T-CONに行って来ました

ジェンダーSF研究会「文学とコスプレカルチャーのあいだ」


オープニング早々に客席アンケート。
「あなたはコスプレをお好きですか?」
「自分でコスプレはしないけど、写真を撮る方はお好き?」
といくつかの問いに来場者が挙手で答える。
SF大会のコスプレトーク部屋なのだから、コスプレオッケー派が大多数なのだが、企画者である小谷真理さんによると、コスプレが現在のように認知される状況の到来までは、それなりの道のりがあったということだ(なお、客席の反応として「コスプレが特に好きなわけではないが趣味として、あるいはその愛好者の存在を否定しない」というスタンスの返答もあった)。
 イベントの華とも言うべきコスチュームプレイ(海外のコンベンション等ではマスカレードと呼ばれる)なのだが、その黎明期においては当然ながら「コスプレ」「マスカレード」という言葉自体がなかった。“それ”を指す言葉がないということは、“それ”という概念を大多数の人がもたないというのに近しい。あえて言葉にするなら「マンガの格好」「アニメや映画の登場キャラの扮装」「歴史上の人物の仮装」といったところだろうか。 

小谷女史の熱弁が冴える!
そう、コスプレイヤー達には黎明期に迫害された暗黒時代があったのだ!

“フルメタルパニック”がコスパで発売されるや迷わず買い!の女侠あふれる尾山ノルマ姐さん!!
この日の小谷さんのいでたちは黒のスーツにサングラスという「マトリックス」。
 このマトリックスのコスチュームに関しては今年、ある大がかりな企画が行われたりもした。先頃公開された「マトリックス・リローテッド」の公開と同時期に映画の配給会社等の企画ではなく、2ちゃんねるプロデュースとして「マトリックスOFF」なるものが開催された。OFF会というと、ネット上で知り合った知人同士がカラオケBOXや居酒屋でフェイストゥフェイスなつきあいをするわけだが、この「マトリックスOFF」はちょいとわけが違う」。

午前10時にネオの格好をした私は、
現実世界に戻るべくハチ公前の交番前の公衆電話に向かって猛然とダッシュをします。
みなさんはスーツを着てエージェントに扮して私を止めてみてください。
無事公衆電話にたどり着いたら私の勝ちです。

 そして定刻通りにネオの格好の男が電話ボックスに向かって走り出すと、バラバラと駆け寄るj十何人かのスミスッ!?
 この渋谷に端を発したマトリックスオフは全国展開となり、スミスの人数は増殖を続ける(これは映画「マトリックス」の設定でもエージェントスミスは転写されて増えていく)。
 役割演技の内容としてはネット上にアップされていて、不特定多数の参加者がそれをトレースする。
 やがて秋葉原での開催となったが、この日はあのロシアのお騒がせ娘、t.A.Toが秋葉原に来るらしいということで警戒態勢が引かれていたため、そのとばっちりを受ける形でやむなく場所を変更。
 電車で移動するのだが、もはやスミス200人の大集団となり、それが電車に乗って移動するというのは想像するだにおかしな光景だろう。しかも、それをウォッチする撮影班がやはり100人からカメラを手に追っていたということだ。
 小谷さんとしても、これは是非とも参加したかったが、仕事の都合でどうしても参加できなかったのが残念(いや、ホント、マジ真剣でくやしがってましたw))。
 しかし、このような企画がまかり通り、賛同する参加者がそれほどの人数に昇るということ一つをとっても、コスプレと言うものが国民全体から見れば一部なのかもしれないが行為として(世代の中に?)広く浸透してきているということの現れかもしれない。
 学生時代の交流関係と言うのが、現在では日本SF会ではそこそこ上の世代になっているため、当時から(現在で言う)コスプレというものに着目していた人々とSFというジャンルは何らかの関係があるのかもしれない…と小谷さんは推測する。
 なお、小谷さんらよりも上の世代のSF関係者らからは、けして行為的に受け入れられてはいなかったが、最初にコミックマーケットという場の米沢代表が「コスプレもまた表現の形態の一つ」という認知を表明してくださったことは大変にありがたいことだったということです。

 さて、マイク変わって尾上ノルマさん。
 こちらは小谷さんよりも世代がやや現在寄りで「マクロス」あたりからアニメファンに入って来たのだそうだ。
 その頃からだと確かにコミケ等でのコスプレというものは定着して来ていて、90年前後になると同人誌イベントのみならず、一般的にボンデージやラバー素材系の露出度の高いファッションに対しても深夜テレビ番組や成人向け雑誌などで“コスプレ”という言葉が使われだしていた(ご主人様に使えるメイド、女王様のようなものに対しても真性の被虐嗜好、加虐嗜好ではなくそれを演じたり眺めたりする遊戯的な意味でのプレイ感覚(実践し、極めるまでいかないライト感覚。“ディープ”“コア”“濃ゆい”というレベルまで行かないもの)が広まって来た時期というべきか。
 そういった風潮にあって尾上さんや、やや遅れて登場された瀧川仁子さんらは『ファンダム的な意味でのコスプレ』と『ファッション的な意味でのコスプレ』とが混淆した時代な“世間でいうところのコスプレ”に手を染め、足を突っ込み現在に至ったようだ。
 ちなみに、奉仕の心ということで大会スタッフで旅館の仲居さん等サービス業従事のコスプレをして一般参加者の応対を試みた人が多々あったのだそうだが、瀧川さんのメイド姿は誰も声をかけてもらえなかったようだ(う〜〜みゅ! やっぱり、引いちゃうよなぁ)


このセクシーメイドさんが新宿のドン・キホーテで売られてたのをSF大会委員長から買ってもらって、そのまま着てます…と言われて私の頭はクラクラ〜。そうだよね。
ドン・キホーテって売ってるものの中にさえ看護服とかコスプレ衣装がある…そういう時代なんだよね。