戦闘学園VEEDA

 

月曜日 - 戦闘学園? なんだそりゃ!

 

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 春のそよ風が、おろしたての制服の裾をなでる。

 見慣れない桜並木の道を歩きながら、大豪寺(だいごうじ) 龍也(たつや)は何度目かのため息をついた。

「はあ……。どうして父さんは、備騨(びだ)高校へ転入しろなんて手紙をくれたんだろう」

 それは、龍也の父、啓祐(けいすけ)が突然よこした一通の手紙が始まりだった。

 そもそも啓祐は数年前に龍也たち家族の前から姿を消し、それ以来龍也は、母の良美(よしみ)、妹のさよりと三人で暮らしてきた。失踪ではない。家族が暮らすための金は毎月きちんと振り込んでくるし、良美だけは啓祐の居場所を知っているらしい。

 しかし、良美が父の居場所や目的について明かすことは決してなかった。龍也やさよりは当然、父のことについて良美に聞いてみたが、良美はいつも

「お父さんには大事なお仕事があるのよ、いつか全部話してあげるわ」

と繰り返すばかりで、それ以上のことは話そうとしなかった。

 そんな状態が数年続いた後で、啓祐から突然の手紙が届いたのが二週間ほど前だ。

 何年ぶりかの手紙だというのに、近況報告のようなものもなく、ただ事務的に要件だけが記された、そっけない手紙。そしてその要件とは……

「龍也、私立備騨高校に転入しなさい。手続きはすませておいた」

 これだけだった。理由の説明もない。備騨高校という名前を始めて聞いた龍也は、父の意図について首をひねるばかりだった。しかし、良美はその手紙を見るなり、すべてを飲み込んだようにうなずき、すぐさま家族の引越しの用意に取りかかったのだった。

 そして、今日の初登校だ。

 龍也はまたため息をつく。理由も知らされずに知らない学校へ転入、龍也でなくても、これは愚痴の一つも言いたくなる状況だろう。

「まあ、どのみち転校はしなくちゃならなかったんだけどさ……」

 そう、確かに龍也には、どのみち転校しなくてはならない事情もあった。彼が生まれつき抱えている、ある特別な事情。それがあるために、彼は小さい頃から何度も転校を余儀なくされてきたのだ。

(……まあ、今からくよくよ考えても仕方がないな。今まで何度も転校してきたんだし。とにかく、あまり目立たないようにすることだ……)

 そう、必要以上に目立たないこと、龍也にとって何よりも重要なことだ。ただでさえ、彼には不要な注目を浴びてしまう事情があるのだから……。

 龍也の歩いている一本道が、細い横道と交差するところまで来たとき、平穏な思考は突然破られた。

 

 世の中には、アニメやマンガなど、要するにフィクションの中では嫌になるほど多発するが、現実にはまずお目にかかれないというものが、いくつかある。

 いわゆる「お約束」というやつだ。

 そのお約束の一つがいま、龍也に向かって突進してきていた。

 すなわち、「『遅刻遅刻〜っ!』と叫びながら、パンをくわえて学校に向かって走る、制服姿の女の子」である。

 龍也は一瞬、自分の目を疑った。

 まさか現実の世の中に、こんなお約束の塊が存在するなんて信じられない。

 だが、そのお約束は相変わらず「遅刻遅刻〜っ!」と叫びながら、横道からまっすぐ龍也に向って突進してくる。パンをくわえたままどうやって叫ぶのか、それは謎だ。

(こういう場合、このお約束の続きは、交差点で二人ぶつかって、もつれあって倒れた拍子に女の子がパンツ丸出しになるんだよな……)

 瞬時に、龍也の頭にいくつかの選択肢が浮かんだ。

1.このままお約束パターンを続けて、女の子を身体で受け止める。

2.見なかったことにして無視して通り過ぎる。

 しかし、龍也が頭の中で行動を決めるまでもなく、女の子は龍也の目の前を走り過ぎて行った。彼女の去った方角を龍也が振り向いたとき、見えたのは短めのツインテールの後ろ髪だけだった。

 だが、それに続けてもう一つのお約束が待ち受けていた。

 「勢い余って道に飛び出した女の子に向かって突進してくるトラック」だ。

(しまった!)

