風使いのフレイン
第一章 目覚めてみたら、ここはどこ?
「あいたた……。まったく朝からついてないわね」
あたしは肩と腰を押さえて、起き上がってベッドに戻ろうとする。
……え?
ここ、どこ?
あたしの部屋じゃない。そもそも、あたしのベッドはこんなんじゃない。
ベッドの四隅から柱が立ってて、柱のてっぺんには白い布が張ってある。柱の間には薄いグリーンのカーテンがぐるっと張り巡らしてあって、その一方だけカーテンが開いていた。
要するに、昔風の豪華なベッドだった。周囲を見回すと、あたしがいるのは壁が石造りの、やっぱり古めかしい部屋。
ほっぺたに指当てて考えてみたけど、こんなとこに寝てる理由が思いつかない。
あたしの家がこんなベッドを新調した記憶ないし、外泊した記憶もない。ましてやパーティーで知り合った男の人にお持ち帰りされてホテルに……なんて記憶は断じて!ない。
じゃあ、あたしはなんでこんなところで寝てたんだろ。
あまりに意外な事態に直面して、不安が襲ってきた。
もしかして、これって記憶喪失とかいうやつ? あたし、「ここはどこ? 私はだれ?」状態になっちゃったわけなの?
思い出してみよ。
あたし、小泉里奈。高校二年生の十六才。住所は東京都○○区××町……。部活は演劇部、特技はタロット占い。身長は百五十八センチ。体重とスリーサイズはヒ・ミ・ツ。
うん、しっかり覚えてる。記憶喪失じゃないんだ。
あ〜、よかった。
………………。
……って、ちょお〜っと待ちなさいよっ!
「私はだれ」ってのはいいとして、「ここはどこ」なのよっ!
「え〜ぃ、いったい何がどうなってんのよっ!」
あたし、叫んだ。
そのとき、ベッドの枕元で声がささやいた、ような気がした。
『……説明しよう……』
だけど、自分の状況に驚きまくってたあたしは、その声のことが頭に入らなかった。
「目が覚めてみたら、なんでこんな知らない部屋にいるのよ! ……もしかして、誘拐? 寝てる間に誰かに連れ出されちゃったの? あたしの家、身代金なんかないわよ!」
『……いや、だから説明すると言ってるんだが……』
「っていうか、なんで何も憶えてないのよ! 誘拐された記憶なんて全然ないっての! 睡眠薬でも嗅がされちゃったわけ? やだっ、眠ってる間になにされたかわかんないじゃない!」
『……説明を聞いてみようという気はないのか……』
「で、犯人はだれよ? どこにいるのよ? あたしのこと誘拐してどうする気なの?」
『いいかげんにしろおおおおおおっっっ!』
あたしに無視されてた声の主は、しびれを切らして枕元で大声を上げた。
それで、さすがのあたしも、さっきから話しかけていた声のことに気付いた。
「だ、誰よ、さっきからあたしに何か言ってるのは?」
『ここにいる。よく見てみろ』
あたし、声のした方を振り向く。
ベッドの枕元に置かれた木製のナイトテーブル。その上にちょこんと鎮座して、あたしの顔をのぞきこんでいるのは……。
「……へ?」
黒猫。
あたしは、その黒猫をまじまじと見つめた。
その黒猫も、あたしをまじまじと見つめ、それからため息をついた。
(猫が……ため息?)
『そなたを選んで本当に正しかったのか、自信がなくなってきたぞ』
黒猫はそうしゃべった。信じらんないけど、間違いない。さっきからあたしのそばでやかましくしゃべってるのはこの黒猫だ。
「……あんた誰?」
黒猫は後ろ足で立ち上がると、前足を首のあたりでもじもじさせた。人間なら、襟やらネクタイの乱れを直すみたいなしぐさ。
『わたしの名はフレイン。ザンジア魔術師ギルドの上級会員だ。世間では「風使いのフレイン」と呼ばれている』
「まじゅつし、ぎ・る・ど?」
『いかにも』
黒猫が重々しくうなずいた。
それがあまりにも真剣そうだったんで、あたしはついプッと吹き出してしまった。
『なにがおかしい!』
そう言われても、笑い始めたらもう止まらない。
「きゃははははっ! 魔術師ギルドだって! まじ頭大丈夫? あーっはっはっはっははぁ!」
笑い転げたあたしに腹を立てた黒猫は、テーブルからぴょんとあたしのベッドに飛び乗り、あたしに手をあげた。
猫パンチ!
