日 尊氏 建武式目を定める
12月 1337年
1月3〜2月1日
後醍醐天皇 軟禁されていた花山院を脱出し、吉野へ逃げる
後醍醐天皇 顕家に京都奪還の綸旨を発する
参考資料
「南北朝の動乱」(集英社)
「北畠氏の研究」(大西源一)
「南北朝編年史」(吉川弘文館)
「日本暦綴 日本暦西暦対照暦」
          (辻通商梶j