 龍也がそれに気付いた瞬間、彼の脳の一部は無意識に反応していた。

 龍也の脳の中で一瞬光がはじけ、目の前がさっと暗くなり、同時に全身の力が抜ける。

 そして、よろめいて膝をついた彼の前で、今まさにトラックに衝突しようとしていた女の子の身体が、わずかにふわっと浮かぶと、そのまま二メートルほど後退し、ゆっくりと地面に倒れる。

 間一髪、女の子を回避したトラックは、そのまま走り去ってから急ブレーキをかけ、少し先で停止した。

 龍也は半ば無意識に、少しくらくらする頭を指先でかく。

(また、やっちゃったな……。まあ、今のはどうしようもなかったけど)

 そう、これが龍也が生まれつき抱えている「事情」。

 世に言う「念動力」だ。

 たいした力ではない。手で持ち上げられる程度の物を、少し離れて動かせるだけだ。

 そして、この力を使うと一気に全身が疲労する。今のように人間を浮かばせるような行為だと、少しの間は立っていられないくらいに激しい疲労に襲われる。

 しかし龍也にとって問題なのは、この念動力を意識的に、十分にコントロールできないことだった。ふとした拍子に、意識で考えるより前に勝手に力が発動してしまう。

 それはたとえば、クラスメートが水の入ったバケツを取り落してしまったときに、とっさに支えてしまうとか、いつも誰かのためになる発動なのだが……残念ながら、人間は念動力などという常識を超えたものに対して寛容ではない。

 今まで、つい無意識に念動力を使ってしまうたびに、目の錯覚とかなんとか必死にごまかしてきた。どうしてもごまかしきれなかったときには転校。

 それが今までの龍也というわけだ。

(とにかく、こうしてても仕方がない。あの子、無事だろうか……?)

 どうにか身体に力を込め、立ちあがる。

 女の子は数メートル前で上体を起こし、茫然としたように周囲を見まわしている。トラックの方は、女の子が無事なのを見て、そのまま走り去ったらしい。

 龍也は女の子に歩み寄って、片手を差し出す。

(気が付いたかな……?)

 龍也の頭の中に不安が浮かんだ。

 もし、彼女が念動力のことに気付いたら……。そう思うと気が重くなる。

 今度はどうやってごまかしたらいいだろうか。龍也が持っているのは念動力だけで、記憶を消すとかそんな便利な能力はない。

 女の子はきょとんとした様子で龍也を見つめ、それから「ぅわきゃ〜っ!」と奇声を上げると、開いていた足を閉じて、あわててスカートを降ろす。

(うわ、こりゃまたお約束な反応だ……)

 それから、ようやく平静を取り戻したように口を開いた。

「あ、ありがとう……」

「いや……、その、大丈夫?」

「う、うん。その……あなたが助けてくれたの?」

「あ……ううん、違うよ。その、目の前で事故に遭いそうになってたから驚いて……」

 実は念動力で自分が助けたなどと、もちろん言うわけにはいかない。

 女の子は立ちあがり、自分の身体を見まわして、ぱんぱんとほこりをはたく。

 立った姿を見ると、小柄な子だった。身長175センチの龍也より頭一つくらい低い。丸顔でくりっとした眼、ツインテールに結んだ肩までの髪、凹凸の少ない体型……制服を着ていなければ、小学生で通りそうだ。

 それから、はっとしたように時計を見ると、「わちゃ! そーだった、遅刻遅刻っ!」と叫び、龍也の手を引くと、有無を言わさず走り出した。同時に、もう一方の手では器用に鞄とパンを回収する。

「そーいえば、あなた名前は? その制服、うちの学校でしょ?」

「だ……大豪寺 龍也」

「龍也クンね! あたし滝沢(たきざわ) 真由美(まゆみ)、真由美でいいよ!」

 それだけ言うと、女の子はますます速度を上げて走っていく。

「えっとね……僕は……」

「しゃべってる場合じゃないよ! 遅刻しちゃうんだから!」

 実は龍也は今日転入で、まず転入手続きに職員室に向かうので、普通の始業時間に登校する必要はない、と告げようとしたのだが、女の子……真由美は耳を貸す気は内閣支持率ほどもないらしかった。

 走りながら、また時計を見る真由美。

「あ、もう走っても間に合わないかも……。え〜い、こうなったら使っちゃえ!」

 え? と龍也が前を見たとき、真由美は何か短い言葉を叫んだ。

 次の瞬間、龍也の目の前でまばゆい光が閃き、龍也の目がくらむ……と同時に、先ほどまでとは比較にならないものすごい力と速度で龍也の手が引っ張られ、ほとんど宙に浮いた状態で龍也は引きずられて行った。

(え? え? え〜っ!)

 まるで新幹線の車窓のように景色が流れていく。気のせいか、前を走る真由美が周囲に衝撃波を撒き散らしているような気さえした。

(音速超えてるってことは……さすがにないよな)

 あまりにも唐突に放り込まれた異常事態に、龍也の頭は追いついていなかった。

 ようやく顔だけを前に向けたとき、彼の手を引きながら、あり得ない速度で走り続けている真由美の姿が映る。

 しかし、さっきとは真由美の姿が違っている。学校の制服ではなく、体操服のような白と紺の服がちらりと目に映った。

(変身!? いや、まさかな……)

 ぼんやりと思ったところで、龍也の意識は遠のいていった。

 

月曜日: その2

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