「いたっ!」
『人を! 馬鹿にするのも! ほどほどにしろ!』
猫パンチ! 猫パンチ! 猫パンチ!
「いたいいたいいたいっっ! わ、わかったわよっ! 悪かったわ、もう笑ったりしないから許してよっ!」
あたしが謝ると、黒猫はやっと静かになり、またテーブルの上に戻ってしゃがみこむ。
「ふぅ……。だけどあなたね、いったいどこの世界に、魔術師ギルドなんてものが実在したりするわけよ?」
『ここの世界だ』
「冗談はよしてよねっ!」
『冗談で、猫がしゃべるかね?』
「う……」
そういや、そうだった。猫がしゃべるなんてそれこそお芝居の世界か、本当に魔法の力ででもなきゃあり得ない。だとすれば、この猫の言ってることも大まじめなのかも知れない。
「……わかったわ。何がどうなってるのか、詳しく説明してちょうだい」
『ようやく話を聞く気になってくれたか』
「どうも、聞かなきゃ納得できないことばかりみたいだしね」
『それでは説明しよう。まずここは、そなたがかつて生きていた世界ではない。そなたから見れば、異次元にある異世界だ』
「異世界……?」
『さよう。この世界にはそなたのいたトウキョウなる町はどこにもない』
「で、なんであたしがその異世界にいるわけ?」
『それは……気の毒だが、そなたは元の世界で死亡したからだ』
「ふうん……。え? 死亡?」
『その通り。そなたは元の世界でコウツウジコなる目にあったのだ。そなたの肉体は死亡したが、わたしは秘術を使い、そなたの魂をこの世界に転生させたのだ』
「そう……」
あたし、死んじゃったのか。あ、そう言えばぼんやりと覚えてるような気がする。なんか子供が倒れてて、トラックが走ってきて、夢中で走り出して……。
そこまでしか覚えてないけど、それだけで黒猫の言ってることが納得できた。嘘や冗談じゃないんだ。本当にあたしは元の世界で死んで、そしてこの世界に転生したんだ。
ん……? とすると。
「じゃ、じゃあ今のこのあたしの身体はなに?」
『その身体は、以前のわたしの身体だ』
「え〜っ?」
『そなたの魂をこの世界に転生させるためには、よりしろとなる肉体が必要だった。そこでわたしは自らの肉体をよりしろとして使い、そなたはわたしの身体を持って転生したのだ』
「ってことは、あなた元は人間だったわけね?」
『あたりまえだ! いったいどこの世界に、猫を会員にする魔術師ギルドがある!』
「ここの世界」
『……いくらこの世界でも、猫が魔術師をやっていたりはしないぞ。この猫はもともとわたしの使い魔だった黒猫だ。名前はチャム』
そう言って、黒猫……チャムは首を回して自分の身体をながめ、尻尾を振って見せた。こうやって見ると、身長三十センチくらいのどこにでもいそうな黒猫。だけど、その黒猫が目の前で妙に人間くさいしぐさをして、あたしに話しかけている。
「ふうん。それじゃあ、あたしが元のあなたの身体に転生して、あなたはその猫ちゃんの身体に転生したってことね」
『そのとおりだ』
「それで、その猫ちゃんの魂はどこに行ったわけ?」
『………………』
「………………」
たら〜り。
『オホン。ま、まぁそれはそれとしてだ』
あ、露骨にごまかした。
『目的もなく、そなたを元の世界から転生させたわけではない』
「そりゃま、そうでしょうね」
『そなたをこの世界に、それもわたしの身体に転生させたのは……』
「はいはい、あたしがあなたの身体に転生したのは……」
って、ちょっと待ってよ……?
