木村 愛子 1947年 鯖江市北中町生まれ。 1980年 ふるさとに転勤族の夫は四国高松に残し、子ども二人とUターン。 それまで(高松市)幼稚園のお母様方と活動していた「絵本同好会」のメンバーと別れるのが、非常に寂しかったかな…。 子育て、家事、庭の草取りなどにおわれていたが、東京〜大阪〜四国にいては必要を感じなかった車の免許を取ってから、地域の活動に声をかけられて参加。 特に、母が始めていた県民生協の組合員活動に、誘われて出かけ、いとこの同級生に勧められて、県民生協の理事を引き受ける。 今じゃ、福井県民生協組合員10万人になっているが、その頃6,000人になったという事で、理事会でお祝いをし、小さなケーキをもらって帰ったのを、強烈に覚えている。 専業主婦がボランティア活動をしようと思うと、家族や周囲の理解と思いやりなくては続ける事ができないが、当時このケーキに息子はおもしろい理解を示したので20年以上を経たできごとを、昨日のことのように思い出す。 “一人は万人のために、万人は一人のために”と、安全・安心な暮らしを求め、機関紙を担当し「がんばらにゃ」で、「川とともに生きる」を企画し、2年半ほど県内を回って歩いていたが、地元に密着した活動をしようと、河和田地区に限定した活動に引っ込んだ。 1993年 2000年 2002年 子どもたちが近くで、本や絵本に親しめる環境をつくろうと、生協で知り合った仲間と「かわだ文庫」をオープンさせる 河和田地区婦人会の活動を通して、女性だけでなく男性も一緒になって環境問題に取り組むことの意義を実感し、区長会等に働きかけて河和田地区生ごみ問題連絡協議会を設立。 子どもたちの将来のために、良好な自然環境を残そうと、生ごみの減量リサイクル有機野菜作り・流通販売など、うるしの里・地域の課題を調査しながら活性化に寄与しようと、NPO法人かわだ夢グリーン設立準備代表を務め、設立後2年副理事長をつとめ、その後事務局を担う。
ふるさとに転勤族の夫は四国高松に残し、子ども二人とUターン。 それまで(高松市)幼稚園のお母様方と活動していた「絵本同好会」のメンバーと別れるのが、非常に寂しかったかな…。 子育て、家事、庭の草取りなどにおわれていたが、東京〜大阪〜四国にいては必要を感じなかった車の免許を取ってから、地域の活動に声をかけられて参加。 特に、母が始めていた県民生協の組合員活動に、誘われて出かけ、いとこの同級生に勧められて、県民生協の理事を引き受ける。 今じゃ、福井県民生協組合員10万人になっているが、その頃6,000人になったという事で、理事会でお祝いをし、小さなケーキをもらって帰ったのを、強烈に覚えている。 専業主婦がボランティア活動をしようと思うと、家族や周囲の理解と思いやりなくては続ける事ができないが、当時このケーキに息子はおもしろい理解を示したので20年以上を経たできごとを、昨日のことのように思い出す。 “一人は万人のために、万人は一人のために”と、安全・安心な暮らしを求め、機関紙を担当し「がんばらにゃ」で、「川とともに生きる」を企画し、2年半ほど県内を回って歩いていたが、地元に密着した活動をしようと、河和田地区に限定した活動に引っ込んだ。
鯖江市議会議員(平成15年〜現在4期目)
無所属 会派 :市民創世会 政調会長 所属委員会:総務委員会 総合戦略等特別委員会 決算特別委員会 農業公社グリーンさばえ理事会 鯖江広域衛生施設組合議会 福井県女性議員の会 副会長
県みらい子育てネット母親クラブ 副会長
さばえっこ図書ボランティアネットワーク会長 鯖江市子ども会育成連絡協議会顧問
「かわだ文庫」代表 うるしの里いきいき協議会相談役
NPO法人かわだ夢グリーン事務局
元民生・児童委員
元河和田地区婦人会会長 元河和田地区生ごみ問題連絡協議会会長
元鯖江市連合婦人会理事
元河和田小学校PTA副会長
元東陽中学校PTA副会長
元福井県民生協理事・監事
元福井県女性の地位向上連委員
元社会教育委員
元NPO法人かわだ夢グリーン副理事長