小田原建築探偵〜大阪万博編 | |||
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まとめて万博遺跡巡礼〜石川島テトラ3 |
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東芝iIHI館があったのは会場の矢印の場所。 このテトラが何故黒では無くサビ色をした素材 のままなのかは解らない。 前ページ写真では下面が黒く見えるが実際は 表面に塗装は全く残っていない。塗膜が経時と 共に全て剥がれてしまったのか、剥がしてしま ったのか、塗られていなかったのか? 剥がしてしまったとは考え難い。閉幕後は解体 するからと相当程度の悪い塗装が施されたとし ても、ここまで完全に塗膜が残っていないもの だろうか? 塗られていなかった。この推測も無きにしもあ らず。塗られていなかったの意味するもの... これは本物のテトラには違い無いだろう。只残 念ながらパビリオンを構成した固体では無い 可能性もあると言う事。 テトラの接続に用いられた球体に残る穴も気に なる。この穴は多分テトラ同士を組上げ溶接す る際の位置決め穴なのではないかと思われる。 だとすると解体の際、この部分は酸素で切る筈。 溶断すると、この様な穴が残るのでは無く切った 跡が残っている筈なのだが...。 ”東芝テトラ”、”東芝テトラ”と書いてきたが製作 は共同出展した石川島側だった様だ。だから東 芝テトラとするよりも石川島テトラの表記のが正 解かも知れない。 ”IHIテトラ”でも良いし”播磨テトラ”でも良い。 1476個あったテトラ。この名古屋の個体が 残存する唯一では無い様な気がしている。 大阪茨木の東芝(関連?)の会社敷地内にも あるとの情報もある。 IHI石川島にも石川島テトラとして残っている のではないだろうか? それらは4種の内のどのタイプなのだろう? 略して言わないで東芝IHI館はこちら。 |