小田原建築探偵   
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ソ連館の展示品


ディアナ号の模型とステンドグラス。この二つの展示
品が何故、此処にやって来たのか?それを説明する
新聞記事も展示されていた。


1970年4月7日 朝日新聞より

幕末に日露和親条約締結のためはるばる日本にや
ってきたロシア海軍提督プチャーチン特使の玄孫(げ
んそん・ひ孫の子)が万国博のクボタ館でホステスと
して働いている。


アメリカ人のマリナー・プチャーチンさんだ。この話を聞
いた提督ゆかりの静岡県田方郡戸田村の山田三郎村
長が六日同館に彼女をたずね、戸田村へ招待した。同
条約が生まれて百年あまり。万国博が機縁でプチャー
チン家と戸田村の友情がよみがえった。


日露和親条約が調印された安政元年(1854)プチャ
ーチン提督は説くしとして伊豆・下田港にディアナ号な
ど数席の軍艦をひきいて停泊していたが安政の大震災
にあい津波で艦を失った。


この時新艦建造に戸田村の人たちが一役買い乗務員
五百人の面倒をみた。これをきっかけに村とロシアを
結ぶきずなが芽生え明治34年(1901)には同提督
の娘でマリーナさんには”ひいおばあさん”にあたる人
が来日寄付を行ったという。


昨年村にはプチャーチンを偲ぶ造船郷土資料博物館
も生まれた。プチャーチンさん一家はその後フランスに
渡り更にアメリカに帰化した。マリーナさんはアメリカニ
ューヨーク市の石綿製造大メーカー、ジョンズマンビル
社の副社長の一人娘。


同社がクボタ館を建てた久保田鉄工と提携している関
係で同館に勤めている。この日11時過ぎ同館入口で
マリーナさんの歓迎を受けた山田村長は「ゆかりの戸
田村へ是非遊びに来てくださいと村民の声を伝えた。


「五月ごろに母が万国博見物にくる予定なので出来れ
ば一緒にうかがわせていただきます。」とニッコリ。この
あと山田村長は日ソ文化協会員らと沈んだディアナ号
の模型が展示してあるソ連館を訪れ「万博後にこの模
型をいただけるので村に良いみやげ話が出来ました」
と喜んでいた。
 

写真はクボタ館前で握手する村長とマリーナさん。
(戸田村は現在戸田市となっている。)


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