「あのね……もう一度確認するけど、この身体は以前のあなたの身体なのよね?」
『いかにも』
やな、予感。
「それで、つかぬことを聞きますけど、あなたって人間のときには男の人だったの?」
『当然だ』
うわっ、予感的中!
「ねえ……。ってことは、今のあたしの身体は……」
『そういうことが聞きたいのなら、言うまでもなく男の身体だ』
ずがが〜ん。
頭の中で、ピアノの低音が力いっぱい鳴らされたような気がした。
「かっ、鏡、鏡っ!」
がばっと跳ね起きて周囲を見回した。向こうの壁に鏡がかかってる。あたしはその前に走り、鏡をのぞき込んだ。
「………………」
鏡の中に映っていたのは、疑問の余地なくきっぱり男の人の顔だった。短い黒髪、切れ長の目、通った鼻筋、やや色白の肌……。年は二十過ぎくらいかしら。
あたしは絶句してその場にしゃがみこんだ。
「そんな〜っ! あたしの元の身体はどうしたのよ〜っ! あのかわいい身体は。パッチリした目、愛らしい唇、はちきれそうな胸、すらっとした脚、町を歩けば男の子の視線が吸い寄せられて離れず、ウインク一つでみんなあたしの下僕になる、あの芸術品ともいうべきあたしの身体〜っ!」
このさい、少々の捏造なんて問題じゃないっ!
『……そうだったか?』
「な・ん・か・言った?」
『……いや、なんでもない』
「ああああ、あたしの身体〜っ!」
泣き崩れるあたしの後ろから、チャムが声をかける。
『娘よ。そなたの悲しみもわかるが、わたしとて大きな犠牲を払っているのだ。そなたの魂をわたしの身体に宿らせたことにより、このわたしの魂は猫の身体に移った。今の私は猫だ。もう元の姿には戻れぬ……』
「それじゃそもそも、なんであたしの魂を転生なんてさせたのよ!」
『いや、それを話していたところなんだが……』
あ、そうだった。
あたしは立ち上がってベッドに戻り、チャムの方を向いてベッドに腰かけた。
はあ……。なんでこんなことになっちゃったんだろ。
まあ、フレインっていう人が若くて美形だったのがまだ幸いかも。これがもし、脂ぎった太目の中年オジサンの身体に転生させられてたりしたら……。
ぞわわっ。
恐ろしい想像になりそうで、それ以上は考えるのをやめた。
『説明の続きをしてもいいか……?』
チャムがあたしの顔をのぞき込んで言った。
「いいわよ。なんか、いまさら嘆いてもどうしようもないみたいだしね」
『それでは続けよう。そもそも、そなたを転生させたのは……』
そのとき、窓の外に声が聞こえた。
なんだろ? 何人かが言い争ってるようなような声。
『……救うための者が必要だったからだ……』
窓の外の声はますます騒がしくなった。ケンカしてるみたいな声に加えて、何か物を叩きつけるような音もした。よく聞くと、女の人の声も混じってる。
チャムは外の様子を気にしてないみたいで、説明を続けている。
『そなたは選ばれたのだ! 世界を迫りくる危機から……』
チャムの説明に熱が入り、前足を振り上げたとき。
ぴきーーん!
窓の外でものすごい閃光が輝き、それと同時に窓と、その下の壁が粉々になって吹っ飛んだ。
『救うために〜っっ……』
チャムはそのあおりを受け、前足を振り上げた格好のまま吹っ飛び、向かいの壁に叩きつけられる。
そして、壁に開いた大きな穴から、みすぼらしい身なりの男の人が二人、よろよろと出てくると、そのままばったりと倒れた。
「確かに、危機が迫ってるみたいね……」
あたしが呆然としてそう言ったとき、壁の穴からまた別の人影が歩み出てきた。
「いいですか。些細なことで争ってはなりません。共に力を合わせ、日々の生活を充実したものとすること、それがルミールの教えなのですよ」
長い白衣をまとい、金色の杖を手にした巫女さんだった。