顕家様関連年表 その1

注)日付については、資料によって違っている場合もありますので、参考程度にとどめられるようお願いいたします。

年(西暦) 西暦月日 出来事
文保2年(1318) 3月2日 4月3日 北畠顕家誕生
文保3年(1319) 8月5日 9月19日 親房 中納言
元応2年(1320) 10月21日 親房淳和院別当補任
元応3年(1321) 1月5日 2月2日 顕家 従五位下
御宇多天皇の院政をやめ、天皇自ら政治を行う。
元亨2年(1322) 1月5日 1月22日 顕家 従五位上
4月5日 4月21日 親房 右衛門督に任じ、検非違使別当に補任
陸奥の安東氏一族が争う。幕府が兵をやって鎮める。
元亨3年(1323) 1月13日 2月18日 親房 権大納言に。淳和院別当
5月 6月5日〜7月3日 親房 奨学院別当 兼任
6月15日 7月18日 親房 世良親王の守役となる。
元亨4年(1324) 4月9日 5月2日 顕家 正五位下
9月 9月19日〜10月18日 正中の変
9/10:北畠氏の研究、9/19:伊勢北畠一族、9/23:戦乱南北朝
9月23日 10月11日 日野資朝、日野俊基 捕らわれる。
斉藤利幸 鎌倉の結城宗広に「主上 御謀反」を伝える。
親房 大納言
正中2年(1325) 1月7日 1月22日 親房 内教坊別当補任
8月 9月8日〜10月7日 幕府 日野資朝を佐渡に流し、日野俊基を赦す。
12月30日 2月3日 顕家 侍従に。
正中3年(1326) 1月5日 2月8日 顕家 従四位下
2月9日 3月13日 親房 検非違使別当を辞し、顕家を右近中将に申任
2月19日 3月23日 顕家 右少将
嘉暦2年(1327) 3月24日 4月16日 顕家 武蔵野介 兼任。従四位上
護良親王 天台座主補任
嘉暦3年(1328) 1月5日 12月16日 顕家 正四位下
3月16日 4月26日 顕家 少納言
4月19日 5月29日 顕家 左少将
11月9日 12月20日 顕家 少納言を罷め、中宮権亮
元徳2年(1330) 4月6日 4月24日 顕家 権左中弁に補任
9月17日 10月29日 世良親王 崩御。親房出家し、宗玄と称す。
10月5日 11月15日 顕家 左中弁に
元弘元年(1331) 1月5日 2月12日 顕家 正四位に叙せられる。
1月13日 2月20日 顕家 参議に任じられる。
1月16日 2月23日 顕家 左中将を兼任
3月4日 4月11日 後醍醐天皇 西園寺公宗の北山第に行幸
顕家 「陵王」を舞う。
5月5日 6月10日 元弘の変 日野俊基捕らえられ、6月(?)に鎌倉へ送られる。吉田定房の密告
8月24日 9月26日 後醍醐天皇 (大和)笠置寺へ逃れる。
8月27日 9月29日 天皇 笠置山へ。
9月 10月3日〜10月31日 楠木正成、河内赤坂城にて挙兵
9月28日 10月30日 笠置落城
10月 11月1日〜11月29日 北条高時、光厳院を擁立
10月21日 11月21日 赤坂城 陥落
11月5日 12月4日 顕家 参議左中将を辞し、従三位に叙せられる。
元弘2年(1332) 3月7日 4月2日 後醍醐天皇 隠岐へ配流。
6月 6月24日〜7月23日 日野俊基 鎌倉葛ヶ岡で斬首
6月9日 7月2日 北畠具行(従二位権中納言)、佐々木道誉の家人に斬られる。
11月 11月19日〜12月18日 護良親王 吉野で挙兵
楠木正成 護良親王に呼応して、河内赤坂城・千早城で挙兵
12月26日 1333年1月13日 顕家 参議に還任。左中将に任じられる。
元弘3年(1333) 1月21日 2月6日 赤松則村 苔縄にて挙兵。
閏2月1日 3月17日 上赤坂城陥落その後千早城に立て篭もる。
閏2月24日 4月9日 後醍醐天皇 隠岐脱出
閏2月28日 4月13日 名和長年 天皇を伯耆 船上山へ奉ず。
3月 4月15日〜5月14日 足利高氏 名越高家とともに幕府軍を率いて伯耆へ向かう。
4月8日 5月22日 千種忠顕・赤松則村 京を攻め、敗退
4月27日 6月10日 足利高氏 丹波篠村八幡で挙兵。(幕府へ叛旗を翻す。)
5月7日 6月19日 高氏、護良軍(赤松則村、結城親光、千種忠顕ら)とともに京へ突入。六波羅探題陥落
5月8日 6月20日 新田義貞 上野新田荘生品明神で挙兵
5月9日 6月21日 足利義詮 新田軍に加わる。
北条仲時ら432人、近江国番場蓮華寺で自刃
新田軍、小手指原の戦、分倍河原の戦
5月17日 6月29日 顕家 上階をやめ、左中将へ任じられる。
5月21日 7月3日 新田義貞 鎌倉を落とす。
5月22日 7月4日 北条高時ら鎌倉東勝寺で自刃(鎌倉幕府滅亡)
5月23日 7月5日 後醍醐天皇 伯耆を出発
5月25日 7月7日 小弐・大友氏ら鎮西探題陥落
6月5日 7月17日 後醍醐天皇 帰京(建武の新政開始)
6月12日 7月24日 顕家 弾正大弼を兼任(この日まで光厳朝に仕える)
6月 7月13日〜8月10日 護良親王 征夷大将軍となる。
足利高氏 従四位下左兵衛督
記録所、恩賞方設置
旧領安堵・回復発令
個別安堵法
7月 8月11日〜9月9日 諸国平均安堵法
8月5日 9月14日 顕家 従三位に叙せられ、陸奥守を兼任
8月 9月10日〜10月9日 天皇 諸将の論功行賞を行う
足利高氏 従三位 武蔵守、尊氏と改名
9月 10月10日〜11月7日 雑訴決断所設置
9月1日 10月10日 顕家 弾正大弼を辞す
10月1日 11月8日 顕家 正三位
10月2日 11月9日 顕家 義良親王を伴い多賀城へ
11月29日 1334年1月5日 顕家 多賀城へ到着
12月14日 1334年1月20日 足利直義 成義親王を伴い鎌倉へ
参考資料
「南北朝の動乱」(集英社)
「北畠氏の研究」(大西源一)
「伊勢 北畠一族」
「花将軍 北畠顕家」
「戦乱 南北朝」(学研)
「日本暦綴 日本暦西暦対照暦」
          (辻通商梶j