小田原建築探偵   
HOME INDEX ←BACK NEXT→
幻のスカンジナビア館part2 〜7


1981年10月15日付、北海道新聞はスカンジナビア館
解体を伝える。「親善の象徴 無残な末路」の文字が躍る。

本道と北欧との国際親善のシンボル的存在だったスカンジ
ナビア館が消えていた。建物の所有者である藤学園が「子
供たちの非行のたまり場になりかねない」と解体したものだ
が友好団体関係者や一部町民からは「公共施設でないと言
っても勝手に処分するのは乱暴だ。」との声が出ている。

昭和47年(1972年)2月、不動産会社が「気候、風土が北
欧と似ている本道に移し国際親善にも一役を」と七億円か
けて移転した。鉄筋モルタル二階建ての同館が北欧五カ国
の産業、風俗、文化を紹介する写真の他、バイキングの船
白夜のパノラマなどを展示しオープンした際に、これら五
カ国は二百万円を寄付した他、駐日大使が開館式には列
席した。

また、ちょうど開催中の札幌五輪に出場の北欧選手も多数
見学に訪れるなど親善ムードをおおいに高めた。ところが
昭和51年(1976年)末にY社が倒産し、これに伴い同館も
閉鎖した。同館に関しては北方圏諸国との交流が強まって
いるなかで再開を望む声が強かったが結局うやむやに終
わり今年一月になって土地と一緒に藤学園に買収された。

同学園は六月中旬から七月中旬にかけて同館を解体して
処分した。しかし同館が木立に囲まれて周囲から見えない
場所にあったために町民の大半は建物がなくなったことに
気付かなかった。最近になって建物が姿を消したことを知っ
た町民からは「北欧との交流を考えると単なる建物以上の
意識があったはず。それをスクラップにするとはあまりに無
神経」。の声もあがっているがそれよりもショックなのは友
好団体関係者。

道フィンランド協会では「えっ、まさか今春、藤学園に買収さ
れた時、有効に再活用してもらえたらと内部で話合っていた
のですが」とまだ信じられないといった表情。道スウェーデン
協会事務局や道北方圏調査室でも「全く初耳で一体どうなっ
ているのだろう」と首をかしげている。

これについて藤学園は「昨年末に建物を下見した時点では
将来大学が移転した場合、ゼミナール室などに活用する方
向で検討した。しかし冬のあいだに子供たちが窓を破って
侵入し内部をめちゃくちゃに壊した上にタバコを吸ったり灯
油を持ち込んだりしているので、これ以上放置する事は管
理責任上問題があると判断し撤去した。石狩町には事前に
説明してあるし友好団体には前の所有者から説明がしてあ
ると思った」と説明している。