小田原建築探偵   
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結局....ソ連館のてっぺんは何処に?


モスクワに行ったと言われるソ連館のシンボル。
しかし、その所在の情報は全く伝わって来ない。


「今日のソ連邦」と言う雑誌があった。ソ連大使館
がソ連崩壊まで、日本人向けに発行していた雑誌
であり当時のソ連の情報を得る貴重な資料である。


今回も1970年のソ連館特集にてディアナ号の
展示風景が掲載されていた唯一の資料。


もしソ連館のテッペンがモスクワの何処かに設置
されていたとしたら万博閉幕後、1971年の号あ
たりに掲載されていても不思議ではない。


残念ながら、その様な記事が掲載された号に未だ
遭遇出来ていない。

モスクワ、モスクワ、未知のそして神秘的な

氷のように冷たい、赤く塗られた金の塔

モスクワ、しかし実際、誰が知るだろう

炎がその白銀の中に熱く燃えてると

ジンギスカンの「めざせ モスクワ」をYoutubeで
繰り返し聞いてみる。

もはやモスクワに行くしかないのか?

あの少年誌の情報に間違いは無いのか?


レーニンの冷凍保存も見てみたいが、このシンボル
を見る為だけに行っても良い。


しかし...



実はモスクワには帰らずソ連館跡に埋もれている
なんて事は本当に無いのだろうか?


ま ・ さ ・ か?


万博記念公園、ソ連館のあった場所。ソ連館の
墓石が設置された殆ど人気の無い公園の片隅。

落ち葉で埋もれた林の奥。

地面からニョキっと出てきた赤い角。

これは....探していたソ連館のテッペン。

こんな場所に...。

灯台もと暗し。いやソ連館もと暗し。


大阪万博 ソ連館 (完)。

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